第15話「善悪隔つ立場を貫く」
「え、すみれちゃん待機なの?」
11時53分。渋谷109スクランブル交差点前。古田が驚いた様子でそう言うと、後藤はスマホを操作しながら言葉を続ける。
「あぁ、もしもの時に備えてとのことらしい」
「でも、それなら私が残った方が良かったんじゃない?」
「所長の判断だ。俺達は指示に従うだけだ」
後藤がスマホをしまいながらそう言ったときだった。
「あほくさ」
第三者の一言が後藤の言葉を遮る。
「いつまでそんな頭固いこと抜かしとんねん。古臭うてしゃあないわ」
和服風のスーツ姿の男性はそう言う。しゃがみ込んで頬杖を突きながら、呆れたように欠伸をする。
「僕らみたいなんに求められとんのは現場での機転の利かせ方やろ。指示通りに動くだけの奴が、こんな仕事で長生きできるわけないやんけ、普通に考えて。っちゅーか、所長も所長や。あの人、何考えてんのかサッパリ分からんし。ぽっと出のよぉ分からん奴を予備にするとか、頭いかれとんちゃうか?」
「まずは自分の態度を見直せ、須賀」
「事実やろ?」
男性―――須賀悠司は立ち上がりながら、悪びれる様子もなく言葉を続ける。
「実際その点で言えば、バックに置くんやったら古田ちゃんの方が向いとると思うわ。『白昼夢』は幅広く立ち回れて結構便利やしな、臨機応変に対応できるやろ。逆に……すみれちゃんやっけ?を、こっちに放り込んだ方が良かった思うけどな。品定めにはちょうどええやろうし、死んだら死んだでそれまでの話やった、っちゅーだけのことやし」
「おい」
後藤が須賀に詰め寄ると、胸ぐらを掴み、睨見つける。
「ちょっと二人とも!ケンカしてる場合じゃないでしょ!」
古田が間に入る。後藤は不服そうに舌打ちをすると、須賀の胸ぐらを掴む手を離す。須賀は襟元を整えると、109の看板を見上げながら口を開く。
「そんじゃ話を戻すと、今回の一件、向こうの目的は破壊活動とか無差別殺人とかそんなんやないやろな」
「根拠は?」
「3つや。テロの告知を律儀にしとること、此処を壊すメリットが向こうに無いこと、最近の行動と関連性が全く見えんこと。正直、放っといても何の問題もないやろな」
「じゃあ、他に目的があるってことか」
「十中八九そうやろな。ま、ここに連中がおるっちゅーんやったら、僕らは僕らの仕事するだけや」
須賀は首に手を当てながらそう言う。
「ほな分担決めよか。二人は固まって下見てきー。僕は一人でええわ。その方がええやろ?いろんな意味で」
「……分かった」
後藤が難しい顔をしながらそう言うと、横で古田も頷く。
須賀が不敵に笑う。
「決まりやな。ほな、さっさと動こか」
◇ ◇ ◇
少し前、渋谷109ビル六階。工藤はエスカレーターの前で缶珈琲を飲んでいた。すると、手に持ったスマホから少女の声が聞こえてくる。
『ビル各階、人形の配置終わりました!』
「ご苦労さん」
工藤は側にいた宝条と一ノ瀬を横目に口を開く。
「それじゃあ、私達も準備しようか」
「本当に大丈夫なんだろうな……?」
宝条が疑うようにそう言うと、工藤は自信満々に口を開く。
「大丈夫だって。一階から六階まで十体ずつ南海ちゃんの人形を配置してあるんだよ?甘く見積もっても、人形一体あたり一般人五、六人掛でようやくだし、それが計六十体いるんだから。たとえ鬼灯組の能力者でも、一人じゃ大変でしょ」
工藤は少し離れた場所で徘徊する動物の人形達に目をやる。
「でも二人来たらどうするんですか?」
横で聞いていた一ノ瀬が尋ねる。工藤は顎に指を添えながら言葉を続ける。
「鬼灯組が二人掛かりで来ない限りは大丈夫だよ。実際鬼灯組の能力者は一人でも十分戦えるから、わざわざ同じところに配置はしない筈。逆に能力省は二人三脚が基本スタイルだけど、逆に言えば一人一人の戦力は鬼灯組ほど高くないから大丈夫。例外は居るけど……わりと前から出張で東京に居ないから気にしなくてオッケー」
工藤は残った珈琲を飲み干す。
「私の予想だけど、此処には能力省から二人、鬼灯組から一人って感じかな。……理由聞いて」
(めんどくさ……)
「何でですか?」
「何故なら、此処渋谷109は他二箇所と比べて考慮しないといけない範囲が広いからだよ。このビルだけじゃなくて周囲の地下通路も気にしないといけないから、他の場所より人数も増やさないといけない」
「なるほど」
「鬼灯組は先の理由で各箇所に最低一人ずつ配置されるだろうし、そうなると渋谷109での配分は二対一の可能性が高い。となると、能力省の二人が広域の地下通路、鬼灯組の一人が範囲が絞られている109ビルを見て回る筈!」
「なるほど!」
工藤と一ノ瀬のやり取りと眺めていた宝条が呆れた様子で溜め息をつく。
「そんな上手くいくかねぇ。……じゃあ俺らの分担は予定通りか?」
「そうだね。私が地下通路、二人が此処に残って助っ人を待つ感じでいこう」
「その助っ人は何時頃着くんだよ」
「少し遅れるって。まぁでも、南海ちゃんの人形で削りは入れられるし、二人は時間が来るまで適当に往なしてれば良いよ」
「橘さんのことですよね。よく引き受けてくれましたね。あの人、基本的に自分の立場を優先するじゃないですか」
「まぁね。お金も動かなかったし、ほんと助かったよ」
工藤が舐めるような視線を一ノ瀬に向けると、一ノ瀬が何かを悟ったように背筋を震わせる。それを見た宝条もなんとなく何かを察する。工藤は空になった缶の飲み口に残った珈琲を舐め取ると、缶の側面に親指を数秒押し当てながら小さく何かを呟く。親指の下で、缶の側面に椿の模様が浮かび上がり、滲むように消える。
「海斗、これあげる」
そう言うと工藤は空き缶を宝条に差し出す。
「ゴミなら受け取らないぞ」
「違うって。お守りだよ、お守り。合言葉は太字でここに書いてあるやつね」
そう言いながら古田は缶の側面に書かれた「すっきり後味」の文字列を指で指し示す。
「……じゃあ、ありがたく」
宝条は嫌々空き缶を受け取る。工藤はニヤニヤしながら人差し指をそっと唇に添える。
「間違っても、飲み口舐め回したりしないでね」
「誰がするかよそんなこと」
宝条はポケットから取り出したハンカチで空き缶の飲み口を拭う。工藤は残念そうに唸ると、すぐに切り替えてスマホを顔に近づける。
「まっ、そういう訳だから、よろしくね。南海ちゃん」
『ガッテンです!』
工藤はスマホの通話を切ると、羽織ったコートを整える。
「それじゃ、気張っていきましょうか」
◇ ◇ ◇
時間は戻り現在。渋谷109地下二階、A2出口前通路。静かに立ち尽くしている工藤の視線が下に落ちている。其処に無い何かをぼーっと見つめながら、頭で反響する過去の残響に浸っている。無機質なオフィスデスクとその上に積まれた資料の紙の匂い、その脇に置かれた珈琲の苦い匂いが漂う事務所で、時計の秒針が進む音が微かに響く。トマトジュースの味と缶の手触りが、昨日のことのように蘇ってくる。
「工藤」
名前を呼ばれ、落としていた視線を上に上げる。其処には階段を下りてきた後藤と古田の姿があった。後藤と眼鏡越しに目が合う。
工藤は一瞬何かを考え込むが、すぐに口角を持ち上げる。
「久しいね」
コートのポケットから取り出した鉄塊を軽く振ると金属バットへと姿を変えす。慣れた手付きで利き手に持ち直す。
「さぁ、やろうか」
12時2分。渋谷109地下二階での戦闘開始。
◇ ◇ ◇
渋谷109地下二階、A2出口前通路。後藤と古田、工藤は距離を保ったまま視線で牽制し合う。工藤が金属バットを指先でくるくる回しながら口を開く。
「君達とこうして再開できるとは思ってもみなかったよ」
口を固く閉じた古田の横で、後藤が一歩前に出る。
「工藤、お前に聞きたいことがある」
「ちょ、卓……!?」
思わず声を出してしまった古田は慌てて自分の口を押さえる。その様子を見た古田はクスリと笑う。
「へぇ~……良いよ、少しお喋りしようか?」
工藤がバットを肩に、空いた手を腰に当てる。後藤は静かに息を吸う。
「何故、ラプラスに寝返った」
その一言は反響することなく通路の先に消えていった。工藤は黙ったまま後藤を真っ直ぐ見つめていたが、すぐに口を開く。
「こっちの方が向いてたってだけかな。お役所仕事は制約も多かったし、肩身も狭かったし……そういう意味では今の方がずっと自由で居られるし。まぁ、裏切りを許せないのはどの組織も一緒か」
「違う」
言葉を遮った後藤の手が腰のホルスターに収まった拳銃にかけられる。
「お前が裏切ったのは組織じゃない、俺達が信じていた正義だ。お前が簡単に手放せたものは、俺達にとってどんなものよりも重いものだった。それすらも分からないくらい摩耗したのか」
身構える古田の傍から鯨がゆっくりと姿を現す。
「……摩耗、ねぇ……」
工藤は両手をだらりと降ろす。
「摩耗してるのは、どっちだろうね」
次の瞬間、後藤が素早く引き抜いた拳銃が火を噴く。同時に鯨が宙を泳ぎ突き進む。眉間に向けて打ち出された弾丸は工藤の頬を掠め後方へ消える。大口を開いて突進してきた鯨の口を身体で押さえる。空いた手でコートのポケットから取り出したティッシュを、鯨の口の中に放り込む。
「はい“ボンバー”!」
工藤が鯨を押し返す。バットが鯨の下顎を殴り上げるどほぼ同時に、鯨の腹の中のティッシュとバットが爆発する。鯨は口から煙を吐き出しながら地面に倒れ込む。煙をかき分けるように工藤は前のめりに走り出す。バットが地面に擦れる度に、耳を刺す音と共に小さな火花が散る。古田がジャケットの下から引き抜いたピストルを構える。二つの銃声が不揃いに鳴り響く。
工藤は身を翻し続けて放たれた弾丸を躱しながら後藤と距離を詰める。足元から大きく振り上げられたバットが、後藤の鼻先でピタリと止まる。後藤は冷静な手つきでマガジンを交換し、スライドを引き、銃口を工藤の額に向ける。青く光る後藤の眼の中で幾層に重なる多角形が形を変えながら不規則に回転する。工藤が鞘に収まった刀を引き抜くようにバットを引き抜き、素早く距離を取る。放たれた銃弾が靡いた髪の間をすり抜ける。
後ろに下がる工藤の足が何もない場所で見えない何かに引っかかり、そのままの勢いで後ろに倒れそうになる。合わせるように古田がピストルの引き金を引く。
「へぇ……」
工藤は落ち着きながら身体を捻らせ、バットを力任せに地面に叩き付ける。次の瞬間、爆発が起こり工藤を飲み込む。後藤は立ち込める煙から離れようと数歩下がったその時、煙の中から飛び出した弾丸が後藤の眉間に迫る。後藤の眉間手前の空間に入った瞬間に速度を失った弾丸は軌道を変え、後藤の肩に命中する。
「卓!」
古田の視線が後藤に向いた瞬間、工藤が晴れ始めて煙の中から古田の目の前まで飛び出し、右手で構えたバットを古田の腹部に叩き付けると同時にバットが爆発する。通路の壁に叩き付けられた古田が地面に倒れ込む。
「駄目じゃない。もっと連携を磨かなきゃ」
咳き込む古田を見下ろしながら、工藤は額から流れた血を拳銃を持った手の甲で拭い広げる。その口元がにやりと笑う。後藤は撃たれた肩を庇うように体勢を直し拳銃を構える。それと同時に工藤が拳銃の銃口を後藤に向ける。
「“空間格子”。自分の視界を画面として、その中に自分にしか視認できない壁を生成する。壁の形状、大きさ、位置を正確に把握できない限り突破も破壊も不可能。常人には基本攻略できない技巧派能力。でも、君の相棒してた私が君の能力に対応できないとでも思った?」
「……わざと誘ったな」
「まぁね。ちょっと勘は鈍ったかもだけど」
工藤の視線が古田に移る。
「それにしても、相変わらず変わらないね。さっきの銃弾、避けようと思えば避けれたでしょ」
「……」
「常に能力でなっちゃんを守れるように視界に入れ続けてるからかな。次の動きが読みやすいし、防御も疎かになってる。仲間想いなのは君の数少ない魅力の一つだけど、その分弱みでもあるって前にも言ったでしょ。そもそも相性悪いじゃん、君達。なんで一緒に行動してるのさ」
「……そうだな。お前の言うことは否定しない」
後藤の目の中で回転していた多角形が収束し、青い光がすっと消える。
「だが、敵を穿つための矛はすでに揃っている。だから俺は盾として、仲間を守り続ける。其れが俺の選択した道だ」
「……。いやいや揃ってるって、京都行ったきり音信不通で帰ってきてない人いるでしょ。―――ん?」
工藤の脳内で数秒前に発した言葉達が繰り返し反響する。
「もしかして……帰ってきてる?」
後藤は何も言わず、無言を貫く。ぎこちなく顔を古田の方に向けると、古田も固く口を閉ざす。
(あれ?あれぇ~?)
工藤の顔から先程まであった余裕の表情がすぅーと引いていく。
(能力が噛み合ってないこの二人を置いて一人行動するような人って、もしかして須賀さんくらいしかいない?)
一筋の冷や汗が工藤の首筋を伝う。
(ひょっとして私、やっちゃった?)
◇ ◇ ◇
12時0分。渋谷109ビル六階。天井を見上げている一ノ瀬の近くで、宝条はしゃがみこんで壁に寄り掛かりながら空き缶をゆらゆらと揺らしている。その目の前を熊の人形がとてとてと歩き過ぎる。
「上手くいきすぎてる気がする」
宝条の呟いた一言が、工藤が六階を離れてから続いていた静寂を破る。小さな声だったが、一ノ瀬の耳にはっきりと届く。
「上手くいきすぎてるって、工藤さんの作戦ですか?」
一ノ瀬はそう尋ねると、足元を通りかかろうとしていた熊の人形を両手で抱え上げる。
「まぁ、な」
宝条は考えながら言葉を続ける。
「何で向こうは能力省と鬼灯組しか動かさないで、それ以上の人員を投入しようとしない?都内三箇所の同時襲撃。SATが動いてもおかしくないだろ」
「一般人だと能力者に勝てないから、とかじゃないんですか?」
「どんな能力を持ってても、元は同じ人間。どんな手を使っても全員が全員制圧できない、ってわけじゃない。おまけにこの場所に限ったことかもしれないが、警察が一般人を捌けさせるような誘導だの規制だのが一切なかったし、俺らも簡単にここに来れた。能力省や鬼灯組がいる場所に俺達が突っ込むんじゃなくて、俺達が待ち構える状態になってるのが気持ち悪い」
宝条は空き缶をカツンと床に当てる。
「それとボスが出した予告、あれは襲撃場所と時間だけで、能力者を動かすなんて一言も言ってない。尚更警察がでかく動きを起こさない理由が分からない」
「うーん……ラプラスに能力者が何人もいるのは周知の事実みたいなものですし、警察もラプラスの犯行予告となれば能力者が絡んでくると考えた。だから能力者に対応させるぞ、みたいな感じでなんとなくまとまりそうですけどね」
「そんな予想だけで対応するもんかねぇ。あー、もやもやする!そもそも今回に関しては納得いってない部分があるってのに」
「納得……場所のセレクトとかですか?」
「お前のことだよ」
「えっ、私ですか!?」
「当たり前だろ。何で無能力者のお前が現場に配置されてるんだよ。橘にとっちゃお前が此処に居るかどうかなんて関係ないだろ」
「でも、それを言うなら宝条さんだって。自分で非戦闘員だとか言ってるじゃないですか」
「自分ではな。ボスからの評価が思ってたよりも高かっただけだよ」
大きく溜め息をついた宝条が空き缶に目をやったその時、階下から物音が聞こえる。二人はすぐにエスカレーターの方を向く。一ノ瀬の腕の中でおとなしくしていた人形がもぞもぞと動くと、腕の中からぴょんと飛び出し、エスカレーターの方に向き合う。
「海斗さん」
「あぁ、来やがった」
宝条は空き缶をポケットの中にしまいながら立ち上がる。
タタタッと軽い音が少しずつ大きくなっていく。
次の瞬間、エスカレーター前の空気がゆらりと揺れたかと思うと、一人の男が飛び出す。和服風のスーツを着た男は二人の方を見ると、ゆったりとした動作で身体を向ける。その左手には、鷲掴みにされ綿が飛び出した人形から白い炎が立ち上っている。
「見っけ」
須賀はただ一言、短く言い放った。




