第13話「獣対鮫」
「何で教えてくれなかったんですか?」
能力省の事務所にて、応接間のソファーで仰向けに寝転んだ斎藤が天井を眺めながら口を開く。
「響也君の能力の何処がサポートなんですか」
「私に聞かれても困りますよー。そういうのは後藤さんか古田さんにお願いしまーす」
そう答える藤澤は温めた牛乳にココアの粉を溶かしている。斎藤は身体を横に回してうつ伏せになる。
「響也君のことは百歩譲って良いとして、私が待機になったのは何でですか。もしかして、また後藤さんが根回しを……」
「違いますよー」
湯気の立つ二つのマグカップを持つと、応接間のテーブルの上に置く。
「全員を各所へ配置して、何かあった時に動ける人が居ないと困るじゃないですかー。待機も立派な仕事です」
すみれは不満そうに頬を膨らませると、起き上がってマグカップに手を伸ばす。
「それと、逢沢さんのことですけど」
藤澤は息を吹いて冷ませたココアを一口飲む。
「古田さんのいつもの冗談が三割です。ギャップが面白いとかどうとか。能力省の総意、というより後藤さんの考えですけど、なるべく彼を戦わせないっていうのが残りの七割です」
「戦わせない?」
「自傷前提の攻撃、負傷時のみ使える技、どれもかなりの痛みを伴うものです。常人なら身体より先に心が壊れますよ、あの能力は」
「それじゃ、響也君は……!」
「あ、いや、あの人は常人じゃないので大丈夫です」
もう一口ココアを飲んだ後、藤沢はカップを持つ手と反対の手の先で頭をトントンと叩く。
「元ヤンだからなのか、頭の大事なネジが外れてるんですよねー、あの人」
◇ ◇ ◇
東京大劇場16階。壁に飾られた絵画は前を通りかかる人の視線を幾度となく奪ってきた。そんな絵画から離れた場所、廊下の先から物音が聞こえてくる。音はだんだんと大きくなり、一段と音が大きくなった次の瞬間、黒い影が絵画の目の前を通り過ぎ、複数の爪痕が絵画を切り裂いた。
両足で着地した逢沢は踏ん張った両足のばねを使って凪に飛び掛かると、猛スピードで拳を叩き込む。巻き起こった風で横に回り込むように回避した凪が振り切った刀は、全身を下に沈め込んだ逢沢の頭上を掠め、壁に掛かった絵画ごと壁に一筋の傷を刻み込む。逢沢は両掌で床を捉えると、凪の顔面に向かって卍蹴りを放つ。凪は刀と腕で受け止めるが、勢いに押され壁に叩き付けられる。砕けた刃が宙を舞う。
(躰道か……!)
凪は逢沢の追撃をギリギリで躱す。回転の勢いが乗った拳は壁に亀裂を入れて窪みを作る。凪はすかさず刀を構え振り下ろすが、それよりも素早く放たれた逢沢の蹴りが凪の腹部を捉える。吹き飛ばされた凪は垂直に後ろ回りし、何事もなかったように着地する。
(風で勢い殺しやがった!でも、彼奴の能力は良く分かった)
逢沢は体勢を整えて呼吸を整える。
(俺のこと、自分に似た能力者って言ってた。てことは、身体強化はお互いデフォで、あいつの能力の本質は“風を発生させて操る”こと。あの刀は大方、全身の装甲の延長ってとこか。小細工は無いタイプだろ)
凪は右手を前に突き出して構えると、パキパキと音を立てながら刀が再び現れる。
「刀がそんなに脆いのは、すぐ直るせいか?」
「減らない口ですね。普通、獲物持ちに対して素手で挑みますか」
「そっちの普通を押し付けんなや。俺にとっちゃ、身体が俺の獲物だ」
「……聞いた私が馬鹿でした」
(急変した口調と態度、一体何なんだ此奴は……)
両者はその場でじっと睨み合う。足が床を擦り、逢沢の拳に灰のような粒子が集まり、凪の刀が静かに空を撫でる。不気味なほど静まり返った廊下に、壁にぶら下がっていたボロボロの絵画が床に落ちる音が響く。
次の瞬間には、両者は互いに向かって飛び出し、拳と刀が激しくぶつかり、火花を散らす。連続で打ち出される拳と絶え間無く振り下ろされる刀が正面から衝突し、壁や天井に次々とヒビや傷が入っていく。その内の逢沢の一撃が凪の刀を打ち返し、凪の体勢を崩す。
「なにっ……」
後ろに下がろうとする凪の片足を、逢沢が力強く踏みつける。
「まだまだぁ!」
逢沢は一発一発、重い拳を素早く凪に叩き付ける。怯んだ凪の襟首を捕まえると、乱暴に壁に叩き付ける。拳を構えた腕の装甲の筋が赤く光る。間髪入れずに叩き込まれた一撃は凪に直撃し、轟音と共に壁を突き破る。瓦礫が崩れ、細かい破片が煙となって立ち込める。
床に倒れ込んだ凪の口元を覆っていたマスクは砕け散り、血を吐き出しながら咳き込む。
「なんて奴……!」
煙の中から逢沢が瓦礫を押し退けながら出てくる。赤く光る眼は凪の姿を捉え続けている。逢沢は手に持っていた刀を両手でつかむと、膝で蹴り砕く。両手の刀を握りつぶすと、破片がカラカラと足元に落ちる。
「まだ立てんだろ」
「……ッ」
「ほら、立てよ」
逢沢は両足を広げ、構える。
「立ち上がったと同時にぶっ殺してやる」
凪は再生した刀を床に突き立てて片膝をつく。砕けたマスクも徐々に元通りになる。荒くなった呼吸を整えながら口を開く。
「正直、甘く見ていました。まさか此処までやられるとは思ってもいなかった」
「何だ?言い訳か?」
逢沢がそう言うと、凪は突き立てていた刀を引き抜き、右手に構える。
「―――”疾風怒濤”」
すると、凪の口元を覆っているマスクが音を立てながら広がっていき、顔全体を覆い尽くす。鮫の頭に似た仮面のV字の目が青い光を放つ。凪の左手にはもう一振りの刀が姿を現し、逆手に握られる。凪を中心として風が巻き起こる。風は細かい瓦礫を巻き上げる。
(何だ?気配が……!)
逢沢が一歩後退した、次の瞬間。
凪が振り下ろした刀が眼前に迫る。逢沢が意識を装甲に向け、灰のような粒子が両腕と胴体に収束する。
風による加速で放たれた一閃は、後ろの壁や床を豆腐のように切り捨て、刀の纏っていた風は壁を粉々にし、直撃した逢沢ごと吹き飛ばす。床が粉々に崩れ落ち、大きく空いた穴に落ちる逢沢と凪の身体が空中で重なり、刀は逢沢の両腕と鬩ぎ会い、キリキリと音を立てる。刀が纏った強風が吹き荒れ、床を削りながら下へ下へと落ちていく。
逢沢が力の限り刀を押し返し、凪を蹴り飛ばす。その勢いで床に落ちた逢沢は直ぐに立ち上がる。だが一瞬にして背後に現れた凪の斬撃をギリギリで躱す。次々と振り下ろされる斬撃は周囲を切り裂きながら逢沢へ迫り、次々と逢沢の身体に傷を作っていく。
(さっきより全然スピードが違う!生み出した風で加速してるんだ!こっちがタイミングミスれば死ぬ!)
逢沢が後ろに飛んで距離を取ろうとするが、一瞬で凪に距離を詰められる。
(でも、速いだけだ!こんだけ食らってれば―――!)
横に振り切られた斬撃が逢沢の顔を捉えた瞬間、凪が一瞬動きを止める。逢沢のマスクが牙の様に刀を噛み込んで抑え、もう一振りの刀を膝と肘で挟んで抑える。
(眼も慣れるってもんだ!)
凪が力を入れても、刀はびくとも動かない。
(此れでも追いついてくるのか)
逢沢はマスクの牙と刀を挟んだ膝と肘に力を籠めて刀を破壊すると、赤い光を放った拳を打ち出す。拳は空を切り、下から伸びた凪の手が逢沢の胸倉を掴み、風と共に逢沢を放り投げる。逢沢は壁に叩き付けられる前に体勢を直し、両足で壁を捉えてから着地する。マスクに挟まった刃を吐き捨てると、すぐに飛び出し凪の周囲を走り回る。
(やっぱり小細工は無い。このまま距離を取りながらヒットアウェイに徹する!)
凪の両手に再び刀が握られると、ゆっくりと二振りの刀を揃えて構える。一瞬風が吹き止むと、二振りの刀に吸い込まれるように風が再び吹き始める。逢沢は瓦礫の陰に飛び込むと、その瓦礫を凪に向けて蹴り飛ばす。吹き飛ばした瓦礫と別の方向から逢沢が突撃する。
「”疾風怒濤”―――」
風が竜巻の様に勢いを増し、床一面に散らばった刃の破片を巻き上げる。凪は刀を大きく振りかぶる。
「”荒削り”ッ!」
凪が振り切った刀の纏った竜巻が周囲のあらゆるものを巻き込み、一瞬で粉々に砕いていく。轟音が鳴り響き、階全体が粉塵で覆い尽くされる。
視界が晴れると、跡形もなくなった部屋の真ん中で佇んだ凪がふらつく。顔を覆っていた仮面と片方の刀が崩れ落ちる。口元のマスクを掴んで下げると、ジャケットの内側から取り出した携帯酸素缶の吸引口を咥え、一気に酸素を吸い込む。
「……やっぱり、最高出力の長時間の使用は身体に毒だな」
空になった携帯酸素缶を捨てると、見晴らしの良くなった周囲を見回す。
「さて、すばるの援護に向かいますか。必要ないとは思いますが、念には念を……」
そう呟きながら歩き始めると、何かを踏んだことに気付いて視線を落とす。足をどかすと、空になった輸血パックが床に落ちている。
「輸血パック?何故劇場にこんなものが……?」
次の瞬間、床に倒れた瓦礫が勢いよく打ち上げられ、凪に向かって飛んでいく。凪はとっさに振り返り、刀で瓦礫を切り捨てる。
「慢心癖のあるお前に良い言葉を教えてやるよ」
瓦礫の影から逢沢が姿を現す。切り落とされた右腕の切断面が拡張した装甲によって止血されている。
「油断大敵。馬鹿はお前の方だったな」
逢沢はそう言うと、さらに言葉を続ける。
「さっきの一撃、確かにやばかったけど、なーんか雑な感じがしたんだよなぁ。本当はもっと準備してから使うやつなような……」
すると、逢沢がにやりと笑う。
「さてはお前、焦ったろ?」
「……本当に嫌な奴」
凪が降ろしていたマスクを戻すと、マスクは顔にぴたりとくっつく。
「仮にそうだとして、片腕を失った今どうやって私に勝つつもりですか?」
「強がんなよ。疲れてんだろ?」
お互いに構えて睨み合う。だが、着実に追い詰められているのは凪ではなく、逢沢の方だった。
―――逢沢響也にとって腕を失うことは、敗北を意味する。
◇ ◇ ◇
11時48分。
都内に聳え立つ高層ビル群は、窓ガラスに太陽光が反射し、地位、権力を見せつけるように光り輝いている。上層階から見える景色は、血で濡れた窓ガラス越しでも色褪せることはない。
倒れた家具と散らばる死体で乱雑になった部屋は、数秒前までの惨劇の後だった。部屋の真ん中で佇む影山は、足元に転がった死体を見下ろしている。
壁に掛かった時計は今にも落ちそうだが、それでも正確に針を進めている。部屋の片隅の椅子に座った男性が時計を見ると、影山の方を向く。
「死んだか?」
影山は下を見つめたまま口を開く。
「あぁ」
「じゃ、俺達もそろそろ行くか」
男性―――北作虎徹はそう言うと立ち上がる。
「啓介は博物館だったよな。少し距離があるが、12時迄に間に合うか?」
「時間通りに動く必要はない。俺達は狼煙だ。多少のズレが生じたところで、何も問題無い」
影山の足元の死体から流れる血が広がっていく。
「狼煙、か。俺は仲間が心配だから、先に向かわせてもらうよ」
そう言って北作は部屋を出ていく。
「仲間か……」
影山は静かに呟く。
「俺には贅沢だな」
◇ ◇ ◇
12時18分。東京大劇場11階。
ボロボロになった劇場内で、逢沢は凪の後方の床に転がる切り落とされた右腕を見つめている。
(片腕飛んで、奥の手も使っちまった以上、いよいよ保険に頼るしかなくなったな)
逢沢が左腕を前に構える。
(でも向こうもそろそろ限界近いだろうし、さっきの猛攻はもうしてこない筈。さっきの攻撃もあるし、これ以上刀を折りにいくのは無しだな。俺が勝つために必要なのは、保険を使った一撃で確実に落とすこと。チャンスは……一回)
凪が刀を構えて飛び出す。振り下ろされた刀を躱しながら、逢沢は拳を打ち出して反撃する。
「随分と動きが鈍くなりましたね!」
凪は刀の頭で逢沢の溝内を殴る。怯んだ逢沢の首を掴み、逆手に持ち直した刀を振り下ろす。逢沢は凪の腕を咄嗟に捕まえ、刀の切先が逢沢の胸部の装甲に深く刺さる前に凪を蹴り飛ばす。
凪は転がりながら受け身を取り、刀を構え直す。逢沢はその場で拳を構えたまま動かない。
(追撃してこない。何か企んでいるな。一度様子を窺うべきか)
そうして凪が動きを止めると、逢沢が口を開く。
「どうした?まさか、自分より手負いの奴相手にビビってんじゃねぇだろうな」
「……普段ならそんな安い挑発には乗りませんが……良いでしょう。その遺言に乗ってあげます」
すると、凪の顔を再び仮面が覆い、一振りの刀を腰に構える。凪の足元に風が巻き起こる。逢沢の両足の装甲の筋が赤く光る。
凪が風の勢いに乗って飛び出す。それと同時に逢沢も高速で飛び出す。互いがすぐ目の前まで迫り、凪が刀を振り下ろそうとその時、在り得ない位置からの一撃が凪の背中に直撃する。凪の眼が背後を捉えると、切り落とされた逢沢の右腕の拳が凪の背中に叩き付けられていた。
逢沢にとって腕を失うことは、敗北を意味する。何故なら、あらかじめ用意されていた保険に頼る必要が出てきてしまうからである。
ただし、保険はあくまで保険。それが必ずしも勝利に繋がるわけではない。一度チャンスを逃せば同じ相手に二度同じ手は通用せず、逢沢が敗北する確率が九割九分に引き上げられる。
まさに―――諸刃の剣。
(切り落とした腕が……!?)
何が起こったか理解できていない凪の動きが一瞬止まる。その瞬間を逢沢は逃さなかった。
「”諸刃之剣”―――”ブラッディ・フィスト”!」
右腕があった場所を起点に、肉体が螺旋を描く。ねじ切れるような筋肉の悲鳴を推進力に変え、赤く輝く唯一の拳を弾丸として撃ち出した。爆発的な威力の拳は凪の胴体を直撃する。次の瞬間、吹き飛ばされた凪は壁に大きな穴を空けた。差し込んだ日差しが粉塵を照らす。
逢沢は足元に転がった右腕を拾い上げる。
「油断大敵っつったろ。こちとら両利きなんだよ」
逢沢が深く息を吐き出すと、ふらついた足で倒れないように踏ん張る。
「早く戻って、藤澤先生に治療してもらわないと。そういえば、鬼灯組の人は大丈夫なんかな……?」
「無事だな。どちらかと言えば」
急に背後から声がする。慌てて振り向くと、瓦礫の奥から大柄の男性が姿を現す。その腕の中では、傷だらけになった佐藤が気を失っている。
「誰だお前」
逢沢が警戒しながら問い掛ける。男性は立ち止まると、落ち着いた口調で答える。
「北作虎徹。君の敵だ」
◇ ◇ ◇
逢沢響也。能力名『諸刃之剣』
詳細不明。
右京凪。能力名『疾風怒濤』
風を自由自在に操る。体内の酸素を消費して生成した刀は横からの衝撃で簡単に割れるが、すぐに再生する。通常時に生成できる刀は一振りまでだが、フルフェイス状態に入ると二振りまで生成できるようになる。長時間最高出力で居ると、その分体内の酸素を大量に消費し、思考力が低下する。




