第9話「白鯨と紅椿」
カフェのテラス席でカフェオレを片手に鼻歌を歌う女性の向かい側に座った白髪の男性が、煙草を片手に落ち着いた口調で話し始める。
「何か、良いことでもあったのかな?」
女性は机の上の将棋盤に並べられた駒を動かす。
「どうしてそう思うんですか?」
男性が将棋駒を動かす。
「そう思っただけだよ」
「まぁ、良いことというよりも、面白いことなら」
女性が男性の駒を取り、自分の駒を前に動かす。男性は少し唸ると、自分の駒を動かす。
「実は、あの影山君にライバルができそうなんですよ。信じられます?」
「それはもしかして、以前話していた能力省の新人のことかな?」
女性は駒を動かす。
「いい感じに盛り上がってくれればいいんですけど」
「それは、あまり考えたくないな。……ほら、王手」
男性は駒を動かすと、煙草を咥える。女性は小さく声を漏らすと、自分の玉将を手に取る。
「でも、きっと面白いことになりますよ」
女性が親指で弾いた玉将は緩やかな放物線を描き、男性の掌に落ちる。男性は駒を軽く握ると、フッと笑う。
「そうかもな。それで……君はどうなんだ?工藤君」
「勿論、私も楽しみにしてますよ」
女性―――工藤はカップを机に置いて立ち上がると、コートのポケットから財布を取り出し、お金を机に置く。
「それじゃ、これから仕事なので」
そう言って工藤はその場を立ち去る。カフェを出ると、工藤は口角を持ち上げて笑う。
「楽しみだなぁ。ほんと」
◇ ◇ ◇
斎藤は古田と一緒に外の見回りをしていた。
「今日も平和だね〜」
「そうですね」
斎藤は鋭い視線を通り過ぎた人や周囲に向ける。
「すみれちゃん、顔怖いよ」
「えっ、そうですか?」
斎藤は両手で顔を挟んでふにふにと押す。
「最近すみれちゃん、だいぶ殺伐とした現場に行ってるからね。ちゃんと休んでる?」
「大丈夫です。この間の怪我も藤澤さんに治してもらいましたから」
「そういうことじゃないんだけどな」
古田が苦笑いをする。
「もっと私達のことも頼ってくれて良いんだよ?」
「それは……努力します」
「あと、頭に蜘蛛付いてるよ」
「えッ!?嘘!?」
慌てた斎藤は思い切り髪の毛をわしゃわしゃとする。それを見た古田は吹き出して笑う。
「嘘だよ、付いてない」
「なんですか、もぉ〜!」
「どぉ?少しは表情筋ほぐれた?」
「ん……まぁ、多少は」
「リラックスも大事だよ。今日は平和そうだし、帰ったら藤澤先生の特製大福が待ってるし―――」
次の瞬間、轟音が鳴り響き、空気を震わせる。目の前のビルからは煙が立ち込めている。
「……ごめん、平和じゃないや」
「言ってる場合ですか」
二人はビルの方向に走り出す。ビルの目の前に着くと、がやがやと集まった野次馬でビルの入り口が塞がれていた。斎藤が進もうとしても、押し返されてしまう。
「―――はぁ」
古田は溜め息をつくと、ジャケットの下から取り出したピストルの銃口を上に向けて、引き金を引く。
パァンッ!
鳴り響いた銃声がその場の全員の視線を集める。銃弾は古田の頭上の歪んだ空間に消えていく。
「能力省です。急いでるので退いてもらえますか?」
古田はピストルを顔の横で構えてにっこりと笑う。その場の全員の顔から血の気がサーっと引いていき、自然と人混みが左右に分かれる。古田はピストルをしまうと、ポカンとしている斎藤に視線を送る。
「いこっか」
「えっ、あ……」
斎藤は慌てて古田の後を追いかける。
古田がビルの自動扉をくぐり、ロビーに足を踏み入れた瞬間、目の前の景色が変わる。其処は一階のロビーではなく、まっすぐ続く廊下だった。振り返っても、斎藤の姿は何処にも見当たらない。
すると、焦げたような臭いが辺りに漂う。古田はピストルを持ち直すと、慎重に振り返る。
「そんなに二人きりが良かったんですか?」
振り返った先には、壁や床の焼け焦げた跡と、その近くに転がった人、そしてトレンチコートを着た女性―――工藤の姿があった。
「そういうつもりは、無かったんだけどなぁ」
そう言う工藤は嬉しさを隠しきれていないようで、口元が笑っている。
「それとも、あの後輩ちゃんが心配?」
「……いや、心配はしてませんよ。信じているので」
「そっか。なら―――」
工藤がコートのポケットから取り出した鉄塊を軽く振ると、一気に長くなり金属バットになる。
「思いっきり楽しもうか」
古田はピストルを構える。古田の背後の空間が歪み、その中から一頭の白い半透明な鯨が鳴き声を上げながら姿を現す。
「お一人でどうぞ。こっちは遊びじゃないんで」
◇ ◇ ◇
同ビル28階。斎藤は廊下を歩いていた。
「古田さん、何処行ったんだろう」
すると、斎藤のつま先に何かが当たる。足元を見ると紫色の物体が落ちている。
「?なんだろう」
拾って裏側を見ると、『キーワード:吹き飛べ!』と雑に書かれた紙が貼られている。
そのときだった、目の前の廊下横の扉が吹き飛び、反対側の壁に衝突する。歪んだ扉が床に倒れると、その陰から壁にもたれかかって項垂れた男が現れる。男の身体からは血が流れている。
「……!」
斎藤は男に駆け寄ると、しゃがんで男の肩を掴む。
「大丈夫ですか!?」
斎藤が男の身体を軽く揺するが、男はピクリともせず、そのまま床に倒れる。
「またお前か」
部屋の中から声がする。斎藤はゆっくり立ち上がると、部屋の中にいる黒外套を羽織った男を睨みつける。
「何、してるの?」
「見れば分かると思うが」
影山は表情一つ変えずにそう答える。
次の瞬間、斎藤が一歩踏み出し、一瞬で影山の目の前まで距離を詰める。影山の顔に高速で突き出された斎藤の拳は、影山の影から伸びた骨の手に遮られる。
斎藤はすぐに突き出していた拳を引っ込めて横に飛び、迫っていた別の骨の手を避けて影山と距離をとる。着地した斎藤に向かって三本の骨の手が襲い掛かる。斎藤は素早いパンチで的確に骨の手を弾き返す。目の前が開くと、斎藤は再び影山と距離を詰める。影山は身を翻して斎藤のパンチを避けるが、斎藤が続けて放った回し蹴りが影山の腹部に命中する。
影山が後退してから体勢を整えようとすると、一瞬で目の前に現れた斎藤に蹴り飛ばされる。
影山の身体が窓ガラスを突き破り外に放り出される。落下し始めた影山の外套の影から骨の手が伸び、ビルの壁面に指先を突き立てる。骨の手がビルの壁面を削りながら減速していき、影山は窓ガラスを突き破ってビルの中に入る。部屋の反対側まで転がり、片膝を立ててしゃがんだ体勢で止まる。ゆっくりと立ち上がると、天井を見上げた。
斎藤は割れた窓から下を覗き込み、影山の姿を探す。
「何処だ?」
すると、激しい物音と共に足元が揺れる。音は次第に大きくなっていき、斎藤の背後で轟音が鳴る。振り返ると、床に開いた穴の中から天井に突き刺さった骨の腕に引き上げられた影山が、静かに足を床に付ける。
「”朧月”」
影山がそう呟くと、骨の手が斎藤に向かっていく。斎藤は横に駆け出し、斎藤の後ろを骨の腕が窓ガラスを貫いていく。斎藤が窓から離れると、骨の手が斎藤の行く手に先回りする。斎藤は滑るように躱し、影山を目で捉えながら足に力を入れる。斎藤の身体に電流が走り、勢いよく飛び出す。影山の背後から二本の骨の手が斎藤めがけて伸びていく。斎藤は減速せずに身を翻し、骨の手を拳で殴り返す。
(正面ガラ空き!いける!)
斎藤は拳を影山の顔面に叩きこもうとする。そのとき、斎藤の足元に広がった黒い霧の中から骨の手が姿を表そうとする。斎藤は既に攻撃の姿勢をとっていた。
次の瞬間、斎藤は一瞬視線を足元に向けると、踏み出そうとしていた足で力強く骨の手を踏みつける。
斎藤の拳に纏った電流は雷のように勢いを増す。拳は影山の顔面を捉え、影山の身体を吹き飛ばす。影山は身体をのけ反らしながら勢いを殺して止まる。床に手をついて影山は顔を上げると、顔は骨の手で覆われていて、斎藤に殴られた部分の骨は砕けて周りにヒビが走っている。
「今の防ぐとか、反射神経どうなってんの……ッ?」
影山は顔に手を当てると、影山の顔を覆っていた骨が溶けるように消える。その場に立ち上がった影山は一切息を切らしていないのに対し、肩を上下させている斎藤の首筋に一筋の汗が流れる。
「お前……」
影山が静かに話し始める。
「何故、戦っている?」
「……は?」
「何故戦うのかと聞いている」
影山の問い掛けを理解できていない斎藤を見て、影山が眉を顰める。
「此処に居た連中は善人ではない。詐欺、暴行、恐喝、麻薬売買、それ以外にも多くの悪事を働いている。本来お前達のような法の番犬が喰らい尽くすべき存在だ。……以前会ったとき、お前はしかるべき場所で、しかるべき処置を受けさせると言っていたが、それならば何故此奴らは今日までのうのうと生きられたんだろうな」
「……何が言いたいの?」
「お前はこの世界を分かっていない。善人が搾取され、悪人が蜜を啜る。それがこの世界だ。お前の言う理想など何処にも無い」
「……マフィアだって同じようなもんでしょ」
「こんなクズ共と一緒にするな」
斎藤は影山の表情が曇り、苛立ちを隠しているように見えた。斎藤は黙り込み、構えていた拳を下げる。
「それでも、私は、今の私にできることに全力を出す」
斎藤は再び拳を握った手に力を入れて、構え直す。
「私にできるのは、それだけだから」
「……そうか。なら―――」
影山の影の中から黒い霧が噴き出す。霧の中から四本の骨の腕が現れる。黒い霧の中で揺れる骨の腕は強い殺意を放っている。
「全力でかかってこい」
◇ ◇ ◇
遡ること数分。真っ直ぐ伸びる廊下で、古田はピストルを構えて工藤を睨みつけていた。
工藤がバットをゆっくりと上げ、先を古田に向け、余裕そうに口角を持ち上げる。
鋭い緊張感に押し潰されそうな中、古田は一気に引き金を引き絞る。撃ち出された弾丸は工藤に向かって飛んでいく。工藤は野球のバッターのようにバットを構えると、弾丸に向かって素早く振り切る。
次の瞬間、巨大な爆発が起こり、爆炎が工藤を飲み込む。黒煙が廊下を塞ぎ、ゆらゆらと揺れる。すると、黒煙の中から飛び出した工藤は古田に向かって走り出す。古田は続けてピストルを発砲しようとする。
工藤が満面の笑顔を浮かべる。
「“良いねぇ”!」
古田と工藤の間に床に、真っ赤な椿の模様が燃えるように浮かび上がる。次の瞬間、模様が浮かび上がった場所が爆発する。黒煙で視界を塞がれ、古田が後ろに下がろうとしたそのとき、黒煙の中から現れた手がピストルの銃身を握る。
「もっと、楽しもう!」
「……ッ!」
古田は素早くピストルから手を離すと、ピストルの銃身に椿の模様が現れる。半透明の鯨が二人の間に割り込むと、ピストルが爆発する。
爆風で飛ばされた古田の身体を鯨が包み込み、床に落ちた衝撃を吸収する。鯨の頭に右手を当てながら立ち上がると、黒煙の中から工藤が出てくる。
古田は鯨の身体に手を入れると、中からショットガンを取り出す。
「ショットガンって……殺意高過ぎじゃない?」
そう言うと、工藤は足を止める。
「それと、さっきから何も話さないけど、なんで?」
「……」
「悲しいなぁ。無言が一番寂しいのに。ばっちり警戒されてるわけだ」
古田は黙ったままショットガンを構える。
「あなた達ラプラスに対して射殺許可が下りています。それが嫌だったら、あなたは此処に居ないでしょう?」
「まぁね。そんなことにビビッてたら、つまらないもん」
そう言って工藤がクスクスと笑う。すると、ビル全体が揺れ、大きな音が低く響く。
「おー……派手にやってるねぇ」
工藤が小さい声で呟くと、工藤は左手をコートの内ポケットに入れる。
古田がゆっくりと立ち上がる。
「それじゃ、私達も続けようか」
左手をコートの下から出すと、四つのピンポン玉を放る。ピンポン玉が落ち始める前に、ショットガンが発砲される。ショットガンの弾丸がピンポン玉と衝突した瞬間、ピンポン玉に椿の模様が浮かび上がり、爆発して白い煙を撒き散らす。
古田の隣に居た鯨が煙の中に突き進んでいく。煙の中から飛び出した鯨が、工藤を飲み込もうと大きな口を開ける。口元を笑わせた工藤は鯨の身体をバットで殴る。爆発が起こるが、鯨は怯むことなく工藤を飲み込む。鯨の身体の中でぷかぷかと浮かぶ工藤の口から気泡が出る。工藤はポケットの中から複数のビー玉を取り出す。ビー玉が真っ赤に光ると、一斉に爆発し鯨の腹を膨らませる。鯨が煙と一緒に工藤を吐き出す。
工藤は受け身を取った瞬間に飛び出し、鯨の横を走り抜け、煙の中を突き進む。工藤のバットが古田に向かって振りかざされる。古田は後ろに下がりながらバットを避け、工藤は古田を追いかけながらバットを振り続ける。
工藤の振り下ろしたバットを、古田はショットガンの銃身で受け止める。バットとショットガンがギリギリと押し合う。
「……ッ」
古田の足が少しずつ後ろに滑っていく。すると、鯨が空中を泳ぎ、工藤の背後に迫っていく。
工藤は鯨に気付くと、バットを押し込む力を一気に抜いて斜め後ろに下がる。壁に背中を向けたまま、工藤はそっと左手を壁に当てる。
「“爆破”」
工藤がそう言うと、工藤の背後の壁に椿の模様が大きく浮かび上がり、爆発して粉塵を巻き上げる。粉塵の中から鯨が抜け出し、離れた場所で口の中から古田を外に出す。
粉塵が収まって視界が開けると、工藤が楽しそうに笑う。
「やるねぇ!こんなにやりづらい相手だとは思ってなかったよ」
古田は黙って工藤を睨み続けたまま、鯨の身体に手を入れる。
すると、工藤が大きく背伸びをして、壁に手を突く。
「でも残念。私、もう帰るね」
「……ッ!“待ちなさい”!」
思わず古田が声を張ると、工藤はにやりと笑う。次の瞬間、工藤の触れている壁に椿の模様が浮かび上がり、すぐに爆発する。廊下全体を黒煙で包み込み、古田を飲み込む。
すぐに黒煙が収まると、其処に工藤の姿は無かった。
「しまった……」
古田は悔しそうに手を強く握りしめる。鯨の鳴き声が静かに廊下に響き渡った。
◇ ◇ ◇
デスクが宙を舞い、大きな音を立てて床に落ちる。
斎藤は影山と距離を詰めながら絶え間なく拳を撃ち込み続ける。影山は骨の手で受け止めながら、斎藤の攻撃を避ける。
影山は後ろに飛び、斎藤から離れる。斎藤が再び距離を詰めようと踏み出したとき、影山の足元から槍のように鋭く尖った骨が飛び出す。斎藤は骨の槍を躱しながら影山に向かっていく。
すると、影山の影から吹き出た黒い霧が斎藤の真下まで広がっていく。
「“朧月”―――“剣山”!」
黒い霧が僅かに盛り上がったのに気付いた斎藤は一気に立ち止まると、慌てて後ろに下がる。霧の中から先端が鋭く尖り湾曲した無数の骨が飛び出す。
斎藤が床に着地すると、その足元から骨の手が現れ、斎藤の両足を掴む。
「しまっ―――」
骨の関節部から噴き出した霧が斎藤の全身を包み込む。霧を吸い込んでしまった斎藤の全身から力が抜けて、そのまま床にへたり込む。全身が麻痺し、指一つ思うように動かせない。
「どうした?もう終わりか?」
骨の手が斎藤の身体を鷲掴みして持ち上げると、力強く壁に押さえつける。
「これで理解できたか?どれだけきれいごとを並べようと、所詮はただの自己満足にすぎない」
斎藤の唇が小さく震える。影山は落ち着いた口調で静かに言葉を続ける。
「お前には何もできない。声を発することも、抵抗することも、何も―――」
「……うるさい……」
今にも消えてしまいそうな小さな声だった。しかし、腹の底から力強く発せられた言葉だった。
「そんな、こと……言われなくても、分かってる……」
斎藤は感覚を失いつつある手を無理矢理動かして骨の手を掴む。
「でも……だからって、はいそうですかって……言えないから……」
「……何故だ?」
影山がそう訪ねる。斎藤は影山の目を真っ直ぐ見て、不敵に笑った。
「教えるわけないでしょ?」
そのときだった。天井の亀裂に挟まっていた紫色の物体が落ち、影山の目の前にさしかかる。
斎藤は思い切り息を吸い込み、がむしゃらに叫んだ。
「“吹き飛べ”ッ!」
物体に花の模様が浮かび上がり、大爆発が起きる。爆風で全ての窓ガラスが弾けるように割れ、部屋の中のデスクや椅子が宙を舞う。部屋の中が煙で満たされる。
斎藤を掴んでいた骨の手が消え、斎藤は床に落ちる。煙で咳き込みながら、痺れが取れ切れていない足で、壁に手を当てながら立ち上がる。
割れた窓から煙が外に流れていく。部屋の中の視界が晴れると、其処に影山の姿は無かった。
斎藤は壁から手を離すと、左腕を押さえながら壁に寄りかかってゆっくりと息を吐き出した。
◇ ◇ ◇
二つの階で戦いが起きていたビルから少し離れた路地裏で、影山は呆然としていた。
「どうしたんだい?」
影山が後ろを振り向くと、其処には白髪の男性が煙草を吸っていた。その横には、工藤が階段に腰掛けてあくびをしている。
「さっきの爆発、何かあったの?」
「……どういうわけか、能力省があなたの爆弾を持っていたんですよ」
影山が工藤を睨みつける。
「そんな睨まないでよ。たまたま拾っただけじゃない?」
そう言って工藤は笑う。影山はしばらく黙り込むと、視線を工藤から逸らす。
「それよりも坂田さん、目標は確保できたんですか?」
「あぁ、ここに」
男性―――坂田京治郎はポケットから鍵を取り出す。影山の影の中から黒い霧と共に骨の腕がゆっくりと坂田の前まで伸びていき、掌を上に向ける。坂田が骨の手の上に鍵を置くと、骨の手は鍵を握り、影山の元に戻っていく。
影山は骨の手から鍵を取ると、何かを考えこむように鍵を握りしめる。
『私は、今の私にできることに全力を出す』
『私にできるのは、それだけだから』
「どうした?もしかして、良い感じの所で引き戻されちゃった感じ?」
工藤がそう尋ねる。
「なんでもありません。ボスへの報告は任せます」
影山はポケットの中に鍵をしまい背中を向けると、歩き始める。
「構わないが、きみはどうするつもりだい?」
影山は立ち止まると、振り返らずに答える。
「私用があるので」
影山は再び歩き始め、路地裏の奥に消えていった。
「……それで、実際はどうなのかな?」
「んあ?何がですか?」
「彼の言っていた爆弾の件だよ」
「あぁ、そのことですか」
工藤は立ち上がると、大きく背伸びをする。
「まぁ、ご想像にお任せしますよ」
工藤はにやにやと笑うと、坂田は呆れたように溜め息をついて歩き出す。工藤もその後を着いていく。
「何をしてもきみの自由だが、程々にしておきなさい」
「分かってますよー」
◇ ◇ ◇
「はぁ……はぁ……しんどっ……はぁ……」
非常階段で28階まで上がってきた古田は息を荒くしながら、膝に手を置いて項垂れる。深く息を吐き出すと、身体を起こして再び駆け出す。
扉のなくなった部屋を見つける。部屋の中を覗くと、その中にはしゃがみ込んだ斎藤が古田に背中を向けていた。
「すみれちゃん……!」
古田が部屋の中に一歩踏み込むと、斎藤の前に並べられた死体に気が付く。すると、手を合わせていた斎藤が振り返る。
「あ、古田さん」
古田は立ち上がった斎藤に近付く。古田は言葉を詰まらせて言い淀む。
「この人達は?」
「悪い人達だそうです。……影山啓介に殺されました」
「なっ……!まさか、戦ったの!?身体は?大丈夫なの!?」
「はい、大丈夫―――ごふっ」
斎藤は口元から血を垂らし身体を小さく震わせながら、表情を硬くする。
「……大丈夫です」
「絶対大丈夫じゃないね」
古田の隣の空間から白い鯨が姿を現すと、斎藤の足元で止まる。
「その子に乗って。下まで運んであげる」
「いや、でも……」
「いいから。先輩に頼るのも後輩の仕事だよ」
「……じゃあ、お言葉に甘えて……」
斎藤が鯨の背中の上でうつ伏せになると、鯨の身体はクッションのように斎藤を優しく包み込んだ。鯨は斎藤を落とさないようにゆっくりと上昇し、古田と並んで進んでいく。
「帰ったら藤澤先生に見てもらわないとね」
「はい……」
そのまま、二人はボロボロになった部屋から出ていった。
◇ ◇ ◇
古田夏目。能力名『白昼夢』
半透明の白い鯨型の能力生命体を呼び出し、使役する。
工藤葵。能力名『紅椿の火紋』
触れた物質を爆弾に変える。爆発に巻き込まれた物体も爆弾に変える。
坂田京治郎。能力名『獅子奮迅』
自分を含めた対象二つの位置を入れ替える。ただし、場所を把握している必要がある。