山賊再び
魔封事変。
大陸歴1287年に起こったまさに天地が反転するかのような大異変。
そう、世界から魔法が失われ、これまでの常識が一変したその日から大陸はまさに混乱のさなかにあった。
西方諸国の発表した公式見解は、この大異変は人類絶滅を目論む魔法排斥主義であるクレメア教の過激派幹部による策謀。
結果的に魔法こそ彼らの手により封じられたものの、西方戦争の勝利によって過激派幹部を打ち取り人類の生存を勝ち取った。
もちろんこの発表は過分に政治的要素を含んでいたため、その正当性は当初より疑問視されてはいた。
だがクレメア教が暗躍していた事、そして彼らが魔法を廃するために活動していた事はいずれも既に広く知られており、多少の不審こそあれど人々はどうにかその説明を受け入れていた。
なによりもその受け入れを決定づけたのが、クレメア教の総主教にあたるラムールの西方国家への正式謝罪と賠償である。
当然ながらそれは事前に調整された行動ではあったものの、各国家はこのラムールの行動によりどうにか国家崩壊に至る混乱を回避し得ていた。
そして魔封事変から四年、各国は永世中立を旗印に独立領となったレムリアックによる潤沢な魔石供給の上で、どうにかありし日の日常を取り戻し始めていた。
規模こそ極めて小さいながらも、大陸の動向を左右するに至った小領レムリアック。
その独立領の領主の右腕と称される男は、不本意な思いをいだきながらもオブザーバーとしてこの西方会議へと訪れていた。
***
「クレイリー様、レムリアックの代理人に面会希望というお客さまが参られています」
「あん? こっちは慣れねえ書類仕事で手一杯なんだ。すまねえがロイスさんに回してくれ」
執務机に山積みとなった決済書類。
それは本来、彼がなすべき業務ではない。
しかしながら自らの所属する独立領の領主は、西方会議に際して彼に全てを押し付けその姿をくらましている。結果、望む望まぬに関わらず彼が不慣れな業務をこなさねばならなくなっていた。
「しかしロイス様は元々帝国のーー」
「構わねえよ、旦那はそんな細かいことは気にしねえ。できるやつにやらせるのがあの人のやり方だ。違うか?」
できる奴にやらせる。ただし可能な限り自分以外に。
昔から終始一貫した自らの上官の振る舞いを思い起こし、思わずため息を吐き出しながらクレイリーはそう問いかける。
すると、彼の元へやってきた秘書は慌てて首を縦に振った。
「おっしゃる通りですね。それではそのように手配して参ります」
言葉とともに、比較的新参の秘書はパタパタとのその場から走り去る。
一方、面倒ごとを押し付けることになったクレイリーは、僅かに良心が痛んだためか、その場にはいないロイスに向かい謝罪を口にした。
「すまねえな、ロイスの旦那。駐在武官だろうが何だろうが、うちの組織に組み込まれたら、力量に応じて使われるのがその運命なんだ……恨むなら旦那を恨んでくれよ」
それは紛れもなく本心からの呟き。
実際、今の彼は数年前とは全く異なる状況に置かれていた。
かつては英雄の露払いにして、その護衛。
英雄の名声が上がるとともに、地方陸軍の最下級兵である十位から始まったはずの彼の階級は、前例や本人の理解を超えて上がり続け、いつしかその肩書きは三位の階級とともにクラリス軍最高幕僚会議理事という謎の役職と成り果てていた。
士官学校出ではない軍人として、まさに最高位となった彼ではあるが、もちろん彼自身がその最高幕僚会議なるものに参加したことなどない。
それはもちろん彼が軍官僚などという不似合いな代物を嫌ったこともあるが、それ以上に肩書や階級などに決して縛られぬ男に付き従うことこそが彼の使命であったからである。
だが全ての戦いが終わり、自らの上官が勝手に独立を果たした時、当然ながら全ての名誉職や階級を捨てて、彼もまた小さき独立領へと赴くことを選択した。
もちろんそれは上官への思いからの選択であったことは疑いようもない。
しかしその心の片隅には、軍官僚として書類と向き合い続けることなどまっぴらだという考えが全くなかったといえば嘘となろう。
もっともそこまで嫌った書類仕事を、こうして他国に赴いてまで行い続けることになるとは、当然ながら当時の彼は思いもしなかったが。
「申し訳ありません、クレイリー様。お客様が代理人ではなくどうしてもクレイリー様との面談をと希望されておられます」
「はぁ、オレを指名? どこのどいつだ、そんなことを言ってきたのは」
引き返してきた秘書に対し、クレイリーは眉間に皺を寄せながらそう問い返す。
すると秘書は思いもかけぬことを言い出した。
「それがそのラインドルの方のようでして、あの日の借りを返しに来たといえばわかる、と」
「あの日の借り? ……ちっ、そういうことか。まったくこのキスレチン出張はハズレくじだな」
何かに気づいたクレイリーは、己が紡ぎ出した言葉とは異なり、どこか嬉しそうな表情を浮かべる。
そしてそのまま執務椅子から立ち上がると、彼は無造作に背後に立て掛けてあった長槍をその手に取った。
「クレイリー様!?」
「そいつに……小僧に伝えてくれ。俺は中庭で待っていると」
それだけを告げると、クレイリーは一足先にとばかりに用意された館の中庭へと歩みを進める。
そしてゆっくりと体を動かすと、久方ぶりに強く槍を握りしめた。
「ふふ、こいつを振るうのも久しぶりになるか。机に向かっているよりはよっぽど楽しめそうだ」
「さて、それはどうでしょうか?」
それは不意に発せられた声。
途端、クレイリーは表情から笑みを消し去ると、隙なく周囲を見回す。
だが全周囲を警戒しようとも、誰の姿も存在しない。
直感だった。
何らの確信があったわけではない。
何らの気配を感じたわけではない。
だが彼にはトレースすることができた。
今から彼と対峙するであろう男の行動が。
いや、より正確にいえば、彼の上官の薫陶を受けた人間が、確実に楽をして勝利をするためにどのような手を打つか、それが想像できたのだ。
だからこそ、彼は迷うことなく自らの槍を頭上へと向ける。
手に伝わる鈍い感触。
生み出される衝突音。
そして発せられる舌打ち。
「ちっ、奇襲は失敗ですか……流石ですね」
「そりゃあ小僧ごときに裏をかかれるほど衰えちゃいねえさ。それにだ、あの人のやり方はてめえよりも、ずっと側にいた俺の方が詳しいんでな」
そこまで口にしたところで、屋上からの奇襲に失敗したフェルムは大地に着地すると、真正面からクレイリーをにらみつける。
「教師に恵まれたおかげで正攻法は嫌いなんですが……でもあの時の借りを返さなきゃいけない以上、妥協はしません」
「はん、よく言った小僧。ただあっしを……いや、俺に借りを返しにきただけではねえんだろう? だが何れにせよ、話は俺を倒してからだ。せいぜい成長の痕を見せてみな、ラインドルの最年少天才教授さんよ!」