第33話「闇に抗う覚悟」
「なにか来る......」
大木の太く伸びた枝木を足場に、リッタはセリアを抱えたまま、空中を跳ぶように駆け抜けていた。
幹から幹へ、枝から枝へ。足を掛ける一瞬の判断すら遅れれば、闇に呑まれる。そんな速度だった。
突然、リッタがそう言い出す。
抱えられているセリアは、思わず息を呑み、えっ?と声にならない反応を見せながら、リッタの顔を見上げる。
「後ろから、何かが僕らを追いかけてきてる」
その言葉に、セリアは腕の中でもがくようにして、必死に首を捻り、背後を見ようとする。
だが、森は闇は濃く、木々の影が幾重にも重なって、何一つとしてはっきりとは見えない。
リッタは速度を落とさない。
枝が軋み、葉が裂け、風が唸る。
逃げるというより、追い立てられているかのように、ただ前へ前へと跳び続ける。
「飛んでるね、すごい勢いだ」
低く、しかし確信を帯びた声でリッタが言う。
その言葉を聞いた瞬間、セリアの脳裏に浮かんだのは、ひとりの剣聖の姿だった。
「アリシア!?」
飛んでいる――その一語だけで、思考がそこへ辿り着いたのだろう。
しかし、リッタはすぐにそれを否定する。
「違う......闇の気配がする......」
その言葉に、セリアの表情が引き締まる。
彼女は目を閉じ、短く呼吸を整え、意識を研ぎ澄ませる。
木々のざわめき。
風の流れ。
そして、その奥に混じる、異質な重さ。
「確かに感じるわ......でもどうして?アリシアが足止めしてくれているはずなのに」
答えは返らない。
ただ、背後から迫る“何か”の気配だけが、確実に距離を詰めてきていた。
リッタは答える「わからない......でもこのままじゃ追いつかれる。僕が戦うからその間にセリアは逃げて」
その言葉は、迷いを含みながらも、すでに覚悟を決めた者の声だった。
走りながら言うものではない。
それでもリッタは、振り返らずにそう告げる。
セリアははっとしたようにリッタを見上げて声を大きくいう
「何を言ってるのよ!?わたくしも戦うわ!」と
即座に返された拒絶。
それは感情ではなく、信念だった。
セリアがそういうと、リッタは背後から迫る死神に追いつかれると察したのか、
一本の大木から伸びる太い枝の上で、急に動きを止める。
枝が軋み、二人の体重を受け止める。
リッタはセリアを抱えた腕をほどき、慎重に地へと下ろした。
するとリッタはセリアに静かに言う、「セリア、お願い逃げて。あの死神は、きっと僕じゃ敵わない......だから少しでも遠くへ、生き残る可能性にかけて欲しい」
その声音は、先ほどまでの焦りとは違っていた。
静かで、優しく、そして――別れを前提にした声だった。
リッタが何かを悟ったように死神が向かってくる方向を向きながらセリアへそう言うと、
セリアは一歩前に出て、強く言い放つ。
「嫌よ!負けるとわかってて、敵に挑む友達を置いて逃げるなんて、貴族として一生の恥だわ!」
その言葉に、森の空気が張り詰める。
恐怖よりも、誇りが勝っていた。
リッタ必死にセリアを逃がそうとする
「違うよ!だからこそだよ、逃げて欲しいのは。ここで2人で戦ってもどっちも死ぬ、せめてセリアだけでも......」
声が、わずかに震える。
それは恐れではなく、失うことへの拒絶だった。
リッタが少し俯きながらそう言うが、セリアは一歩も引かない。
「絶対に嫌よ!ここでアリシアも、リッタも死ぬというなら、わたくしも一緒に死ぬまで戦うわ!」
覚悟と覚悟が、正面からぶつかる。
互いが互いを守ろうとする覚悟。
どちらも譲れなかった。
必死に抵抗するセリアを見て、リッタは、はぁ、とため息をついて
「まぁ、セリアならそう言うと思ったよ......」
諦めにも似た微笑が、その口元に浮かぶ。
その瞬間、背後の闇が、確実に距離を詰めていた。
そしてリッタがそう言うのを聞いて、セリアは少しだけ肩の力を抜き、安堵したような表情を浮かべた。
逃げろと言われない。
共に立つと、そう認められたことが、彼女には何よりも大きかった。
そしてリッタは、視線を逸らしたまま、ぽつりと続ける。
「アリシアに、任されてたんだけどな......でも正直僕一人じゃどうにもならないと思ってたから」
自嘲気味なその言葉には、責任と不安が滲んでいた。
それでも、もう逃げるという選択肢はない。
リッタがそういうと、セリアは一瞬だけ目を見開き、すぐに明るい声で言った。
「えぇ、二人で心中といきましょ!」
冗談めいた口調。
だが、その奥にある覚悟は、揺るぎない。
闇の気配が、確実に近づいていた。
死神が迫ってきている――それを二人は、肌で、骨で、直感で感じ取っている。
それでも二人は、まるで普段通りのように、笑って言葉を交わしていた。
「僕は勝ちたいよー、できれば」
力の抜けた言い方だった。
恐怖を振り払うための、リッタなりの言葉だったのかもしれない。
それを聞いたセリアは、少し得意げに胸を張る。
「あら?わたくしも、そのつもりよ!」
その自信に満ちた声に、リッタは思わず小さく微笑む。
「じゃあ、全力でやろう」
そう、セリアへ告げる。
セリアは迷いなく返す。
「ええ!」
その瞬間だった。
二人の目線の先、森の奥が、じわりと染み出すように黒くなっていく。
闇が迫る――比喩ではない。
本当に、闇そのものが、森を侵食するかのように近づいてきていた。
空気が冷える。
音が、消える。
そしていよいよ二人の目の前まで来ると、
二人が立つ大木の、一本隣。
その大木から伸びる枝木の上に、影は音もなく着地した。
二人の表情は、一瞬で変わる。
笑みは消え、視線は鋭く研ぎ澄まされる。
リッタは静かに、しかしはっきりと告げた。
「来たね」
次の瞬間、死神は口角を不気味に吊り上げ、ニヤリと笑う。
「追いついたよ、やっと」
その声と同時に、凍りつくような殺気が周囲に放たれる。
冷たく、重く、抗うことを許さない圧倒的な死の気配。
それは、紛れもなく――
命を刈り取る者の存在だった。
セリアは、その殺気をはっきりと感じ取った。
心臓が跳ね、指先が冷える。
身体が小さく震え、背筋を伝うように冷や汗が滲み出してくる。
死を前にした、生理的な恐怖。
それは、どれほど覚悟を決めていても、抗えないものだった。
しかし、その瞬間だった。
リッタが小面を向きながら、セリアへと手を差し出す。
「大丈夫、僕たちは勝つよ」
その声には、先ほどまでの緊張も、迷いもなかった。
あるのはただ、信じ切った者だけが持つ、静かな確信。
セリアは一瞬、差し出されたその手を横目に見る。
そして、ゆっくりと、自分の手を伸ばした。
向かい合う形で、二人の手が重なる。
指と指が絡み合い、互いの体温が確かに伝わる。
その温もりが、震えを止めた。
セリアは一度、深く息を吸い、静かに吐き出す。
恐怖を押し込め、心を整える。
そして、冷静に――
ほんのわずかに笑みを浮かべて、言った。
「そうね。二人なら勝てるわ」
その言葉を聞いた瞬間、リッタの口元から、ふっと笑いがこぼれる。
張り詰めていた空気を解くように、軽い調子で続けた。
「足引っ張らないでね」
セリアはすぐに、その言葉が冗談だと理解した。
この重苦しい空気を和らげるための、リッタなりの気遣いだ。
だからこそ、即座に言い返す。
「誰に向かって言ってるの?わたくしは王立学院でも首席の座を争う実力なのよ」
胸を張るその姿は、恐怖に屈する者のものではなかった。
二人は顔を見合わせ、
そして――ふふっと、笑い合う。
死神を目の前にして、なお笑顔でいられるほど、
二人の精神は、すでに完全に戦う者のそれへと切り替わっていた。
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さて、本日からついにセリアの戦闘シーンに突入しました。
一体彼女はどんな活躍を見せてくれるのか。
それも踏まえ、次回もお楽しみいただければ幸いです。




