1 始まる恋
「ん…」
目が覚めると、見慣れない部屋にいた。
えっと、ここどこだっけ? あぁ、引っ越してきたんだっけ。ベッドだけ使えるようにして……あれ? ベッドじゃない…って、男が寝てる!?
思わず上げかけた悲鳴を飲み込む。
夕べ、何があったんだっけ!?
えっと、隣に男の人がいるって、まさか……あたし、裸じゃん!?
隣の男を起こさないよう、静かに布団から抜け出して服を着る。これは多分、いたしてしまったよね。
パニクる頭をなんとかなだめすかしながら、バッグを確認する。うん、スマホは入ってる。
位置情報を見ると、あたしんちのすぐ近くみたいだ。音を立てないよう外に出て、音が出ないようドアを閉める。
…ようやく一息つけた。プレートには206ってあるから、ここは2階らしい。階段で降りられるね。
どうも見覚えがあるエントランスだなぁ。
ちょっと! ここ、あたしのマンションじゃない!?
え、なに、それじゃ夕べあたしは自分ちの建物に来たのも気付かなかったってこと!?
とにかく、誰かに見られないうちに部屋に帰ろう。エレベーターだと誰かに会った時逃げられないから、階段がいいよね。
うわぁ…あたしの部屋の真下だったんじゃん。
どうして入る時に気付かなかったかなぁ。
飲み明けの頭にじわじわとせり上がってくる自己嫌悪に、吐きそうだ。
とりあえず、化粧ちゃんと落としてお風呂に入ろう。そんで、朝ご飯食べたら、気分もきっと上向くよ。
お酒抜くのもあって、ちょっとぬるめにお湯を溜めてお風呂に入った。いつもは43℃くらいだけど、今日は41℃で。心臓麻痺とか、シャレにならないから。
なんか、あたしって熱めのお風呂が好きらしいんだよね。家族みんなそうだから、自分じゃわからなかったけど。
一般的には、41℃って十分熱いらしいけど、これよりぬるいと、あたし風邪ひいちゃいそうだし。
はぁ~~~。ゆったりだねぇ。
湯船が広いのは、ここのいいところだよ。やっぱ足が伸ばせないと。
って、ゆったりくつろいでる場合じゃないよ!
あたし、なんで男と寝てたのよ! 身バレは…してないよね、きっと。プライベートモードの時は、関係者に見付からないように、先生やってる時とは別人みたいににしてるし、京香苗なんて変わった名前だから、うっかり外でフルネーム言わないようにしてるし。
「みやこ」とだけ言うと、「京」なんて思われないから、印象が変わるのよね。
で、夕べ何があって、あんなんなっちゃったわけ?
えっと、昨日、ここに引っ越してきたんだよね…。
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「ふぃ~~、やっと終わった」
荷物の搬入が終わって業者を見送り、玄関から振り返って部屋を眺める。
大学時代を含めて3度目の引越だけど、結構荷物が増えたなぁ。
マンションなんて呼ぶのもおこがましい安っちい内装だけど、一応エレベーターは付いてる。
テレビはセットしてもらった、エアコン・洗濯機も大丈夫。
冷蔵庫は動かしたばかりだから、2時間くらいは電源入れられない、と。
ベッドとマットレスは寝室に運んでもらってあるから、まずは布団を出さなきゃ。
最悪、これさえあれば今夜は過ごせるし。
おっと、パジャマと替えの下着もいるね。せっかくだから、服はある程度片付けちゃおうか。明後日から仕事だし。
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あ~、もう5時かぁ。そりゃ暗くもなるよねぇ。まだ食器とか出せてないんだよなぁ。しゃあない、今日は作るのやめ! そんな元気ないもんね。なんかお惣菜買ってくるか。
外出るとなると、一応それなりの格好しなきゃね。仕事モードとプライベート、お部屋モードの区別は重要よ。
あたしは、高校で歴史を教えてる。新卒4年目の、まだぺーぺー。
教師なんてのは、生徒関係者から一方的に顔を知られていて、校外でも一挙手一投足を監視されてるようなもんなのよね。
なんせ生徒だけでも1学年300人は下らない上に、単純計算でその倍以上の家族がいるわけで。しかも、同じ学校に何年かいれば、卒業生という形であたしを知ってる人が増えていくわけで、気が休まる暇がない。
なので、あたしは仕事とプライベートで、別人のように姿を変えることにした。
仕事では、ウン十年前の教育ママみたいなひっつめ髪に三角眼鏡、パンツスーツ。
プライベートでは髪にウェーブかけて、ゆるふわのスカート。どうせ仕事着をプライベートで着ることなんかないんだから、ハッキリくっきり分けた。
てなわけで、ゆるふわなあたしプライベートモードの完成だ。
せっかく着替えたんだし、惣菜買ってきて食べるんじゃなくて、外食にしちゃおうかなぁ。1人寂しくご飯というのもアレだし、このちらかった部屋で食べて生ゴミ出すのもなんか嫌だし。
引越記念で、ちょっと贅沢してもいいよね。よさげなお店があったら入ろう。どっちにしても、1人でご飯は変わらないけど。
今日は、疲れてるからエレベーター使っちゃう。たかが3階だし、普段は運動のために階段使うのもいいかも。
駅からは反対方向になるけど、大きめのスーパーだね。あたしは、多分休日メインで使うから、駅と反対でも全然構わないし。
品揃えもそこそこかな。車で来るには微妙な距離だけど、1週間分買うんだと、車の方がいいかもねぇ。
マンション周辺には、コンビニもいくつかある。駅の方にもあったよね。客の奪い合い、すごそう。
「お姉さん、どうしたの、キョロキョロして。
1人? 迷子だったら、俺たちが案内してやるよ」
信号待ちしてたら、頭の悪いセリフを吐きながら、チャラい感じの兄ちゃんが2人寄ってきた。キョロキョロしてて悪かったね。道とか覚えたいんだよ。
「道案内ならいらないから。あたし、こう見えても結構忙しいの」
なんて断ってみたけど、人の話聞いちゃいない。
ベラベラベラベラまくし立てられて行く手塞がれて、信号渡り損ねた。
疲れてんだから、ほっといてよ。
あ~、イライラする。
あたしは、どっちかって言うと気が短いのよ。こんなとこで問題起こすと、学校に連絡いっちゃうし、我慢するけどさ。
…と思ったけど、早くも我慢の限界。こいつら、殴りたい。
もう信号2回目だ。なんで誰も助けようともしないのよ。
あ、今、目が合った兄ちゃんがこっち来る。もしかして、助けてくれたり?
「や、おひさ。この人達、誰? 知り合い?」
助けてくれるみたい。よし、今がチャンスだ!
「あ、いいとこに。
あの、あたし、この人と用あるから、じゃあね!」
と言って、こっち来る兄ちゃんと腕を組んで歩き出す。行きたかった方向とは違うけど、とりあえずナンパ野郎から離れないと。
しばらく歩いてから、腕を放した。
「ありがとう、助かっちゃった♪
学生さん?」
163あるあたしより、頭1つくらい大きいから、180くらいかな? なんか体つきもがっしりしてるし、スポーツでもやってそう。
「え? ああ、2年」
大学2年かぁ。そうすると、二十歳ね。
「そっかぁ、若いねぇ。
ね、ご飯まだだよね?
あたし、引っ越してきたばっかで、今日は疲れちゃってご飯作る気ないんだ。一緒に食べてくれない?
助けてくれたお礼に、お姉さん奢っちゃうからさ」
気が付いたら、ご飯誘ってた。あれ、逆ナンみたい。
「あ、でも、助けたったって、声掛けただけで…」
遠慮かな? それともあたしじゃ嫌だとか?
「他の人は、みんな遠目で見るだけで、誰も声も掛けてくれなかったもの。キミだけだよ、助けようとしてくれたのは。ね? ご飯付き合って?」
「あ…じゃあ…」
よかった、嫌われたわけじゃなさそう。
ん? 何がよかったって?
一緒に来てくれるっていうから、また腕を組んで歩く。うわ~、腕組んで歩くのにいい身長差だわ、これ。
一緒にしばらく歩いて、よさげなイタリアンのお店を見付けた。
「あたしね、パスタ食べたいなぁ、なんて思ってるんだけど、いいかな? あ、もちろんキミは肉でも魚でも好きなもの頼んでいいからね」
一応訊いてみたら、好き嫌いはないってことだから、そのお店に入ることにした。うわぁ、石窯あるじゃん。こりゃ、ピザも食べてみたいね。
席に着くと、兄ちゃんは
「ここ、調べてたの?」
なんて小声で訊いてきた。ああ、あたしがパッと決めたからかな。
「ん~ん、全然」
「じゃあ、なんでここ?」
「なんとなく?」
そう、なんとなく。あたしは、結構直感で動くところがある。今日から住むことになったマンションもそう。んでもって、そういう勘は滅多に外れないのだ。
でも、兄ちゃんは、あたしの返答に困ったような顔してた。
「えっと、お姉さんってのも変なんだけど、なんて呼べばいいの?」
「ああ、京だよ」
「みやこさん?」
そうだね、いつまでもキミってわけにもいかないよね。
「キミは?」
「ゆうき」
「どんな字?」
結城とかかな?
「雄々しいに、樹木の樹」
「ああ、雄樹くんか」
ありゃ、名字じゃなくて名前だったか。
初対面で名前教えてくれるんだ…。若いなぁ。…あれ? もしかして、あたしも名前名乗ったって思われた? ま、いっか。
メニューが来て、あたしはワタリガニのトマトソースパスタを頼んだ。後でピザも頼みたいけど、雄樹くん、このガタイならいっぱい食べるよね。あ、ワイン!
「ね、雄樹くんってイケるクチ?」
2人でなら、ボトルで頼もう♪
「俺、まだ未成年なんだけど」
雄樹くんは残念そうな顔で言う。
あ、そっか。大学2年ってことは、誕生日来るまで19なのか! 最近は、大学でも未成年の飲酒ってうるさいもんね。そりゃ残念だよね。
あ~、なんか値段見て躊躇してる。そっか、大学生だとご飯で2000円とかってためらうよねぇ。
遠慮する雄樹くんに、ハーフコースを押しつけた。石窯があるってことは、多分ロースト系のお肉も美味しいよね。
予想どおり雄樹くんのお腹は底なしみたいで、追加で頼んだピザも半分以上雄樹くんの中に消えた。
男の人とこんなふうにご飯食べるのは久しぶりだ。大学時代のカレと別れて以来かな。
全然疲れない。そういや、腕組んで顔見上げる形になったの、初めてかも。
食べ終わって、雄樹くんに先に出てもらって、お金払ってお店出たら、ちゃんと待っててくれた。
嬉しくて、また腕を組んで歩く。
「帰ろ」って言ったから、多分、雄樹くんの家の方。一人暮らしって言ってた。このまま別れるの、なんか嫌だな。…よし!
「ね、キミんちで、もうちょっと飲もうよ。あたし買ってくるから」
途中のコンビニに寄って、缶チューハイとコーラ、それから乾き物をカゴに入れる。あと、ゴムも。使うかわかんないけど、一応。なんか必要になる気がするから。願望、かも。
彼の部屋に入って、飲んでるうちに、やっぱりこのまま一緒にいたい、なんて思っちゃった。
多分、カノジョはいないはず。いたら、食事も固辞されてた。雄樹くんは、そんなタイプだ。
「ね、雄樹くん、カノジョいる? いないよね?」
「いない…けど…」
やっぱり♡
「あたしもなの。…ね…」
あたしから、キスする。雄樹くん、びっくりしてる雰囲気。
「あたし、あなたが好きよ」