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地獄のような愛しき日々

作者: 影都 千虎

 あれは地獄のような日々だった。

 ふと冷静になって出てくる言葉は、笑うに笑えないようなそんな言葉だ。

 けれどそう形容する外ない。楽しいことも、嬉しいこともたくさんあった。それと同時に苦しいことも悲しいことも余りに多くて、『あの頃に戻りたいか?』と問われれば、「もう懲り懲りだよ」と苦笑する以外の答えが無い。

 春に始まり、春に終わる。目まぐるしい、怒涛のような日々だった。


 恨み事は山ほどある。言いたいことも、怒りたいことも。僕も君にたくさんの我慢をさせたけれど、僕は僕でたくさんの我慢をしてきた。伝えたこともない嫌な記憶が出そうと思えばいくらでも出てくる。それを感情のまま、悪意のまま、誰かに言いふらすのはとても簡単。僕たちが今までしてきたことだ。

 けれど、そんなことをしたところで何の意味もない。やっと気が付いたよ。

 だからほんの少しだけ毒を吐いて、後は全部丸めてぽいと捨てて。そんなことよりも、環境を変えて新しいことをしていこうと思った。

 こうして一つの関係が終わりを迎えたところで、僕の現実が何か大きく変わるわけじゃない。僕の意思がそこにある以上、それは僕が見ている世界で、僕の生きる現実。それ以上でもそれ以下でもない。

 いる場所、使うもの、放つ言葉が違うだけで、それ以外は全部同じ。全部が僕にとっての大切な現実で、どれかの為にどれかを疎かにすることなんて出来ないし、した記憶もない。

 そして、誰かに嘲られる覚えもない。


「ふーん。後悔しない?」


 ニヤニヤと笑う声。見世物になった覚えは無いけれど似たようなものか。似たようなものだった。だったら面白おかしく見られるぐらいが丁度いい。

 全く後悔していないかと言われれば嘘になる。何も言わなければ、我慢していれば、未練なんていくらでもある。でも現実は今だ。あの時ああしていれば、なんていうのは都合のいい夢物語。だからこれでいいんだ。

 それに、思い返したら地獄って表現がぴったりな時点で、とてもじゃないが良いものだったとは言い難い。


「アハハ! それはそうだ」


 今度はカラカラと笑う声。気持ちのいい笑い声で、おかしな空気を吹き飛ばしてくれそうだった。



 好きなところがたくさんあった。それと同時に嫌いなところもたくさんあった。ただ単に好きが嫌いを上回っていただけ。好きなところを見なくなったら所詮はこんなものだ。これはきっと誰が相手でもそう。僕は誰であってもどんな人でもそういうものの見方をして、丁度良く好きが嫌いを上回るような距離を保つのがいいのだろう。君との関係は距離があまりに近かった。だからいつか破綻するのは必然だった。僕はそう結論付けたよ。

 ああ、でもそうだ。

 恨み事は言わないと言ったけれど、どうしても一つだけ言いたい今回の教訓がある。


『自分を特別な人間だと、周りの人間とは違う特殊な人間だと自負している奴にロクな奴はいない』

「違いない」


 それぞれ生きた場所、時間、経験が違うのだから自分と周囲が違うのは当然のことだ。けれど別にそれは特殊なんかじゃない。自分自身を特別視していい理由にはならない。

 自分が何気ない言葉で傷つくのと同じように、他の誰かも何気ない言葉で傷つく。

 誰だって現実を生きている。誰だって現実を大切にしている。ただそれを、自分がどこから見ているか、何を使って見ているかの違いでしかない。

 自分は周りとは違うから等と言って誰かを嘲っていいわけではない。

 何かから自分を守るための壁なのだろうけれど、それを振りかざして他の誰かを傷つけていいわけではない。その壁によってどうすることもできないくらい完膚なきまでに押し潰されてしまう人だっているのだ。

 他人を下に見ることで自分を守りたかったのだろうか。なんて憶測で他人を語るのが何よりも悪い僕の癖。これは自戒であり教訓。

 もう少し早くに気付きたかったけれど、仕方あるまい。これもまた人生だ。僕の現実だ。

 前向きに考えよう。もっと歳を取って取り返しのつかないことになる前に気付けたのだ。

 性格が悪くても、好かれることが少なくても、面倒だと思われることが多くても、少なくともこんな風に、寂しい人なんだと思われるような人間にはなりたくない。そうならないように生きていきたい。


「もう満足した?」


 ああ、いつまでも未練は残したくないからね。そんなのは僕らしくない。

 それに、今は笑ってしまうぐらいに気分が良いんだ。昨日までとは全く違う。例えるならそう、嫌で嫌で仕方のなかった会社の退職が決まった、あの時の気分に似ている。

 きっと、これまでの僕はどこか狂っていたのだろう。憑き物が落ちたようにすとんと、急にそれがなくなって元の僕に戻った。そんな気がする。

 そうやって頷く僕に、声の主は満足そうに笑った。そして大きく手を広げ、僕を迎え入れる。




「おかえり」


 ただいま。




 こうして僕たちは一つになる。

 地獄のような日々を経た僕は元の場所に戻って、一つになった僕はまた新しい現実を生きていく。

 さようなら、地獄のような愛しき日々。

 大嫌いで大好きで、楽しいけど苦しかったよ。


 ああ、本当に僕らしい現実だ。

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