第11話「蔓延する疑念の煙」
警視庁本部庁舎。公安傘下能力特殊部隊「鬼灯組」の看板が掛けられた部屋の中、窓辺の椅子に座った霧崎は、手に持った資料に真剣な眼差しを向けていた。その様子を雀卓の陰から窺う三つの人影があった。
「どうしたんだろうね?零ちゃん、いつにもなく真剣な雰囲気を出してる」
雀卓に両手をひっかけて顔を覗かせた佐藤がそう言うと、同じ姿勢で佐藤の横から顔を覗かせた結月が首を傾ける。
「そう?いつもあんな感じで不愛想じゃない?」
二人の後ろに立っていた西宮が顎に指を当てて口を開く。
「いや、あれはいつにもまして無愛想ってるよ」
「やっぱり無愛想ってるのか」
「無愛想ってるんか。……無愛想ってるってなんスカ?」
「不愛想の比較級だよ」
「ほへぇ」
三人がひそひそと話していると、イライラし始めていた霧崎が我慢しきれずに口を開く。
「聞こえてますよ。最初から全部」
結月はすっと立ち上がると、雀卓に置いていた餡パンを一口頬張る。
「だったら私達が聞きたいこと、分かるよね?」
「……この間の一件で、引っかかることがあって」
霧崎が溜め息交じりに言葉を続ける
「ラプラスの狙いはほぼ間違いなくパンドラの箱で確定です。実際、マグニウェルが襲撃した金庫にはパンドラの箱に関するデータが保管されていた筈です。それなのに、奴は逃亡する前に此方にメモリを簡単に返した」
「さっきから睨んでいたその紙は?」
「そのメモリ内のデータについてです」
そう言うと、霧崎は資料を西宮に手渡す。西宮の両脇から佐藤と結月が資料を覗き込む。
「何も書いてない……」
「メモリの中身は空っぽでした。もしかしたらマグニウェルは、最初から中身を知っていたのかもしれません」
「だとしたら、何でわざわざ金庫を襲撃するなんてことしたんだろうね?」
「でも、メモリがすり替えられた痕跡はありませんでした。まさか、あの場で中身を一瞬で抜き出したとでも言いたいんですか?」
「その可能性は……いや、あるな」
西宮は顎に指を当てながらそう言うと、霧崎が眉を顰める。
「上からの情報で、ラプラスに新人が入ったっぽいんだよね。確か、凄腕のハッカーだとか」
「……ハッカー?」
「うん。実際ラプラスに潜入していたスパイがバレて始末されたし、そのスパイが手に入れていた情報が全部暗号化されてたって」
「それ、いつの情報ですか?」
「え~と確か……数週間前とか」
「……」
霧崎は両手をぎゅっと握りしめ、静かに西宮に近づいていく。
「に~し~み~や~さぁ~ん」
結月が何かを感じ取ったように肩を震わせると、素早い動きで佐藤を抱えて西宮から離れる。西宮の目の前に着いた霧崎は鋭い視線を西宮に向ける。
「何でそんな大事なことをすぐに言わなかったんですか!?腐っても此処の隊長なんですから、自覚を持ってください!報告!連絡!相談!報連相を!ちゃんとしてください!」
「ごめん!言ったつもりになって忘れてた」
西宮が両手を合わせて謝る。霧崎は小さく舌打ちをすると、すぐに真剣な顔をして考え始める。
「だとしたら、奴らはもうパンドラの箱の情報を……」
◇ ◇ ◇
能力省事務所。ビジネスチェアに跨がって座った斎藤は背凭れに凭れ掛かったまま、応接間での後藤と萩原のやり取りをぼんやり眺めていた。
「いやぁ、この間の幽霊工場の件、ほんっとにありがとな!記事にして出したらいい感じにバズってさぁ。購読率ももう、この、ぐん!って上がっちゃって。特にあの親子への取材!あれがデカかったよ」
萩原がそう言うと、後藤は呆れた様子で口を開く。
「相変わらずのノンデリだな」
「なぁに言ってんだよ!売れる情報しか表に出さない、情報操作当たり前の世のメディアよかずっと良いだろ。いいか?俺は真実を明らかにしようとする、真のジャーナリズムをここに宿してるんだよ」
「はぁ……」
「あ、納得いってねぇな?ったく……。まぁいいや。それより此れ、依頼料の後払い分」
そう言うと萩原は鞄の中から茶封筒を取り出してテーブルに置く。後藤は茶封筒を手に取ると、封を開いて中身を確認する。
「フリーのライターも稼げるんだな」
「今回は特ダネだったからな。いつもこれくらい売れりゃあ良いんだけど、そうもいかないのよねぇ」
萩原はふと視線を上げると、斎藤の方をちらっと見てから身体を乗り出して小声で話す。
「そういやあの子、どうかしたの?」
「まぁ、色々あってな」
「色々って何よ」
「色々は色々だ」
「いやだからその色々って何なのよ」
二人がひそひそと言い合っているのを他所に、斎藤はあの出来事を思い出していた。
「話してもらうぞ。お前達の目的と、何を企んでいるのかを」
霧崎が拳銃をマグニウェルに向けたまま口を開く。
「目的なんてそんな大したものじゃない。あえて言うなら……あんたらを表舞台に引っ張り出すことかな」
「なんだと?」
「俺達は近いうち、持てる全ての手を投じて大きく出る。当然、死神も動く」
「……ラプラスはパンドラの箱を手に入れて何するつもりなんだろう? USBだって簡単に返してきたし、要らなかったのかな……」
斎藤はぼそぼそと呟くと、唸りながらくるくると回る。その様子を見ていた後藤と萩原は互いに顔を見合わせる。
「だいぶ……重症そうだな」
「だな。……斎藤、暇なら買い出しに行ってきてくれないか」
それを聞いた斎藤は回っていた椅子を足で止める。
「買い出しですか?」
「珈琲豆、そろそろ切れそうだろ。予備と一緒に買ってきてくれ」
「むぅ~……分かりました」
斎藤は器用に足を回して椅子から降りると、デスクの上から財布を取り、ポケットに入れる。斎藤がそのまま事務所を出ていくと、萩原はニヤニヤしながら荷物を纏め始める。
「素直じゃないねぇ、卓も」
「うるさい。お前も、用が済んだならさっさと帰れ」
「なんだよ冷てぇなぁ。ま、いいけどさ」
萩原は鞄を持って立ち上がると、テーブルに置かれていた珈琲を一気に飲み干す。空になった紙コップをテーブルに置く。
「じゃ、またなんかあったら頼むよ。お前も、俺に頼みたいこととかあったら、遠慮なく言えよ」
「そうだな。その時が来ればだが」
萩原が不満そうな顔をするが、何も言わず手をひらりを振りながらその場を後にする。後藤は立ち上がると自分のデスクに向かい、茶封筒を放り捨てるようにデスクの上に置く。すると、古田はパソコンの画面を消し、目頭をつまんで抑えると、デスク脇に置いてあるラムネを口に運ぶ。
「どうした。急ぎの用か?」
「え?あぁいや、ちょっとね」
古田がにこやかにそう言うが、目の下にはうっすら隈が浮かんでいる。後藤が古田のデスクに視線を向けると、空になったラムネの容器が複数転がっている。古田が疲労を誤魔化す為にラムネを大量に消費することを、後藤はすでに知っていることだった。
「……そうか」
そう言うと、後藤はデスクから離れる。古田が安心したように肩を撫で下ろすと、小さく欠伸をする。すると、デスクに戻ってきた後藤は、手に持ったものを古田のデスクに置く。
「無理だけはするな。身体は資本と言うだろ」
古田は、デスクに置かれた缶のトマトジュースを見ると、思わずふっと笑う。
「ありがとう。やっぱり似てるよね、―――工藤さんに」
「……気のせいだ」
後藤は複雑そうな顔をする。古田はそんな後藤の様子を見て笑うと、すぐにその表情を曇らせる。
「ねぇ、今の工藤さんは、私達の知ってる工藤さんなのかな?それとも……」
「あいつは……」
後藤は言葉を詰まらせる。だがすぐに口を開いた。
「あいつは変わっていない。あれがあいつの本質だ。今も……昔もな」
「本当にそう思ってるの?」
「……」
「出勤停止食らったあの件で、工藤さんと会ったんだ。そのときに戦って……でも、手加減されてた気がする。攻撃だって全部急所を外れてた。それにすみれちゃんの話だと、工藤さんがすみれちゃんを守ってくれた。だからきっと……」
「古田……」
後藤は驚いた様子で古田を見つめる。
「そういえばお前、まだ出勤停止期間だろ」
「そこぉ!?タイムカード切ってないから大丈夫だって!ねぇ今の私のかっこいいセリフ無視しないでよぉ」
「自分で言うか、普通……」
呆れた様子で頭の後ろを掻くと、考え込むように視線を落とす。
「だが……今のあいつが何者であったとしても―――」
後藤の遠くを見つめると、静かに口を開く。
「必ず俺が終わらせる」
その眼には、揺るぎない覚悟が宿っていた。
◇ ◇ ◇
ビルの屋上で一人、風に吹かれながら町を見下ろす影山の姿があった。羽織った外套がひらひらと靡いている。その脇に置かれた小さなラジオからは、ノイズ交じりにニュースが流れている。
「“次のニュースです。先日、都内で政府が管理していた金庫が襲撃されるという事件がありました。犯行は輪島淳平容疑者とマグニウェルと名乗る人物によるもので、輪島淳平容疑者については、現場で死亡が確認されました。マグニウェルと名乗る人物の行方は未だ掴めておらず、今回の事件について警察は、能力犯罪組織ラプラスによる犯行だとして、引き続き調査を行っていくことを明らかにしました。―――”」
「政府はいつまで傍観者でいられるかな」
ラジオの電源を切る。影山が振り返ると、鎧を纏ったマグニウェルがどこからか姿を現した。
「マグニウェル。何故名前を明かした?」
「マグニウェルっていうのは本名じゃないから大丈夫だよ。それに、此れも計画の内だ」
「どういうことだ」
マグニウェルはゆっくりと歩き始め、言葉を続ける。
「俺の名前を向こうに伝えれば、それは警察の耳に届く。それに、あのときそこそこ派手に戦ったお陰で民間人に今回の騒動を察知させられたのを合わせれば、奴らは情報を公開せざるを得ない状況に追い込まれる。そうすれば、ラプラスが動き出したことが公に知れ渡り、能力省も鬼灯組も本格的に動き始める必要が出てくる。そうでもしなけりゃ、世間からの信用に関わるからな」
マグニウェルは屋上の縁で立ち止まると、町を見下ろす。
「此処からは俺達も大きく出る必要がある。その為にも、例のデータが必要なんだが……」
「それなら解析中だ」
「なるべく早く頼むよ。鍵が手に入った今、残るは現物だけだからな」
そう言うと、マグニウェルの身体は煙のように消えていった。影山はマグニウェルが居た場所をじっと見つめる。
「マグニウェル、一体何を企んでいる……?」
そのとき、ポケットの中でスマホが振動する。取り出して画面を操作し、耳元に当てる。
「どうした?」
『あ、影山。例のデータの解析が終わったって中嶋が騒いでるから―――はぁ!?別に騒いでないし!変なこと言わないでくれる!?―――ちょ、うるせぇよ!耳元で叫ぶな!』
電話越しにギャーギャーと聞こえる賑やかな声に影山は呆れたように溜め息をつく。
『あー影山、そういう訳だからなる早で頼むわ。―――影山さん!お宝情報ですから期待しててください!―――だからでけぇ声出してんじゃねぇよ!―――ブツッ』
影山が返事をせずに電話を切ると、傍らのラジオを拾い上げ、そのまま屋上を後にした。
◇ ◇ ◇
影山がいつもの部屋に着くと、テーブルについてオレンジジュースを飲んでいた中嶋が目を輝かせて飛び上がる。
「遅いですよ、影山さん!」
「急いで来た方だ」
影山がテーブルに着くと、給湯室から出てきた一ノ瀬が珈琲を影山の前に置く。
「海斗はどうした?」
影山が部屋を見回すと、一ノ瀬が苦笑いをしながらソファを指さす。
「あそこで休んでます。さっきまで中嶋さんと取っ組み合いしてましたから」
影山はソファで伸びきっている宝条をちらっと見ると、気にせずに話し始める。
「それで、データの解析はどうだった?」
「あ、そうですよ!此れ見てください、此れ!」
中嶋は興奮気味にそう言うと、パソコンを影山の方に向ける。画面いっぱいに開かれていたのは、一つの報告書だった。
「中身は言われていた通り、あるノアに関する研究の報告書でした!そのノアというのが!」
「パンドラの箱か」
影山はパソコンを手前に引っ張って近づけると、素早く内容を読み始めた。
“能力保有物質03号「パンドラの箱」実験報告書1
日本国が3番目に確保・保有した能力保有物質は、能力保有物質06号による計測を行ったところ、大きさ約130mm×約170mm×約100mmの箱状の物体と、鍵の2つの構成要素からなることが分かった。合わせて、膨大なエネルギーが内部に含まれていることも確認した(この計測後、能力保有物質06号は負荷に耐え切れずに崩壊した)。研究チームはこの能力保有物質03号を「パンドラの箱」と名付け、厳重な監視下の元で保護・研究を行った。
保護当初は対象の容体は安定しており、会話による意思疎通も不自由なく行えた。しかし、精神的に衰弱している兆候が見られたため、カウンセリングの導入を検討中である。”
“能力保有物質03号「パンドラの箱」実験報告書2
レントゲン検査を行ったところ、機器が正常に動作しなかった。恐らく、03号の内部にあるエネルギーが機器に異常をきたしていると考えられる。しかし、対象は依然として03号の影響を受けていない様子である。
対象に対する肉体的接触を行った場合に、接触を行った者に対して変化があるかを確かめる実験を行った。実験は―――に行わせた(以降被験者Aと記述する)。被験者Aは対象と軽く握手を交わしたところ、03号の影響を受けた様子は見受けられなかった。その後それ以外のスキンシップをいくつか交わしたが、被験者Aは正常であった。肉体的接触実験の後に簡単なアンケートを行ったが、精神にも異常は発見されなかった。このことから、03号に直接干渉する行為を行った場合に限り、その影響を受けるという結論に至った。”
“能力保有物質03号「パンドラの箱」実験報告書3
―――――――――――――――――――(文字化けしていて解読不可)”
「……」
一通り読み終わった影山は、何も言わずに黙り込んでしまう。横から覗き込んでいた一ノ瀬は言葉を詰まらせながらも口を開く。
「先輩、此れって……」
「凄いですよね!?表向きには出ていない国家機密の情報ですよ?」
中嶋が誇らしそうに鼻を鳴らすと、いつの間にかソファで起き上がっていた宝条が口を挟む。
「お前さっき読んどいてまだ分かってねぇのか」
「え?何が?」
振り返って首を傾げる中嶋に、宝条が言葉を続ける。
「その報告書によれば、俺らが狙ってるパンドラの箱は―――人間の中にあるってことだ」
「え!?人間!?」
「マジで気付いてなかったのかよ……」
「海斗の言うとおりだ。この報告書、保護といい肉体といい、物に対する実験結果というよりは、人間の観察記録と捉えられる」
「……あの、先輩」
すると一ノ瀬は静かに口を開く。
「以前、先輩達が持ち帰ってきたデータがあったじゃないですか。先輩が、初めてその、能力省の新人さんに会った日のことです」
「覚えているが、それがどうした?」
「そのデータにあった情報だと、パンドラの箱は一度、研究の一環で開かれています。中嶋さんの解析した報告書の最後、此れがあのデータに繋がるんじゃないかと思って……」
「だったら、パンドラの箱はその人間の身体から取り出されたってことになんのか?」
宝条がそう言うと、帽子に息を吹きかけて被り直す。
「それは分からないですが、もしそうだとしたら行方を追いようがないんじゃ……」
「……それは無い筈だ。同じノアでさえも破壊する力を持つパンドラの箱が、そう簡単に取り出せるはずがない」
影山は報告書を睨み直す。
「恐らく、パンドラの箱は今もこの人間の身体の中にある。そして、パンドラの箱を手に入れる鍵は……すでに手に入れている」
テーブルの上にできた影山の手の影が霧のように揺れると、中から一つの小さな鍵が現れる。
「あとはその人間を見つけて、鍵を使うだけだ」
鍵が再び影の中に沈んでいくと、影山はパソコンからUSBメモリを外して立ち上がる。
「どこ行くんだ?」
「こいつをマグニウェルに渡してくる。手に入れた本人である以上、中身を知る権利がある」
すると、中嶋が首を傾げて宝条の顔を見る。
「さっきから言ってる、その、まぐにうぇるは誰なんですか?」
「お前は知らなくていいよ」
「なんでよ!教えてくれてもいいじゃん!」
「……マグニウェルはラプラスの特殊諜報員だ」
宝条の代わりに影山が答える。
「ほとんどの構成員は幹部を通してボスから指令を受け取るが、マグニウェルは幹部とは別に、ボスから直接命令を受け取っている。そのせいか、誰も奴の顔を見たことがない」
「つまり、裏でこそこそ動いて仕事してる人ってこと?」
「その解釈は間違ってはいない。今までの奴に当てはまっている」
「今までって、今は違うんですか?」
「このデータを手に入れる一件で、奴は自身の名前を公にした。これまでの奴のやり方と大きく異なっている」
影山がそう言うと、宝条はソファから勢いをつけて立ち上がり、影山の目の前で立ち止まる。
「だったら、こいつは渡さない方がいいんじゃないのか?」
そう言って宝条はUSBメモリを持つ影山の腕を掴み上げる。
「言ったはずだ。このデータを手に入れたのはマグニウェルで、奴には中身を知る権利がある」
「権利とかそういう話じゃねぇだろ。あいつには絶対裏がある。信用するのはヤバだって言ってんだよ」
影山は静かにもう片方の手で宝条の腕を掴んで離させる
「……行ってくる」
そう短く答えると、足早に部屋を後にした。
◇ ◇ ◇
「珈琲豆と紙コップ、トマトジュース、お菓子、カップ麺、チン米……買い忘れは~多分ない~多分~」
レジ袋をぶら提げ、大股に歩く斎藤が小さな声で口遊む。その頭の中はまだもやもやが回っているのだった。
「……そもそも何でラプラスはパンドラの箱が欲しいんだろう」
前に一回、ほんの数秒だけ開けてみるっていう実験をしたらしいんだけど、それだけで実験室の中がとんでもないことになったらしいよ。その実験で死者は出なかったらしいけど、その場にいた研究者が、一週間以内に自殺したって。
「箱を開けたらラプラスだって危ないだろうし、交渉材料に使うって言っても、そのためにわざわざここまでするか?他に目的があるとしたら……」
あえて言うなら……あんたらを表舞台に引っ張り出すことかな。
「……あっ」
不意に斎藤は足を止める。目の前には能力省の署長である髙橋が立っていた。
「お疲れ様です。署長」
斎藤が少し緊張しながら挨拶をする。
「えーと、何されていたんですか?」
「君が此処を通ると思い、散歩のついでに寄っただけです」
斎藤の問いに、髙橋は落ち着いた口調で答える。反応に困っている斎藤を気にしていないかのように言葉を続ける。
「君にお願いしたいことがあります。港の方で不審な人物の目撃情報がありました。特徴からして、ラプラスの人物である可能性が高いです。これから逢沢にも伝えに行こうと思っていますが、君には先に向かってもらい、監視しておいてほしいんです。頼まれてくれますか?」
「まさか……」
「えぇ、死神もいるかもしれません」
すると、斎藤は手に持っていたレジ袋を髙橋に渡す。
「ごめんなさい!それ、お願いします!」
そう言うと、斎藤は全速力で走りだした。その背中を見送る髙橋はビニール袋を持ち直すと、静かに歩き出した。
◇ ◇ ◇
日が傾き始めた頃、コンテナで四方を囲まれた港の広場で、コンテナに腰を掛けた影山は静かに夕日を眺めていた。その間、その手に持ったUSBメモリを空中に放ってはキャッチするという動作を繰り返していた。すると、広場にマグニウェルが姿を現した。
「まさか一日に二回も会うことになるとはな」
そう言って笑ってみせるマグニウェルを横目に、影山はコンテナから飛び降り、マグニウェルに向かって歩いていく。互いに向かい合うと、影山は手に持ったUSBメモリを持ち上げる。
「中身の解析が終わったらしいな」
マグニウェルがUSBメモリに手を伸ばそうとすると、影山はUSBメモリを握りしめる。
「渡す前に、聞きたいことがある」
「なんだ?」
「今回の一件でのお前のやり方は、これまでとは異なっていた。秘密裏に動くようなお前が事を大きくしたがるのは理にかなっていない。一体何を企んでいる?」
「企むなんて大袈裟な。俺はただ、ボスの命令を遂行しているだけだよ」
マグニウェルはゆっくりと歩き始めながら、言葉を続ける。
「ボスからの命令はただ一つ。パンドラの箱を手に入れること、ただそれだけだ。此れを達成するための計画には、能力省や鬼灯組を巻き込む必要があった。だから今までのやり方から外れただけだ」
マグニウェルが立ち止まって振り返る。
「“パンドラの箱”……あれに秘められているエネルギーは極めて強大で、異常で、未知数だ。今後追い求めていく以上、道中で何が起こってもおかしくない。俺達だけで対応しきれるとも限らない。だから、利用できるものはとことん利用した方が良い。どうだ、理にかなってるだろ?」
影山は黙り込んだままじっとマグニウェルを睨み続けていたが、やがてUSBメモリをマグニウェル向けて放り投げる。マグニウェルが片手でキャッチすると、満足そうにUSBメモリを見つめる。
「ありがとさん。……あ、そういえば例の鍵、ちゃんと持ってるよな?」
「それなら此処にある」
影山の影の中から骨の腕が伸びてくると、細い指で鍵をつまんでぶら提げてみせる。次の瞬間、コンテナの間を縫うように何かが高速で飛来し、影山の目の前を過ぎ去っていった。影山が視線で追うと、その先には空中を舞う斎藤の姿があった。その手には、鍵が握りしめられていた。
「またお前か……!」
影山の視線が一瞬で鋭くなる。足元の影からは黒い霧が勢いよく吹き出し、骨の腕が猛スピードで斎藤に向かっていく。斎藤は手をつきながら着地すると、そのままの勢いを維持しながら後ろに飛び上がり骨の腕を躱す。
斎藤が空中で体勢を整えようとしたそのとき、斎藤の頬を銃弾の軌道が掠める。マグニウェルは何処からか取り出した銃を斎藤に向けて、再び引き金を引く。斎藤は無理やり身体を仰け反らせ、ギリギリのところで銃弾を躱す。
地面に着地して距離を取る斎藤を見たマグニウェルは、銃を向けたまま静止する。
「手癖の悪い野良猫は、一体何処から迷い込んできたのやら」
「誰が猫だ、鎧野郎」
斎藤が距離を保ったまま影山の方に視線を送ると、地面に突き刺さった骨の腕が消える。
「話は全部聞かせてもらった。この鍵、特別なやつなんでしょ?大体、パンドラの箱を手に入れるために必要だとか」
「ほぉ、ご明察だな。だったら、その鍵をどうするつもりだ?」
「持って帰る。そうすれば、あんたらの目的は果たされないし、私達はパンドラの箱を守れる」
斎藤は鍵をポケットに突っ込むと、両手を軽く握り身体の前で構える。
「はは、それは困るな。ちゃんと返してもらわないと。よぉ、あいつの動きを止めてくれ。フィニッシュは―――俺がやる」
「……いいだろう」
影山はその場で片膝をついて屈むと、右手の掌を地面に押し当てる。マグニウェルは、またもや何処からか出した箱型の物体を足元に置くと、箱は上下に開き、その中で小さな結晶が浮遊し回り始める。
「“朧月”―――“剣山”」
影山の足元から黒い霧が辺り一面の地面を覆い尽くす。霧が斎藤の足に触れた瞬間、霧の中から湾曲した無数の鋭い骨が一斉に飛び出す。斎藤は素早く反応して次々と攻撃を躱していく。走って攻撃を躱しながら、斎藤は影山とマグニウェルを目で捉え続ける。マグニウェルが水鉄砲のような見た目の銃を斎藤に向けて構えているのを見ると、斎藤は少し考えてから走るルートを変える。
マグニウェルが引き金を素早く引くと、銃弾が数発撃ち出される。斎藤は地面に落ちた廃材の鉄板を踏んで蹴り上げると、銃弾が廃材にぶつかって水のように弾け飛ぶ。
「やっぱり、水鉄砲のノア!」
斎藤は廃材を空中で掴むと、ブーメランのように回転をかけて、力一杯マグニウェルに向けて投げる。廃材は緩やかなカーブを描きながらマグニウェルの首元に向かって飛んでいく。マグニウェルは左腕で首を守る。廃材が左腕の装甲にぶつかり火花が散る。
廃材で遮られていたマグニウェルの視界が晴れると、目の前まで迫っていた斎藤の鋭い視線と目が合う。
斎藤がマグニウェルに向けて拳を振りかぶる。
斎藤の拳がマグニウェルに当たろうとした次の瞬間、斎藤の目の前からマグニウェルの姿が消える。斎藤が背後を確認すると、マグニウェルと影山の後ろ姿があった。
「な……」
斎藤が受け身を取ると、足元まで迫っていた霧から伸びた骨に身体を絡め取られる。
「俺を真っ先に狙ったのは、攻撃手段が不鮮明な俺を先に叩いておきたかったからだろ?」
マグニウェルが手に持った箱を閉じながら斎藤に近づいていく。
「距離の詰め方は悪くなかった……が、不測の事態も想定できて、ようやく3流だぞ」
マグニウェルの右足の装甲が膨れ上がり、複数のエンジンのマフラーが現れる。斎藤の目の前で立ち止まると、マグニウェルはゆっくりと構え、そのまま右足で蹴りを放つ。同時にマフラーから灰色に濁った煙が勢いよく噴き出し、斎藤の胸部に直撃した瞬間骨が消滅する。
斎藤の身体が吹き飛ばされ、地面に打ち付けられ転がっていく。
「ゴホッ、ゴホッ……」
斎藤の視界がぼやけ、掠れた声で咳き込む。吐血が地面のコンクリートを湿らせる。
マグニウェルの右足のマフラーが煙になって消える。
「あー、やっぱり隙が大きすぎるな」
「後は俺がやる。下がっていろ」
「いや駄目だ。お前がやると殺すだろ」
「……なら鍵だけ回収する」
一本の骨の腕が斎藤に向かって伸びていき、乱暴にその身体を掴む。そのまま影山の傍まで引き寄せると、影山は斎藤のポケットの中から鍵を取り出す。
「殺さないなら、こいつはどうするつもりだ?」
「適当に放置しておけばいい。いずれ利用価値が生まれる」
影山が斎藤を放り捨てようとした、そのときだった。二人の間で轟音と共に粉塵が巻き起こる。骨の腕が粉々に砕ける。
視界が晴れると、離れた場所に斎藤を抱き抱える人影があった。四肢には黒い防弾チョッキのような装甲を身に纏い、口元には狼の剥き出した牙を造形したようなマスクで覆われている。着ている服は装甲と一体化しているかのようだ。
「すみません、すみれさん。来るのが遅くなりました」
腕の中の斎藤を優しく見つめながらそう言う。
「響也君……?」
斎藤が息を切らせながら口を開く。逢沢が静かに斎藤を地面に降ろす。
「少し休んでいてください」
逢沢が赤く光る眼で影山達を睨みつける。
「後は僕が―――殺しておきますから」
◇ ◇ ◇
逢沢響也。能力名『????』
詳細不明。




