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ラプラスの死神  作者: 山吹いなり
4/10

第4話「数多の脳を持つ少女」

 静かで、何も無い。全身の感覚は、まるで最初からなかったかのように感じない。それなのに、深い水の底に沈んでいく、そう身体が錯覚している。

 徐々に届く光が薄くなっていく。苦しい。息が詰まる。痛みはない、胸が苦しいだけ。いつしか、この感覚が「死」というものだと理解する。意識はやがて闇の中に消えて―――。


「───ッ‼」

 斎藤が突然目を覚ます。額に玉汗を浮かべ、荒い呼吸を繰り返す。呼吸が落ち着いてくると、ベッドに手をついてゆっくりと上体を起こす。

 見慣れない部屋をぐるりと見渡してから、思い出したように身体に手を当てるが、傷は無く、痛みも感じない。

「確か、あの時……」

 斎藤は順番に記憶を追っていく。東京湾のコンテナ置き場で小林に会い、何故彼がマフィアにパンドラの箱の情報を渡したのか尋ねた。そして、小林の説得に成功したところに、あいつが現れた。そして……。

「あ、起きた」

 斎藤の寝ていたベッドの横のカーテンを引いて藤沢が顔を出す。横に置いてある丸椅子にちょこんと座り、白衣の胸ポケットからボールペンを取り出してカルテに添える。

「何処か痛かったり、気持ち悪かったり、ムズムズしたりするところはありますかー?」

「いえ、特に何とも……」

「そうですか?初めて私の治療を受けた人って、大半は軽いパニック状態になるんですけど」

「あの、此処って……」

「此処ですか?此処は医務室ですよー」

「医務室……?」

 藤沢はカルテにボールペンを走らせると、ボールペンを胸ポケットに戻す。

「じゃあ大丈夫そうなので、あそこの扉から事務所に戻って、後藤さんからお説教を受けてくださいねー」

「は、はい……」

「あ、それとこれを」

 藤沢は足元の籠を持ち上げると、ベッドの上に置く。

「なんか服ボロボロだったので、服一式用意しました。これに着替えてから戻ってください」

「あ、ありがとうございます」

「お礼なら古田さんと後藤さんに言ってくださーい」

 そう言って藤沢は椅子から立ち上がると、カーテンを全て閉める。簡易的な個室で一人になった斎藤はベッドから降りる。浴衣のような病衣の腰の紐を緩めて肩を出すと、病衣はスルリと足元に落ちる。籠の中に入っている服を全て取り出し、ズボン、シャツ、上着の順に着る。

 ズボンのベルトを締めてから、ベッドの横の壁に立て掛けられた鏡に視線を向ける。ズボンは足を露出させたショートパンツと呼ばれるもので、ミリタリージャケットはサイズが合っていないのか少しぶかぶかしている。シャツは自然と体に馴染み、着心地が良い。

 ヘアゴムで髪を後ろでまとめると、カーテンを開けて扉に向かう。ドアノブを掴み一つ深呼吸をすると、ゆっくりとドアノブを捻る。

 そっと事務所の中を覗き込むと、運悪く後藤と目が合ってしまう。斎藤は後藤の目から「此処に来い」というメッセージを読み取る。斎藤は顔を強張らせながら事務所の中を早歩きで進んでいく。後藤の元まで来ると、後藤はキーボードから手を離し、椅子に座ったまま斎藤の方を向く。隣で作業をしていた古田も手を止める。

 後藤と古田は黙ったまま斎藤をじっと見つめると、口を開いた。

「少しサイズが大きかったか」

「だから言ったじゃん。小さい方にしといたらって」

「いや、大は小を兼ねると言う。これで問題ない」

「……はい?」

 キョトンとした斎藤に、古田が説明する。

「実はその服、私達が買ってきたんだよ。ズボンが私で、シャツは響也君、ジャケットは卓が選んでさー」

「いや、それは嬉しいんですけど……あの、説教がどうとかって……」

 後藤がデスクに置いてあったコップに手を伸ばす。

「その事なら小林さんから話は聞いた。全く、何であれこれ聞いてきていたのかと思えば面倒事に首を突っ込んで……。何故俺達に話さなかった」

「それは、その……皆さんに迷惑をかけるのが嫌だったからで……」

「だとしたら、現時点で既に迷惑は掛かっている。たまたま藤澤先生が同行してくれていたから一命を取り留めたわけだが、そうでなかったら間に合っていなかったかもしれないんだぞ。場所の特定も、お前に携帯端末を持たせていなかったら、見つけた頃には死体だった可能性だって……」

「卓」

 古田が後藤の言葉を遮る。後藤は小さく息をつき、落ち着いた口調で言葉を続ける。

「まぁ、お前のお陰でマフィアの企みを知れたのは大きい。良くやった」

「……!ありがとうございます……!」

「だが、次からはちゃんと俺達に言え。分かったな」

「は、はい……」

 上げて落とされた斎藤はしょんぼりと肩を落とすが、後藤の言葉を頭の中で再生していると、ふと疑問が浮かび上がってくる。

「あの、さっき小林さんって……無事なんですか?」

「あぁ。お前と同時に藤澤先生が治療してくれた」

「そうですか。はぁ、良かったぁ……」

「お前はまず自分の心配をせんか。……まぁいい。それより、さっきお前の引き取り先が見つかった。後で場所を教えるから、支度をして明日にでも其処に向かえ」

「……」

「どうした?」

「……あの、そのことで一つ、お願いしたいことが」

 斎藤はズボンの裾を両手で握る。

「後藤さん達には感謝しています。私の為に色んな事をしてくれて……。でも、私はその引き取り先に行きたくなくて……。詳しいことはちゃんと話せないんですけど……」

 斎藤は大きく息を吸い込むと、後藤の目をまっすぐ見る。

「何でもします。どんな事でもします。無理のない範囲でとか誤魔化したりしません。だから……その……」

 斎藤は前のめりになりながらも必死に言葉を探し、訴えかけるように言葉を続けた。

「私を、能力省に―――」


「―――は?今なんつった?」

 マンションの自宅の玄関で、開けたドアを腕で押さえた宝条がそう言う。玄関先に立った客人が軽くイラつきながら口を開く。

「だーかーらぁ!」

 制服を着た小さな客人が胸に片手を当てながら言葉を続ける。

「私を入れてって言ってるの!ラプラスに!」

「……はぁ!?」

 それは、宝条の理解不能という感情を表すのに最も適した言葉だった。


 ◇ ◇ ◇


 宝条の自宅は一人で住むには少し広く、家具はシックなデザインで統一されている。

 宝条はリビングの窓の傍でスマホを耳元に当てていた。

「いやだから、家に変な奴が押し寄せて来たんだって」

『……情報が断片的過ぎて何も分からないんだが』

 通話越しに影山の呆れた声が聞こえてくる。

『はぁ……、今は取り込み中だ。いちいち電話をよこしてくるな』

「そう言うお前はいつも俺の都合関係なく掛けてきてるじゃねぇかよ」

『兎に角、俺にはどうすることもできない。他を当たれ』

「他って誰だよ」

『いくらでも居るだろ。例えば―――すまん、用事が出来た。切るぞ』

「は?お前さっき取り込み中って―――」

 ブツッ。影山によって無情にも通話が切られる。宝条のスマホを握る手に力が入る。

「あいつ……!」

 舌打ちをしてからスマホの画面を操作し、もう一度耳元に当てる。

 数回のコールが鳴った後に電話が繋がる。

『お掛けになった電話番号は現在使用されていません。ピーと鳴りましたら、お使いの電話の電源をお切りください』

「お前の電源を切ってやろうか?」

『えー?何さ。せっかく人が集中してたのに』

 電話越しに聞こえる女性の声が、聞いていると気が抜けそうになる口調でそう言う。

「どうせいつも暇してるだろ」

『酷いなー。君は私のことを何だと思って―――あぁ!』

「あ?どうした?」

『期間限定で登場するレアキャラが出てきた!ネットだとポップ確率クソ低いって書いてあったのに!悪いけど切るね、それじゃ!』

「あっ、おい!」

 ブツッ。訳も分からないまま通話が切られる。

あおいのやつ……!」

 宝条が悪態をつく。すぐにスマホを操作し、再びスマホを耳元に当てる。

 数回のコールが鳴った後に電話が繋がる。

『良いか海斗!お前に足りないのは忍耐力だ!俺の地元の近所に住んでる山田さんに会えばお前は―――』

 ブツッ。宝条が通話を切る。

「ったく、どいつもこいつも……」

「最後は自分から切ったよね?」

 ソファに深く腰を下ろした少女がそう言う。

「一ノ瀬は今バイトの時間だから繋がんねぇだろうし、他に頼れる奴はパッと出てこねぇし……」

「だから、私をラプラスに入れてくれればいいんだって」

「あのなぁ、いきなり押しかけて来た奴に『よし、分かった』の二返事ができると思うか?」

「出来ないの?」

「……まぁいい。んで、全部書けたか?」

 宝条がそう言うと、少女はテーブルの上に置かれた紙を宝条に差し出す。宝条は受け取った紙に目を落とす。

「えっと……おい、名前も年齢も書いてないじゃねぇかよ」

「だって、裏社会の組織とかに個人情報を明かすのは危ないし」

「じゃ何で俺ん所に来たんだよ……。で、特技が……ハッキング?お前ハッカーなのか?」

「ハッカーっていうか、その……そういうのが得意なだけ」

「じゃあ俺のことを知ってたのも」

「ラプラスのネットワークに侵入して見つけた」

「へぇ~。今までセキュリティ突破されたことなんか一度も無かったのに、凄いな。……よし。帰れ」

「ちょ、はぁ!?何で!?」

 驚く少女に対して、宝条は紙をくしゃくしゃと丸めながら言葉を続ける。

「素性も目的も分からない奴を入れる訳ねぇだろ。お前がスパイか何かじゃない保証は何処にもねぇんだし。後色々面倒だし。ほら、分かったらとっとと帰れ」

「嫌だ!帰らない!」

「嫌だじゃねぇよ。大体、お前みたいなガキが足踏み込んでいい世界じゃないんだよ」

「ガキじゃないし!今年で十六だもん!」

「じゃあガキだろ」

「むぅ~!」

「あとな」

 宝条が少女の目の前に来ると、真剣な顔でじっと少女の目を見る。

「一度足踏み込んだら、二度と戻れないぞ。それでもいいのか?」

「……構わない。目的が果たせるなら」

 少女の覚悟の宿った目が宝条を見つめ返す。暫くお互いにじっと目を合わせ続けていると、やがて宝条が溜め息をつく。

「その目的が分からない以上俺にはどうにもできないんだよ」

 それを聞いた少女が暗い顔をして俯く。すると、宝条は顔を窓の方に向けて言葉を続ける。

「……けどまぁ、丁度お前みたいな奴が欲しかったんだよなぁ」

 そう言うと宝条は玄関前の廊下へと歩いていく。

「着いて来い」

「え?それって……」

 顔を上げた少女が戸惑いながらそう尋ねると、宝条が足を止める。

「ラプラスに入りたいんだろ?」

「~~~……!うん!」

 少女は目を輝かせ、飛び上がるようにソファから立ち上がると、宝条の後を駆け足で追っていった。


 ◇ ◇ ◇


 宝条の運転する車が都内のとあるビルの地下駐車場に入っていく。宝条は少女を連れてビルの中に入り、エレベーターで最上階に向かう。

「今のうちに言っとくけど、俺の言うことちゃんと聞けよ」

「分かってるってば。私のこと何だと思ってるの?」

「自分勝手なガキ」

「だからガキじゃないし!」

 エレベーターの扉が開くと、廊下を進んでいったところに扉があり、その前には男が二人立っている。その手に握られた銃を見た少女は息を呑み、反射的に宝条の服の裾を掴もうと手を伸ばす。だが、宝条はスタスタと扉に向かって歩き出し、少女の手が空気を掴む。少女も小走りで宝条に駆け寄る。宝条は男達の前で立ち止まると、ポケットから紙切れを取り出して男達に見せる。

「ボスに話があって来た」

 二人の男は廊下の端に移動する。宝条は扉の前に行くと、扉を4回ノックする。

「入りたまえ」

 部屋の中から樋口の声がする。宝条は少女にアイコンタクトを送り、扉を押す。部屋に入ると、宝条は帽子を外し、腰に付けたフックに帽子を引っ掛ける。

「ボス、先程連絡した者を連れてきました」

「あぁ、影山君からも話は聞いていたよ。ご苦労様」

「それで……話を始める前に一ついいですか?」

「何かな?」

 宝条は視線を上から下に移動させながら樋口をジーと見る。

「何やってんすか?」

「何って、見た通りだよ」

 樋口は天井から吊るされたロープに逆さまにぶら下がりながら、涼しい顔で答える。

「いやぁ、実は少し考え事が行き詰ってしまってね、気分転換も兼ねてぶら下がっていた」

「頭に血上らないんですか?」

「今のところまだ大丈———あ、ちょっとヤバいかも。宝条君、ちょっと手を貸してくれない?」

「うっす」

 宝条は逆さまになった樋口の元に行く。宝条の手を借りてようやく床に足を付けることができた樋口は襟を整えると、何事も無かったかのようにデスクに戻り手を組む。

「本当にこの人がボスなの?なんか思ってたのと違うんだけど」

 声を潜めて少女が宝条にそう言うと、樋口は咳払いをする。

「では、本題に移ろう」

 樋口の視線が少女に向けられる。少女は慌てて背筋を伸ばす。

「影山君から話は聞いている。その子が、君の元に押し掛けてきた子だね」

「はい。話を聞いたところ、どうやらハッカーのようです。技術も高いものかと」

「成程。———お嬢さん、名前を尋ねてもいいかな?」

「は、はい!中嶋千鶴なかしまちづるです」

 すると、宝条が声を潜めて不満の言葉を発する。

「おい、何で俺には言わなかったくせにボスには素直に言うんだよ」

「だって、そのボスから聞かれて答えないわけにはいかないじゃん」

 中嶋も声を小さくしてそう言う。すると、その様子を見ていた樋口は口元に笑みを浮かべる。

「影山君の話では、君は最初、中嶋君を追い返そうとしていたらしいが、どうして此処に連れて来たんだい?」

「それはこのガ……中嶋はこれまで一度も突破されなかったうちのネットワークのセキュリティを破って俺の情報を見つけ出す実力があって、情報収集にも長けているからです。こいつが居れば、今追ってる奴の足取りが掴めるかもしれないし、これからも役に立つかと」

「ふむ……分かった。では、中嶋君を君達に合流させることを許可する。その働きぶりと成果で判断しよう」

 樋口は両手をぽんと叩くと、デスク横の引き出しを開けて、中から黒いカードを取り出す。

「精一杯、腕を振るってくれたまえ。―――期待しているよ」


 ◇ ◇ ◇


 宝条は中嶋を連れて、普段影山や一ノ瀬と集まる際に使っている、とあるビルの一室に向かって足を動かしていた。

「……」

 だが、中嶋の足取りはとても軽いものとは言えなかった。宝条から少し離れて、まるで何かを躊躇うように宝条に付いていく。中嶋の様子に気付いた宝条は足を動かしたまま、振り返らずに中嶋に話しかける。

「さっきからどうした?」

「……別に」

「トイレか?」

「違うし!……ただ、ちょっと緊張してきただけ」

 中嶋は軽く握った右手を口元に当てる。

「ボスの話だと、その、かげやまって人、怖いんでしょ?」

「あー。あれは単にボスの冗談だよ。普段は割と大人しいぞ」

「てことは、大人しくない時があるってことでしょ?」

「少なくとも、お前は影山と現地で一緒に動くことはないから安心しろ。それに、もう引き返せないからな。―――ほら、着いたぞ」

 そう言って宝条はとある部屋の前で立ち止まる。ドアノブに手を伸ばし、扉を開ける。

「影山ー、連れて来たぞ……」

 部屋の中を見た宝条が言葉を失い、その場に立ち尽くす。中嶋も宝条の横から部屋の中を覗き込むと、同様にぽかんとした顔をする。

「あ、戻って、来ましたか、宝条さん……ッ!」

 部屋の真ん中にはカラフルな円が均一に並べられたシートの上で、四肢を絡ませるように円の上に置いている一ノ瀬がいた。その傍にある椅子には、カードを持った影山が座っている。

「……何やってんだ?お前ら」

「何って……見れば分かる筈です、が……」

 そう答える一ノ瀬は身体をプルプルと震わせながら、顔を真っ赤にしている。影山がテーブルの上に置かれた山札からカードを引く。

「次。右手、青」

「うえぇ!?この体勢からは、不可能だと思うんですがぁ……!」

「今引いたカードにそう書かれている。不可能ではない」

「いやそれ……ランダムですからっ……!」

「良いから早くしろ」

「む、無理です……!これ以上は無理ぃ……!」

 一ノ瀬は必死に訴えるが、それでも右手を青い円に運ぼうと腰を上げる。

 宝条は大きく溜め息をつくと、部屋の中に入る。口を半開きにしていた中嶋は、ゆっくりと部屋の中に入る。

「おい、お前も何やってんだよ」

「手伝ってくれと頼まれた」

「なんで急にツイスターなんてやりだしてんだよ」

「俺に聞くな」

 影山がうんざりした様子でそう言う。

「ま、まさかこんな拷問玩具が市場に出回っているなんて……うぐっ……あぁ……」

 一ノ瀬が目に涙を滲ませながら声を漏らす。

 すると、影山は宝条の後ろから顔を覗かせていた中嶋の方を見る。

「そいつが例の?」

 影山と目が合った中嶋は、ビクリと肩を震わせて宝条の背中に隠れる。

「おう。今俺達が追ってる件を手伝わせて、その働き次第で決めるってさ」

「そうか。それで……何で隠れているんだ?」

「お前が怖いかららしいぞ。ボスの話を全部鵜吞みにしたせいで、さっきからずっとこの調子だし」

「……そうか」

 影山はカードをテーブルの上に置くと、身体を前に倒し、宝条の背中から様子を伺っている中嶋と目を合わせる。

「影山啓介だ」

「……中嶋千鶴です……」

 中嶋が消えそうなくらい小さな声で名乗る。すると、

「うわぁ!」

 一ノ瀬が短い悲鳴を上げて、崩れるように床に倒れる。影山は姿勢を戻すと、山札の横に置かれた紙を手に取る。

「体勢を崩した際はどうするんだ……」

「それで終わりだよ」

「そうか」

 宝条が即答すると、影山は短く返事をし、紙をテーブルの上に戻す。

「一ノ瀬、もう気は済んだか?」

「は、はい……もう、十分です……」

 一ノ瀬が息を荒くしながら床に手をついて身体を起こすと、深呼吸を繰り返し、中嶋の方を見てニコッと笑う。

「私は一ノ瀬咲です。お好きなようにお呼びください、中嶋さん」

「は、初めまして……」

 中嶋は戸惑いながらそう言うと、宝条の服の裾を引っ張る。宝条が中嶋に顔を近づけると、中嶋が宝条に耳打ちする。

「いつもこんな感じなの?」

「あー……三日にいっぺんくらい」

「……」

 中嶋はもう一度一ノ瀬と影山を見てから、心の中で呟いた。

(なんか、思ってたのと違う……)


 ◇ ◇ ◇


 テーブルに着いた宝条達は、一ノ瀬が淹れた珈琲を飲みながら話し合いをしていた。

「———とまぁ、大まかに言えばこんな感じだ」

「成程。つまり収穫は無かったと」

「お、おう……」

「ならもっと端的に言え」

「俺が話したかったのは結果じゃなくて過程なんだよ!十分有益だろ!」

「情報屋も当てにならない、調べても痕跡すら見つからない。これの何処が有益だ」

「これ以上情報屋を当たらなくていいってことが分かったじゃねぇかよ」

 影山と宝条が口喧嘩に近い言い合いをしているのを両手で持ったマグカップに入ったココアを飲みながら眺めていた中嶋は、隣に座る一ノ瀬に話しかける。

「なんの話してるんですか?」

「ラプラスに潜入していると思われるスパイ探しについてです」

「スパイ?」

「一週間程前に、ラプラスの物流経路に関する情報が組織に属していない人間に渡っていることが確認されましたので、組織内部の人間が外部に情報を流している可能性が高いと判断したボスが、先輩達に調査を命じたんです。ですが、御覧の通り手掛かりらしきものが一切見つかっておらず、宝条さんがストレスを溜め込んでいる状態です。元々気が長い人ではないですから、今回は余計にイラついてると思います。話すときは注意してくださいね。とばっちりをくらいますから」

 一ノ瀬が淡々と放つ言葉が次々と宝条に刺さり、やがて重みに耐えきれずにテーブルにうつ伏せに倒れる。それを見た影山が溜め息をつく。

「まぁいい。俺もそれというものを見つけられなかったからな、これ以上は何も言わない。それに……」

 影山の視線が中嶋に向けられる。

「今は違う手段があるからな。何も問題はない」

 宝条は身体を起こすと椅子の背もたれに寄りかかり、中嶋の方を向く。

「まぁな。聞くところによりゃあ、凄腕のハッカーらしいし。いけそうか?」

「まぁ……大丈夫だと思うけど……」

「けど、なんだよ」

「その、ラプラスのネットワークから情報が漏洩したなら足取りは追える。でも、それ以外からだったら、他の端末にもアクセスしないといけないから」

「やっぱ簡単じゃないか」

「いや、普通に面倒くさい」

「お前なぁ……」

 宝条が中嶋を睨む。すると、腕を組んで黙っていた影山が口を開く。

「兎に角やってみてくれ。後者だった場合は……」

「あ、いや、どの道追えるので任せてください!」

 そう言って中嶋はスマホを取り出すと両手でしっかりと持つ。静かに深呼吸をし、スマホの画面をじっと見つめる。光る画面が中嶋の目に映る。

「“電脳支配(ハイジャック)”―――」

 中嶋がそう呟くと、スマホの画面に次々とプログラムが表示されていく。十秒も経たないうちに青い光を帯びていた中嶋の瞳が元に戻ると、スマホの画面を凝視していた中嶋が顔を上げる。

「見つけました」

「はぁ!?」「えぇ!?」

 宝条と一ノ瀬が驚きの声を上げる。

「確かに一週間前に情報が外部の端末に送信されていますね。送信先の端末の持ち主は……公安の人ですかね」

 影山が目を細め、険しい顔をする。

「送信された情報は?」

「えぇと……物流経路と構成員名簿です」

「……」

 影山の視線がテーブルに落ちる。宝条も真剣な顔をして唸る。

「情報がこぼれただけならまだ何とかなったが、よりにもよって公安か……」

「あ、でも構成員名簿は一昨日送信されたそうです。それに、情報が他の場所に送信されたりコピーされた形跡はありません。恐らく、まだその端末内に残っているかと」

「でも、流石に今からでは間に合わないんじゃ……」

 一ノ瀬がそう呟くと、中嶋はスマホの画面を操作する。

「大丈夫ですよ。……これで良し、っと。今その端末に保存されていたラプラスに関するデータを暗号化しておきましたので、これで二度と復元はできませんよ。ついでに端末のパスワードも変えておきました。アルファベット、数字、記号全部使った128文字です」

「……」

 宝条と一ノ瀬が呆気にとられたように口を半開きにして言葉を失う。影山も黙ったまま中嶋をじっと見つめる。

「それじゃあ、次はどうしますか?スパイの身元でも割りますか?」

「そ、そんなこともできるんですか?」

「いけますよ?……ほら、データの送信元はこの人のスマホからでした」

 一ノ瀬の質問に対して中嶋はさも当然であるかのように答えると、スマホの画面を指でなぞり、影山に画面を見せる。

「それで、その……この人の端末のGPSをハッキングしたので場所が分かるんですけど、影山さんのスマホから見れるようにしましょうか?」

 中嶋が恐る恐るそう言うと、影山は黙ったまま中嶋をじっと見続けている。影山の目が鋭くなると、中嶋が身体を震わせて早口で言葉を続ける。

「あ、いや、必要無かったですよね私が見れれば良いですもんね御免なさい其処まで気が回らなくてすみませんでした御免なさい許してください!」

「……いや、送ってくれ」

 そう言って影山は立ち上がると、部屋の扉に向かって歩き出す。

「何処に行くんですか?」

 一ノ瀬がそう言うと、影山は扉の前で立ち止まって振り返る。

「仕事を終わらせてくる」


 ◇ ◇ ◇


『ラプラスに潜入させていた調査員が殺されました』

 オフィスの椅子に座った男が耳元に当てたスマホから聞こえる声がそう言うと、男は深く息を吐く。

「そうか。データはどうだ?」

『それが、端末のパスワードが改竄されているだけなら良かったのですが、中に入っていたデータが全て暗号化されていて、復元は不可能かと。あのレベルは純粋な技量によるものとは思えません。恐らく、何かしらの能力によるものかと推測されます』

「……」

『新しい調査員を潜入させますか?』

「いや、必要ない。結果は同じだ」

 男はデスクに置かれた写真立てを見ながら言葉を続ける。

「あの組織を束ねているやつは頭一つ抜けている。違う手段を取ったところで、あの男の目はごまかせない」

『では……』

「次の指示が出るまで待機していろ」

『分かりました。では、失礼します』

 そう言って通話相手が通話を切る。男はスマホをデスクの上に置くと、目頭を指で押さえる。閉じた目を少し開き、写真立てに入れられた写真を見つめる。

「樋口……お前は一体、何処に向かっているんだ」

 男と一緒に写真に写った樋口の顔は、黒く塗りつぶされていた。


 ◇ ◇ ◇


 中嶋千鶴。能力名『電脳支配』

 ネットワークに接続されている電子機器があれば、インターネットに存在する全てのデータに干渉できる。

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