第10話「甘露な夢に溺れ逝く」
静まり返った倉庫の中、バイオリンを弾く人物が居た。胸元の蠍のエンブレムが天井付近の窓から射し込む月明かりに照らされる。あたりを柔らかく包み込む美しいバイオリンの音色は、突如乱暴に開かれた扉の雑音で遮られる。
鎧の人物はバイオリンの演奏を止めると、顔を横に向けて扉の前に立つ男を見る。
「お前、騙しやがったな……っ!」
男は息を切らせながら鎧の人物を睨みつける。
「なんのことだ?」
「とぼけんじゃねぇ!あの鍵を俺達が保管する代わりに、俺達に協力してくれるって話だっただろ!なのに……それなのに、マフィアが全員ぶっ殺しやがった!」
「鍵?……あぁ、その話か」
鎧の人物は傍の机にバイオリンを置く。
「お前のことは覚えてるぞ。えぇと、輪島……そうだ、輪島淳平!そうだろ?取引の内容もよーく覚えてるよ」
「そうだよ!それなのに……!」
「まぁそう怒るなって」
鎧の人物はバイオリンをケースにしまいながら話を続ける。
「他の連中がどうなったかは知らないが、お前を殺さないようにあいつに言ったのは俺だ。なんせ、お前には死なれたくなかったからな」
「何が言いてぇ……?」
「取引を守らなかったことは詫びるよ。けど、それもこれも、こうしてお前を此処まで来させるためだ」
「お前に頼みたいことがあるんだよ。勿論、断ってもらっても構わない。ただ……」
鎧の人物は机の上に置かれた紙のようなものを男に向かって投げる。投げられたそれは高速で真っ直ぐ男に向かっていき、男の胸部にぶつかると、男が呻き声を上げながら跪く。
「断る理由はない筈だ」
◇ ◇ ◇
東京都千代田区、警視庁本部庁舎。
学生服を着た少女が高い位置で結んだ髪を揺らしながら、慣れた足取りで正面玄関から中に入る。パスをかざしてセキュリティゲートをくぐると、エントランスを通り過ぎてエレベーターに向かう。すると、その少女に気が付いた警備員が小走りで駆け寄っていく。
「きみ、この先は関係者以外立ち入り禁止だよ」
少女が振り返ると、身分証を差し出す。それを見た警備員は慌てて頭を下げる。少女はそのままエレベーターに乗り込む。
エレベーターの到着音が鳴りドアが開く。少女は廊下を進んで行き、ある扉の前で立ち止まる。前髪を軽く整えてからドアノブを掴み、扉を開ける。
「お疲れ様です―――」
「ツモ!」
少女の声は元気な声にかき消される。部屋の真ん中に置かれた雀卓を三人の少女達が囲んでいた。全員同じ学生服を着ている。「ツモ」と叫んだ少女―――佐藤美琴は自慢げに鼻を鳴らす。
「ほらほら!ちゃんと役作れたよ!」
「いや、それ役できてないよ」
短髪の少女―――結月楓がメロンパンを頬張りながらそう言う。
「え、嘘!?」
「ほら、これで上がりたいなら、『三』って書いてあるやつじゃなくて『伍』ってやつにしないと」
「……あっ、本当だ!」
「因みに佐藤さんがこれ捨てるなら私ロンで上がれるよ」
「……甘いね、きみ達」
カーディガンを羽織った女性―――西宮天音が自分の前に並んだハイを倒す。
「な、四槓子!?いつの間に作ったんですか!」
「ん?結構前から」
「じゃあなんで上がんなかったんですか?」
「いやぁ、美琴っちゃんが頑張って役作ろうとしてるから眺めてた」
「すごいよ天音さん!」
「いやぁ、それほどでもあるね」
三人がきゃっきゃと話しているのを黙って聞いていた少女が徐々にイライラとし始める。肩から提げた鞄の中からファイルを取り出すと、無言で三人に近付く。
「私ももう少しで平和が作れそうで―――」
結月がうきうきとハイを見せようとすると、きれいに並べられた牌は少女の置いたファイルでぐちゃぐちゃになる。
「あー!!私の平和がぁ!なにすんのさ霧崎!」
「うるさい」
霧崎と呼ばれた少女―――霧崎零が冷ややかな視線を送る。
「いつから此処は雀荘になったんですか?ていうか、何処から引っ張ってきたんですか、これ」
「いいでしょー?電動雀卓。今朝届いてさ、此処まで運んでもらった」
「は?」
「ほら、この部屋って真ん中が寂しかったじゃん。だからこれ置こうって話になったの」
「……因みに、お金は?」
「経費から落としたけど」
「いくら使いました?」
「えーっと、8万くらい?」
「……」
霧崎は西宮をじっと見ながら沈黙する。少しして、霧崎は諦めたように溜め息をつく。
「これ、頼まれてた分の資料です。目を通しておいてください」
そう言って霧崎は雀卓に置いたファイルを西宮の前に移動させる。
「ありがと。それで、なにか分かったこととかある?」
「まぁ、ある程度は」
霧崎は鞄を雀卓の上に乗せる。
「一週間前、|樂満≪らくまん≫の事務所で軽い抗争が発生し、数人が死亡しました。そして先日、以前から目を付けていた犯罪グループが、その事務所と思われる場所で遺体として見つかりました。情報によると、どちらもマフィア、ラプラスによるものだと」
「樂満は確かヤクザだったよね。なんでラプラスはわざわざその事務所に行ったんだろうね?」
「恐らく、というより、十中八九ノアのリストでしょうね。経路は不明ですが、リストが盗まれた後、樂満に渡っていましたから。能力省からの報告書を見ても、そうだと考えられます。」
「んで後者はぁ……樂満よりも小さい組織だった筈だけど、そっちは理由とか分かった?」
「いえ、そっちの理由は分かりませんでした。連中がしていたのは集団詐欺がほとんどでしたから。ただ……一つ気になることがあって」
そう言うと、霧崎は鞄の中から写真を取り出す。
「両方の現場付近の監視カメラに映っていたものです」
写真に写っているのは、スクラップを固めたような鎧を着た人物だった。ピントがズレているせいか、胸元のエンブレムが怪しい光を纏っている。
「撮られた時間は、どちらも事件の起こる一時間前です」
「つまり……こいつが犯人ってこと?」
「いえ、現場の状況や能力省からの情報によると、実際に襲撃したのは“死神”で間違いないです」
「たまたま居合わせただけって可能性は?」
「そう思ったんですが、前に東京駅でノアによる事故が起きたときも、駅内の監視カメラに映っていました。偶然と考えるのは、少し無理があるかと」
「ん~……じゃあ、探してみるか」
西宮は写真を手に取ると、佐藤の方を見る。
「美琴っちゃん、一緒に来てくれる?」
「はい、行く行く!」
佐藤が前のめりに手を上げる。
「霧崎ちゃんは、このまま情報集めを続けてもらっても良い?」
「分かりました。何かあったら呼んでください。すぐに向かいます」
「……ん?私は?」
メロンパンを咥えながら牌を片付けていた結月がもごもごと話す。
「結月ちゃんは……此処で待機ね」
「えぇ~またですかぁ?」
「文句言わないの。きみの出番がないイコール平和ってことなんだから」
「むぅ……分かりました」
不満そうに頬を膨らませてそう言うと、結月はその場で立ち上がる。
「それじゃ、私は近くのラーメン屋に行ってきま~す」
「え!?ユズちゃんさっきお弁当食べてたじゃん!」
「別腹別腹~」
結月は少しふらつきながら扉に向かう。
「結月」
霧崎に呼び止められ、結月はドアノブを掴んだまま振り返る。
「ん?」
「―――……いや、なんでもない」
「?おん、分かった」
結月は不思議そうに首を傾げる。そのまま扉を開けて部屋から出ていく。霧崎は表情を曇らせる。
「どうかした?」
西宮がそう尋ねる。霧崎は黙り込み、少しして息を吐き出す。
「いえ、なんでもありません」
そう答えた霧崎は、無意識に両手を強く握りしめた。
◇ ◇ ◇
「―――で、結局どうだったんだ」
能力省事務所。椅子に座った後藤は自分の前で正座している斎藤と古田を見下ろしていた。
「事情聴取で色々聞かれて、何とか事情を理解してもらえました」
「一般人に向かって発砲の脅し使ったから、1週間出勤停止になりました」
「そうか、それなら……待て、発砲?」
「いやでもあれは上に撃ったし、怪我人出てないから実質空砲だし!」
「そういう問題じゃないだろ!よくまぁ出勤停止で済んだな……」
「えへへ」
「褒めてない。反省しろ」
「はぁい……」
古田はしゅんと頭を下げる。
「まぁ、無事だったんだからいいんじゃないですかー?」
そう言いながら藤澤がやってくる。両手にはお盆を持っていて、その上には大福が載せられていく。言葉を続けながら、大福を斎藤と古田の頭の上に載せていく。
「それに、死んでなければいくらでも直せますし。前と違って歩いて帰ってこられただけマシなんじゃ?」
「それは、そうかもしれないですが……」
「そんなんだと、いつまでたっても彼女できませんよ。……ただでさえ取り柄ないのに」
「ぐっは……!」
ぼそっと放たれた藤澤の一言にとどめを刺された後藤は項垂れる。
「あれ、動かなくなった」
「流石藤澤先生、言葉の切れ味が鋭い」
古田は大福を食べながらそう言う。斎藤は頭の上から大福を両手で降ろす。
「ま、そんなことはどうでもよくって。斎藤さんに仕事渡しに来ました」
後藤の頭の上にも大福を置くと、お盆をデスクの上に置く。
「え?私、ですか?」
「ほんとは古田さんに回るやつだったんですけど、なんか出勤停止になってるので。……はい、とりあえず此処に行ってください。多分逢沢さんが居ると思うので」
斎藤は藤澤から住所の書かれたメモ用紙を渡される。
「でもこれって、古田さんに回る予定だったんですよね?」
「そうですよー」
「つまり、そういうことですよね……?」
「ん?……あぁ、そういうことか。大丈夫ですよー」
藤澤はお盆の上から取った大福を頬張る。
「最悪死ななければ、どうとでもなりますから」
◇ ◇ ◇
都内の大通り。街灯の下でスマホを触っている女性が居た。道路を挟んだ反対側の建物の影から、その女性の様子を窺っている人影が二つあった。斎藤はサングラスを外すと、前に居る一人に声を掛ける。
「……ねぇ、なにこれ」
「何って、尾行ですよ」
「いやそうじゃなくて、こっちのこと」
「え?」
振り返ると、斎藤は素早くサングラスを取り上げる。サングラスを取られた逢沢は大声を出さないよう気を付けながら声を張る。
「あっ!何するんですか!」
「この格好に少しは疑問を持とうよ。なにこの怪しさ全開の服」
そう言いながら斎藤は羽織ったコートの裾を引っ張る。
「変装ですよ。これなら相手に正体がばれないでしょ?」
「でもなぁ……ダサいんだよなぁ」
「変装にオシャレを求めないでください!」
逢沢はサングラスを斎藤から取り戻すと、女性に視線を戻す。女性はまだ其処から動いていない。斎藤は逢沢の後ろから身を乗り出して女性を見る。
「真面目にやってくださいよ。ちゃんとあの女性の後を付けないといけないんですから」
「はいはい、浮気調査ねー。で、何証拠にするの?」
「そうですね……。ホテルに入る瞬間とかが撮れれば動かぬ証拠になりますけど」
「ホテルねぇ……あ」
斎藤が女性に近付く男性の姿を見つける。男性はそのまま女性の傍に行くと、女性と少し話し、腕を組んで歩き始める。
「もう黒でいいんじゃない?」
「駄目ですよ。ほら、追いかけますよ」
そう言って逢沢は建物の影から出て、女性の後を追う。斎藤もサングラスを掛け直し、逢沢の後を追いかけた。
歩くこと数分、女性と男性はある建物のまで立ち止まると、中に入ろうとする。逢沢は素早くスマホのカメラを起動すると、二人と建物が映るように写真を撮る。ちゃんと撮れているか確認してから、逢沢はスマホをしまう。
「よし、これで証拠は取れましたね」
「じゃあ、これで終わり?」
「うーん……いや、相手の身元を調べておいた方がいいかも」
「え、じゃあ終わるまで待つってこと?」
「そうなりますね」
「うへぇ……」
斎藤が嫌そうに項垂れる。ふと視線を横に向けると、あるものが目に留まる。数十メートル先の道を、遠目からでも分かる程挙動不審な様子で歩く男性がいた。男性は覚束ない足取りで何処かに向かっている。
斎藤は項垂れていた身体を起こすと、男性を目で捉えたまま、隣でスマホを使って情報をまとめている逢沢に声をかける。
「ごめん。ちょっと外れる」
「え?……あ、ちょっと!すみれさん!?」
逢沢に呼び止められる前に、斎藤はコートを脱ぎ捨てて走り出していた。走りながら外したサングラスをポケットに突っ込む。道に出て素早く道を確認すると、例の男性を見つける。男性は身体を大きくふらつかせると、その場に倒れ込む。
斎藤は素早くその男性に駆け寄る。
「大丈夫ですか?」
すると、男性は小刻みに震え始める。いつの間にか、その背中から男性らしさが無くなっていた。
「お母さん達とはぐれちゃったの」
少女は声を詰まらせながら言葉を続ける。
「お母さんとお父さんが大きな箱に入れられて、黒いお洋服を着た人達におっきな火の中に運ばれて行って、それからおうちに帰ってこないの」
斎藤は少女の小さな背中を優しくさすりながら、ふとあることに気付く。
(あれ、その話、何処かで……)
そのときだった。
「すみれ」
女性の優しい声が聞こえた。少女はすぐに顔を上げると、たちまち笑顔になって駆け出す。
「お母さん!」
斎藤は少女を目で追いかけると、目の前の光景を見て、そして全身に衝撃が走った。
少女の抱き着いた女性は少女の頭を優しく撫でる。その隣には男性がいた。
「どうして此処に居るんだ?ちゃんとお留守番してないと駄目じゃないか」
「もしかして寂しくなっちゃったのかしら。ごめんね、遅くなっちゃって」
斎藤は少女とその両親のやり取りをじっと見たまま、その場で固まっていた。
「嘘……だって、二人は……」
斎藤の頬を一筋の涙が流れる。
「お母さん……お父さん……?」
◇ ◇ ◇
コンクリートがむき出しになったホール、その壁に埋め込まれた大きな金庫の扉が開けられていた。その金庫の中から鎧を着た人物が出てくる。
「無事に欲しかったものが手に入ったよ。礼を言わせてくれ、輪島淳平」
外で待っていた輪島が興奮した様子で話し始める。
「これが……これが、俺の、俺の能力……」
「あぁ、そうだ」
鎧の人物が床に寝転がった警備員を跨いで輪島に近付く。ホールには警備員が意識を失って床に倒れている。その中には、斎藤と逢沢の姿もあった。
「人を理想と幻想に満ちた夢の世界に引きずり込む。それがお前の能力―――”黄昏日記”だ」
「この力があれば、お、俺は……俺はなんでもできる!」
「あぁそうだ。お前の能力は最高だよ。お陰で、目的も達成できた」
次の瞬間、銃声が鳴り、銃弾が輪島の頭部に撃ち込まれる。輪島の身体が無造作に床に倒れ込む。銃痕は凍り付いており、冷気を纏っていた。
鎧の人物が振り返ると、其処には拳銃を片手で構えた制服の少女―――霧崎零が居た。その拳銃は氷のように透き通っていた。
「つまり……その男を殺せば、彼らは目を覚ますということで合っているな?」
「……噂通り容赦ないねぇ。鬼灯組は」
鎧の人物は静かに笑うと、霧崎と向き合う。
「もし俺があんただったら、生け捕りにして吐かせるもん全部吐かせるけどな」
「そんなことする必要がない。情報はいくらでも集められる」
「公安様の力か?流石だねぇ」
「そういうあんたはマフィアの人間だろ?―――“マグニウェル”」
「……へぇ、俺のことを知ってるのか」
鎧の人物―――マグニウェルは感心したようにそう言う。
マグニウェルは輪島の死体を漁り、ハンドガンを取り出す。
「その男……こちらの持っている情報によると、能力者ではなかった筈だが?」
「そりゃそうだろ。こいつは昨日、能力者になったんだから」
「“なった”?」
「あぁ、みなまで言わなくても、あんたの言いたいことは分かる。でも、今はその質問には答えられない」
マグニウェルは左手を突き出して霧崎の言葉を遮る。マグニウェルは立ち上がると、ハンドガンの安全装置を外す。
「それに、もしかしたらこいつらを寝かせているのは俺の能力かもしれないだろ?」
「それなら、今頃私も夢の中だと思うが?」
「それも全部ブラフの可能性だってある。物事に絶対を持ち込むのは、あまり賢いとは言えない。特に、殺しの場ではな」
「……そうだな。だが、もしそうだとしたら……」
霧崎は視線を横に向ける。床に横たわった斎藤の閉じた目に涙が滲む。霧崎の目が鋭くなる。
「随分と、悪趣味だな」
霧崎は静かにそう言うと、白い息を吐く。周囲の温度が下がり始める。
「答え合わせをさせてもらうぞ。―――お前を半殺しにしてな」
◇ ◇ ◇
斎藤は目の前の光景を飲み込めずに固まっていた。
「お母さん……お父さん……?」
そう言う斎藤の声は微かに震えていて、斎藤の頬をツーっと涙が流れる。かつての記憶がぐちゃぐちゃになって再生される。歪んだ車のボンネット、あたりに響き渡る救急車のサイレン、喪服を着た人々で溢れかえった葬儀場、そして繰り返し聞こえる、母親と父親を呼び続ける子供の声。
「お姉ちゃん、どうしたの?」
はっとした斎藤は、自分の前に立った少女の目に映った自分と目が合う。
「お姉ちゃんも独りぼっちなの?」
「……」
「だったら、お姉ちゃんも一緒に行こう?」
「……」
少女は小さな手を斎藤に差し出す。
「……」
(あれ?私、何してたんだっけ?)
「ほら、行こう?」
「……」
斎藤はゆっくりと右手を持ち上げ、少女の手を掴もうと手を伸ばす。
(あ、やばい。行ったらいけない気がする)
(……いや、もう、どうでもいいや。今は、ただ―――)
―――ただ、そのぬくもりに触れたい。
「……っ」
斎藤の伸ばした手の指先がひんやりと冷たくなり、ピタリと手を止める。
(冷たい……)
その時、斎藤のボーっとしていた意識が鮮明にする。
「……ごめん。一緒には行けない」
斎藤は手を下すと、少女の目を真っ直ぐ見つめる。
「今の私には、居場所があるから」
「もう独りぼっちじゃない?」
少女がそう尋ねると、斎藤は涙を拭き、そして笑う。
「うん。もう寂しくないよ」
◇ ◇ ◇
「―――ッ!」
斎藤は閉じていた目を見開き、荒い呼吸を繰り返す。冷たいコンクリートの床に手をついて体を起こすと、隣で逢沢が気を失っているのに気が付く。
「そうだ……思い出した」
……。
「最悪死ななければ、どうとでもなりますから。……まぁ、斎藤さんのことですし、死ぬことはないでしょうけど」
藤澤は大福を食べながら話す。
「それで、その内容って……」
「古田さんが出勤停止食らった件の延長です。あそこ、表向きには集団詐欺している集団の拠点だったそうなんですけど、そこのうちの一人がマフィアと取引してたらしいんですよ。その人が姿を消したとのことなので、その追跡が仕事内容です」
「はぁ……でも、どうやって探せば?」
「そこらへんは逢沢さんに任せていいと思いますよー。彼、追跡に特化した能力者らしいので」
……。
「それで、この場所に居るって分かったから、警備員さん達と一緒に……」
斎藤の記憶が鮮明になっていった、その時だった。傍で爆風が巻き起こり、斎藤を飲み込む。
「……ッ!」
斎藤はとっさに腕で顔を覆う。爆風を受けた肌に冷気が刺さり、薄く霜が降りる。腕を下した斎藤は爆発の起きた方を見ると、次の瞬間には銃声が鳴り響く。
銃を持った女性が拳銃の引き金を連続で引く。鎧の人物が柱の陰に飛び込み弾丸を避ける。鎧の人物は柱から身を乗り出し、ピンを抜いた手榴弾を女性に向けて投げ、時間差で爆発する。視界が晴れると、女性や気を失った警備員達を守るように氷の壁が包み込んでいた。
鎧の人物が再び動き出そうとしたそのとき、その両足と床が氷で繋ぎ止められる。
女性を包んでいた氷の壁が砕けると、拳銃は鎧の人物に向けられていた。
「はっはっは……さすがは公安傘下の部隊だ。実力はお墨付きってわけか」
鎧の人物は嬉しそうに笑う。
「無理に動こうとしない方がいい。足が砕けてもいいなら別だが」
鎧の人物の両足の氷が少しずつ広がっていっている。
「凍結能力か……空間を支配するタイプの能力を相手にするのは大変だな」
そう言うと、鎧の人物は肩の力を抜く。まるで、戦うことを放棄したかのように。
「話してもらうぞ。お前達の目的と、何を企んでいるのかを」
「別に構わないが、其処のお嬢さんに聞かれても平気なのか?」
女性が視線を斎藤に移動させる。斎藤は思わず息を呑む。
「……問題ない。彼女は能力省の人間だ。むしろ都合がいい」
「そうか?なら、あんたの質問に答えてやるよ」
鎧の人物は少し間を開けてから話し始める。
「といっても、目的なんてそんな大したものじゃない。あえて言うなら……あんたらを表舞台に引っ張り出すことかな」
「なんだと?」
「俺達は近いうち、持てる全ての手を投じて大きく出る。当然、死神も動く」
「……!」
斎藤が“死神”という単語に反応すると、鎧の人物は嬉しそうに笑い、斎藤を指差す。
「いい反応だ。やっぱりお前はそうでないとな、斎藤すみれ」
「なんで私の名前を?」
「そりゃあ、あいつのお気に入りだからな。俺みたいな下っ端にも情報が流れてくるんだよ。あいつに目を付けられるなんて、あんたも大変だな。長生きはできないと思った方がいい」
「……大丈夫だけど」
「ん?」
斎藤は視線を鋭くして口を開く。
「私も能力持ってるし。……多分」
「あぁ、ようやく自覚したのか……」
鎧の人物は呆れたようにそう言うと、気を取り直して話を続ける。
「まぁいい。そういうわけだから、あんたらも準備を怠るんじゃないぞ。―――多くの犠牲者を出したくないならな」
「……」
「それじゃ、俺はそろそろ帰るよ。やることはやったからな。あ、それと……こいつは返すよ」
そう言うと、鎧の人物は手に持ったものを斎藤に向かって放る。斎藤が両手でキャッチすると、それはUSBメモリだった。
「このまま帰れると思っているのか?」
女性が拳銃を構え直す。鎧の人物は女性を見ると、静かと答える。
「当たり前だ。今のあんたじゃあ、俺は殺せない」
鎧の人物の輪郭が揺れる。女性はハッとして拳銃の引き金を引く。勢いよく打ち出された弾丸は鎧の人物の胴体を貫く。鎧の人物は煙になって消える。
「……くそっ」
女性が舌打ちをすると、その手に握られた拳銃は小さな粒子になって消滅する。女性は斎藤の方を向くと、片手を差し出す。
「それをこちらに」
「え?あ、はい……」
斎藤は立ち上がると、女性にUSBメモリを渡す。女性はUSBメモリを少し見つめると、胸ポケットに入れる。女性は何かを考え込む仕草を見せると、顔を上げて斎藤をじっと見つめる。
「な、なんですか?」
「……いえ、そちらの髙橋所長に先程の情報を伝えることをお忘れなく。それでは」
女性は静かにそう言うと、斎藤に背を向けてその場を去ろうとする。しかし、少し歩いてから立ち止まり、振り返る。
「それと、気のせいかもしれないですが……以前何処かでお会いしましたか?」
「え?いえ、初めてだと思います」
「……そうですよね。失礼しました」
女性は小さく頭を下げると、再び歩き始めた。斎藤は不思議そうに首を傾げる。すると、傍で眠っていた逢沢が飛び起き、寝ぼけた顔で何度も瞬きをする。
霧崎は歩きながら頭の中で情報を整理していたが、一つの疑問がその思考を遮る。
「ラプラス……いや、マグニウェル、お前は何を企んでいる?」
◇ ◇ ◇
薄暗い路地裏に煙が集まり、人の形を作り上げる。やがて実体が出来上がり、マグニウェルが姿を現す。マグニウェルは溜め息をつくと、手に持った紙に視線を落とす。
「外れだったか。……まぁいい。次は少し思考を変えてみるとするか」
そう言うとマグニウェルは紙を後ろに放り捨てて歩き出す。紙は宙を漂いながら、燃え尽きた灰のように崩れ、消滅する。
「能力省、鬼灯組、ラプラス……俺の期待を裏切らないでくれよ」
◇ ◇ ◇
輪島淳平。能力名『黄昏日記』
対象を夢の世界に引きずり込む。
霧崎零。能力名『????』
詳細不明。
マグニウェル。能力名『????』
詳細不明。




