犬と兄ちゃん
シロが死んだ。
僕は呆然としていた。悲しいというより、呆然、と。
「死んじゃったな」
感情が篭らない声で、兄ちゃんはそう言った。
生まれたときからずっといて、いるのが当たり前になっていたシロを、幼い僕は永遠の命と錯覚していたのかもしれない。犬のシロが、人間のように息をひきとったことが、悲しい以上にとにかく衝撃的だった。
特に兄ちゃんが、毎日世話をしてかわいがってた犬だった。
「犬でも死ぬことってあるんだな」
「犬だって生き物だからな」
この頃、やっと事態が呑み込めた気がしてきた。兄ちゃんが目を瞑る。
「別れというのは、何にだって必ず来るものだ」
「そうかもしんないけどさ」
徐々に、悲しいという感情が込み上げてきた。声が震えた。柄にもなく涙が目に留まる。兄ちゃんに気づかれたくなくて、僕は下を向いて誤魔化した。
いや、すでに気づかれていたのかもしれないけれど。
僕を宥めるでもなく、兄ちゃん自身が嘆くわけでもなく、兄ちゃんは言った。
「別れって美しいと思わないか?」
必ず来るけれどそのふたりの間では一度しかない。
泣けば帰ってくるわけではないことも承知しているのにどこかで期待する愚かで切なくて脆い感情。
「別れは美しい」
美しい?
僕は一刻もはやくこの気持ちから逃げ出したいというのに。
「兄ちゃん……あんた変だ」
「お前にはまだ難しかったかな」
兄ちゃんが別れを美しいと表現した意味は、大人になった今でも分からない。
ただ分かっていることは、兄ちゃんもきっと、僕にも誰にも見つからないように泣いたはずだってことだけだ。
別れが美しいものだったのか、それとも兄ちゃんが本当に変だったのか……──。
僕には分からないままだ。