第6話「我が使命を全うする」
夕日が沈み、辺りが暗闇に包まれた頃。道脇に止められた車の中、後部座席でスマホを弄っていた宝条が、倒した背もたれに深く寄りかかったまま呟く。
「へー……あの俳優が結婚ねぇ」
「仕事前に関係のない話をするな」
「別に良いじゃねぇかよ。まだ仕事前なんだから」
「……因みに、誰だ?」
「こないだ話したドラマの主人公やってた人。同じドラマに出てた女優と結婚すんだってさ」
「あぁ……あれか」
影山は車のモニターに表示された時計で時間を確認する。
「時間だ」
そう言って影山は手に持っていた資料を運転席と助手席の間に置いてある鞄の中に突っ込み、ダッシュボードからインカムを掴む。
「やることは分かってるな?」
「おう」
影山がインカムを宝条に放る。
「よし、行くぞ」
インカムを付けた二人は車から降りると、すぐ傍にあるビルに向かって歩き出した。
◇ ◇ ◇
「仕事だぁ?」
遡ること約30分。家のキッチンで夕飯を作っていた宝条に電話が掛かってきていた。
『あぁ、樋口さんから直々の指名だ』
通話越しに聞こえる影山の声はいつも通り落ち着いている。
「まぁ、それなら仕方ねぇけど……。お前は来んのかよ」
『あぁ』
「あっそう。……てことはまた荒事か……」
『いや、今回はただの回収だ』
「回収?何を」
宝条は野菜を切り終わった後、まな板を持って野菜を鍋に流し込む。宝条のスマホを持つ中嶋が、宝条の動きに合わせてスマホを宝条の耳元に近づける。
『此処で話すより直接見た方が早い。30分後にいつもの場所に来い』
「おう。……ん?はぁ!?30分後!?」
いきなり宝条が大声を出す。中嶋がスマホを持っているのとは反対の手で耳を塞ぐ。
『何か問題でもあるか?』
「大アリだわ!ここからだと歩きで40分は掛かるぞ!」
『車で来れば問題ないだろ』
「今は車検に出してて使えないんだよ。レンタルしてるやつは傷付けるわけにもいかねぇし……」
『なら、俺から工藤さんに頼んでおく。それなら間に合うだろ』
「まぁ……そうだな」
宝条が苦い顔をしてそう言う。
『そういうわけだから、頼んだぞ』
通話が終わると、中嶋がスマホを宝条の耳元から離す。
「今から行くの?」
「おん。夕飯はもうできるから先食っとけ」
「分かった。因みに……」
「お前は留守番な」
「ブゥー」
宝条がきっぱりと言い切ると、中嶋は頬を膨らませる。宝条は木べらを鍋の中に立てかけて置くと、中嶋からスマホを受け取る。
「でも、車無いんでしょ?どうすんの?」
「それなら迎えが来るから大丈夫だ」
「へぇー。……何で嫌そうな顔してんの?」
「あー……迎えに来る奴が、その……俺の苦手な奴なんだよ。なんていうか……めんどくさい」
◇ ◇ ◇
警備員に変装した影山と宝条はビルの裏手に回る。建物の影からビルの裏口周辺に人影がないことを確認すると、裏口の前まで行く。
影山がドアノブを捻るが、扉は開かない。影山はドアノブから手を離すと、振り返って宝条を見る。
「海斗」
「あいよ」
影山がドアの前から退くと、宝条は扉の前まで来てドアノブを掴む。ドアノブを持つ宝条の手に力が入る。そのまま宝条はドアノブを捻って扉を手前に引くと、扉は何の抵抗もなく簡単に開く。
「お前が先行けよ」
「分かっている」
そう言って影山はビルの中に入り、宝条も小さな金属塊を地面に捨ててその後を追う。扉の先は小さな物置になっており、中には段ボールが積まれている。人影は何処にも無い。
部屋の奥にも扉があり、影山がドアノブを捻ると何事も無く開いた。扉の先には廊下が続いており、天井の照明のおかげで廊下の先に広い空間が広がっているのが分かる。扉を出てすぐ左には階段があり、上の階につながっている。
「此処から別行動だ」
影山がそう言う。
「あ?マジ?」
「その方が効率的だろ」
「いや、確かにそうだろうけどよ……」
宝条が呆れた様子で言葉を続ける。
「裏口に警備員の一人も防犯カメラも無かったんだぞ」
「考えすぎだ。警備が厳重でないなら、むしろ好都合だ」
「いや、罠かもしれないだろ」
「それならそれで好都合だ。此処にあるという確信が得られる」
「ポジティブなのか仕事馬鹿なのか……いや、どっちもか……」
宝条が呆れた様子でそう言うと、影山は耳に着けたインカムを指先でつつく。
「俺は廊下の先を見てくる。上の階を頼む。何かあったら……」
「すぐに連絡しろ、だろ?分かってるよ」
「……海斗」
「ん?」
階段に向かおうとした宝条が振り返ると、影山は真剣な目で宝条を見る。
「警戒を怠るな」
「……」
宝条は言葉を溜めるように黙り込み、やがて言葉を放った。
「お前にだけは言われたくねぇ」
◇ ◇ ◇
影山と別れた宝条は階段を上って二階に来ると、廊下を確認する。
「誰も居ない、と……」
宝条は廊下に出る。なるべく足音を立てないように気を付けながら廊下を進んでいく。廊下の両側には扉が等間隔に並んでいる。宝条は慎重な足取りで進んでいき、ある扉の前で立ち止まる。その扉にだけ重厚なダイヤル錠でかぎが掛かっている。
「此れは当たりかなぁ」
宝条がダイヤル錠に触れると、カチンと音を立ててダイヤル錠が外れる。ダイヤル錠を片手にぶら提げたままドアノブを捻ると、扉が奥に開く。
中に入ると、部屋には机と椅子、そして奥に大人一人入れる大きさの金庫が置かれている。宝条は口笛を吹くと手に持っていたダイヤル錠をドアノブに引っ掛け、部屋の奥へと入っていく。
金庫の前でしゃがんだ宝条はダイヤルに手を伸ばした、その時だった。扉がガチャリと音を立てた。部屋の外から何者かが扉を開けようとしているが、ドアノブに引っ掛けられたダイヤル錠がつっかえてガチャガチャと音を立てている。
「やば……!」
宝条は慌てて周囲を見渡し、金庫に目を止めた。
扉が開くと、古田は足元に転がるダイヤル錠に視線を落とした後、部屋の中に入り中を見渡す。
「誰か居るような気がしたんだけど……」
古田は部屋に置いてある机の下を覗き込み、再び顔を上げたとき、部屋の奥に置かれている金庫に目が留まる。古田は金庫の前まで歩いていき、その前で立ち止まり片膝を立ててしゃがむ。そのままダイヤルに手を伸ばしていき———触れる直前で手を止める。
「……いや、流石にないか」
そう言って古田は立ち上がると、金庫に背を向けてそのまま部屋を出ていった。
古田が部屋を出ていき、部屋が再び静かになる。しばらくして、金庫のダイヤルが回る。金庫が開くと、中から宝条が床に転がり落ちる。
「いったた……金庫の厚さを考えてなかった……」
宝条は腰をさすりながら立ち上がると、腰に手を当てて背中を反らす。
「さっきの奴って多分能力省の奴だよな……。此処に居る理由はなんだ?目的は俺達と同じか……?」
深く考え始めたところですぐに思考を止め、手に持っていた金属塊を床に落とす。
「一応、報告はしておくか」
そう呟くと、宝条は耳に付けたインカムに手を運んだ。
同刻。宝条よりも先に上の階に来ていた影山は手の中のインカムを弄っていた。
指でつついたり、押したりを繰り返していると、やがてインカムはブチッと鈍い音を立てる。
「……」
影山はしばらくインカムを見つめてから、作業着のポケットに突っ込む。一息ついてから再び歩き出す。その時、
「ちょっと、其処の人」
後ろから声を掛けられ影山が振り返ると、男三人がそこに立っていた。そのうちの一人が丁寧な口調で影山に話しかける。
「見ない顔ですが、どちら様で?」
「本日からこのビルの警備担当になった、石橋という者です」
そう言って影山は胸ポケットにクリップで固定した名札を見せるように指で摘まむ。
「そうですか、それはお疲れ様です。ところで……一つ良いですか?」
「何でしょう?」
「いやね、ちょっとばかり帽子を上げてみてほしいんですよ。顔と名前を合わせて覚えておこうかと。問題は無いですよね?それとも……何か困ることでもありますか?」
男は見透かしたように問い詰める。影山はしばらく黙り込んでから、溜め息をつく。
「これだから変装は嫌いなんだ」
すると、影山の足元から黒い霧が噴き出し、影山の背丈ほどまで達する。霧の中から数本の骨の腕が姿を現す。
「作戦変更。———制圧を開始する」
骨の腕は懐から拳銃を取り出そうとしている男達に向かって一斉に襲い掛かった。
上の階からの物音に気付いた宝条は、大きく溜め息をついてインカムから手を離す。
「彼奴……、どんちゃかするなら先に連絡を寄越せよ。ったく……」
文句を言いながら部屋を出ると、「あ」と小さく声を漏らして立ち止まる。宝条の視線の先には、先程宝条がいた部屋に入ってきた古田が立って宝条の居る方を見ていた。
宝条は動揺を顔に出さないように気を付けながら帽子の鍔を持って位置を整えると、何事も無かったかのようにスタスタと歩き始める。
「此処は危険です、急いで安全な場所に避難してください」
古田は驚いた様子で宝条を見つめる。
「何かあったんですか?」
「上の階で何者かが暴れていると他の警備員から連絡があったんです。あそこの階段を下りて裏口から外に出られますので、急いでください」
「いえ、それなら逃げるわけにはいきません」
そう言って古田はポケットから名刺を取り出して宝条に見せる。
「私は能力省の者です。此処にはとある調査の為に来ました。騒ぎが起きているのなら、私が現場に赴いて対処します」
「……!」
「そこで、一つお聞きしたいのですが……」
古田は名刺をポケットにしまってから言葉を続ける。
「此処に来る前に、警備会社からこのビルの警備員について聞きました。それによると、このビルの警備員はあなた一人のようですね。となると……あなたに情報を与えた警備員というのは誰ですか?」
「……流石に名簿までは把握してなかったな。さっきの話無しでいいっすか?」
そう言って宝条が笑う。だが、古田は表情を一切変えずに宝条を見つめる。宝条はすぐにため息をつくと、帽子の鍔を掴んで位置を整え直す。
「見逃してくれる選択肢はお持ちで?」
「無い」
古田がジャケットの下から取り出した拳銃を宝条に向ける。宝条は肩から力が抜けたように項垂れる。
「あークソめんどい。だからあいつとの仕事は気乗りしないんだよ。あの筋肉馬鹿代わってくんねぇかな……」
宝条は肘を曲げたまま両手をだるそうに挙げる。古田は怪訝そうな顔をする。
「悪いが俺は非戦闘員なんだよ」
「だから降参するって?」
「あぁ。命が惜しいからな」
「……」
古田は警戒しながらも、銃口を宝条に向けたまま一歩ずつ進む。宝条の前まで来ると、拳銃を持つ手とは反対の手で取り出した手錠を、宝条の差し出した両手に掛ける。
「もう一人は?」
「止めといた方が良いぞ。あんたの手に負える奴じゃない。勿論、俺にも」
「そう。取り合えずあなたの身柄は一旦能力省が預かる。無駄な抵抗は……」
「分かったからさ、そろそろ拳銃下してくれない?怖いんだけど」
そう言いながら宝条は指先で拳銃をつつく。
「刑務所まで我慢しろ。あと触らない」
「はぁ……分かったよっ!」
次の瞬間、宝条は右足で古田の左足を横から払う。古田は体勢を崩して床に倒れる。
「……ッ!」
古田はすかさず拳銃を構え直し、引き金を引く。だが、拳銃はカチリと音を立てただけで、銃弾は撃ち出されなかった。
「少しは警戒しないとな。能力省殿」
そういう宝条は右手に拳銃を持っていて、その銃口は古田の顔に向けられている。左手では黒いアルミ製の物体を揺らしている。宝条の両手に掛けられていた手錠は床に落ちていた。
「弾倉……!どうやって……」
「ちょっとした手品だよ」
宝条が弾倉を握り、その手を緩めると弾薬がポロポロと床に落ちる。宝条は弾倉を放り捨てる。
「それで?此処からどうするよ、能力省殿」
「……殺すなら殺しなさい」
「まーそうマジになんなよ。今日は探し物をしに来ただけで、殺しに来たわけじゃない。それに、探し物はさっきの金庫で見つけてる」
「探し物?」
「あぁ。あんたの探し物も一緒だと思うぞ。———“ノア”のリスト。前に盗まれてたもんな」
その言葉に、古田が目つきを鋭くする。
「それを使ってどうするつもり?」
「別に、政府がどんな玩具を持っているのかを見るくらいしか使い道無いだろ」
「そうじゃない。どのノアを狙っているのかを聞いてるの」
「それは言えない。というか知らない。俺にそれだけの地位はねぇよ」
宝条は銃口を天井に向けると、古田に背を向けて数歩離れる。拳銃を腰のホルスターにしまい、手袋の裾を軽く引っ張りながら言葉を続ける。古田が身体を起こして立ち上がる。
「俺は非戦闘員だからな。今の仕事はあんたとのおしゃべりだし、俺は俺の仕事を完遂するために行動している」
古田はゆっくりとジャケットの下に携えたもう一丁の拳銃に手を伸ばす。
「だから、あんたとやり合うのは俺じゃない」
「それはどういう……」
後ろからゆっくりと迫っていた無数の骨の腕が、古田を覆い尽くした。
◇ ◇ ◇
日が沈みかけた頃、公園のベンチに座った斎藤はぼーっと何処かを見つめていた。そのうち、数週間前のことを思い返し始める。東京湾の港で死にかけたこと、路地裏で死にかけたこと。今日まで生きてこられたことが疑問に思えてくる。そして、それが自分の力で無いことに気付く。
『お前にできることなんて何もない』
何度目か分からない言葉が脳内で流れる。
「はぁ……」
「あれ?見覚えがあると思ったら、あなたでしたか」
斎藤が顔を上げると、其処にはトレンチコートを着た女性が立っていた。
「あ、確かあの時の……」
「お久しぶりです。あ、お隣良いですか?」
「あぁ、どうぞ」
斎藤がスペースを開けると、女性は斎藤の横に座る。女性の付けた香水のシトラスの香りがふわっと漂う。思わず斎藤は背筋を伸ばす。
「それで、どうしたんですか?」
「え?何がですか?」
「溜め息、ついてたじゃないですか。だから何かあったのかなと思って」
「あぁ……まぁ、ちょっと色々と……」
「悩み事は口に出しちゃった方が気持ちが楽になりますよ。それに、人の悩み事を聞くのに関しては結構プロですよ、私」
斎藤は迷った後、錆びついた歯車の様に口を開いた。
「……えと、実はその、時々自分が生きている理由が分からなくなる時があって……。あぁ別に、自分に価値がないって思ってるわけじゃなくて、ただ……不安で」
斎藤の表情が曇る。女性はキョトンとして斎藤を見つめていたが、プッと噴き出した。
「なぁんだ。そんなことですか」
女性が斎藤の顔を覗き込むように身体を前に倒す。
「無いですよ、理由なんて」
「え?」
「知ってますか?人は簡単に死ぬ。―――人が思っている以上に」
その言葉に、斎藤は思わず息を呑む。
「もし本当に理由を持って生まれてくるのなら、神様はこんなに脆い器を用意しないでしょ?」
女性の目は何処か遠くを見つめているようだった。しかしすぐに女性はニコッと笑う。
「まぁ、あくまで自論ですから、そんなに気にしないでください」
「え、あぁ、はい……」
斎藤が反射的に返事をすると、女性は軽く勢いをつけて立ち上がる。
「では、私はそろそろ失礼します。頑張ってくださいね」
「はい。すみません、相談に乗ってもらって」
「いえいえ、ただの気紛れですよ。……あ、そういえば」
女性は胸の前で両手を合わせる。
「自己紹介がまだでしたね。私は工藤といいます。では斎藤さん、また何処かで」
女性は小さく手を振ると、その場を去っていった。
遠くなる背中を見えなくなるまで眺めていた斎藤は、やがて「あれ?」と声を漏らす。
「そう言えば、あの人に名前教えたっけ?」
◇ ◇ ◇
影山と宝条の乗っている車の運転席の扉が開き、トレンチコートを羽織った人物が乗り込み、車体が左右に揺れる。微かにシトラスの香りが車内に広がる。
「はい、お待たせ―」
「おせぇぞ」
「まだ三分でしょ?そんなに我慢できないなら君が運転すればよかったのに」
「そしたら元々車体に付いてた傷を俺のせいにして、修理費二倍にして請求してくるだろ」
「ひどいなぁ、私の評価悪くない?」
「つーかどこ行ってたんだよ」
「ちょっとお散歩~」
ブツブツと言い合っていると、影山が運転席の方を向く。
「話の続きは後にしてください。今はこの場を離れることが最優先ですので」
「分かったよ。幹部の命令とあらば喜んで」
「お願いします。工藤さん」
「りょーかい」
運転席に座りハンドルを握った工藤は顔に笑みを浮かべると、アクセルを踏み込んだ。
◇ ◇ ◇
「―――さん……たさん……古田さん」
古田が目を開けると、目の前には立っている斎藤が横向きに見える。
「朝から何やってるんですか?」
「ん、あさ……?」
身体を起こした古田は周りを見渡すと、朝日の昇った公園には犬の散歩をしている人も居る。古田は公園のベンチに座っていることに気が付く。
「もしかして……朝まで飲んでました?」
「ち、違う違う!仕事だよ仕事!」
「仕事?」
斎藤が怪しむように眉を顰める。
「上の人からの依頼で調査に行ってたんだよ。それで結局……」
古田が頭に手を当てて首を傾げる。
「何も……見つからなかったんだっけ?」
「なんでそんなにあやふやなんですか……」
「いや、ちょっと記憶が曖昧で……」
「やっぱり二日酔いなんじゃ……」
「だから違うって!」
「じゃあそういうことにしておきます。私はこのまま事務所に行きますけど、一緒に行きます?」
「あー……そうだね。私も報告書にまとめないといけないし」
古田が立ち上がると、軽い立ち眩みで足元がふらついた。
◇ ◇ ◇
宝条海斗。能力名『宝石泥棒』
触れた物体から、その物体を構成する任意の物体を一つ取り出す。