やはり観光というのは客の満足によるリピートが大事だよな。
さて、ハプニングはあったがみんなで温泉も十分堪能した後は夕食だな。
この旅館は戦前に作られていたこともあって、川端康成や北原白秋といった著名な文豪も訪れ宿泊しての執筆活動をしていて、そういった文豪が長期滞在できるような小部屋から団体客が泊まれるようなでかい部屋まで色々な大きさの部屋がある。
だから俺は小部屋、女性陣は大部屋に泊まっているんだが、夕食や朝食は広間で食事することもできるし、部屋に運んできてもらうこともできるんだが、今回は広間でみんなで食べることにした。
「まあ、一人でもそもそ食っててもつまらないし、みんなと一緒に食べる一択だけどな」
そして俺が広間に到着すると既に、浴衣で髪を上げている珍しい姿の女性陣が皆来ていた。
「部長遅いっすよ、こっちっす」
と明智さんが手をふってくるのでそっちへ向かう。
「ああ、みんなごめん、ちょっと考えごとをしてたら遅くなっちまった」
俺がそう言うと斉藤さんが苦笑していた。
「それはいいからとりあえず席についたほうがいいわ、夕食の時間は決まってるのだから」
「あ、うんそうだな」
旅館の夕食の時間帯は何時から何時までときっかり決まっていたりするんだよな。
それはともかく、お膳の上にはうまそうなものが並んでいる。
伊豆名物の金目鯛の姿煮やしゃぶしゃぶ、伊豆の新鮮地魚や貝、海老などの刺し身の盛り合わせに伊勢海老やサザエ、アワビのせいろ蒸し、鱧のお造りに地元野菜の漬物や吸い物などかなり手間暇がかけられた伊豆会席と呼ばれる料理はめちゃうまそうだ。
「よし早速いただこうぜ」
金目鯛のしゃぶしゃぶを口にしてみたが、ぷりぷりしていてめちゃくちゃうまい。
「いや、うめえなこれ」
そしてみんなが食事を堪能していたら浅井さんが突然泣き出した。
「う、ううっ」
「ど、どうした浅井さん?」
「こ、こんな美味しいものを食べられるなんて思いもしなくて……生きていてよかったです」
「あ、ああ、そうか。
これから頑張れば美味しいものがいつでも食べられるようになるかもしれないぜ」
「は、はい、一生懸命頑張ります」
浅井さんにはこんな豪華な料理が食べられるとは、本当思わなかったんだろうな。
そして高くても地元の食材を活かした旨い料理はたまに食べるにはいい。
しかし、この時期の大きな宴会場をそなえた大型観光旅館やホテルの多くは、企業の研修や慰安旅行、学校の修学旅行、町内会の親睦旅行などの団体旅行を対象にしている。そのせいで、団体でバスに乗り込んで皆で降りて宿泊施設に乗り付けるために大型バスが乗り付けられるだけの場所があるということがまず最重要とされていた。食事はありきたりかつ毎日ほぼ同じで、しかもどこのホテルでもメニューが似通ってるし、部屋の作りもみな同じ、そういった団体客が滞在するのはほぼ、1泊か2泊程度なので、布団を敷けるだけで居心地なども考えられておらず、内装も特徴がなく、たいして備品や個性もない部屋をたくさんつくって効率よく稼ごうとしていたりする。
あくまでも仕事の出張で泊まるだけのビジネスホテルならともかく、せっかくの観光でそんなところに宿泊したら旅行が嫌になるやつだって当然でてくる。
明治から戦前の文豪などは長期滞在して作品を執筆することもよくあったし、湯治のために長期滞在する客も昔は少なくなかったはずなんだけど、そういったところには大型バスを止められるスペースはなかったりする。
戦後に人口が急激に増え、企業での団体旅行というものが増え、50年代後半からは貸切りバスによる団体旅行の人気が高まって近場の団体旅行先として人気となる船橋ヘルスセンターが1955年に、常磐ハワイアンセンターは1966年にオープンしてそれぞれ人気を集め、それらに続けとばかりに全国各地で温泉観光施設が増えていったが、昭和の観光業というのは質より量、長期滞在より短期滞在、少数客より団体客、ルームサービスなんてしなくて当然みたいな風潮があって、それは日本経済が工業製品の大量生産・大量消費を前提とした経済構造であることに似ていた。
そしてそれが弱点になることを指摘する評論家も既に出てきていたりするのだが、評論家の多くはむしろ消費を煽り、いつまでも株価は上がり土地の値段も上がるから日本は経済成長が続いていくと無責任なことを言ってバブルが弾けても誰も謝罪も何もしなかった。
海外旅行ができるようになった1960年代の海外旅行は莫大な額がかかり、ハワイツアーは400万円、ヨーロッパツアーは700万円に相当したから、誰もが行ける価格ではなかったことも大きい。国内旅行は70年代のオイルショックで一度は危機に陥ったものの80年代には再度回復し、国内旅行業界はプラザ合意で海外旅行が安くなりバブルで浮かれるまでは順調だった。
バブル当時ですら当初はホテル建設ラッシュで客室も宴会場も供給過剰になるのではと懸念されていたが、バブル期は企業による内定者への囲い込みのための事前旅行などで、企業による宴会や宿泊が当たり前に行われていたこともあり、各ホテルが差別化のためにと、内装の豪華さを競うことで、過剰な内装を取り入れホテル建設にかかる設備投資費が莫大になった。
その後バブルが崩壊し、企業の交際接待費、広告費、交通費が真っ先に削られ、景気が悪化する。
更に残業規制により実質的な賃下げやリストラによって、経済活動自体が大きく冷え込み、余暇に旅行を行いホテル利用をする人間も減った結果、外見だけは豪華なホテルや大型旅館の廃墟が全国各地の観光地に立ち並ぶようになった。
「今のうちに警鐘は鳴らしておくべきだな。
まあ聞き入れるかどうかはわからんけど」
ホテルや旅館は60年代は不足、70年代は過剰、80年代は不足で、90年代のバブル崩壊以降は過剰な状況が長く続いたが2010年代は東京オリンピックの影響や外国人観光客の増加で不足に転じたものの、オリンピックが終わったあとは再び過剰になって採算が取れなくなっていった。
「なんで同じ失敗を何度も何度も繰り返すかねという気はするけど仕方ないんだろうな」
そんなところで会長が言ってきた。
「隣の『旅館いなだ』も同じ経営者によって経営されていて、経営状況が同様な状況でしたので合わせて10億で買い取ることにいたしましたわ」
「そりゃいいな」
現状ではどうしても設備に古臭い所があるから片方の内装をリニューアルしながら、もう一方の運営をしていって、たとえば客室露天風呂を売りにしていくとか露天風呂を広くすることもできるだろうし。




