帰ってきたぞ、このクソ野郎が(こんとらくと・きりんぐ)
繁華街の粗末な路地。ショートヘアの少女、または長髪の少年に見える殺し屋は米や野菜の入った箱のあいだで体を横にして何とか通る。
殺し屋は全身ずぶ濡れだった。
表通りから地元の言葉の歓声と笑い声が響いてくる。
頭上にはケーブルやぼんやりとした光の雲。
蒸し暑い。豚を焼くにおい。袖で額の汗を拭い、それがずぶ濡れで意味がない。
数分前、暗闇の水のなかで見つけたトンネルを這って、上着が釘に引っかかって、大きく裂けたので、ライターだけ取り出して、上着をずぶ濡れの煙草ごと捨てた。
ショルダーホルスターに入った銃が剥き出しになるが、かまうものか。
角を曲がると少し、道が広くなった。水たまりにネオンの赤と青の影が映っている。
少し歩くと、料理屋の裏口が見え、休憩中のコックたちが煙草を吸っている。
殺し屋を見ると、バツが悪そうな顔をした。
「なにか?」と、殺し屋がきつくたずねる。
「おれたちは関係ないよ」
髪にまとわりついた藻。マンホールから這い出るとき、全部髪から掻き出したと思ったら、睫毛に引っかかってきた。
「くそ、くそっ」
いらだって、それを払い捨て、手をズボンの裾で拭いたが、そもそもずぶ濡れだった。
ジャケット、スラックス、ハイネックのセーターがダメになった。靴は――――やはりだめだ。
「おれたちは関係ないよ」
さっきよりも自信のない声。
まあ、確かに彼らは関係ないのだと思い、殺し屋は放っておいた。
だが、ここから先は関係がある。偽の手引きをした。
殺し屋は三五七口径のマグナムを取り出して、サイレンサーをはめる。
ふたりのコックはしゃっくりのような声をあげて、膝をついて命乞いを始めた。
しーっ、と人差し指を口元に持っていき、それから調理場へ突撃する。
天井が低い部屋に、蟹や果物が入った籠が机に置いてあり、ラジオが地元の言葉で地元の歌を唄っている。コンロで頭がつるつるに禿げた老人が大きな鍋でアヒルを揚げていた。
殺し屋は忍び寄り、銃のグリップでボーリングのボールみたいな頭を一撃すると、老人は顔を沸騰した油に突っ込んだ。
悲鳴とともに老人がのけぞるが、もう一度殴って、油地獄にリターン。
それを三回繰り返したら、老人は頭を鍋に突っ込んだまま動かなくなった。
調理場を出ると、赤い壁の廊下で壁一枚隔てて、百人の客が焼いた豚とふんわりした玉子を食べている。反対側の壁には階段があり、札束を手にした支配人が一枚一枚数えながら、ニヤニヤして降りてきた。
ずぶ濡れの殺し屋を見つけると、あ、と口を開けた。
「はめてくれて、ありがとう」
口に銃を突っ込んで、引き金を引くと、ボシュッとくぐもった音がして、脳みそが壁へ飛び散った。
転がり落ちる死体をかわし、殺し屋はその階段を昇る。本日二度目。
二階。廊下の奥に部屋があった。
足音をさせないよう注意しながら、そのドアへ近づき、ドアノブに手をかけた。本日二度目。
ドアを開けると、この料理店のオーナーであり、ギャングのボスであり、ターゲットである、恰幅のいい、タキシードを着た男が殺し屋に背を向けている。
ターゲットの前には大きな四角い穴が開いていて、ターゲットは真っ暗で何も見えない穴に向かって、嘲笑含みのなぐさみを落とす。
「まあ、気を落とすな。この落とし穴に引っかかったのはお前が初めてじゃない。じゃあ、おれのかわいいジョセフィーヌとご対面と行こうじゃないか。料理屋のペットがろくなものを食ってないんじゃ店の評判にかかわるからな」
殺し屋はそうっと、厚い絨毯に足音を吸い取らせながら近づくと、ターゲットの尻を蹴飛ばした。
ターゲットは何かにつかまろうと手をふりまわしながら、前へ倒れて、穴を真っ逆さまに落ちていった。
ドボン!
大きな水音がする。
ずぶ濡れの殺し屋は銃をホルスターにしまうと、ターゲットのデスクを調べた。
引き出しの横にボタンがあった。
上のボタンは赤いボタンで、これはさっき押された。
下のボタンも赤いボタンだが、ポロシャツから切り取ったワニのワッペンが貼ってあった。
童心に返ったみたいにわくわくしてきて、
「えいっ。押しちゃお」
ワニのボタンを押した。
穴からもう一度大きな水音がして、ターゲットの、屠られ損ねた豚みたいな悲鳴がきこえてきた。
殺し屋は上のボタンを押した――蝶番に仕込まれたモーターが動き出して、左右から床板が持ち上がり、落とし穴はきれいに閉じられた。