南海館はかなりいい温泉旅館だな
さて、先生を除き皆海水浴場で泳ぎまくった後で、水着の上にパーカーを羽織ってそのまま宿へ戻れるのが伊東のいいところだ。
南海館の唐破風の玄関には旭日と鶴の彫物が飾られているが、これは地元の結構有名な彫刻家の作品らしいし、中庭も客室からの照明を計算して作られてるようで美しいな。
「へえ、たしかに色々手間と金がかかってるな」
「そのようですわね」
俺と会長が玄関の彫り物に感心していたら首を傾げた浅井さんが聞いてきた。
「そ、そうなのですか?」
「ああ、うん、ちょっと見た目だと分かりづらいけど、これを彫ってもらうにも、長年きちんと保全するにもかなりの手間がかかってると思うよ」
「そうなのですか」
朝倉さんも感心しているようだ。
地味過ぎて分かりづらいけど、たしかにこの旅館は障子や飾り窓など隅々にまで細かく芸術的な細工が施されていて、かなりのお金が掛かっている、“万と万年青の神隠し”のあの建物を思わせる、日本の建築物独特の外観や内装でもあるんで、日本的な宿を探してる外国人なんかは喜んで宿泊しそうだ。
「皆様お待ちしておりました、お部屋にご案内いたします」
仲居さんに案内された部屋の窓から見える川の景色も綺麗だし、4階に当たる望楼からの伊東温泉の町並みも綺麗だ。
「古い物は悪いもので新しい物はいいものみたいな価値観が今は蔓延ってるからなぁ」
実際伊豆半島は70年代までは新婚旅行で、90年代までは海水浴や企業の慰安旅行などで賑わったが、バブル崩壊後はバブル期になんの特徴も面白味もない明らかに需要を大きく超えたホテルがたくさん建てられたせいでホテル・旅館・保養所が次々に閉鎖され、廃墟半島と揶揄されるほど廃墟が立ち並ぶ場所となってしまうが、これは首都圏の企業の慰安旅行や修学旅行などの、団体客を呼ぶ効率の良い運営をすることばかり考え、それらの客に何がホテルの魅力なのかをアピールしないばかりか、一人ひとりのお客さんを大事にするようなやり方から、新たに来るお客さんをたいしてうまくない食事でとにかく数をたださばくことだけ考えていたりしたこともでかい。
これはレストランとかでもよくあることではあるんだが。
「まあ、遠くからに来た客にたいしてうまくない飯を出されたら二度とくるかと思うよな」
だからバブル崩壊後に儲かっているのは和風な会席料理などが売りの高級温泉旅館やバイキングなどの料理が楽しめるホテル、綺麗な風景が楽しめる場所が多いらしい。
どんなふうに宿泊施設の地域を知ってほしいのか、どういったことが魅力なのかということは、現地のスタッフが一番よく分かっているんだが、そういった声を聴く経営者は少なかったのも問題だったな。
また施設で使う備品は代々付き合いがある関係者や友人で固められて割高だったりしても、それをつきあいがあるからと変えられなかったり、同族社員と一般社員の給与体系が別で同族のものだけ高い給料で一般社員は安いためにどんどんやめていったりするのも問題だったようだ。
そもそも旅館などの従業員は変則的な勤務体系で休みが取りづらかったりするのに、給料が安かったらサービスが悪くなったりやめたりするのも当然だけどな。
「うん、経営状態が良くないなら買い取ろう、ここ」
で、露天風呂に入りに行く。
「うん、いい温泉だな。
じんわり体が芯から温まる」
なんて考えていたら何故か浅井さんが露天風呂にはいってきていた。
「あ、あのお背中お流しします」
「え、いや、浅井さん?
そんなことしなくてもいいからね?」
「でも、この旅行に来るにも部長さんにお金を出してもらってますし……」
「たしかに俺は体で払ってもらうとはいったけどそういう意味じゃないよ?
そんな自分を安売りするような真似しちゃ駄目だよ」
そう言っていたら朝倉さんも露天風呂に入ってきた。
「部長は馬鹿ですか?
何百億もの資産を持ってるあなたの恋人になったり結婚したりしたら玉の輿なのですよ?」
「本当そういうところは馬鹿なのよね」
「そうっすねー」
斉藤さんや明智さんも入ってきて呆れたように言ってるけどなんで? と思ったら上杉先生も入ってきたぞ。
「おう、ここは入り口や脱衣所は別だが女子は水着着用の混浴露天風呂だからな、バスタオルの下はみんな水着を着てるから安心しろ」
そう言って徳利と猪口で日本酒を飲んでる先生。
「ああ、そうでしたか、安心していいのかどうかはまた別問題ですけどね。
後、先生を女子というのは……」
「ああん、なんか言ったか?」
先生にめちゃめちゃ睨まれたので首をプルプル振って前言撤回。
「イエ、ナンデモナイデス。
あれ会長は?」
「なんか交渉してくると言ってましたね」
最上さんがそう言うが既に買い取り交渉してるのは会長らしいと言うべきなのかね。
「まあ、混浴露天風呂ってのを売りにしても客は来るかもな、トラブルが起きたら交代入浴にするべきだろうけど」
俺がそう言うと会長も入ってきた。
「そうですわね、やはり今こちらの旅館は経営状態が良くないようで、売りに出すか廃業の予定だということでしたので譲り受けましたわ」
「おお、さすが会長、さぞや安く買い叩いたんだろうね」
「あまり安く買いすぎても資産価値を落としますから5億出しましたわ」
「この規模の旅館だと5億はちょっと高い気もするけど、建築物そのものの価値を考えれば妥当かな」
「ええ、そうだと思いますわ。
あちらは廃業するにしても手数料や負債は清算しないといけないですし、渡りに船だったようですし」
2010年代以降は旅館の平均客室稼働率は4割を切るほどに低く、黒字でも老朽化し後継者もなく売りに出された温泉地にある旅館は多くて中国人による買収がどんどん進んで、オーナーが中国人になって中国からの格安ツアー客の受け入れ先になっていったが、できればそうならないようにもしたいものだ。




