異世界転移
「死んでしまいたい」
そんな言葉を僕はよく呟いていた。
別に誰かに向けて、言っていたわけではない。
ただ、口に出すとほんの少しだけ気持ちが晴れる気がしたのだ。
ならば、言葉の通り本当に死にたかったのかと問われると、僕は首をどの方向にも振ることはできない。
楽にもなりたいけど、幸せにもなりたかったのだ。
そんな心境の中、ズルズルと僕は人生を継続していた。
何も生み出さず全く進まない、くだらない毎日だった。
しかし、それも終わった。
幸なのか不幸なのかは分からないが、自分で決断することなく僕は死んだのだ。
通り魔だった。
あの日の夜、見知らぬ男が僕をナイフで刺した。
何度も何度も。
滅多刺しだった。
5、6回、体を刃が刺した頃、僕の意識は朦朧としていき、次第に痛みも薄れていった。
死の前兆だったのだろう。
結局僕は、死ぬ時にどんな気持ちだったのだろうか。
まだ死にたくなくて苦しくて悔しかったのか、それとも死ねて嬉しかったのか。
突然の出来事で、それは覚えていない。
だけれど、確かに僕、羽瀬恋太はあの瞬間死んだのだ。
15年間の生に幕を閉じたのだ。
……………………………………閉じた筈だった。
「死体が立っていやがる。なんとも気味の悪い光景だぜ」
目を覚ますと、目前に少女が立っていた。
中学生である妹と同い年ぐらいだ。
そんな子がどうしたのだろうか。
「えっと…………君は誰? こんな所でどうしたの? 」
取り敢えずそう聞いてみたが、そもそもおかしい。
どうして僕は生きているのだろうか。
確か刺されて死んだ筈じゃ………………。
思わず腹部に手を当てる。
「え…………」
刺された形跡がない。
服をめくって直接肌を見てみても、手術の跡一つさえない。
「な…………なんで? 」
確かにあの時の事は覚えている。
ナイフという異物が体を蝕んだ感覚も、体温に逆らうあのナイフの冷たさも。
ならどうして。
そもそもここは何処なんだ?
床は真っ黒で、天井は真っ白のこの部屋。
なんて極端から極端な部屋だ。
物は一つもなく、いるのは僕と正面の少女のみ。
「ーーデルタだ」
突然、少女がそう言った。
「で、でるた? 」
少女から発された謎の単語。
どんな意味があるのだろうか。
「デルタ、私の名前だぜ」
「…………あ、あぁ」
そういえば名前を聞いていたんだった。
しかし、デルタ…………海外の子だろうか。
「私はこの部屋の管理人。ここでテメェを待っていたんだぜ」
「…………待っていたって」
「あぁ、待っていた。テメェが死んじまってからずっとな」
「…………」
「へー、 死んじまってるってのに案外取り乱さねぇじゃねぇか」
デルタは本当に意外そうに僕を一瞥する。
「そんなことないよ…………ただ顔に出ないだけ」
「ククっ、そうかい」
「…………で、どうして死んだ筈の僕が今こうして生きているのかな? 」
「生きている? ハッ、勘違いするなよ。お前は今も死んだままだぜ」
デルタは不気味に笑う。
「…………し、死んだままって、どういうーー」
僕の言葉は部屋中に響いた衝撃音によって遮られた。
同時に、部屋の壁に亀裂が入る。
「ちっ、もう終わりかよ」
デルタは不満そうに僕の頭を乱暴に掴んだ。
「へ? 」
「さぁさぁ、行きやがれ。第二の物語の始まりだぜ」
瞬間、床も壁も崩れていく。
必然的に足場を無くした僕は重力のままに下に下に落ちていく。
デルタの姿はもう見えない。
彼女はいったいーー。
気がついた時には、僕は広大に広がる草原の上で仰向けになっていた。
あの部屋は何だったのか。
デルタは何を言いたかったのか。
そんな事、全く分かっていないままだ。
ただ、部屋も彼女も僕の常識の尺度では測れない物である事は分かっている。
だから取り敢えず今は進もう。
どれだけ考えても分からない事に時間を使っている余裕はないだろうから。
しばらくして、星々の輝く夜空を眺めながら状況を確認していく。
まずここが何処かは分からないが、少なくとも日本と言うには無理がある。
遠く離れたここからでも姿を確認できる程、巨大な洋風の城が見えるのだ。
それも一つだけではない。
日本にはこんな景色ない筈だ。
フランスあたりか?
しかしそれも少し納得しづらいな。
次に自分について。
僕は死んだ筈なのだけれど、どうしてかこうして動いている。
単純に考えれば、実は死んでいなかった。
というのが正解なんだろうけれど、デルタの言葉もあることだし、まだ分からない。
あー、本当に分からないことばかりだな。
ただ取り敢えず分かることは、僕はまだ頑張らなくちゃいけないって事だ。
「はぁ…………」
思わず出た、ため息を皮切りに僕は腰を上げる。
止まっていても仕方がない。
まずは前方のあの城へと行ってみよう。
「オイ、あんちゃん」
ちょうど僕が一歩、緑の地面へと踏み込んだ時、背後から声が聞こえた。
声の主へと振り返ると、厳つい顔の長身な男が立っていた。
帽子に手袋と、やけに暑そうな服装だ。
「はい、どうしましたか? 」
「あんちゃん、少し見るに堪えるぜ、その格好は」
男は僕を指差す。
「格好? 」
僕の服装は刺された日のままで半袖に長ズボンとなっている。
ついたはずの僕の血や切られた痕跡はどうしてかない筈なのだけど、何処かおかしな所があったのか。
「…………寒くないのか? 」
「寒い…………ですか? 」
特に寒いとも暑いとも思わないのだけど。
「おいおい、正気かお前、エイトスフィアの冬の夜なんだぜ」
「…………エイトスフィア? 」
「…………はぁ……」
呆れた様にため息をつく男。
「いいからこれでも着ておけ」
そう言うと、来ていたコートを一枚、僕の胸に押し付ける。
「え?…………いいんですか」
「あぁ、一度見ちまったんだ、勝手に死なれても困るさ。それにコート脱いだぐらいじゃぁ、俺を震えさせることはできないぜ」
確かに、コートの下にもまだ何十もの服がありそうだ。
「ありがとうございます。 見知らぬ僕なんかの為に」
「ハッ、そう自分を貶めるな、こういうのは堂々と貰ってしまえばいいんだよ」
そう言ってくれるのなら、お言葉に甘えよう。
そう思い、着た瞬間、体が一気に圧迫される。
こんな物、着たことがない。
僕の知るコートとはまるで素材そのものが違うような………………。
「温かいだろこれ、実はドラゴンの皮を使った特注品なんだ。羊のとは訳が違う」
……………………………………ドラゴン?
聞き間違いだろうか?
「あの、ドラゴンって…………」
男は不思議そうに僕を見る。
「ふむ…………ドラゴンはドラゴンとしか言いようがないな」
「ドラゴンって…………あの翼が生えて火を吹く? 」
「あぁ、そうだな。きっとそのドラゴンだ。だが、火を吹くだけじゃねぇ雷だって氷弾だって吐くぜ、アイツらは」
「そう………………ですか」
この世界はもしかして……………………。
それに、この未知のコートを着ても、僕は温かいと感じない。
これは、どうなっているのだろう。
デルタは僕を死んだままと言ったけど、まさかそれは本当なのか。
自分の常識を超える現状に頭の処理が追いつかない。
「おい、あんちゃん、もしかしてなんだが、行くあてが無いんじゃないか? 」
暫く放心していた僕に、見かねたのか男が言う。
「……………………はい、無いようなものです」
「そうか、やはりあんちゃんもそういうタチか」
そういうタチ?
「なら取り敢えず俺の所に来い。暫く面倒見てやるよ」
「へ? 」
……………………………………な、面倒見る!?
「…………面倒見るって、どうしてですか? 」
「どうしてって、あんちゃん困ってるんだろ」
「そりゃ困ってはいますけど」
いくら日本の文化と違うといっても、会ったばかりの人間の面倒を見るなんて…………そんなの異常だ。
何か裏があるのかもしれない。
「俺はな、こう見えて金持ちなんだ」
「へ? 」
「少なくとも、そこらの貴族様よりは全然持っている。ただ、欲がないのか使い道がなくてな。ならば、折角ならあんちゃんみたいな行くあてのないガキの為に使ってやろうって思ったんだ」
「え………………」
この人はきっと嘘をついていない。
これがこの人の本心なんだ。
そうか、優しい人っているんだ。
お金があって、欲がないから。
だからって他人に恵んでくれる人なんて普通いない。
それに、人間は無い欲望を無理矢理にでも作る生物だ。
「本当にいいんですか? 」
「あぁ、構わない」
「………………なら」
いいや、待て。
僕なんかが、お世話になっていい筈がない。
僕はいつ死んでもいいと思っているんだ。
それなら、まだ生きることに希望を持った子達を優先させた方がいい。
僕は生きたいわけじゃない、ただこの人の優しさに甘えたいだけなんだ。
「いや、お気持ちありがたいのですけど、お断りさせてもらいます」
「ーーいいや、断る」
「へ? 」
「そんな苦しそうな顔して何言ってんだ。そんな顔されちゃ、俺はお前を絶対に放っておけない」
男は僕を無理矢理担いで、広い草原を歩き出す。
読んでいただきありがとうございました。