後編
「で、だ」
なんとなく取り残された木蘭は暢気に座っている青年を観察する。
面白いぐらいに美青年。
逆に人工的過ぎて感銘を覚え難い。
「うーむ」
「どうかしましたか?」
「いや」
なんとなく年上好みではないかとは察していた。
そもそもティアロットという少女には子供らしいところがない。
本職の魔術師でさえ生半可な知識ではついていけないのだから同世代の人間と話が合うわけもない。
その上趣味の偏りが酷い。
食にはこだわらないし、衣服は他人が口を挟めそうにない装飾の塊。
趣味といえば魔法研究で、特技は戦略とくれば、適当な相手探しは新星を見つけるが如しである。
もしかするととことん馬鹿で手のかかる相手ならばでこぼこコンビで通用するのかもなとか思いつつ、
「ギアクラフトって何者なんだ?」
とりあえず、聞くべきことを問う。
以前聞いた話では『魔王』だが、木蘭の知る限り『魔王』を称せるのはザッガリアくらいなものだ。
「あなたたちにはプライバシーと言う風習があるようですが?」
「ちっ」
風の音が静かに流れる。
「ああ、そうだ。
私はあれの保護者だから問題ないぞ」
「なるほど。
保護者では問題ありませんね」
記憶を経験も感情も無しに再現する存在である彼にとって舌打ちは意味のない音であり、とってつけた言葉は正論で通ったらしい。
「相当する言葉は『敵』『思い人』『概念存在』『魔王』『元凶』です」
「一つ、正反対な言葉が混じっているな」
確か昔、からかい半分にキスもした事ないのにと言った時に、ティアはあると答えた。
この姿の者がその相手というところか。
「それにしても概念やら、まったくあいつは妙なものに好かれるな」
「そうですね。
高次元存在と邂逅する機会なんて世界渡りの私たちですら一生に一度在るかどうかわかりませんし
「そうなのか?」
予想以上に回答についと視線を上げると、別段誇るでもなく当たり前のような言葉が追従。
「魚は陸で生きられません。
世界渡りの我々もこの同次元を行き来しますが、高位にも低位にも行く事はありません」
なるほど、生きるための条件が違うのかと解釈して
「しかしそいつらはいるのであろう?」
「両生類という例もありますから」
つまり、そんな稀な存在らしい。
「本当に、変なものに好かれるな」
「そういう特性なのでしょう。
かつてとある世界では『災厄の目』という魔眼持ちにも出会ったことがありますし」
「名前からして物騒だな」
「ええ。
周囲にある災いを無尽蔵に引き寄せ、所持者は巻き込まれるというシロモノです。
これは特異な例ですが、英雄と呼ばれる人たちは少なからずこの特性を得ていると私は推測します」
「英雄になるためには英雄と認められる功績が必要ということだな」
その点で言えば自身の半生も充分にその素質にあったと言える彼女だ。
打ち捨てるように吐息を放ち苦い笑みを口の端に乗せる。
「まぁ、それはそうと、そいつとはラブラブだったのか、あれは」
ん、と思考を始め。
「『仲睦まじい』と言う言葉が妥当でしょうか。
後半は凄まじい怒りと憎悪の感情に占められていますが」
「なるほどな」
からかい半分誰とくっつけだとか言ったがまともに取り合わなかった理由はこの男に在るらしい。
その理由というのが、男性不信か、それともまだこの男に一途なのか。
「そう言うところで融通がきないんだよな」
数えで11と言う事は実質10歳。
目覚めて1年ほどでアイリンを訪れたと言っていたので
「8とか9でか」
王族というから珍しいと断じるのもアレだが、本当に無邪気とかを何所に無くしたのかと思う。
「まぁ、いい。
それでお前はどうするんだ?」
話題が急に変わったからか、少し考えるような間を持って
「そうですね。
彼女が力を分けてくれればよいのですが」
緊迫感のない口調で言い、それからややあって
「閲覧する限り、その可能性は皆無のようですね」
「だろうな。
というか、自分の意志では無理なんじゃないか?
そんなに自由な魔力があれば賢者の石を求めたりしないだろうし」
そういえばなんだかんだ言いつつ、一度手にした賢者の石は竜の郷へ封印してきたと思い起こし、結局渇望しているのは力ではないと知る。
「究極の暇人だな」
「彼女がですか?」
気にするなと笑い、視線を外へ。
「で、あとどれくらいの魔力が必要なんだ?」
「そうですね。自然に溜まる分であれば最低でもあと3周期。
先ほどの魔法で1000回分というところでしょうか?」
考えなくても膨大な量だとわかる。
「悠長に待てないのか?」
「渡り鳥と同じです。
いつでも好きな世界に近づけるわけではありませんから」
「難儀だな。
というか、なんで世界なんて渡るんだ?」
「あなた方がどうして二本足で立ち、呼吸をし、食事をしなければ生きていけないのか、という問いに等しいと思います」
「神のみぞ知る、か」
「我々に神の概念はありませんが、そういうことです」
ふむと頷き、表情は再び思案となる。
「で、実際どうするんだ?」
「なるべく大きなパワースポットを探して時間を短縮します」
「それなら良い場所を知っていますわぁ」
声と共に影が実体を持つ。フウザーの使う物理魔法跳躍そのものだが。
「ミルヴィアネスの愛人か」
「それを流布されると奥方様に苛められますしぃ。
一応フェルミアース君は私の直系の子供ですよ?」
僅かに困ったような顔をして微笑むメイド。
視線を少しだけ下にずらせば影に隠れるように、バツの悪そうな小娘が木蘭を伺う。
『調達者』を気にしていると思ったがどうもそれだけではないようだ。
「なにかあったのか?」
「べ、べつに何もあらぬわっ!」
こういうところは子供なのにな、と苦笑。
「そうか。
その辺りは後でじっくり聞くとして」
ぐ、と漏れる声を笑みで聞き、
「で、その場所とはどこだ?」
「とある隠れ里です。
最近魔力が暴走しまして。
このまま放置してもよいのですが、どういう影響がでるかわかりませんので。
持っていってもらえるならば幸いですわぁ」
そのような報告には全く心当たりがない。
ふむとメイドを見据え
「ミルヴィアネスは知っているのか?」
「いいえ。私事ですし」
微笑はあくまでも涼やかで、食えない奴だとの雑言で打ち捨てる。
「また何か企んでいるんじゃないだろうな?」
「いいえ。そのようなことはありませんわ。
むしろ、すでに後片付けの時間ですもの」
掠め見れば僅かにティアの頬が動く。
緊張ではなく緩む方向に。
だから木蘭は肩を竦めるだけに留まり「勝手にするがよい」と言い放つ。
「お嬢様、宜しいですか?」
「それは……わしの知るところなのだな?」
問いの意味を察し、問いが返る。
「偽りの太陽の地。
今は廃墟ですわぁ」
予想はあったのか、そうかと声にならぬ声で呟き
「……彼には何ぞ言うたかぇ?」
動揺を震えが謳い、大丈夫と示すような柔らかい笑みが応じる。
「彼はあの場所を捨てた身です。
殊更何も言わないでしょう。
それに、それを悔しく思うことは」
そのまま、困ったように笑顔を歪め、
「あの子にとっては幸いですわぁ」
言葉に迷い結局見つからぬまま頷く。
それを確認し、メイド姿の少女は青年の方へ向き直る。
すっと差し出される手に青年は疑問を示し
「あなたも高次元存在ですね」
「そんな高等な者ではありませんわぁ」
苦笑と共に否定し、
「あなたが望む場所に案内いたします」
「そうですか。ではよろしく御願いします」
その手を借りる事無く立ち上がると木蘭の方へと一礼する。
「楽しかったです」
「まぁまぁだな」
そっけない返答に笑みを零し、改めてメイドの娘へ視線を向ける。
「では、参りましょう。
模倣 物理魔法 跳躍」
短すぎる詠唱。
途端に二人の姿が厚みを失い影となると、低次元に移行したそれは三次元の制約を無視していずこかへ消え去った。
来訪者が去る事で訪れた沈黙。
ティアは呆けたように異界の者の名残を幻視する。
とりあえず何が変わったのだろうと思いながら。
暇を持て余した女将軍は手近なおもちゃに襲い掛かることにした。
「これは凄い」
珍しく感嘆の声を漏らしながら周囲を見渡す。
そこには水が昇っていた。
そこには影が走っていた。
そこには闇が空を照らし、光が転がる木を食い散らかしていた。
混沌、その一言で表すには無理があり、それ以上適切な言葉はないだろう。
「力が行き場を失い、概念を侵していますね」
「はい。
今は結界に阻まれていますが、結界の意味もこのままでは偏重するでしょう。
もしそうなれば、この周囲数キロに渡って魔境が誕生する事になりますわぁ」
酸素が火を噴き、火が冷たく、冷たいと言う意味が流れ、流れは上へと昇る世界で、この世界ならざる二人だからこそ平然と言葉を交わす。
「ですから、この場の魔力を持っていってもらいたいのです」
「わかりました。
ありがたく頂きましょう」
彼は微笑むとそれを開く。
それとはいわゆる入れ物であり、それは今の彼自身である。
世界に降り立つための体は同時に入れ物ということだ。
見た目には変化なく、しかし口を開けたそれは周囲の魔力を飲み込んでいく。
もしもメーターがあるならば、この地の魔力が半分を指し示した頃だろうか。
「が」
音が漏れた。
「ぎ、が、がが、ぎ」
「げぎがが ぐが」
「ぎげげ」
「ご」
「ごご」
音が漏れる。
次から次に、意味不明な声が咥内から溢れてくる。
「申し忘れましたが」
その光景を悠長に見ながら
「この場の魔力はあの方の影ですから、そのまま取り込むのはお勧めできませんわぁ」
止まらない。
ホースから吸い上げた水が、流れた故にその気圧差により尽きるまで止まらないように、一度流れ始めた魔力は奈落へと落ち続ける。
水が落ち、光が闇を払い、天が空にあり、地は重く広がり始める。
混沌の元となる魔力を失い、世界の『原理』がその支配力を叫ぶ。
「が」
最後の一音。
ぴくりとも動かない。
美しいが故に人形のように。呆然と空を見上げる骸。
「私たちはこの世界において無限です。
なぜならばこの世界の見方では我々を観測できないから」
それが呪文と言うように、涼やかな声は正常になりつつある空へ謳う。
「私は不死、いえ、不滅です。
なぜならこの次元において私がどこにあるのかの証明を私自身することができません」
にこりと微笑み、内から壊された体に触れ
「この体を動かす意志はつまり、私の一面でしかないわけで」
ぴくりと、抜け殻が動く。
「つまり、この魔力があの方の一部であるならば、その一部で充分に」
白目がぐりん動き、ゆっくりと、空を見上げていた顔が語る女性へと向けられる。
「あなたは戻ってこられるのですね」
「……何のつもりだ」
声の質が変貌した。
どこか無機質ながら柔らかい声音は覇の一文字を飲んだ勇ましさに彩られる。
けれども怯む事はなく、ミスカは微笑む。
「お久しぶりです」
スカートの端を摘み、優雅に礼をし
「ギアクラフトさん」
先ほどまでのどこか抜けた優しさはなく、鋭い眼光が少女を射抜く。
「『不滅』、貴様が何故私の前にいて、ティアロットが居ない?」
「わからないあなたではないでしょう?」
それは挑戦という意味を含み、力となる。
「つまり、私に逆らうか」
挑まれたゆえに、『無敵』は必ず勝利する。
答えを必然として導いたそれは純粋な敵意だけを表に出す。
「そのようなお顔をされては、お嬢様に嫌われますわぁ」
それにまったく動じる事はない。
微笑みは鉄壁を誇示し、炎の覇気を微風のように受け流す。
「貴様がティアロットを語るか!」
「ふふ。
お嬢様は優しいあなたしか知らないのだから、本当に詐欺ですよね?」
柔らかい嘲笑は『無敵』の表情に影を指す。
「『不滅』よ。
お前に構う必要もない。
折角だ。
私はこのままティアロットの元へ行こう」
「ふふ」
楽しそうに笑って、そうして
「それはできませんよ?」
「ほぅ」
男はようやく笑みを見せ、そして問う。
「私を止められると言うか?」
「はい」
なんの躊躇いもなく、返された答えに男は継ぐ言葉に迷う。
「あなたは私に勝てません」
「ふざけるのも大概にしろ。
貴様が私の特性を忘れたと言うつもりか!」
「いいえ。それは間違いです」
一歩前に進み出て、笑み。
「あなたが『今』の特性を勘違いしているのです」
突き出す右手。
「模倣 操魔魔術 解呪」
小さな囁きがそれの動きを凍らせる。
「あなたはとても大きなミスを犯しました」
「な……」
中から崩壊している音が聞こえる。
かろうじて漏らした言葉は苦痛と共に意味をなさない。
「それは、あなたが余りにもお嬢様だけを見すぎたことですわぁ」
微笑み、空へと視線をやり
「原理魔法、それをもっとも上手く扱えるのは確かにあなたですわ。
そして、あなたの与えたヒントにより、お嬢様もまたその真髄にまで至りました」
薄れていく結界。
世界から隔絶されたこの土地は400年の時を経て再び現世と繋がる。
その予兆が空にヒビとして走る。
「あなたはお嬢様が好意を寄せてくる理由を自分の概念に起因する物ではないかと考えました。
また、お嬢様の生い立ちが、不満がそうさせているのではないかと。
ですから、お嬢様の時を止め、記憶を奪い、今の世界へ至らせた」
「ミスカ……ッ!!」
崩れた欠片は幻想のように。
輝き砕けるガラスのように。世界へ還って行く。
「そして目論見通りにお嬢様はあなたを封じるためにファルスアレンという世界を消そうとした。
それはあなたの望む瞬間。
そしてあなたはそれを施したのです。
ファルスアレンはお嬢様となり、あなたは条件の満ちるまでお嬢様の一部として眠る事に」
再び視線を戻し、目を細め
「わからないのですか?」
「ガッ……!?」
言葉は無理やりそれの力を引っ張り出す。
知識が流れ込み、男は驚きと怒りに目を見開く。
「残念ながら、お嬢様の時は止まっております。
永遠にあなたが目覚める可能性はありませんわぁ。
趣向としては評価しますが、これでも私、女の子をやってみてますので、賛同しかねますわぁ」
困ったように笑い、頬に手を当てる。
「もう、おわかりでしょうか?
それとも正解を呼び起こしましょうか?
……十三系統魔法の頂点であっても原理魔法は魔法なのです。
私は原理魔法を扱う事はできませんが」
すっと手を降ろし、柔らかな笑みを浮かべ、気が付けば体のあちらこちらを維持できなくなり転がる体をやさしく見詰め、
「『魔法』を『操る』ことは得意ですわぁ」
『ガァァアアアアアアアアアアアア!!』
怒りはただ一条の咆哮となって、それが限界とばかりに散っていく。
「我々はこの世界では概念そのもの。
こうしてあるためには擬似的な受肉を必要とします。
それが例え幽霊のようなものであっても」
誰もいなくなった場所で魔力の雪を見上げながら涼やかな声が謳う。
「その体をいかに潰そうと、重力は消えません。
その魂をいかに消し去ろうと、三辺が同じ直角三角形はありえません」
遠くでギチリと音がする
「世界の説明書。
それに触れる禁忌の魔術。原理魔法。
それ以外には」
冷たき火も、昇る水も、流れる『冷たい』も。
全ては強大な力に捻じ曲げられても『世界』に屈し、正される。
「あなたは触れてしまった。
己を唯一殺す手段に」
残るは『死』だけの場所で、『死』を知らない者は差し込む陽光を眩しげに見上げる。
「あなたはそれでも死なない。
あなたの死はお嬢様の死により満たされることになります」
呟き、少し沈黙。
「羨ましいですわね」
今の「死」は例えるならば時限爆弾のスイッチを押したようなもの。
永遠存在であるそれに必ず訪れる滅びを与える烙印。
ギチリともうひと鳴きし
「眠りなさい。
永遠に。
虚無へと還る道を得て」
パキンと虚構の音が響く。
「む?」
ペンを握る手に振動が走る。
指にしていた『Thialot』の刻印のある指輪。
自身が眠りから覚めた時に得、どこへ捨てても必ず戻ってくる奇妙な指輪。
それが最後の音で空を叩く。
「……?」
割れたリングを摘み上げると、それは刹那に粉まで砕け風に溶けていく。
「……なんじゃ?」
ティアロットは失われた感触に戸惑い、そして小さな胸騒ぎを押さえ込む。
万象全てに理由があり、決して己から離れなかった指輪が砕ける。
それは何かの始まりか。
それとも終わりか。
夕暮れの部屋で、ただじっと、己の指を見続ける。
遠くでひとつ。渡り鳥が声を響かせた。