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ラプラスの死神  作者: 山吹いなり
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第5話「罪を殺すは是か非か」

 閉められたカーテンの隙間から差し込んだ光が、ベッドで眠る少女の目元を照らす。少女は身体の向きを変えて光に背を向け、布団に潜り込む。

 暖かいベッドでゆっくりと眠る。少女にとっては忘れかけていた体験だった。暫くして少女が目をゆっくり開く。数回瞬きをすると眠たい身体を起こし、目を擦ってから大きく伸びをする。

 能力省に非正規の形で所属することになった斎藤は、当たり前の朝を噛みしめていた。


 ◇ ◇ ◇


 パジャマを着たままの斎藤がリビングに着くと、食卓の上に二人分の朝食を並べている逢沢が斎藤に気付く。

「あ、おはようございます」

「……おはよう」

 斎藤は椅子を引いて座ると、逢沢もコップにお茶を注ぎ、片方を斎藤の朝食の横に置いてから座る。

「いただきます」

 二人は両手を合わせる。斎藤は箸で目玉焼きの黄身をそっと割り、白身に黄身を絡ませてから口に運ぶ。

「~~~!美味しい~」

「大袈裟ですね。ただの目玉焼きですよ」

「私にとっては“ただの”じゃないの」

 斎藤はそう言ってご飯を頬張る。

「そういえば、すみれさんは今日から能力省勤務でしたよね?」

「非正規の形だけどね。後藤さんが許してくれて良かったよ。正直断られると思ってたから」

「でも、なんで能力省に?」

「あー、それはえっと……私、人助けとか結構好きだし……能力省はまさに天職、みたいな」

「でも、危険じゃないですか?後藤さんの推測だと、すみれさんはマフィアに目を付けられているかもしれないって……」

「大丈夫だって。それに、それなら猶更引き取り先に行くわけにはいかないし」

 朝食を食べ終わった斎藤が空になった皿に箸を置くと、深く息を吐き出す。

「でもゴメンね。響也君の家に厄介になることになって」

「気にしないでください。僕にできることがあれば何でも言ってください!」

「そこまでしてくれなくても良いよ」

 そう言って斎藤がはにかむ。すると、時計を見た逢沢が「あっ」と声を出す。

「そろそろ行かないと、1限遅刻する」

「学校?」

「はい。えっと、合鍵はもう渡してありましたよね?」

「昨日貰った」

「じゃあ、僕はもう行きますから、戸締りよろしくお願いします」

「うん」

 逢沢は食器を流しに運ぶと、鞄を持って駆け足でリビングを後にする。玄関が閉まる音が聞こえると、斎藤は椅子から立ち上がり、腰に両手を当てる。

「よし!今日から頑張るぞー!」


 1時間後。

「ん〜……?」

 能力省の事務所のデスクで斎藤がパソコンの画面を睨みながら唸っていた。パソコンの画面には文書作成ツールが開かれており、斎藤はキーボードを打って文書を編集しては元に戻し、編集してはまた元に戻しと、同じことを繰り返していた。

「何で上手くいかないんだろ……教えてもらった通りにやってる筈なんだけどな」

 斎藤は先程までとは違う方法で文書を編集しようとマウスを手に取り、ツールのメニューを見て漁る。すると、画面中央に小さなウィンドウが表示される。

「……あれ?動かなくなった」

 斎藤ががちゃがちゃマウスを動かしてもカーソルは移動しない。すると、斎藤の後ろを後藤が通りかかる。

「後藤さん、何か動かなくなっちゃったのですけど……」

「ん?見せてみろ」

 後藤がパソコンの画面を覗き込む。

「……斎藤、一体どうしたらこの作業でパソコンをフリーズさせられるんだ」

「ふりーず?」

「はぁ……まぁいい。取り合えず俺が何とかしておくから、お前は———……」

 すると、向かいの席で作業していた古田が顔を覗かせる。

「すみれちゃんにはデスクワークじゃなくて、もっとこう、アクティブな仕事を振った方が良いんじゃない?」

「駄目だ。此奴を一人で歩かせれば、次はどんな厄介事にぶつかるか分かった事じゃない」

「心配し過ぎだって。……まぁそこまで言うんだったら、丁度さっき入ったアレ、任せてみれば?」

「……まぁ、それなら大丈夫か」

 斎藤が後藤を見上げると、後藤と目が合う。

「斎藤、お前の初めての仕事だ。できるか?」

「……ッ!はい!」

 斎藤は嬉しい気持ちを飲み込み、力強く返事をした。


「初めての仕事って、ペット探しか……」

 町中を歩く斎藤がぼやく。手元には捜索依頼の来ていたペットの写真と特徴がプリントされた紙を握っている。写真に写った三毛猫は満足気にカメラ目線をきめている。

「能力犯罪に対処する為の能力省みたいなこと言ってたけど、能力省って何でも屋なの……?」

 ぶつぶつと文句を言いながら歩いていると、斎藤の頭の中である言葉が再生される。

『お前は何の役にも立たない。まったく、使えないな』

 斎藤の奥歯を噛むが強くなり、無意識に舌打ちをする。

「絶対見つけてやる」

 斎藤の歩く足が速くなる。斎藤は道先で出会った人やお店の中に入って店員などに声を掛け、片っ端から聞き込みをしていった。目ぼしい情報が手に入らなければ別の人を探し、関係のありそうな情報が手に入ったらすぐさまその情報が示す場所まで移動し、聞き込みを再開する。それを何度か繰り返し、気付けば二時間が経とうとしていた。

「全然見つかんない……」

 公園のベンチに座り込み項垂れた斎藤が溜め息をつく。手元の紙の写真に写った三毛猫をぼーっと眺める。

「一体何処に居るわけ……」

 斎藤が顔を上げると、女性が小さな子供と手をつなぎながら公園の広場を歩いていた。子供は笑顔で自分の母親に何かを話していて、女性はニコニコと笑っている。その光景に、斎藤は思わず目を奪われていた。色褪せた記憶が斎藤の脳裏をよぎり、自然とその親子と重なる。斎藤は記憶の中の自分が何を話しているのかまでは覚えていないが、その時はとても楽しかった、そのことだけは覚えている。

「……母さん……」

 斎藤が寂しそうに呟く。深く息を吸い込んでから、小さく溜め息をついて親子から視線を外す。すると、

「どうしたんですか?お姉さん。溜め息なんかついちゃって」

 斎藤は後ろから声を掛けられる。振り返ると、トレンチコートを羽織った女性が立っていた。

「えっと、猫が見つからなくて……」

「猫ですか?」

 斎藤が戸惑いながらも答えると、女性は斎藤の手に持っていた紙を覗き込む。

「あっ、この猫、さっき見かけましたよ」

「えぇ!?本当ですか!?」

「首輪をつけてたから野良猫じゃないんだろうなぁとは思ったけど、やっぱり迷子だったのかぁ」

「それ、何処ですか!?」

 斎藤が前のめりになって聞くと、女性は少し後ろに下がる。

「えっと、確か向こうの通りの路地裏に入っていくのを見ましたよ」

「ありがとうございますッ!」

 そう言って斎藤はベンチから飛び出すように立ち上がると、女性にお辞儀をしてから全速力で走っていった。遠くなっていく斎藤の背中を見ていた女性は、ベンチの上に残された紙を拾う。

 女性はクスリと笑った。


 ◇ ◇ ◇


 斎藤はトレンチコートの女性から聞いた道を早歩きで歩いており、路地裏に入る場所を探していた。

「確かもう少し行ったところにあった気が……」

 しばらく歩いていると、やがて斎藤は路地裏に続く場所の前を通りかかる。視線を路地裏の先に移動させた、その時だった。

 斎藤は目から入って来た映像がスローモーション再生されているかのような錯覚に陥る。薄暗い路地の先で、何者かが通り過ぎるのが見える。その人物の羽織った黒い服の裾が風になびく。

 別に何の変哲もないことだった。誰かが路地裏を通っていても、禁止されているわけでもないから別におかしいことではない。だが、その時斎藤は背筋が凍るような恐怖感に襲われていた。斎藤の本能が最大音量で“不味い”と警告する。

「……ッ!」

 斎藤は考えるよりも先に走り出していた。


 その頃、薄暗い路地裏で逃げていた男がいた。やがて男は行き止まりに来てしまう。激しく呼吸を繰り返す男は振り返り、声にならない悲鳴を上げながら地面に腰を落とす。必死に後退りをする男に、ゆっくりとした足取りで迫っていく人影があった。黒い外套を羽織った男の目は、目の前で怯える男を鋭く捉えていた。

「ま、待ってくれ!頼む!見逃してくれ!」

 男が必死で命乞いをするが、外套の男は足を止めようとはしない。

「お前のような屑の言葉に傾ける耳は無い」

 外套の男が立ち止まると、足元から黒い霧が上がる。霧の中から白い骨の腕が軋む音を立てながら現れる。男に向けられたその手は指の関節をゴキゴキと鳴らしながら曲げられる。

「……消えろ」

 短く言葉が発せられた後、骨の腕が男に向かって伸びていく、その時だった。

 外套の男の横を、何かが素早く通り過ぎ、その影は地面に座り込んだ男に向かっていく。骨の腕が地面のアスファルトに食い込む。外套の男が視線を移すと、其処には仕留めそこなった男と、ミリタリージャケットを着た少女が居た。男は少女の後ろで気を失っている。

 外套の男と少女の目が合う。

「影山啓介……!」

 少女———斎藤が睨んでそう言うと、外套の男———影山が目を細める。

「……」

 影山はしばらく考え込んでから口を開く。

「その男をこっちによこせ。そうすれば今回は見逃そう」

「……嫌だ」

「はぁ……お前はその男について何も知らない」

 影山は外套のポケットに両手を入れる。

「その男はこれまで何人も殺している。もし此処でお前がその男を逃がせば、新たな被害が出るだけだ」

「……」

「もう一度言う。そいつを置いて即刻失せろ」

 影山がそう言うと、斎藤は自分の斜め後ろで気を失っている男を見てから、地面に視線を落とす。目を閉じて息を吐き出した斎藤が顔を上げて影山をまっすぐ見る。

「……だとしたら、この人には償いの機会を与えるべきだ。しかるべき場所に連れて行って、しかるべき処置を受けさせる。少なくとも、あんたが殺していい理由にはならない」

「……」

「……」

 重い空気が辺りを漂う。互いに視線で牽制し合い、いつ衝突してもおかしくない、そんな状況だった。

「その男を連れて逃げられるとでも?」

「そのつもりだけど」

「だったら一つ言っておく。いくらお前が俊足の能力者だとしても、俺はお前を逃がすつもりはない」

「……違うけど」

「何が」

「いやだから、私能力者じゃないけど」

「……」

 影山は黙り込み、じっと斎藤を見つめる。やがて小さく溜め息をつく。

「自覚していないのか……。じゃあ何故此処に———」

 影山が言い切るよりも先に、斎藤がすぐ横にまとめられていたゴミ袋をひったくるように取り、影山の顔に向かって投げる。すると、黒い霧の中から飛び出してきた骨がゴミ袋を切り裂く。ゴミ袋の中身が宙を舞い、影山は数歩後ろに下がってゴミを避ける。

 影山が足元に向いていた視線を上げて前を見ると、既に目の前まで詰めてきていた斎藤の右足での横蹴りが、影山の横顔にめがけて力一杯放たれる。蹴りは咄嗟に影山が構えた左腕を捉える。蹴りを受け止めきれなかった影山の身体は路地の壁に吹き飛ばされる。衝撃で壁の表面が崩れ、粉塵が上がる。

「よし」

 トンッと地面に着地した斎藤はすぐさま気絶した男の元に向かう。男を背負った斎藤はそのまま走り出した。

 立ち込めた粉塵の中から骨の腕が三本伸び、関節をぐるりと曲げ崩れた壁に突き立てられる。骨の腕はそのまま粉塵の中から影山の身体を引き上げる。骨の腕は影山の背中から伸びており、影山を路地裏の真ん中に直立させる。

 影山は首をゴキゴキと鳴らす。影山の目が斎藤の逃げた方向を向く。

「逃がさん」


 斎藤は男を背負ったまま走っていた。

(意外とこの人重いんだけど……ッ)

 斎藤が思った速さで走れないことに苛立ちを覚え始めていた、その時だった。斎藤の目の前に上から骨の腕が何本も地面に突き立てられ、道を塞いでしまう。斎藤は慌てて立ち止まって振り返ると、静かに歩いてくる影山の姿があった。その後ろからは、道を塞いだ骨の腕が伸びていた。

「その男を置いていけ」

 影山の目がギラリと鋭くなる。斎藤がジリジリと後ろに下がる。斎藤が骨の腕に近づくと、道を塞いだ骨がパキパキと音を立て始める。骨にヒビが入り、パリパリと粉が落ちる。その異変に気付いた斎藤が視線を後ろに向けると、ヒビから骨の腕が斎藤に向かって飛び出した。

 骨の腕が斎藤を捉えようとした、次の瞬間。

「———!」

 影山が目を見開く。斎藤に向かって伸びた骨の腕は斎藤に傷を付けることはなく、斎藤の目の前で動きを止めていた。まるで、見えない壁にぶつかったかのように。

 すると、

「斎藤!」

 何処からか声がした瞬間、影山の足元に缶のようなものが上から落ちてくる。灰色の煙が噴き出し、影山を一瞬で包み込む。影山は反射的に右腕で顔を覆う。

発煙手榴弾(スモークグレネード)……?)

 しばらくして煙が晴れると、其処には男の姿も、斎藤の姿も無かった。

「……」

 影山は何もない路地裏を見つめたまま黙り込む。

「あの女……まさか……」

 影山の呟いた言葉は、何もない空間に消えていった。


 ◇ ◇ ◇


「あの男は警察に引き渡した。あとはプロに任せることにしよう」

「は、はい。ありがとうございます、後藤さん」

 男の引き渡しが終わった後、警察署の前で斎藤が後藤に頭を下げる。

「しかしまぁ、何というか……俺の直感は間違っていなかったな。お前は放っておくと問題にぶつかる」

「うっ……」

「猫探しはどうした?」

「それは、その、探していたんですけど……見つかりませんでした」

 そう言って斎藤はうなだれる。それを見た後藤は溜め息をつく。

「すまん、少し意地悪が過ぎたな。猫のことだが、あの後無事に見つかった」

「え?見つかったんですか?」

「あぁ、とある女性が事務所に猫を連れてきてくれた」

「そうなんですか……良かった、のか……?」

 斎藤は首を傾げてそう言うと、後藤の拳がコツンと斎藤の頭を叩く。

「阿呆。初仕事が無事終わったんだ。素直に喜べ」

「うぅ……」

 斎藤は頭を両手で押さえる。

「だが、一つ分かったこともある。お前を他所に預けておくのは危ないだろうな。暫くはお前のことを見張っておく必要がある」

「それって……」

 後藤は眼鏡の位置を直すと、静かな笑みを浮かべる。

「所長には、俺からお前の能力省への正式な所属を推薦しておこう。お前の面倒を見れるのは能力省以外にはないからな」

「……!」

「戻るぞ。所長に話をするときはお前も一緒に来い」

「……はい!」

 歩き出した後藤の後を、斎藤は嬉しそうに追いかける。二人は能力省の事務所へと戻っていった。


 ◇ ◇ ◇


『あの子、面白そうな子だったよ。君が興味を持つのも分かる気がする』

 日が完全に沈んだ夜。ビルの屋上で影山が耳元に当てたスマホから楽しそうな女性の声が聞こえてくる。

「やはりあなたでしたか。あの女を“誘導した”のは」

『ん~?なんのことかなぁ』

「……それで、あなたはどう考えているんですか?」

『そうだねぇ……』

 スマホ越しに考え込む声が聞こえた後、女性の声が再び聞こえてくる。

『あの子は何処か……普通の人とは違う感じがした気がする。もしかしたら、君よりも“強い”かもしれないよ?……どうする?』

「問題ありません」

『流石だね。その意気で頑張ってくれたまえ。私も応援しているよ』

「だったら仕事の邪魔をしないでください」

『分かったよ。もう邪魔しないから』

「それもこれで何度目ですか……」

『細かいことは気にしない、気にしない!それじゃあ、私はそろそろ失礼するよ。おやすみー』

 電話が切れると、影山はしばらくスマホの画面を見つめてから溜め息をつく。

「あの女なら、もしかしたら……」

 東京の夜の町に灯った明かりは、影山の影をより深い黒に染めた。


 ◇ ◇ ◇


 後藤卓。能力名『空間格子』

 自身の半径25m以内の任意の空間を四角柱状に固定する。


 影山啓介。能力名『朧月』

 黒い霧の中から現れた骨を操る。

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