詩は蒼き花と共に
【詩は蒼き花と共に】
隊商とは安全に物を運ぶため、
護衛を雇って隊列を組み、長距離の旅をする一団であり、
複数の商人や輸送を生業とする者たちが共同出資をし、
互いの輸送のリスクを軽減しようという組織である
護衛には主に3等級冒険者が使われるが、
荷物次第では2等級冒険者に依頼する事もある
この世界には野盗や魔物といった脅威が多いため、
戦う術を持たない者たちにとって護衛は必須であり、
冒険者の仕事の大部分を占めている仕事でもあった
死と隣り合わせの旅が当たり前の世界で、
弱者は弱者なりに頭を使って強く生きていた
これは、そんな隊商の1つ……クランナリー商会の隊商の物語である
長い冬も終わり草花が芽吹く頃、
日の出と共に眠そうな目をこすり、男が目を覚ます
彼の名はアルナウト・ガヴィル、長身で細身の男だ
ふかふかのベッドから身を起こし、
長い金髪を手櫛で整え、テキパキと身なりを整えてゆく
彼はクランナリー商会というドラスリア王国の商人達の組織に属してはいるが、
彼自身は商人ではなく、輸送を生業としている
輸送業は荷馬車と馬さえいればどうとでもなる仕事だ
彼は商人になるための元手が無いため、自分で野生の馬を捕まえ、
手懐け、荷馬車を自作してこの仕事を始めた
何とも多才な男だが、それでも彼は商人にはなれていない
商人とは金貨を山程持った者だけがなれる存在なのである
力なき者たちにとってそれは憧れであり夢となる
しかし、この男……才能は他にもあった
身支度を終えたアルナウトはくすんだ手鏡で自分の姿を確認する
彼は見た目こそ大事だと思っているからだ
実際、彼の見た目は淑女たちには受けていた
町娘たちからは手の届かない高嶺の花のような眼差しを向けられ、
貴族たちからは美しい男というだけで優遇される事も多い
そう、彼の考えは間違ってなどいないのだ
アルナウト・ガヴィルは下民の出だが頭がいい
ガヴィルという姓も彼自身が勝手に名乗っているものだ
本当の彼には家の名など無く、ただのアルナウトなのである
両親は薬を買う金がなく流行病で亡くなり、
兄は戦争でひと稼ぎしようとして戦死し、
妹は自分が幼い頃に奴隷商に買われて行った
そんな惨めな人生など真っ平御免だ!
アルナウトは持てる才を余すことなく発揮し、
惨めな人生からの脱却に成功している
裕福とは言い難いが、生きていく分以上に稼ぎはある
そんな彼はある日、取引先の商人の元で1人の奴隷と出会う
奴隷の少女の名はセスティア……アルナウトの実妹だった
互いに兄妹であると認識は出来なかったが、
商人が彼女の名を呼び、彼の名を呼び、互いに知る事となる
アルナウトはその場で商人と商談に入り、
全財産に近い額を叩いて少女を買ってしまっていた
必死さが商人の目に止まり、必要以上の額を搾り取られてしまったのだ
身支度を終え、鏡で自身を見ていると、
部屋の入り口からノックが聞こえ、アルナウトは顔を向ける
「失礼します」
控え目な声が聞こえ、彼は声の主を待つ
普通に開けば音が鳴る扉を、どうやっているのか静かに開き、
声の主……セスティアが顔を出す
「おはよう、ティア」
「おはようございます、旦那様」
兄妹の笑顔の挨拶……だが、妹は兄を旦那様と呼ぶ
実際、彼女の主は兄であり、所有権を得ている
間違ってはいないのだが、兄妹としてはどうなのだろうか……
アルナウトは複雑な思いが胸の中で渦巻く、
何度お願いしてもセスティアは変えようとしないのだ
奴隷という立場が長かったためだろうが……このままでいいのだろうか
まだ彼女を買って半年程度しか経っておらず、
慣れていないのもあるのかもしれない
幼い日に別れてから10年近く会っていなかったのだ、
その溝を埋めるには半年では足りないのかもしれない
10年……人格を形成する大事な時期に、
彼女はずっと奴隷という立場で過ごしてきた
根幹部分に刻まれた奴隷という立ち位置から動けず、
自身の境遇を受け入れ、これ以上酷くならないよう振る舞う
なんと悲しいことなのか……
性別の自覚なんて無い歳で女というだけで売られ、
彼女は幾人かの買い手を渡り歩き、今に至る
我が妹の事で胸を痛めるが、アルナウトは笑顔を崩さない
優しく頭を撫で、ゆっくりと優しいハグをしながら言う
「起こしにきてくれたのだね、ありがとう」
「勿体なきお言葉、ありがとうございます」
彼女の言葉に感情というものは感じられない
淡々と、まるで他人の事のように言葉を紡ぐ、
それがセスティアの処世術となっていた
アルナウトと同じ金髪は頬辺りで切り揃えられている
前の持ち主が彼女の綺麗な髪をバッサリと切り、売り払ったのだ
痛ましいその姿にまた胸がチクリと痛む
冒険者のような戦いに身を置いている者でない限り、
女性は髪を伸ばすのが一般的だ
今の彼女のように短い髪は貧困者のようで恥とされている
使用人の服を身にまとい、短い髪を揺らして彼女はお辞儀する
見た目から言動から、全てが彼女の身分を……立場を表していた
「本日のご予定ですが……」
セスティアの淡々とした口調が今日の予定を伝えてくる
言われなくても覚えていたが、数少ない彼女の声を聞けるチャンスだ、
わざわざ邪魔をすることなどしはしない
「ありがとう、僕は商会に顔を出してくるから、
その間にティアには旅の支度を頼んでいいかな?」
「かしこまりました」
「ありがとう、それじゃ行ってくる」
「行ってらっしゃいませ、旦那様」
セスティアの美しいお辞儀を横目に家を出る
再び何とも言えない気持ちが胸の中で渦まき、振り返って我が家を見渡した
たった3部屋しかない我が家に使用人など必要ないのだが、
あの場で彼女を買わない選択肢はなかった
残された唯一の血縁者、実妹であるセスティア
正直な話、あの場で名を聞くまで記憶から抜け落ちていたが、
名と顔が一致し、驚くほど鮮明に記憶は蘇った
10年という歳月は彼女を変えるには十分で、
記憶の中の幼子とは全くの別人とも言えたが、
不思議と納得が出来たのだ、妹ならこう育っただろう、と
兄である僕から見ても妹はかわいいと思う
そのせいか、奴隷としてはかなり高額だったが、
僕が生きてきた人生の中で最高の買い物だったのは間違いないだろう
軽い足取りでドラスリア王国首都ドランセルの中央広場を歩く
中央広場の一角にある巨大な建物、そこにクランナリー商会がある
首都の中でも一等地である中央広場に面した場所に、
これほど巨大な建造物を建てているのだ、商会の力はかなりのものだろう
入り口のドアを開閉するためだけに雇われている男が、
僕の顔を見てお辞儀をしてからドアを開き、
機嫌の良さそうな雰囲気で声をかけてくる
「いらっしゃいませ、ガヴィル様」
「あぁ」
僕は彼の横を通り抜け、クランナリー商会へと足を踏み入れた
中はまるで貴族の豪邸かのような作りだが、
ここはあくまで商人たちの組織……商会である
僕を出迎えるように待っていたのは商人のネール・ナジャレフ、
高そうな宝石のついた指輪をいくつもした恰幅のいい初老の男だ
「おぉ、来たかね」
「はい」
ナジャレフと軽い挨拶を交わし、
この後、昼前に出立予定の隊商について話し合う
今回の隊商は僕にとってとても大事な、大きな仕事である
それは、僕が初めて隊長を任された隊商であるためだ
隊商の規模は、荷馬車が11台、総勢70名の中規模なものだった
しかし、今回は荷が問題だ
穀物や果物で上手く隠してはいるが、
今回の輸送の一番の目的は……アーティファクト武器である
現在の技術では制作は不可能なアーティファクト……
たった1本のアーティファクト武器で戦況は変わるとも言われる代物だ
その価値は貴族が家宝にするほど高価であり、
物によっては国宝に認定されている物まである
今回のアーティファクトは、ある冒険者が遺跡で発見した物だ
発見した冒険者は大興奮したが、自身で使えるようなものではなく、
売るという選択肢しかなかったため、商会へと流れたというわけだ
詳細までは知らされていないが、使用者が限られる代物らしく、
アーティファクトとしての価値は低い方らしい
だが、それでもアーティファクトだ、僕の稼ぎの50年分近くにはなるだろう
今回の輸送先は産業国家ラーズ、直接入国する事は出来ないため、
途中で宗教国家カナランを経由しなくてはならない、結構な長旅という事になる
距離と荷物、その両方が難しい依頼のため、今回の報酬は普段の数倍はいい
そして、今回の護衛は2等級冒険者に依頼しており、
念の為に3等級冒険者も2組来るらしい
ここまで厳重にしては逆に目立ってしまう気もしたのだが、
大口出資者であるナジャレフの発言力は強く、今回はそういう形となった
そして、その隊商の隊長を任命されたのが僕だったのだ
僕はナジャレフの元で幾つもの仕事をこなしてきた
中には違法な取引もあったのは知っていたが、僕は黙って仕事をこなした
少しずつ少しずつ彼の信用を得て、ついに実ったというわけだ
今は妹のためにも稼がねばならない
彼女を買った事により商人への道は遠退いてしまったが、
この仕事を上手くこなせばナジャレフの片腕になれるかもしれない
そうなれば後は簡単だ、ナジャレフに投資してもらえばいい
僕は秘めた野心を表に出すことなく、ナジャレフと握手を交わす
「では、行ってまいります」
「あぁ、頼んだぞ」
僕はクランナリー商会を後にして中央広場を横切る
足取りは軽い、ほどよい緊張感もある、悪くない状態だ、
冷静に物事を見る事が出来ている今の僕は好調と言えるだろう
家で待つ妹の元へと急ぎ足で向かい、家に入って早々彼女を呼んだ
「ティアッ、ティアッ、準備は出来ているかい?」
「はい、旦那様、こちらに」
少し興奮気味に声を張ると彼女の声が裏口の方から聞こえてくる
僕は急ぎそちらへと向かい、まとめられた荷物を見て頷く
「よく出来たね、ありがとう」
荷物を並べ終えて立ち上がった彼女の頭を撫でて微笑むと、
普段は見せない少し驚いたような表情で彼女は口を開く
「あ、あの……何かあったのですか?」
珍しく彼女から質問をされた
「え、あ、うん! 今回の仕事で僕は商人になれるかもしれないんだ!」
興奮気味に答えると、セスティアは小首をかしげ、
2秒ほど思案してから少しだけ口角を上げる
「それは喜ばしいことですね、おめでとうございます、旦那様」
普段の感情の無い言葉ではなく、じんわりと心がこもった言葉に聞こえた
僕は嬉しさのあまりか彼女を抱き締め、ありがとうと何度も繰り返す
僕の腕の中でもぞもぞと動く彼女に気づいて慌てて離すと、
彼女の顔はほんのりと朱に染まり、2人の間に僅かに気まずい空気が流れる
それを咳払いで吹き飛ばし、僕は彼女にお願いをした
「馬車がくるまで外で待っててくれないかな?
来たら教えて荷物を積み込んでほしい、いいかな?」
「かしこまりました、旦那様」
その声はいつもの彼女のもので、少しだけ残念に思う
だが、僕はこの程度でめげはしないぞ
「ティアの準備もできてるかな?」
「はい、私の荷物は少ないので……」
彼女の私物などごく僅かだ、身支度などすぐに終わってしまうだろう
それを思い出し、僕は苦虫を噛んだような顔をしてしまう
悪いことを聞いてしまったな……
何とかこの空気を払拭したく、僕はある事を閃いた
先日、ある商人から買い受けた1つの髪飾り、
クリスタルで出来たそれは花を象っており、
ネネモリの淑女に人気の品と聞いている
僕は何かあった時のために手に入れておき、
髪飾りによる効果が最大のタイミングで使おうと思っていた
ようは、金持ちの女性を落とすタイミングで、だ
慌ただしく部屋へと戻り、小さな木箱を開いて中を確認する
買った時と同じ輝きを放っているそれを手に、
僕は家の裏口から外へと顔を出してセスティアを呼んだ
「ティア、おいで」
「はい」
走ることなく、だが遅くもない足取りで彼女は近寄ってくる
僕は握りしめる木箱に手汗が染み込んでしまわないか心配になるほど、
妙な緊張により手汗をかいていた
「これを、君にあげるよ」
僕は木箱を彼女の前へと出し、その手をとって握らせる
「え…………どうして私なんかに」
慌てた様子がまた可愛く、僕は笑顔で続ける
「今回は大事な仕事だ、ティアも着飾らないとね」
断りにくいよう僕はそう言い、彼女は渋々木箱を受け取った
「……ありがとうございます、大切にいたします」
彼女は本当に大切そうに木箱を胸に抱き、瞳を閉じる
数秒ほどそのまま胸に抱いていたが、
何かを覚悟したかのように木箱を開いた
水色のクリスタルで出来た花は、
彼女の色の薄い透き通るような肌に似合うものだ
いや、彼女であればどんなものでも似合ってしまうかもしれない
箱を開いたまま固まってしまっている彼女に、
僕が手を伸ばして髪飾りを取り、彼女の髪に花を添える
予想通りというか、想像以上に似合っていた
「似合っているよ」
「ありがとうございます」
慣れない髪飾りが気になるのか、
そわそわとするセスティアは愛らしく、自然と頬が緩んでしまう
彼女は当たり前の幸せを知らなきゃいけないんだ、
これからもっともっとたくさん知ってもらわなきゃ
僕の決意など知る由もないセスティアは、
まだ髪に触れていいのか迷っているようで落ち着かない様子だった
そんな彼女に僕は言う
「僕は男だからそういうのは下手でね、好きにやってごらん」
「はい……では、お言葉に甘えて……」
彼女なりにしっくりくる位置へと付け直し、
満足したのか僕にお辞儀をしてから仕事へと戻って行った
相変わらず感情が見えにくい子だが、今日は少しだけ嬉しそうに見えてしまう
季節外れの冷たい風が吹き、ぶるっと震えがくる
それに気づいたセスティアは外套を持ってきて僕にかけてくれた
お礼を言った僕は、彼女にも外套を……と思ったが、どこにあるか分からない
「ティアも身体を冷やさないように」
「はい」
言われた通りセスティアは外套を取ってくる
彼女の外套はケープのようなものなので少し寒そうではあるが、
無いよりかは遥かに暖かいだろう
僕は家の中へと戻り、荷物の確認などを行っていると、
外から馬車の音が聞こえ、コツコツという妹の足音が聞こえてくる
立ち上がった僕は彼女を待った
「旦那様、馬車が到着いたしました」
「ありがとう、荷物を頼むよ」
「かしこまりました」
こう言ったが僕も2つの大きなカバンを持つ
セスティアはそれを止めようとしたが、その言葉は無視をして、
僕はさっさと馬車に荷物を積み込んだ
その後、御者にあれこれと指示を出していると、
荷物を積み終えたセスティアが「終わりました」と一言だけ言う
僕は「ご苦労さま」と彼女の頭を撫でてから馬車に乗り込み、
中から手を差し出してセスティアを引っ張るように馬車に乗せる
「出してくれ」
御者が馬に指示を出し、馬車が動き出す
ガタガタと揺れる車内で僕は気になった事を口にする
「家の鍵はかけたっけ?」
「はい、先ほど荷物を積み終えてから戸締まりはいたしました」
「さすがティア」
「ありがとうございます」
僕らのやり取りを聞いて、御者がこんな事を言う
「旦那さん、お綺麗な奥様ですねぇ、羨ましい」
おそらく御者はセスティアの服装を見ていなかったのだろう
ケープで隠れてしまっていたからかもしれないが、
普通であれば使用人服を妻に着せる者はいない
しかし、セスティアを綺麗と言われて悪い気もしなかったので、
僕はあえて否定はせず、首都の外までの道のりは夫婦でいようと決めた
「そうだろう? うちの妻は美しいと評判なんだ」
僕の言葉にセスティアが明らかに動揺している
まるで今にも否定したいかのように身を乗り出し、
しかし主に恥をかかせぬように口を閉じ、
やり場のないモヤモヤに落ち着かない様子だった
「だ、旦那様……」
僕の裾を引っ張りながら小声で言う彼女に笑みを向け
「今は合わせておきなさい」
とだけ言うと、彼女は小さくなるように黙ってしまう
少し意地悪だったかな? とも思うが、こんなセスティアが見れるのだ、
これもまた悪くないと思ってしまう、意地悪な兄だった
今日の僕はどうかしているのかもしれない
大きな仕事を前に興奮しているんだろうか?
これは失敗しないように気を引き締めないといけないか……
冷静だと思っていた自分がこんなにも悪戯ばかりするとは思っておらず、
これから始まる大きな仕事へ向けて気持ちを切り替える
「御者さん、実は僕らは夫婦じゃない、兄妹なんだ」
「あ、そうでしたか、これはこれは、失礼しました」
申し訳なさそうに前を向きながら頭を下げる御者を見てから、
隣に座るセスティアへと目を向けると、
彼女はホッとしたように胸を撫で下ろしていた
少しだけ複雑な気分だったが、今は仕事に集中しなくては……
僕らを乗せた馬車は首都を出て、門の横にある空きスペースに停車する
そこには荷馬車が11台並んでおり、80名を超える人々が集まっていた
これが今日から僕の隊商だ
僅かに震えがくる、まるで骨の芯が震えているような、
不思議な高揚感と緊張感が身体を熱くする
僕は隊商の人達を集め、出立の挨拶をした
「この隊商の隊長を任されたクランナリー商会のアルナウト・ガヴィルだ」
指笛が鳴り、どうやら歓迎されているらしい
よかった、空気が悪かったらどうしようか不安だった
「ラーズまでの長旅にはなるが、みんなよろしく頼む」
拍手が起こり、照れくさそうに馬車へと移動する僕の背後に、
セスティアは付き従い、物陰でため息を吐く僕の顔を覗き込む
「大丈夫ですか? 旦那様」
「あぁ、大丈夫さ、少し緊張しただけだよ」
「リラックスできるお茶でも飲まれますか?」
「いや、もう大丈夫さ、ありがとう」
できた妹だ、僕は果報者かもしれないな
心配してくれる妹の頭を撫で「さぁ、行こう」と馬車に乗り込む
こうして僕らの隊商はドラスリア首都ドランセルを出立した
旅の1日目、日が落ち始めた頃にリーン砦を抜け、
トレイド家の領土にある散村の1つ、イルミネンを訪れる
海が近いため塩を特産としている街である
僕はこの街で塩を70キロほど仕入れ、
代わりに穀物を60キロほど売り捌く
隊商とはこうして訪れた街で商売をしながら進んで行くのだ
旅の2日目、僕らはドラスリア王国の西部にある、
アルサイクという街に立ち寄った
ここはワインで有名な街であり、ワイン職人は商会と契約している
大半は首都ドランセルへと卸されるが、一部は国外へと渡ってゆく
今回はその国外への出荷というわけだ
元々契約を結んでいるためワインの買付は予想より早く終わり、
昼前にはアルサイクを出立する事が出来た、これは僥倖だ
次の目的地であるファンブレ男爵領アラゴストーンを目指す
ここの関所で税を取られることはないが、厳しい検問で有名な場所でもあった
今回の荷物……アーティファクトを知られるわけにいかないため、
僕には秘策があった……が、その前にやるべき事がある
僕は隊列を停止させ、それぞれのグループにある事を伝えてゆく
それは「女は馬糞などで股を汚せ」というものだった
反発する声は多少あったが、
アラゴストーンを知っている者から反対する声は上がらなかった
こうでもしなければ若い女は酷い目に合うのが目に見えているからだ
セスティアにもそれを命じ、
彼女は汚してもいい奴隷服に着替え、自身の股や胸に馬糞を塗りたくる
酷い臭いだが仕方ない……ここの関所さえ我慢すればいいのだ
案の定、関所では検問官がセスティアに下卑た視線を向けるが、
酷い臭いと汚らわしい服装に吐き気がし、それ以上近寄る素振りはなかった
さて……本題はここからだ
僕はナジャレフに託された書状を懐から取り出し、
金貨の詰まった袋と共に領主であるファンブレ男爵へと献上する
先代のファンブレ男爵が暗殺されてからは落ちぶれた家だが、
継いだ息子は、この関所の力を利用して少しずつ力を取り戻しているという
反乱を企てていた組織を捕らえるキッカケになった事もあり、
その功績を認められてか、先代と同じ男爵の地位を手に入れている
噂によると父親にそっくりだと言う
見た目だけの話ではなく、その中身のゲスさもだ
書状に目を通したファンブレ男爵は怪訝な表情をしていたが、
予想よりも金貨の量が多かったようで、上機嫌になり、
大した検査もせずに僕らを通した、予定通りだ
そして、アルゴストーンへと到着した僕らはまず果物を売る、
あまり長期で運んでいては価値が下がってしまうためだ
続いて穀物の残りも売り払い、代わりに染色液などを購入した
取引も旅も順調だ、ここまで野盗や魔物の類とも遭遇していない
まるで風の神の加護でも受けたかのようなスムーズさだ
商人は大地の実りを糧とするため、地の神を崇める者が多いが、
僕のように輸送を生業とする者は風の神を崇める者の方が多い、
輸送業の最大の敵は天気だからである
もう日が暮れているため、今日はアルゴストーンで一泊する事となった
関所の件があったため、早い時間にアルサイクを出立できたのは助かった
街の中は安全なため、安心して休む事ができる
それだけで隊商にとってはありがたい事なのだ
旅の3日目、僕らは南下を続け、ライネル家の領土へと入る
道がよくなったのがその証拠だ、馬車が傷みにくく旅人に優しい道だ
ライネル家の領土は広く、山岳地帯も多いため、
ここを抜けるのに3日以上は覚悟した方がいいだろう
そして、山岳地帯が多いため、山賊の類も多いと聞く
警戒を怠らないよう挑まなければいけない
とは言っても、こちらには2等級冒険者と3等級が2組みいるのだ
恐れるものなど何もないと言っていいかもしれない
今回同行している2等級を僕は知っていた
彼らは【リザードハンド】を名乗るチームだ
リーダーのドッジ・ランベルは薬師であり、毒を使うという
12名という冒険者のチームとしては異例の多さだが、
その実力は確かなものであり、武功の数々は僕の耳にも届いている
いや、これは正確ではないな、僕は彼らを調べた事がある
これは僕の特技の1つなのだが、そのために調べたのだ
その特技をこれから披露しようじゃないか
夜営中、固まるように休んでいる隊商の中央で、
焚き火を囲む者たちの前へと出て、こう言うのさ
「1曲いかがかな?」
そう、これが僕の特技、詩さ
僕は吟遊詩人として旅先で歌っては小銭を稼いでいたんだ
皆の歓声が上がり、僕はセスティアに目を向ける
すると、彼女は黙って僕のクルースと呼ばれる弦楽器を持ってきた
弓で弾くこの楽器は口が自由なため詩に向いている
6本の弦があるが、2本はドローン用のため事実上4本で奏でる楽器である
皆が注目する中、僕はクルースを腹に当てて演奏を始めた
奏でられる音は穏やかであり、眠気を誘うようなメロディだ
しかし、時に激しく、ゆっくりと緊張感を与えるような、
冒険心をくすぐる曲を奏でながら僕は歌う
黄色い雷 戦場を駆け
瞬く間に 棺桶作り出す
かの疾雷 無口な剣士なれど
剣を交えれば 語り継がれし物語
逃れられはしない 避けられぬ死よ
死体の山を築いて 高みへと
かの疾雷 星の夢を見るなれど
剣を交えて 物語を刻む
逃れられはしない 避けられぬ死よ
恐れ恐れて 努々忘れるな
我らの雷 戦場を駆け
瞬く間に 棺桶作り出す
かの疾雷 見ては逃げろ どこまでも
剣を交えれば 棺桶行きだ
さぁ 駆けろ 我らの雷よ
今日も 棺桶作り出せ
最後にポロロンとクルースの音が鳴り、
僕がお辞儀をすると拍手喝采が起こる
この歌はドラスリア王国の英雄エイン・トール・ヴァンレンを唄ったものだ
彼の戦場で付けられた異名は疾雷、
凄まじい鋭さを誇る突きによるものだと言う
ここはまだドラスリア国内なため、自国の英雄の歌は受けが良い
予想通りの反応だった客たちは満足そうに疾雷について話している
しかし、2等級冒険者の一団は楽しそうにはしていなかった
彼らのためにも冒険者の歌の方がよかったかな?
そんな事を考えながら僕はセスティアと共に馬車へと戻り、
次の日の支度をしてから眠りにつくのだった
旅の4日目、この日はひたすら山岳地帯を進んでいた
山道であるため何度も馬車が止まり、思うように進みはしない
結局2日かけて山を越え、3日目の昼過ぎに見えてきた街、
ジャトロフ峠にある鉱山の街ウラルに到着したのは、
旅の開始から7日目の夜だった
旅の8日目、ウラルで一泊した僕らはここでの商談に入る
塩を売り、鉄や銅の鉱石を買いつける……上々な取引が出来たと思う
塩が予想より高値で売れたのが大きかった
隊商は昼過ぎにウラルを出立し、南下を続けていた
やっとの思いでジャトロフ峠を越えて平地に出ると、
一気に進む速度は早くなり、あっという間にカナランとの国境に辿り着く
旅の12日目、宗教国家カナランの北西部、
山の麓にある散村の1つであるリーマンテに到着する
目立った特産品の無い小さな村だが、
肉などの食料を仕入れる事が出来たのはありがたかった
これは売り物ではなく、僕らのための食料だ
少し早い時間だったがリーマンテで疲れた身体を休め、
ここから一気にカナランの首都コムラーヴェを目指す予定だった
途中で何度か夜営をする事になるが、
目立った特産品の無い村々を回っても意味がない
山を越えるのに少し手間取ってしまったため、少しでも急ぎたかったのだ
風の神の加護があるのか、幸いなことに魔物の類とも出くわしていない
この勢いのまま一気に距離を稼ぎたいところだった
隊商の皆は僕に従ってくれている
慣れない指揮に最初は戸惑ったが、何とか様になってきた気はする
いまいち冒険者たちとは上手くいっていないが、
彼らは金のため、名声のため、余計なことはしないだろう
その日の晩、皆が寝静まった頃、何かが動く気配に目を覚ます
セスティアが馬車から降りようとしているところで、
厠か何かかと思い、僕は再び目を閉じた
どれほど時間が経ったのかは定かではないが、
突如大きな悲鳴が聞こえ、僕は跳ね起きる
そして、隣にセスティアがいない事で、
彼女が外へ行ったのを思い出し、慌てて馬車から飛び出した
『ティアッ! どこだっ!』
僕の叫びに返ってくる声はない
隊商全体が慌ただしくなり、何事かと起きてくる者が多かった
人の動く音で彼女の声が聞こえないのかもしれないと思った僕は、
皆に動くなと命令し、耳を澄ます……
すると、小さな音だが確かにセスティアの声が聞こえてくる
『ティアッ! どこだ!? 叫べっ!!』
「旦那さ………」
声が途切れた、何かあったんだ
バクバクと騒がしくなる鼓動に苛つきながら、
近場にいた3等級冒険者たちを引き連れて声の方へと向かう
『ティアッ!』
「んー! んー!」
「旦那、あっちだ」
冒険者の1人が指差す方向に月明かりに照らされた人影が見えた
人影は別の人影を抱えるように走り出し、僕も走り出す
しかし、冒険者たちの方が足が早く、彼らに「頼む」と叫んで息を整えた
小走りに彼らの後を追い、やっとの思いで追いつくと、
そこには先ほどの3等級冒険者が4名転がっていた
「え……」
そして、人影は月明かりを浴び、その顔を晒す
1人はセスティアだ、彼女は男に羽交い締めにされていた
彼女を拘束する男……2等級冒険者のドッジ・ランベル
「何をしている……」
僕は最大限の怒りを込めてそう言った
だが、彼は僕をあざ笑うかのように舌舐めずりをする
「いえいえ、ただのお遊びですよ」
「そうか……なら、僕の使用人を返してくれないかな」
「えぇ、いいですとも」
ドッジはセスティアを解放し、下卑た笑みを浮かべる
解放されたセスティアはガタガタと震えており、
僕が抱き寄せて落ち着かせている
「彼らは、どうして倒れている」
僕が3等級冒険者たちを見ながら言うと、ドッジは笑いながら言う
「そいつらがこのドッジ様に楯突いたんでね?
すこぉ~しばかり眠ってもらっただけさ、殺しちゃいない」
彼の言うことは本当だろう、倒れている彼らの胸は動いている
しかしこれは許されざる行為である、契約とは信用が第一だからだ
「僕の中で、貴方への信用が揺らいでいます、次は無いよう頼みますよ」
「気をつけますよ」
反省の色などない、次もやりかねない、そう思えた
そして、僕の腕の中で震えるセスティアの尋常ならざる状態に、
この男が何をしようとしたのかハッキリと理解した
「ドッジさん、娼婦なら一緒に同行しているでしょう?
そういうのはそちらでお願いしますよ、この子はうちの使用人だ」
「えぇ、理解してますとも……だがね、
あんな娼婦じゃ満足できねぇんだわ、このドッジ様はよ
その点、そのお嬢ちゃんなら問題なく合格だ」
「貴方は雇い主の所有物に手を出すと?
組合の方に抗議させていただく事になりますが構いませんか?」
「チッ……」
ドッジは舌打ちをして引いていく
彼が動くと同時に周囲から人の動く気配がし、
僕が囲まれていた事に今気がついた
恐怖から膝が笑うが、腕の中で震えるセスティアを怯えさせないため、
僕はなけなしの勇気を振り絞って彼女に笑顔を見せる
「もう大丈夫だよ、ティア」
「……ありがとうございます、旦那様に大変なご迷惑を」
いつもの淡々とした口調でそんな事を言うので、
僕は人差し指で彼女の口を塞ぐ
「迷惑じゃないよ、兄妹なんだから」
「旦那さ…………」
言葉が詰まり、セスティアは涙を拭って言った
「ありがとう、兄さん」
懐かしい響きが脳内を駆け巡る
幼き日に1度か2度だけそう呼ばれた事がある気がする
内側から暖かくなるような、不思議な感覚が僕らを包み、
急に恥ずかしくなって身を離す
「戻るぞ、ティア」
「はい、旦那様」
今の僕らにはこの方がいいのかもしれない、そう思うアルナウトであった
・・・・・
・・・
・
昨夜は2等級冒険者リザードハンドと一悶着あったが、
翌日の早朝には何事もなかったかのようにリーマンテを出立する
宗教国家カナランの首都コムラーヴェを目指す僕らは、
街道を真っ直ぐ南下し、道中にある宿の側で夜営をし、
3日目の夕暮れに首都を取り囲む壁が見えるところまで来ていた
宿の近くで夜営するのは安全性のためだ
宿には人が集まるため、魔物の類はあまり近寄ってこない
野盗などが来る事も稀にあるが、彼らも散在する宿を潰したくはなく、
基本的には宿や宿泊客を襲ったりはしない
美味しい獲物と認識されれば別の話だが……
既にドラスリア王国首都ドランセルを出てから半月が経過しており、
予定より少しばかり遅れている事に焦りを覚える
コムラーヴェの壁が見えたからと言ってすぐに着くわけではない、
ここから数刻はかかるため、この時間であれば夜営の準備をした方がいい
それほど視界の悪い夜道は危険なのだ
夜は魔の領域……魔物が活性化し、人など簡単に食われてしまう
弱者である僕らはそれを避けるために火を灯し、
寝ずの番で焚き火を維持するのだ
魔物と言えど獣に近い存在である事が多い
獣は本能で火を恐れる、それは魔物であっても変わりはしない
中には知性のある魔物が火を使うとも聞くが、
細かい事を気にしていたら何も出来なくなってしまう
多少のリスクは覚悟の上だ、そのための準備もしてある
僕らは夜営の準備には入らずに前進を続け、
このまま一気にコムラーヴェを目指すつもりだ
危険は承知だが、何のために冒険者を3チームも雇っているんだ
チラリと隊商の列の中央辺りにいる一団に目をやる
リザードハンド……ドッジ・ランベル率いる2等級冒険者チームだ
12名という大所帯なため、依頼料が高いかと思ったがそうでもなく、
通常の2等級冒険者に払う額と同じようなものだった
という事は彼らリザードハンドは、
通常の2等級冒険者よりも個々の収入はかなり低いという事になる
下手をすれば3等級と同等か、それ以下の可能性まである
装備を見ただけでもそれは分かる
僕は2等級冒険者を彼ら以外で2回だけ見た事があるが、
その装備はミスリルや魔法が付与されたモノなど、
1人1人が価値あるものを所有していた
リザードハンドの個々の装備はどう見ても2等級には見えはしない
3等級でも中の上と言ったところだろうか?
悪くはない、だが良くもない、そんなところだ
1人1人の収入が低いのであれば当然なのだが、
彼らは安全性をとってあのチームにいるのだろう
しかし、不満がないわけがない
その不満が横暴な態度や粗野な言動に繋がっているのだろう
2等級とは名ばかりの"小物"というわけだ
確かに戦闘力はあるのかもしれないが、
あのままでは永遠に1等級にはなれないだろう
1等級とは絶対の存在であり、失敗などありえない
まさに生きた伝説とも言える存在であり、人類の頂点である大英雄だ
1等級とはそれだけの力がある、信頼がある
彼らのような小物に務まるような軽いものではない
僕は生きる伝説……1等級冒険者チーム"ハーフブリード"を思い出す
彼らこそまさに英雄と呼ぶに相応しい人達だろう
実際に世界を1度救った大英雄であり、救国の英雄でもある
リーダーの"不動"こと漆黒の剣士シルト
彼の名は随分前から聞くため、2等級時代から秀でた人物なのだろう
聞くところによると彼はスラムの出だという
信じられるかい? 僕と同じような生まれという事だ
この世界で裕福なのは一握りの人間だけだ
大半は貧困層であり、そんな彼らにとって彼は憧れなんだ
夢が詰まっている彼の物語は聞く者の胸を躍らせる
僕のような吟遊詩人が彼の詩を幾つも作り、
今もラルアース全土で歌い続けていることだろう
実際、僕も彼の……いや、僕の場合は彼らのだね、
彼らハーフブリードの詩は作った事がある
子供たちは目を輝かせ、大人たちはうっとりと夢に触れる
どの街でも人気のある詩だったため、結構稼がせてもらったよ
この旅の途中で歌った英雄エイン・トール・ヴァンレン、
彼もハーフブリードと共に世界を救った1人だ
世界から死の概念を取り戻す物語……おとぎ話のようだが事実だ
しかし、この物語はあまり詩にしない方がいい
これほど詩に向いた物語もないのだけど、死の消失事件は多くの悲劇を生んだ
生みすぎた……世界は悲しみに溢れてしまったんだ
そのため、この物語は下手に触れると反感を買ってしまう
思考が脱線していく中、隣に座るセスティアが声をかけてくる
「旦那様、あちらを……」
彼女が指す方へと視線を向けると、小さな赤い光が6……いや、8か
「あれは……」
僕が馬車から身を乗り出して見ていると、
ドッジたちリザードハンドも気づいたようで、
馬の速度を上げて先頭を走る僕らの馬車に近寄ってきた
「旦那、魔物ですが、いかがなさいますか?」
「馬車は止めない、任せる」
「了解で」
簡潔に済ませると、ドッジは仲間……いや、部下か? に、
指示を出し、3等級の2組にも声をかけていた
彼らは腐っても2等級冒険者だ、金や名声のために依頼はこなす
先日のような揉め事は異例であり、それを引っ張るような愚か者でもない
私情を挟んで依頼主に何かあれば信用に……名に傷がつく
ドッジのような輩は欲望と名声こそ最優先だろう、
そんな彼がこの場で恥になるような事をするはずがなかった
「さぁ、働いてくれよ……」
僕は隣にいるセスティアくらいにしか聞こえない声で言うと、
魔物の襲来に怯えてか、それともドッジに怯えてか、
セスティアは僕の袖を指先で掴み、小刻みに震えていた
彼女の肩を優しく支え、御者に声をかける
「少し速度を上げてくれ」
「はいさっ!」
パシンッ! と鞭が鳴り、馬が悲鳴を上げる
同時に荷馬車の速度は上がり、僕らに釣られるに他の荷馬車も速度を上げてゆく
3等級冒険者が隊列の前後をそれぞれのチームで分担し、
ドッジたちリザードハンドは広がるように魔物へと向かって行く
ハッキリ言ってしまえば視界は悪い、
もはや松明から半径6~7メートル程度しか見えないだろう
これは本来ならば夜営するべきところを強行した僕の責任だ
馬で魔物群れを追いやるようにドッジ達が動き、
群れが固まったところでドッジが何かを投げた
ガシャンッというガラスの割れるような音がし、
赤い光は2つ4つと消えてゆく……噂に聞く彼の毒薬だろう
残りの魔物は逃げたようで難なく撃退に成功していた
仮にも2等級というわけか……僕は少しだけ彼らの評価を上げる
「速度を戻してくれ」
御者にそう伝えると少しずつ速度は落ち、通常の早さに戻る
あまり速度を出しては荷馬車や積荷が痛むのもあるが、
暗闇の中で駆けるのは危険だからだ
ドッジたちが戻り、魔物を追い払った事を伝えてくる
彼らは魔物の死体を漁りたいようで、
少し遅れても構わないか? と聞いてきたが、
魔物の種類を聞いた後に追加報酬を払うと約束して断った
今は時間が惜しい、安全も確保したい
そのためならば多少の出費は惜しまない、
事前にそのための金も用意してあったのだ
今回の魔物はスナッチャーが4頭、狼に似た魔獣だ
全長2メートル半近くある毒を持つ魔物だが、
ドッジの毒で2頭は仕留めたようだ
スナッチャーの死体からは毒性の牙や、毒耐性のある毛皮が取れる
魔物であるため肉を食す事はできないが、
牙や毛皮だけでも2頭なら40銀貨程度にはなるだろうか
僕は皮を剥ぐ手間などを差し引いて36銀貨を約束した
するとドッジは上機嫌に頷き、隊列へと戻ってゆく
日が落ちてから随分時間が経ってしまったが、
何とか聖都コムラーヴェの正門へと到着する
この街は入るためには検問を受けねばならなく、
そのため昼間は混み合っており、数時間待たされる事もざらだ
しかし、今は日も暮れてからかなり経っているため、
こんな時間に訪れる者などおらず、僕らは待ち時間無しで受けられた
帽子やフードといった顔を隠すものを外し、
手荷物や荷馬車などは中を見やすいようにし、
怪我人・病人・死人・不審者はいないかを調べる
最後に訪れた理由を聞き、問題無ければ通されるといった感じだ
六神教の総本山である聖都コムラーヴェを訪れる者は多く、
この検問により大行列が出来るのが恒例となっていた
これだけ大きな街は隊商が訪れる事も少なくなく、
検問官も慣れているようでテキパキと仕事をこなしている
受ける僕らも慣れており、彼らが仕事をしやすいようフォローしていた
誰が言ったのか「時は金なり」僕もそう思うからだ
数も多いため、1つ1つの荷馬車のチェックは緩かった
その結果、アーティファクトを入れている木箱は見つからず、
僕らはカナランの首都コムラーヴェに入った
隊商用の荷馬車を置ける広場に移動しながら、
僕は隣のセスティアの様子を盗み見る
奴隷時代の彼女はどこで何をしていたのだろうか、
コムラーヴェのような大きな街に来た事はあるのだろうか、
そんな事を考えながら彼女を顔を盗み見ると、
彼女は無表情のまま流し目で街を眺めており、
僕の視線に気づいたのか、こちらに顔を向けて聞いてくる
「旦那様、いかがなさいました?」
「いや、なんでもないよ」
「そうですか……ご用があればいつでも仰ってください」
「ありがとう、ティア」
あれ以来、彼女が僕を兄と呼ぶ事はない
いつも通りのセスティアだ……悪くはないのだけど、
やはり惜しい気もしてしまう
僕は彼女と本当の家族に戻りたいんだ
幼き日の記憶を呼び起こし、僕はそれを実行している
彼女の頭を撫でたり、優しく抱き締めたり、
これは幼い頃に僕が彼女にしていた事だ
感謝の言葉……ありがとう
これは彼女が僕によく言っていた言葉だ
あの頃の記憶が鮮明に蘇った僕は、
少しでもセスティアに思い出してほしくて続けている
最近は表情が動いたりする事も増えたと思う、
先日の1度だけ兄と言ってくれたのも大きな変化だろう
全く意味がない事なんて無いんだ、続けていれば少しずつでも変化はある
今日はもう遅いため、荷の取引は明日にしよう
商人でない僕が交易のような事をしているのは、
ドランセル出立前にリストを貰っているからだ
このリストにはどの街で何を売って何を買うか記載されている
出資者である商人たちの要望が詰まっているというわけだ
僕はリストの通り仕事をすればいいだけだが、
物資が無い場合や値段が想定外だった場合など、
ある程度の臨機応変な対応は許されている
ここが大事な部分だ
僕の臨機応変な対応で商人としての才を精査されているのである
今回隊長に選ばれたのはそういう意図があっての事だろう
任されたからには期待以上に応えねばならない
流石に疲れたため、この日は早く眠りにつき、
翌日は日の出と共に朝市を回り、昼前に大口の商談が待っている
目玉の商品はアルゴストーンで買い付けた染色液だ
コムラーヴェには六神全ての神殿があり、総本山である教会もある
そのためか、各神に合わせた染色液の消費量が高く、
高額な染色液も飛ぶように売れる事で有名だ
アルゴストーン近郊で採れる鉱石から作られた染色液は、
色の乗りが良く、一部の金持ちから人気である
今回はそれを僕の判断で大量に仕入れてきている……ここが勝負所だ
「ティア、あれを」
背後に控えていた彼女にそう言うと、
彼女は取引相手に失礼のないように静かな動きで1本の瓶を持ってくる
アルゴストーンで手に入れた高級染色液だ
だが、取引相手の地黒な商人アルノーは商品よりもセスティアを見ていた
再び僕の背後に控える彼女を目で追い、
獲物を狙うかのような目つきになった途端僕を見てくる
「アルノー様、いかがなさいました?」
「あぁ、すまないね、珍しい髪飾りだと思って」
そっちか、なるほど……これは使えるか?
僕は高速で思考し、使えると判断した
「私の使用人がつけているあちらの髪飾りは、
ネネモリの淑女に大人気の品を独自のルートで手に入れた物にございます」
「やはりネネモリか……面白い、聞かせてくれるか?」
半分は本当だが、半分は嘘だ
ネネモリの淑女に人気の品というのは本当だが、
僕はある商人からたまたま譲ってもらっただけで、独自のルートなど無い
「では、その前に染色液の取引を終わらせてしまいましょう」
「そうだな、先にそちらを済ませよう
何、悪いようにはしないさ……その代わり、髪飾りの話は頼むよ?」
「えぇ、もちろんですとも」
腹の探り合い、そんな上っ面のやり取りが商人の戦場だ
互いに深いところは見せず、良いように話を持っていく
まだ慣れないが、ここは失敗するわけにはいかない
アルノーの使用人がお茶を用意し、僕の前にそれを置く
何とも鼻孔をくすぐる良い香りのお茶だが、
茶菓子の方はイマイチ華がない茶色い焼き菓子だ
お茶を一口飲んで僕はある事を閃いた
「ティア、昼の青い瓶を持ってきてくれるかい」
「はい、ただいま」
彼女は走る事はせずに静かに部屋を退出する
今頃馬車まで走っている事だろう、すまないセスティア
だが、これもまた自分を有利にするために必要なんだ
「これは素晴らしいお茶ですね、香りが実にいい……
しかし、こちらの焼き菓子ではお茶がもったいない」
「ほぅ、これ以上に合う物があると?」
アルノーは一瞬眉を寄せるが、興味はありそうだ
これは僕の目利きを証明する大きな一手になる
「えぇ、少々お待ちいただければすぐにでも」
「使用人が持ってくるというわけか、
面白い、ならば待たせてもらおうじゃないか」
アルノーもそれで僕を品定めするつもりのようだった
1杯目のお茶が冷め始めた頃、控え目なノックが聞こえ、
セスティアが入室してくる……息は切らしていない
おそらく入る前に息を整えたのだろう、首元の汗が拭いきれていない
「お待たせしました、旦那様」
透明のガラスで出来た瓶を中身の色鮮やかな青が彩る
彼女の顔くらいあるそれを、セスティアは音もさせずにテーブルに置いた
テーブルに置く前に小指を下に添え、ワンクッション置いてから置いたのだ
「ほほぅ、これは何だね、ガヴィル君」
「こちらはドランセルで人気のシュクセという焼き菓子にございます」
1つ手に取り、アルノーは口に放り込む
味わうように口を動かし、2度3度頷いた
「シュクセは知っているが、これはただのシュクセではない
この表面の青いソースは何だと思ったが、わしにはさっぱり分からない」
心の中で拳を握る、上手くいったぞ
「こちらはチョウマメという花で作ったソースにございます
お茶にも使われるチョウマメは茶菓子に最適なのです
いかがですか? 合わせてお召し上がりいただければと……」
僕に言われてアルノーはお茶を新しく入れ直させ、
一口含んでからシュクセを口に放り込む……そして、黙って頷いた
「素晴らしい、調和が取れてるというのか? お茶の味を邪魔しないものだ」
「お気に召していただけたようで何よりです、
よろしければそちらは瓶ごとお受け取りください」
「では遠慮なく頂くとしよう」
アルノーは迷うことなく受け取った、どうやら気に入ったらしい
本当はこの焼き菓子はセスティアのために買ったおやつだが、
利用できるものは何でも使ってやる、僕は夢を掴んでみせる……が、
あとでセスティアには別のおやつを買ってあげようと心に誓う
これをキッカケに商談は悪くない条件を提示され、
僕の独自の判断で大量に仕入れた染色液は大きな利益をもたらした
アルノーには髪飾りを買った商人への紹介状を書き、
後はあちらで取引をするだろうという丸投げ状態だったが、
あの商人からは大口の客を紹介した事を感謝され、
アルノーからは新しい商品の取引先を手に入れた事に感謝される
驚くほど良い方向に話は進み、僕は内心震えていた
興奮さめやらぬ雰囲気で馬車へと戻った僕は、
声にならない声を上げながら拳を強く握る
その様子を黙って見ていたセスティアはどこか微笑んでるようにも見えた
隊商のコムラーヴェでの取引は終えたが時間は夕暮れ前であり、
今からの出立は危険を伴うだけだという判断で翌朝にずらす
これをチャンスと思ったのか、
隊商が連れてる娼婦たちは「稼ぎ時だよ!」と張り切っていた
彼女たちは旅をしながら客をとるのが主な収入源だが、
昼間は旅芸人のような事をしている
商人でも輸送業でも無いが、彼女たちも歴とした隊商の一員だ
僕の副業である吟遊詩人という仕事もこれに含まれる
売るものがないのなら身体や技術で稼ぐしかないというわけである
一般的には娼婦や旅芸人とは貧民の仕事だが、
彼女たちは誇りある娼婦たちだった
仕事を恥じる事などなく、競い合うように客をとっている逞しい女性たちだ
僕は彼女たちのように強く生きる女性が好きだったりする
隊商に参加する人達には様々な理由がある
僕のような商人を夢見る者、安全に物資を運びたい者、
その日暮らしの生活を抜けられない者、一定の場所にいられない者……
それぞれの目的があり、利害の一致で成り立つのが隊商という組織だ
春にしては少し冷える夜に、馬車の中で毛布に包まりながら、
隣で眠る妹を見る……月明かりだけなので薄暗くてほとんど見えないが、
穏やかな寝息が聞こえ、もう恐怖は消えたのかと錯覚しそうになる
だが、そんなはずはない
あれからまだ数日しか経っていないのだ、
彼女の心の傷がたった数日で癒えたとは到底思えない
無理を……させているのだろうな……
僕は静かに彼女の頭を撫でる……すると、一瞬肩をビクッと震わせ、
寝息が止まってしまい、ゆっくりとこちらを向いた
「起こしてしまったかな、ごめんね、ティア」
「いえ、構いません……何かご用でしょうか?」
「いや、そういうわけじゃないんだ」
穏やかな口調で言ったつもりだが、
僕が頭を撫で続けていたせいか、彼女はこんな事を言い出す
「少々お待ちください」
「うん?」
上半身を起こした彼女は、使用人服に手をかける
するりと布の擦れる音を立てながらエプロンドレスは緩み、
自身の細い腰に手を回した彼女は紐を解いてゆく……
「え? 待ってティア、何をしているの?」
「……夜伽の準備を」
「いやいやいや、待って、そういうのじゃないから」
大慌てで身を起こし、両手を大きく振って否定する
こうでもしないと薄暗くて伝わらないかと思った
「失礼しました……私の早とちりでした、申し訳ありません」
なんで、なんで謝るんだよ……そう伝えたかったが、
彼女の行動は今まで彼女が生きてきた事の証明であり、
その事実が僕の脳をガツンと金槌で殴ったかのような衝撃を与えていた
僕は後ろを向き、黙ることしかできなかった
背後からは衣服の乱れをなおす音が聞こえ、何とも言えない気持ちになる
僕だって男だし、セスティアは可愛いと思う、だが実妹だ
主と使用人、聞かない話ではないけど……考えたこともなかった
……いや、そもそもそんな話じゃないか
僕は妹の生きてきた歴史に、事実に胸を痛めているんだ
悔しかったんだ、悲しかったんだ、つらかったんだ、
それを当たり前のように受け入れてしまっている彼女が……
「ティア、僕にそういう事は一切しなくていいから」
「はい、申し訳ありません、二度としないと誓います」
冷静だ、セスティアはどこまでも冷静だ
嫌というほど冷静だ……くそっ
心の中で悪態をつき、モヤモヤする気持ちのまま僕は横になった
しばらく彼女が動く気配はなかったが、
僕が眠りに落ちたと思ったのか、静かに横になったようだ
だが、僕の心は乱れていて眠れそうもない
どす黒い感情が渦まき、どこへ向けていいのか分からない苛立ちが、
思考を心を乱し、痛みなど無いはずなのに胸が苦しかった
耳鳴りが鳴るほど静まり返った夜、眠れぬ僕の背に暖かさが触れ、
身体がビクリと反応しそうになるのを必死で堪える
それがセスティアである事は間違いない
彼女が何を思ってそうしてきたのか分からない僕は、
背中に全神経を集中し、ただじっとしていた
「…………ごめんなさい、兄さん……捨てないで」
震える声に目に一瞬で涙がたまる
僕は反射的に彼女の方へと身体を向け、その華奢な身体を抱き締めていた
セスティアが腕の中で慌てているが知ったことじゃない
今、僕は彼女を抱き締めたいんだ
「僕はずっとティアの側にいるよ、約束だ」
声を出して分かった、僕の声も震えている
涙がとめどなく溢れてきて、感情が心から漏れてしまう
ティアの肩も震えており、僕の胸辺りが少し湿っている
「絶対に離さないから」
僕は力強く彼女の細い腰を引き寄せ、
頭を抱えるようにして何度も何度も綺麗な髪を優しく撫でる
彼女の穏やかな寝息が聞こえてくるその時まで……
・・・・・
・・・
・
翌朝、少し気まずくなるかと思っていたのだが、
セスティアの様子に変化はなく、いつも通りの彼女だった
肩透かしな感じはしてしまうが、逆にありがたいかもしれない
変に意識してしまってはこれからの旅が気まずいだけだ
隊商の皆は日の出とほぼ同時に動き出し、
美しく巨大な都市だった聖都コムラーヴェに名残惜しさを感じながら、
僕らは最終目的地である産業国家ラーズ首都を目指す
道中で魔物を見かけるが、こちらの数が多いため近寄ってくる事はなく、
特に問題もなく、幾つかの散村を経由しながらラーズ首都へと到着した
既にドランセルを出てから21日が経過している
予定より1日遅れだったが、この程度なら誤差の範囲だろう
細かな取引は別の者に任せ、
僕はリザードハンドを引き連れてある場所へと向かう
2等級である彼らを雇ったのはこのためとも言えよう
ラーズ首都を囲む壁付近はスラム街となっており、治安は悪い
中央付近は馬車が揺れないほど整備された石畳だが、
スラム街ともなると別だ、手入れなどされていないに等しい
僕らは中央通りから横道に入り、スラム方面へと向かっている
この旅の最重要取引の相手がそこに店を構えているからだ
最重要取引……即ち、アーティファクトである
今回、アーティファクトの輸送を秘匿するのには幾つか理由があった
1つ目は、高額商品であるため、狙われる危険性を減らすためだ
2つ目は、このアーティファクトは国に申告していない品であるためだ
アーティファクトとは1つで戦況を変えてしまうと言われる兵器である
そのため、発見者は国へ報告する義務があり、
効果や威力次第では国が半ば強制的に買い取る場合もある
国の買取額は相場より下な場合が多く、買い叩かれると言ってもいい
金が欲しい者や、手に入れた事を知られたくない者など、
それぞれの理由はあるが、申告しない者が後を絶たないのが現実だ
仮に見つかった場合、法的に罰せられるほどではないが、
最悪の場合はアーティファクトの没収がありえる
そのため、秘匿して輸送する必要があり、
取引相手もまた真っ当な場所には居ないというわけだ
パッと見ではただのスラムの掘っ立て小屋に見えるその店は、
入り口に大柄な男が立っており、腰には鉈をぶら下げている
その時点でここが真っ当な店でないのは明白だった
キナイの店……ラーズにある裏取引専門の店である
ラルアース全土から盗品や秘匿物が集まり、
珍しい品の多い事で一部の者には有名な店でもあった
リザードハンドのリーダー、ドッジが男に声をかけ、
何かを握らせてから店内へ案内される、彼は店主と顔なじみらしい
キナイの店と言えば裏の世界では有名な店であり、
僕ですらその名は知っているが、訪れるのは初めてなため、
少々緊張しながら店内へと入ると、独特な匂いが漂っていた
香の類だろうか、少し甘いような、あまり好きな匂いではない
セスティアは顔色一つ変えずに僕の後ろをついてきているが、
彼女の度胸を少しばかり羨ましく思ったりもする
「よぉ、キナイの旦那、久しぶり」
「これはこれは、ドッジ様」
2人がそんなやり取りをし、僕が紹介される……
ドッジの紹介という事ですんなり取引に入る事ができた
彼はそれだけ裏稼業に精通した人なのだろう
「では、失礼して……」
店主のキナイが、僕が差し出した木箱を丁寧に開封する
中身は光沢のある布地で包まれた篭手のような物だった
僕もこの時初めて中身を見たため、これが何なのかすら分からない
一瞬防具の篭手かと思ったがそうでもなく、
指先部分は棘のように鋭く、取り外し可能な3本の爪が別についている
爪には刃があり、これだけでもナイフとして使えそうだ
ナジャレフはアーティファクトとしては価値は低いと言っていたが、
本当にそうなのだろうか? これはかなりの価値ある物に思えるが……
キナイが小さな拡大鏡を取り出して念入りに確認している
しばらくして彼はアーティファクトに手をかざし、何かをしているが、
僕には何をしているのかは分からなかった
しかし、それで鑑定は終わったようで、
キナイはアーティファクトを木箱へと丁寧に戻し、蓋を閉めてから口を開く
「これはまた珍しい品ですねぇ……さてはて、困ったものだ」
わざとらしい態度だったが、
僕は自分が感じたこの武器の価値を信じて強気の交渉に出る
「このアーティファクトは刃だけでもかなりの物でしょう?」
「えぇ、確かに、その点は素晴らしいと思いますが……」
そこでキナイは僕を値踏みするようにじっくりと観察した
なるべく悟られないように平常心を維持するが、
相手は裏稼業でも有名な商人だ、僕程度の演技では見抜かれてしまう
「ガヴィル様はこの武器の効果をご存知で?」
「いえ、私は託されただけですから、存じてあげておりません」
「なるほどなるほど……」
再び顎に手を当てて悩むキナイは、ポンっと手を鳴らす
「では、これでいかがでしょう?」
彼が持ち出した使い古された算盤が額を提示する
ナジャレフから言われている額とほぼ同じだが、気持ち届かない
もう一押し……僕にいけるだろうか
「防具としても使えそうなこのアーティファクトです、
もう少しだけ色を付けていただくわけにはいきませんか?」
「ん~……ハッキリと申しましょう、
このアーティファクトは使える者が限られるんですよ」
キナイの表情が一気に険しいものとなる
不味い、何かミスをしてしまったかもしれない
「こちら、見たところ近接武器のような構造です
しかし、この武器は魔法使い専用のアーティファクトなのですよ」
「え……」
僕は驚きのあまり目を大きく見開く、
確かに先ほど見た構造からは格闘技術を持つ者の装備に見えた
それが何故魔法使い専用なんだ?
「それはどういう……」
キナイはフードから覗かせる鋭い瞳で僕を睨み、
何かを察したのか、ため息を1つついてから続ける
「これを使うためには膨大な魔力が必要であり、
近接武器でありながら魔法使いでもないと使えないという事ですよ」
「それも、宮廷魔法使いクラスのね」と彼は付け加える
あぁ……それでは使い手はほぼいないだろう、
魔法使いで身体能力が優れた者など稀だ
「なので、これ以上の額は難しいですねぇ」
どうする、ナジャレフの提示額に少し届かないぞ
染色液の利益でも足りないほどだ……くそっ、どうする
僕は自分の功績が無意味なものになる気がして焦ってくる
その焦りはキナイにとってはつけ込む隙となり、
取引はこのまま終了してしまう流れになってしまった……が
「そちらの刃だけ別で売るという選択肢はあるのでしょうか?」
意外にも口を開いたのはセスティアだった
彼女は口を開いてから慌てて頭を下げ、何度も謝る
いや、これは好機だ! 助かったよ、セスティア
「キナイ様、私の使用人が失礼しました……ですが、
彼女の言う通り、刃だけでも価値はかなりの物、
それは貴方もお認めになっていましたよね?」
「えぇ……まぁ」
キナイが言葉に詰まった、いける!
「では、刃だけ別の買い手を探すといたします
私もナジャレフ様に託された身、
依頼主の提示額に届かない取引はできません」
「まぁまぁ、落ち着いて……
そうですね……では、こちらでどうでしょう」
キナイは算盤を叩き、新たな提示額を見せてくる
その額はナジャレフに提示されたものを少しだけ上回っている
「取引成立ですね」
僕はキナイと互いに良い取引が出来たと握手を交わす
大量のドラスリア金貨を受け取り、
1人では持てないため、セスティアにも一部を持ってもらう
彼女は見た目に反して結構力があるようで、危な気なく持っていた
ドッジたちリザードハンドが僕らを囲むように護衛し、
馬車まで辿り着いた僕らは金属の箱に金貨をつめて鍵をする
すごい量の金貨だ……さすがはアーティファクトか……
僕は金貨の山に胸が騒がしいくらい興奮していたが、
先ほどの取引を思い出し、セスティアに声をかける
「ティア、さっきはありがとう」
「いえ、差し出がましい真似をして申し訳ありませんでした」
彼女はいつもの淡々とした口調で謝るが、
謝る必要なんて無い、むしろ褒めるべきところなんだ
「ティアのおかげでいい取引が出来た、これは本当だよ」
「勿体なきお言葉、ありがとうございます」
うーん……どうやったら僕の感謝の気持ちは伝わるのか……
興奮気味の頭で色々考え、1つの答えを出す
「ティアの望みはあるかい?」
「望み……ですか?」
「うん、何か欲しいものとか」
僕の問いにティアはしばし考え込み、
何かを閃いたのか、少しだけ顔を赤くして言いにくそうにしていた
彼女は肌が白いから赤くなるのがすぐ分かってしまうんだ
「なんだい? 多少の無理でも叶えてあげるよ」
「……本当によろしいのでしょうか?」
「もちろん、これは僕からの感謝の気持ちだから受け取ってくれると嬉しい」
再びティアは俯き気味に黙ってしまい、
何度か口を開いては言葉が出ずに閉じてしまう
どうしたものかな……僕が困っていると、
彼女は意を決したようにスカートの端をギュッと握り、僕を見た
「名前が……欲しいです」
「え?」
彼女の言っている意味が分からなかった
「旦那様と…………兄さんと同じ名前が……」
「……」
やっと理解した
セスティアは僕と同じように家族に戻りたがっていたんだ
嬉しくて今にも小躍りしそうだったが、その気持ちを堪えて口を開く
「……駄目でしょうか」
僕が黙ってしまった事が不安だったのだろう
控え目な妹は目尻に涙をためながら懇願している、
彼女の生まれて初めてのワガママかもしれないそれを、
妹が大好きな僕に断れるはずもなかった
「駄目なわけがあるか、嬉しいよ」
その時、僕はセスティアの笑顔を初めて見た
幼い頃にも見たかもしれないが、その記憶は僕にはない
今の彼女の笑顔が僕にとっては初めての笑顔だったんだ
・・・・・
・・・
・
あれから5ヶ月が経った
ドラスリア王国首都ドランセルへと戻った僕は、
今回の隊商による利益が予想の遥か上なのを評価され、
店を構える商人ではないが、交易商人として正式にナジャレフに雇われた
交易商人として数年実績を重ねれば店を持つ事も出来るだろう
僕は夢にまた一歩近づいたんだ
リザードハンドの問題はその後の活躍もあり不問としたが、
噂というのは止める事ができず、彼らの評判は悪くなったようだ
アルノーは僕が紹介した商人と取引を始め、
ネネモリの装飾品を幾つもカナランへ持ち込んで稼いでいる
彼らとの繋がりを持った僕はそのおこぼれを頂いていたりもした
あの隊商は僕に様々なものを与えてくれた
富、繋がり、そして……
「おはよう、兄さん」
セスティア・ガヴィル……それが今の彼女の名だ
奴隷という立場だった彼女の所有権を放棄し、
ただの1人の人間となった彼女にガヴィルの姓を与えるため、
僕がとった行動は少しおかしなものだったのかもしれない
年齢が近いため養子にするわけにもいかず、
かと言って勝手にガヴィル姓を名乗らせるのも難しかった
これは僕が商人としての地位を手に入れてしまったためだ
ある程度の地位を得た名は勝手に名乗ってはいけない
その家が既に存在していないのなら構わないが、
そうでない場合は混乱を招くからだ
そのため、彼女にガヴィル姓を名乗らせるのは難しかった
そして、僕らが出した答えは……籍を入れることだった
書面上は夫婦となり、僕らは同じガヴィルとなった
しかし、僕らは男女の関係ではない、兄妹だ
この世界で兄妹での婚姻はよくある話だが、
僕らはそれを望んではいなかった……ただ、家族に戻りたかったんだ
籍を入れたばかりの頃はガヴィル婦人として扱われ、
セスティアはいつも困った顔をしていたが、
いつの間にか周りも彼女を僕の妹として認識し、
仲の良い兄妹として近所では有名になる
「おはよう、ティア」
僕らは朝の挨拶を交わし、優しいハグをする
穏やかな一日の始まりだ
「本日の予定ですが……」
時折、以前のような態度を取るセスティアに困惑するが、
これもまた彼女に染み付いてしまった一部なのだろう
僕ら兄妹は貧困という理不尽に一度は引き裂かれてしまったが、
まだちゃんとした兄妹ではないかもしれないけど、僕らはこれでいいんだ
僕とセスティアは兄妹なのだから、幾らでも時間はある
僕らの中にはどこを切っても同じ血が流れている
それは、切っても切れない絆であり、縁だ
「行きましょう、旦那様♪」
笑顔のセスティアはふざけてそんな事を言うことがある
まったく困ったものだが、可愛い妹の笑顔が見れるならそれもまたいいものだ
「行こう、ティア」
僕ら兄妹は生きてゆく、この過酷な世界で懸命に生きてゆく
この短編は【カタクリズム】という物語の外伝になります。
あの世界の一般人にスポットを当てた物語ですので本編と深い関わりはありません。
もしこの短編で気になりましたら本編をどうぞー!
実は今回の短編にどうしても入れたかったお話がありまして、
文字数の関係で削り落としましたが、やはり勿体ないのでこちらに。
秋の心地よい日射しの中、ドランセルの街を歩いていると、
背後を歩いていたはずのセスティアが少し遅れていた
というより、ある店の前で止まっていた
彼女はガラス越しに店内を熱心に見つめている
何がそんなに気になるのかと興味の湧いた僕は彼女に近寄り、
目線を同じ高さにして店内を覗く
「あ……」
セスティアが驚いて顔を赤くしている
僕は構わず店内を眺めるが、これといったものはない、
普通のパン屋のようだが……お腹が空いているのだろうか
「何か食べるかい?」
僕がそう聞くと、彼女は慌てて否定してくる
短い髪がぶんぶんと横に揺れ、必死さが伝わってきた
「何を見ていたんだい?」
「それは……」
頬辺りの髪をいじりながらセスティアは俯く
この後の予定まで時間も無かったため、
僕はそれ以上聞くのをやめて先を急いだ
取引相手との商談を済ませた後、
俯きながら後ろをついて歩くセスティアを見る
あれから元気がない、どうしたものか
今日はしきりに髪を気にしているようだが……あぁ、そうか
セスティアに晩飯の食材を買いに行くようお願いし、
僕は別の用事があるからと一旦別れる事にした
急ぎ足である店に向かう僕は今朝あった事を思い出していた
早朝、セスティアは玄関前をホウキで落ち葉を掃除をしていた
これは彼女の日課なのでいつも通りの光景だが、
今朝は少しだけ違っていたんだ
道行く女性を眺め、髪をいじってから俯き、落ち葉を掃く
この繰り返しだったのが印象的だった
そこで気づけてあげられたのなら良かったのだが、
この程度の事も気づけない愚兄を許してほしい
急ぎ足を更に早め、ある店の扉を開く
店主に事情を話して、夕暮れ前には報酬を払って店を出た
はやる気持ちを抑えながら、
秋の少し肌寒い風で火照った身体を冷ます
僕は「よし!」と気合を入れてから我が家へと向かった
玄関を開けようとすると、先に扉が開き、
中からセスティアが顔を出す
「おかえりなさいま……せ」
セスティアの言葉が途切れる
僕を見上げたまま固まっており、落ち着きなく視線を動かしている
「ただいま、ティア」
僕はいつも通り彼女を優しく抱き締め、家へと入る
我に返ったセスティアがちょこちょこと動きて離れて行き
「お夕飯は出来ております」
と、口調こそいつも通りだが、視線は泳いでいた
彼女がこんな風になっているのは僕のせいだろう
それはもちろん、僕の長い金髪が短くなっているからだ
「いただくよ」
僕は笑顔で彼女の手をとり、テーブルまで一緒に行く
セスティアの作ってくれた温かくて美味しいシチューをいただき、
満腹になったところで片付けを始めた彼女を呼んだ
「ティア、ちょっといいかな」
「はい、何かご用ですか?」
まだ口調が固い時が多いが、これでも少しはマシになった方かな
そんな事を考えながら、彼女の手に紙袋を手渡す
「はい、プレゼント」
「え……」
紙袋を抱えたまま動かない彼女に、僕は笑顔で言った
「日頃の感謝の気持ちさ、受け取ってくれるかい?」
「私は何も……受け取れません」
セスティアは今の生活が幸せだと言っていた事がある
これ以上ないほどの幸せだ、と
だが、それでは駄目なんだ
セスティアは知らなきゃいけない、幸せはもっとあるんだよ
これまで得られなかった幸せは無数にあって、
彼女はそれを知らないだけなんだ
だから、僕は彼女のために小さな幸せを届けに来た
「いいから開けてごらん、もう返品は出来ないものなんだ」
複雑そうな表情で紙袋を開いた彼女は再び固まってしまう
一目見て理解したのだろう、それが何であるのか
僕は静かに彼女に近寄り、
中身を手に取って"それ"を彼女の頭にかぶせる
サラサラとした長い綺麗な金髪が彼女の頬や肩を撫で、
その髪質は自分と全く同じものだった
「これ……兄さんの……?」
「髪が伸びるまでそれを被っているといい」
同じ髪質だから肌触りは悪くないだろう? と冗談っぽく笑うと、
セスティアは大粒の涙をポロポロと零して泣いていた
「あれ……なんで? どうしたんだい?」
彼女の目線に合わせるように屈み、
人差し指で涙をすくいながら頭を撫でると、
突然セスティアは僕の胸に飛び込んでくる
僕の胸で声を出しながら大泣きし、
落ち着くまで僕は彼女の髪……いや、僕の髪か? を撫でていた
「兄さん、ありがとう……でも、こんなのズルい」
「断れるわけがないよ」と文句を言ってくる
そうだろうね……流石に切った髪は戻らないからな
少しズルいのは自覚していたが、
こうでもしないと彼女は素直に受け取ってくれないだろう
「そろそろ長くてウザったかったんだ、
丁度いい機会だからティアのウィッグを作ってみただけだよ」
僕の言い訳はすぐに嘘だと見抜かれる
半分は本当なんだけどなぁ……なんて事を考えながら、
長い金髪を揺らす彼女に魅入っていた