第23話「古き友の願い」
「アル!」
あまりにも親しげなその呼びかけに、室内の空気が張り詰めた。
居並ぶ者たちは互いに視線を交わし、思わずアリシアの方を見やる。
ルミナリア王国国王、アルベルト・ルミナリア。
八十年前の大戦を知る、数少ない生き証人。
その終結から今日に至るまで、長きにわたり王国を導いてきた現王である。
寝台に身を横たえるその姿は、かつて人々の前に立っていた頃を思えば、あまりにも小さかった。
深く刻まれた皺と、ゆるやかな呼吸が、積み重ねられた年月を雄弁に語っている。
周囲のざわめきには目もくれず、アリシアは王のもとへと歩み寄った。
寝台の傍ら、手を伸ばせば触れられる距離で足を止める。
「あぁ……懐かしい……」
王は、遠い時を辿るように、かすかに目を細めた。
その表情を前に、アリシアは言葉を探すように唇を動かす。
「……アル……その……随分と……」
言葉は、そこで途切れた。
続きを紡ぐには、あまりにも多くの時間が横たわっていた。
「あぁ……お前を待っていたら、こんなになってしまった」
冗談めいた口調とは裏腹に、その声音には拭いきれない歳月の重みが滲んでいる。
「ごめんなさい……こんなに、待たせてしまって」
アリシアは、そっと頭を下げた。
「いや……いいんだ」
王は静かに息をつき、
「お前がいなければ、この国は、とっくに滅んでいた」
言葉が、ゆっくりと室内に落ちる。
「それに……また、こうして戻ってきてくれた」
その一言に、アリシアは声を失った。
ただ、かすかに微笑みを浮かべ、王を見つめ返す。
その空気を断ち切るように、背後から控えめな咳払いが響く。
「……んんっ」
ルシアスだった。
その音に、アリシアははっとしたように顔を上げる。
「アル……その……大戦時の書物に、私の名前がないのって……」
確信に触れないよう、言葉を選びながら、慎重に問いかけた。
問いを向けられた王は、ほんの一瞬、目を伏せた。
「あぁ……そのことか」
アリシアから視線を外し、王は静かに息を整える。
何かを噛み締めるような沈黙が、その場に落ちた。
「すまなかった……本当に、すまなかった」
かすかに震える声が、ゆっくりと室内に広がる。
その言葉に、アリシアは思わず目を見開いた。
「……え……」
漏れた声は、驚きというよりも、理解が追いつかない戸惑いそのものだった。
「……まだ、私の口から多くは語れない」
王は視線を戻し、逃げることなく言葉を重ねる。
「だが、分かってくれ……それは、お前を救うためでもあるんだ」
迷いのない響きだった。
「……私を?」
アリシアは、わずかに眉を上げて問い返す。
「あぁ……」
王は短く、そう答えるだけだった。
アリシアは、その言葉を胸の内で何度もなぞるように、黙り込む。
問い返すべきか、それとも待つべきか――答えは、まだ見えない。
その沈黙を受け止めるように、王は静かに続けた。
「あの子が帰ってきたら……そうだな、晩餐でも開こう」
言葉を選びながら、ゆっくりと。
「そこで、全てを話そう、アリシア。
私の知る限りにはなるが……全てだ」
しばらくして、アリシアは小さく頷いた。
「……うん」
そして、ふっと空気を切り替えるように、いつもの調子で言う。
「わかった。じゃあまずは、王女様を助けに行かないとね」
その言葉に、王は思わず息を詰まらせた。
「な……っ」
驚きを隠しきれないまま、アリシアを見つめる。
「……行ってくれるのか?」
アリシアは、にこりと笑って即答した。
「もちろん!
ここに来たのは、そのためでもあるしね!」
その迷いのなさに、王は一瞬、言葉を失う。
「本当か……戻ってきて、すぐだというのに……
なんと礼を言えばいいか……」
「お礼なんて、いいのよ。気にしないで、私に任せて」
そう言って、アリシアは明るく微笑み、首を少し傾けた。
その言葉を受け、王はわずかに目を伏せ、何かを思案する素振りを見せた。
やがて顔を上げ、はっきりと命じる。
「クラウス。
最大限の旅の準備を整えよ。
そして、今わかっている情報を、すべてアリシアへ」
「かしこまりました」
即座に応じたクラウスは一礼すると、踵を返す。
「アリシア様、こちらへ」
そう言って、寝室の大扉へと歩き出した。
「はい!」
アリシアも元気よく返事をし、その後に続こうとする。
セリアとルシアスは、その背を見送るように、穏やかな表情で立っていた。
「――アリシア」
不意に、王の声が室内に響く。
呼び止められたアリシアは足を止め、振り返った。
王は、ほんのわずかに身を乗り出すようにして、低く、慎重に言葉を紡ぐ。
「セリアも……連れて行ってやってくれないか」
一瞬、空気が止まった。
「……えっ」
アリシアとセリアは、ほとんど同時に声を漏らし、驚いた表情で王を見つめる。
ルシアスは、そのやり取りを見て、軽く息を吐いた。
「……ほぅ」
するとセリアは、王をまっすぐに見つめ、戸惑いを隠せないまま問いかける。
「陛下!それは一体どういう……」
「そうよ、アル……それは……」
アリシアも続けるが、王は二人を制するように、静かに言葉を重ねた。
「足手まといには、ならないはずだ……セリアは初等科でも上位の実力だしな……我が娘を除いてだが……」
それは、セリアの力量を正当に認めながらも、
同時に娘の力を信じて疑わない――
王である前に、一人の父としてのアルベルトの言葉だった。
「……っ」
セリアは、痛いところを突かれたように息を詰まらせ、
思わず視線を逸らす。
その微妙な空気を感じ取ったのか、ルシアスが一歩前に出る。
「いいのではありませんか?セリア嬢。トップの成績を争うライバル同士、そして友達として、殿下の身を案じられていたことですし」
その言葉を受け、セリアは答えられず、
悩むように視線を下へと落とした。
「セリア……我が娘フィアナを、どうか助けてやってくれないか……」
王の願いに、セリアはしばし沈黙したあと、
ようやく口を開く。
「お父様には……なんと……?」
それは拒む言葉ではなく、
父に何と伝えればいいのか分からないという、
そのままの戸惑いだった。
それを聞いていたクラウスは、一歩前に出て静かに口を開いた。
「ファクター様には私から、事情を説明させていただきますので、どうかご安心を」
ファクター・フローレンスは、王族を支える九つの貴族――九天の家系、その一柱を担うフローレンス家当主であり、セリアの父でもある男だ。
その名を思い浮かべながら、セリアは即答できずにいた。
決断を下すには、ほんのわずかな時間が必要だった。
その沈黙に、ルシアスが穏やかに言葉を添える。
「アリシア様に同行されれば、きっと――今よりも大きく成長できると思いますよ」
背中を押すようなその一言に、セリアの胸の内で迷いがほどけていく。
「でしたら……」
小さくこぼれた声は、すぐに確かな意志を伴い、
セリアは顔を上げた。
「わたくしも、一人の友達として、フィアナ様捜索に同行させていただきます」
その決意を聞き、王の表情がわずかに緩む。
そして、そのままアリシアへと視線を向けた。
「アリシア……重ね重ねになってしまい本当にすまないが、どうか頼まれてはくれぬか」
その言葉に、アリシアがわずかに視線を逸らそうとした、その時。
「アリシア様!どうか、お願いします!」
セリアは声を張り、一心に頭を下げる。
その必死さに、アリシアの心が揺れた。
「分かったわ……一緒に王女様を探しに行きましょう」
そう告げながら、アリシアはセリアへと手を差し出す。
その言葉を聞いたセリアは、ぱっと表情を明るくし、
「はい!」
と大きく返事をすると、迷いなくアリシアの手を取った。
「よろしくお願いします!」
その声音には、先ほどまでの緊張は残っていない。
それを見た王は、ほんの一瞬、目を細め、
「ありがとう……アリシア……」
と、静かに礼を述べた。
やがてクラウスに導かれ、アリシアとセリアは寝室を後にする。
その背を、王はルシアスとともに見送っていた。
扉が閉じ、足音が遠ざかる。
沈黙の戻った寝室で、ルシアスは視線を王へ向け、静かに口を開いた。
「陛下、アリシア様とはどういったご関係で?」
その問いに、王はどこか懐かしむような表情を浮かべ、穏やかに答える。
「古き友だ……」
その一言に、控えていたメイドの一人――年老いた老婆が、思わずふふっと笑みをこぼした。
「そうでしたか……」
ルシアスはそう応じ、深くは踏み込まず、静かに頷いた。
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