イルカすらラリってるこの世界で
「ふわぁ…あれ?」
ジュピターが目を覚ました時にはもう、竜は着陸していた
竜の正面には巨大な劇場の建物
アイレーアは身体のあちこちを氷嚢で冷やしながら地べたに寝ていた
「うう…久々の激しい運動は関節に来ますわね…」
「お疲れ」
ジュピターは竜から降りると、劇場の前に佇む
そこは廃墟化した後も人の手が加えられており、より壮麗に見えるよう改造が施されていた
「此処に御主人様がいるの?」
“ギャウ!”
ジュピターは竜の首を数度叩くと、一人劇場に歩いていった
同時刻
バユに導かれ、ゼルとアザミは劇場の裏手にやって来た
「なあアザミ姐、これ本当に来て良かったのか?シータも見つけてねえのに随分と離れちまったぞ」
「解らない。だがどちらにせよ、私達で探し回るより彼女に助力を乞う方が得策だろう」
そんな二人が劇場に入って行く様子を、木陰からピンク髪の女が恨めしそうに見つめていた
暗い廊下を抜けた先
ジュピターはいつのまにか舞台袖に辿り着いていた
「………」
後輪を展開してみるが、まだ赤と黒のランプは戻っていない
「引き返す?いや、ここまで来て帰して貰える訳も無いか」
ジュピターは舞台に上がる
舞台には既に、赤いドレスの女が一人佇んでいる
全面が闇に包まれたホールの中、彼女だけがスポットライトに照らされ輝いていた
「よく来たわね。コトリン」
女が言う
「一発で言い当てるなんて凄いねぇ!君の熱烈ファンっぷりに、うちすっごく感動しちゃった!でも残念、あたしはもうコトリンじゃ無いよ」
「いいえ。貴女はコトリンよ」
女がジュピターの方を見る
その容姿は、ジュピターに凄く似ていた
「わたしがそう名付けたんですもの」
「………は?」
女が悪戯っぽく笑うと、スポットライトが消えた
「…どうしてあたしの両親って変なのしか居ないの…まあ、あたしも充分変か」
舞台照明が全て点く
ジュピターが体を右に傾けると、アザミの切っ先が数ミリ横を通過した
「胆略的で野蛮。全然君らしくないね」
ジュピターは後ろに手を伸ばしてアザミを掴み、そのまま前に投げ飛ばした
アザミは床に転げたがすぐに体勢を立て直し、左手を床に付き獣の様な低姿勢でジュピターを睨む
舞台袖からはゼルも現れる
やはり何も言わず、ただ恨めしそうにジュピターを睨みつけていた
「ゼルにアザミ、来てくれたんだね」
ジュピターは笑いかけるが、二人からの反応は無い
アザミが再び切り掛かって来るが、力任せに刀を振り回すだけの物
ジュピターはあくびをしながらかわし、蹴って観客席の方に飛ばした
次いで、ゼルが手足を用いた四足歩行で獣の如くジュピターに猛進する
殴りかかって来た左拳はジュピターは右腕で受ける
次いで飛んできた右の拳は掌底で打ち上げる
その隙にゼルの腹に深々と左拳を入れると、彼女はうずくまりしゃがみこんだ
「はぁ…精神操作系か。招集が完全に裏目に出たわね」
通気口から突風が吹き、収束した風が神鳥バユを形成する
「呼び出しといてごめんなんだけど、暫く大人しくしてて。檻風」
バユが翼をはためかせると、ゼルとアザミを中心にした竜巻が発生した
殺傷能力は一切無かったが、風に幽閉された二人はその場から動けなくなる
「ごめんね~」
ジュピターはそのまま舞台からはけた
緑色の非常灯だけで照らされた細い廊下
ジュピターは館内で一番大きな舞台を目指して走っていた
何故そこに行くべきかと思ったかと言えば、ただのカンである
「あたしのママならきっと、目立つのが大好きな筈」
廊下の突き当り、一際重厚な扉を蹴り開ける
中は、ジュピターの目指していた場所だった
遥か遠くに豪華絢爛な壁
天井は高すぎて見えないが、遠くの方から赤い照明と垂れ幕が下がっている
「いらっしゃい」
ホールの中心の円形の舞台に、女性が居る
ジュピターはいつの間にか観客席に座っていた
観客席は、スーツを着て仮面をつけた、全く同じ容姿の人型の何かで満席になっていた
「父さんは確か、あんたの事をうっかり者の娼婦って言ってたんだけど」
「違うのよぉ!薬局のお婆さんがくれたのが粗悪品だっただけぇ!私のせいじゃ無いわ。…それに良かったじゃない。偶然とは言えこの世界に生まれて来れたんだから。ちょっとは私に感謝しなさいよね」
「生まれちゃったからには生きるしか無いから、仕方無くこうしてるだけ。別にあんたと父さんからは感謝に値する様な事はされてないよ」
「酷いわぁ。せっかく産んであげたのに」
「せっかく生まれてきてあげたのに、どうしてあたしを捨てたの?」
「…ふふ」
舞台装置が作動し、舞台の下からシータが登場する
女と同じ赤のドレスを纏い、その表情は人形の様に虚ろだ
「コトリン。アンタがやって来てから、私は10か月も客が取れなくなったんだ。最初は抵抗したよ。薬を飲んでみたり、お腹を打ち付けて見たり。でもねぇ、4か月を過ぎた辺りからはもう、無意味だって気付いて諦めたよ。はぁ…アンツールにまともな医者が一人でもいてくれたら…」
「…そっか」
ジュピターは立ち上がり、観客席を埋め尽くしていた物の頭を踏んで舞台に進む
観客席のそれが何か反応を示す様子は無かった
「後悔してるんだね。ママ」
「そりゃあもう」
「あたしを手放した事」
「……………」
ジュピターは部隊にあがり、母親と対峙する
「あんたを許してあげる。娘にも戻ってあげる。その悪趣味なドレスも着てあげる。だからお願い、シータもゼルもアザミも、全員開放して」
「…いいえ」
女は拳銃を取り出し、ジュピターに向ける
「違うわコトリン…貴女じゃない…貴女なんか欲しくないの!」
女はそのまま、銃をシータの太ももに撃つ
銃創ができ血も流れるが、シータは何の反応も示さない
「貴女は無力だった…無力なままでいて欲しかったの!生かすも殺すも私次第、そんな貴女だから愛せたの!」
「………」
「私の人生を壊したあんたが気に食わなかった!だから殺すつもりであの男に渡したの!ダンジョンクリアの為の生贄にすると!」
女はジュピターの眉間に銃口を向け、引き金を引く
放たれた弾丸は、刃が如き鋭利な風で両断されジュピターには届かなかった
「…でも、貴女は強くなってしまった。もう私の手の中に、貴女の生殺与奪の権は無いの」
女はシータを抱き寄せる
「私の人生を壊した貴女が、オーメントピア一番の人気者を自称しても誰も否定しなくなったのが嫌だった。そこで気付いたの。私は自分よりも弱い子が好きだったって」
シータのまぶたが眠たげに下がり始める
足からの出血が止まらず、このままではシータは死ぬ
「今此処でこの子を殺せたら、私は永遠にこの子より上になれる。もう二度と追い抜かれる事は無い!」
「うっわぁ…」
二人の上空をバユが旋回する
戦闘態勢の合図だ
「ガチのヒステリックポイズンマザーじゃん。教育されなくて良かった」
風の刃が女に飛来する
女はシータを抱えたままバックステップして攻撃を回避する
その身のこなしはジュピターを彷彿とさせた
「ヒステリックポイズンマザーとか言ってごめん」
女はジュピターに向けて発砲するが、読み書きより沢山弾丸を対処する練習をしたジュピターに当たる訳が無かった
「あんたからも少しは良い物貰ってたよ」
「あんたって子は」
女は銃を捨てると、今度は胸元から小さな袋を取り出す
「本当に生意気ね!」
袋が放り投げられる
ジュピターは首を傾げながら二歩後退して回避するが、袋は彼女の目の前で破裂した
中からは白色の粉末が放たれる
(目くらまし?違う、この匂いは…)
バユの風が粉を吹き飛ばすがもう遅い
ジュピターの意識は朦朧とし始めていた
「…へぇ…これがハッピーデイって奴…?」
頭痛
耳鳴り
猛烈な吐き気
ジュピターは、今日が"ハッピーデイ"になりそうだなんてとても思えなかった
「…何処がよ…」
「巷で出回らせているのはかなり薄めた物よ。それでも蓄積すれば効果は出るけれどね」
女が拳を結ぶ
するとジュピターは、その場からピクリとも動けなくなった
「気付いての通り、私はあんまり頭が良くなかった。むしろお馬鹿の部類に入るかもね。だから、スキルを昇格していく時も特に何も考えてなかったの」
女の足元から、白色の結晶が成長を始める
結晶は脆く、風との摩擦で欠片が大気に舞う
「辿り着いた能力は"鉱毒化身"。毒性のある石を生み出すだけの職業だった」
女は結晶を拾い上げる
その過程で、決勝は更にばらばらと崩れ砕けた
「絶望したわよ。こんなんじゃ戦えないって。だから諦めて身売りに身を堕としたわ」
「…それってただの自業自…」
「でもね、こんなのでも私の能力。だからきちんと向き合ったわ」
女が手を振ると、バユがジュピターの方を向く
ハッピーデイに掌握された今、ジュピターは女にとって、召喚物を操作する為のリモコンでしかなくなった
「イルカはフグを噛んでハイになるって知った時は、これだって思ったわ。どんな毒物も、分量や配合次第では幸せの薬足り得ると理解したのよ」
「………」
風の刃が、ジュピターの背後の床を切り裂く
リモコンを手に入れたからと言って、彼女の召喚物は一朝一夕で使いこなせる代物でも無かった
しびれを切らした女は、ジュピターの後輪を開け別なのが無いが調べる
現状、アグニ以外は全て使用可能状態にある
「アンツールの地下街をハッピーデイ漬けにすれば、そのうち私の兵士も手に入ると思った。幸い、自分で生み出した毒だから死ぬ心配も無しに好きなだけ試せたからね」
女が見つけたのは雷精ガルジャナ
無理矢理顕現させ、操作しようと試みる
「薬漬けの浮浪者で私だけの兵隊を作って、ダンジョンからコインやアイテムを取ってきてもらう。それが私の人生プランだった」
ガルジャナがジュピターの真上で、小鳥の群れの形態で滞空する
「でももう良いの。永遠の夜闇の中、この子と出会えたのだから。私はもう、この子以外何も要らなくなったから」
女はシータの方を見る
出血が酷くシータの体温は下がり始めていた
「だからもう、貴女も要らないの。さようなら、コトリン」
小鳥が集結し、一筋の雷を形作る
次の瞬間、劇場の屋根が崩壊し、そこから星無しの夜空から白輝の竜が突入してきた




