電波
お隣の佳代子おばあちゃんの家に地上デジタル対応テレビがやってきたのは、完全地デジ化の二日前だった。日頃からご近所さんたちに急かされていたが、直前になってようやく重い腰が動いたのだった。
工事の人たちが、隣の家に入っていく。しょっちゅう遊びに行っている弟と妹が、たまたま居合わせた俺までもを佳代子さんの家に引っ張った。
佳代子さんは変わり者だ。妖怪や化物なんかの胡散臭い迷信を、大真面目に信じている。弟と妹は幼いからか、佳代子さんのそういうところを大して気にしてもいないのだが、俺はかなり苦手だ。小学校低学年の頃は、俺も弟たちのようにこのお隣の家に遊びに来ていたものだったが、高学年にもなれば、佳代子さんのおかしさに嫌気が差してくる。だから、今日こうして引っ張られてこの家に入ったのは、数年ぶりのことだった。
テレビが運ばれてくる居間を、そわそわと覗く。弟は古いテレビが勿体ないとか言っていたが、こうしてワクワクしているのだから結局新しいもの好きなのだ。
「いよいよ……というか、やっとだな」
弟が興奮気味に言った。
「そうだな」
自分でも驚くくらい無味乾燥な返事が出てしまった。弟は気にしていない。
「うちにきたときも興奮したな。今までのテレビよりも明るいんだもん」
今までのテレビの明るさが思い出せない。よく考えたら、最近あまりテレビを観ていなかったのだ。
佳代子さんちの前任のブラウン管に目をやる。ゆとりのある四角い身体を縮こませて、部屋の角で回収されるのを待っている。今まで彼が腰を落ち着かせていた場所に、薄型の新参者がずっしり腰を下ろす。野次馬たちはおお、と低いどよめきを上げた。
定位置を奪われたブラウン管は、更に肩身を狭めたように見えた。
思えば、あのブラウン管は平成初期からあの場所にあった。その頃は、俺もよくこのお隣さんの家に上がり込んでテレビを観ていた。
「画面広いね! 前後は薄いのに!」
妹が弟の背中をばしばし叩く。弟も同じく楽しそうに言った。
「それだけじゃないんだ、これは東京のでっかい電波塔から送られてくる電波を受信して放送するんだ」
「そうなの? すごいね」
知らなかったのか。あれだけ佳代子さんを急かしておきながら、主旨を分かっていなかったようだ。
新顔の話題で持ち切りの中、日の当たらない場所でブラウン管が静かに佇んでいる。あいつが新品の頃、子供だった俺はチャンネル争いの果てにリモコンを投げて佳代子さんに叱られた。
ふたりとも、いい加減にしなさいと呆れ顔をしていたことも思い出した。
あれ?
「ふたりとも」?
ということは、俺がチャンネル争いをしていた相手は佳代子さんではないことになる。弟と妹はまだ小さくてテレビなんか観ていなかったし、母さんかな? いや、そんなことは……。
以前、佳代子さんから言われた。
俺には昔、大人には見えない不思議な友達がいたらしい。多分それは座敷童子だと、彼女は言った。
妖怪や化物なんかの胡散臭いものが好きな佳代子さんだから、そんなくだらないことを言って俺を困らせようとしているのだろうと、言われたときは特に気にもとめなかった。
座敷童子は、大人になるにつれて姿が見えなくなって、一緒にいた記憶も消えてしまうらしい。
何らかの思い出がそれなりにつまっているらしいそのブラウン管に、靄がかかって見える。
雨の日に、暇潰しにその人とテレビを観たことも、そのときもリモコンを取り合ったことも、停電で結局何も観られなくなったことも、しっかり覚えている。
そして、真っ暗になった画面に自分たちの呆然とした顔が映ったことも……。
その、画面に反射した顔を、一瞬思い出した。
名前もよぎった。
今 声に出しておけば忘れない──。
そこまで思ったのに、その姿も名前も、また薄紅色の靄の中に消えてしまった。業者のお兄さんがブラウン管を運びはじめる。
俺は、ばいばい、と口の中で呟いた。あの日の記憶も、一緒に運び出されてしまうのだろうと思う。
今どうしてるのかな、あの子は。
記憶こそないものの、彼女が生きているということは、何となく分かる。ただ、俺の電波の届かないところにいるだけで。
ブラウン管の真っ暗な画面に、中学生になった俺が映った。




