いろいろな勉強のためにもパソコンがほしいな
家に帰った俺は、母さんに相談することにした。
「母さん、ゲーム開発の練習をしたいから、俺専用のマイコンが欲しいんだけど……買ってもらえないかな?」
母さんは、少し呆れたような顔をした。
「あら。ホムコンなら買ってあげたでしょ?」
「いや、ホムコンじゃなくてマイコン」
「マイコン?」
そうだった。
この時代はまだ「パソコン」という言葉が一般的じゃない。
「えっと……MECのPC-9801シリーズ。できれば最新型が欲しい」
「それ、いくらするの?」
「本体だけで八十万円くらい。モニターも合わせると百万円くらいかな」
「…………」
母さんが固まった。
「百万円?」
「うん」
「ゲームをするために?」
「違うって!」
俺は慌てて首を横に振った。
「ゲームを作るためだよ」
ここは何としても理解してもらわないといけない。
「俺、大学を卒業したらゲーム会社に入りたいんだ。そのあと独立することも考えてる」
「ゲーム会社に?」
「うん。そのためにも、今からBASICを覚えて、実際にプログラムを書いてみたいんだ」
「でも……百万円よ?」
母さんの反応は当然だ。
子供の「ゲームを作りたい」という夢に、百万円。
普通なら簡単に出せる金額じゃない。
「遊ぶだけじゃないよ。ワープロも使えるし、仕事にも使える。今からコンピューターに慣れておけば、将来きっと役に立つから」
これは嘘じゃない。
むしろ俺には、この先のパソコン業界がどうなっていくのか分かっている。
PC-9801は、この先も長く国内の主力であり続ける。
PC-88も健闘する。
やがてシャープナーからY68000が登場し、ゲームを作る環境としては、そちらがかなり魅力的になっていく。
MSXも普及する。
そして家庭用ゲーム機が進化していけば、ホビーパソコンそのものの立場も変わっていく。
IBNのPC/MTや、パイナップルのNacintoshも登場している。
だけど、それは未来の話だ。
今の俺に必要なのは――。
**今すぐプログラムを書ける環境**だった。
「……分かったわ。お父さんにも相談してみましょう」
「本当?」
「ただし、お父さんがいいと言ったらね」
「うん!」
そして土曜日。
半日出勤を終えて帰ってきた父さんに、俺はさっそく話をした。
「父さん、将来のためにマイコンを買ってほしいんだけど」
「マイコンか」
父さんは少し考えた。
「まあ、ワープロと同じように、これからは仕事でも必要になるだろうな」
「うん!」
「使い方を覚えておくに越したことはない」
よし。
いけるかもしれない。
「それと営業をするなら、自動車の免許も早めに取っておいたほうがいいぞ」
「え?」
急に話が変わった。
「バイクの免許もあったほうがいいのかな?」
「身分証明書としても便利だ。取っておくに越したことはない」
「分かった。高校に入ったら考える」
「ただし、暴走族になるのはやめてくれよ」
「ならないよ!」
父さんは笑った。
そして――。
「まあ、ゲームを作るために勉強するというなら、買ってやろう」
「……本当に?」
「ああ」
一瞬、言葉が出なかった。
「ありがとう!」
「ただし、ちゃんと将来の役に立てろよ」
「うん!」
こうして俺は――。
**百万円のマイコンを買ってもらえることになった。**
……なったのだが。
翌朝になっても、俺はまだ半信半疑だった。
本当に買ってもらえるのか?
店に行ってから、
「やっぱり高すぎるから、今日は見るだけにしよう」
なんてことにならないだろうな?
何しろ百万円だ。
俺だって、自分の親が子供のパソコンに百万円出すと言われたら驚く。
◆
翌日の日曜日。
俺は父さんと一緒に秋葉原へ向かった。
電車の中でも、どうにも落ち着かなかった。
「どうした?」
「いや……」
「昨日からそわそわしてるぞ」
「だって百万円だよ?」
「そうだな」
父さんは平然としている。
その態度が、かえって不安だった。
秋葉原に到着すると、俺たちは目的の店を探した。
家の近所には、ここまで大きなパソコンショップなんてない。
だから、この時代の電脳街まで来るしかなかった。
そして――。
「あった!」
「そんなに嬉しいのか?」
「そりゃ嬉しいよ」
店内には、ずらりとマイコンが並んでいた。
CRTモニター。
キーボード。
フロッピーディスクドライブ。
そして、まだまだ高価なハードディスク。
俺にとっては、まさに宝の山だった。
けれど、ここで浮かれてはいけない。
**本当に買えるとは、まだ決まっていない。**
「すみません!」
意を決して店員さんに声をかける。
「はい、いらっしゃいませ」
「MECのPC-9801、最新型はありますか?」
「PC-9801ですか?」
「はい」
「少々お待ちください」
店員さんが奥へ向かっていく。
俺は、その背中をじっと見つめた。
数秒なのに、やけに長く感じる。
在庫がなかったら?
取り寄せだったら?
そもそも、父さんがここで「やっぱりやめよう」と言ったら?
胸の奥が、どんどん苦しくなる。
「お待たせしました」
「!」
店員さんが戻ってきた。
その後ろには、大きな箱。
そこに書かれている型番を見て、俺は息を呑んだ。
――PC-9801。
「ございます」
「……本当に?」
「はい」
思わず父さんを見る。
父さんは笑った。
「欲しいんだろ?」
「うん!」
「じゃあ、見せてもらおう」
店員さんが商品の説明を始める。
「本体はこちらになります。CRTモニターは別売りですが――」
「モニターもお願いします」
父さんが即答した。
「……!」
胸が高鳴った。
ここまで来ても、まだ実感がなかった。
でも今の一言で、ようやく分かった。
――買うんだ。
本当に買ってくれるんだ。
「それでは、合計で……」
店員さんが計算する。
俺は息を止めた。
「……こちらのお値段になります」
金額を聞いて、改めて思う。
高い。
とんでもなく高い。
母さんが驚いたのも当然だ。
父さんは少しも表情を変えない。
「支払いは現金でいいかな?」
「はい。現金のみとなっております」
「そうか」
父さんが懐に手を入れる。
俺は思わず息を止めた。
――まさか。
ここで、
「やっぱり今日はやめておこう」
なんて……。
父さんが取り出したのは、財布ではなかった。
帯封の付いた札束だった。
「…………」
俺も固まった。
店員さんも固まった。
父さんだけが平然としている。
「これで足りるか?」
「は、はい……!」
店員さんが慌てて札束を受け取る。
俺は父さんを見つめた。
「……父さん」
「なんだ?」
「それ、全部お金?」
「そうだが?」
いや。
そうだが、じゃない。
百万円近い買い物をするために、帯封付きの札束を持ってくる親なんて、俺の知っている普通の家庭にはいない。
……うちって、もしかして結構裕福なのか?
そんな疑問が頭をよぎる。
けれど、それより今は――。
目の前のPC-9801だ。
「高い買い物だし、ちゃんと将来のために役立てろよ」
父さんが言った。
その言葉を聞いた瞬間、胸の奥が熱くなった。
「うん!」
俺は大きく頷いた。
「絶対に役立てる!」
ゲームを遊ぶだけじゃない。
BASICを覚える。
プログラムを書く。
ゲームを作る。
ワープロも覚える。
書類だって作れるようになる。
そして――。
いつか、自分のゲームを売る。
そのための最初の一歩が、今ここから始まる。
◆
家に帰ると、さっそく買ってきたゲームソフトを机に並べた。
『サラダの国のポテト姫』。
そして『ザ・ブラックオニックス』。
この時期はまだカセットテープの機種も多いけど、フロッピーどころかハードディスクもあるから、それなりに快適だ。
この頃はブームになっていたアドベンチャーゲームの初期ヒット作、『サラダの国のポテト姫』はコマンド入力式なんで、なかなか難しい。
そして『ザ・ブラックオニックス』。
弓矢とか魔法が使えないとはいえ、RPGはやっぱり面白い。
「ああ、やっぱりゲームっていいな」
思わず夢中になりそうになる。
……いや。
遊んでいる場合じゃない。
父さんは仕事用にワープロソフトの『松』と、ドットプリンターまで買ってくれた。
ゲームだけじゃない。
仕事にも使える。
だからこそ――。
「遊んで終わり、にはできないな」
俺はPC-9801の前に座った。
キーボードに手を置く。
BASIC。
プログラム。
ゲーム制作。
覚えることは山ほどある。
でも――。
**時間は、そんなにない。**
「頑張らないとな」
百万円のマイコンと一緒に。
俺のゲーム開発生活は、こうして始まった。




