夢に見た世界の君は今も
「祐介のバカ! 大っ嫌い!」
今年に入って同棲を始めた恋人は、俺に向かってクッションを投げつけた。
「ごめんって友紀!」
「うっさい! バカバカバカ!」
謝ったって、友紀は聞く耳を持たない。怒った彼女は鞄を引っ掴んで、玄関に走り出した。俺は顔にぶつけられたクッションを床に放る。
「友紀!?」
「出てってやる! 実家に帰ってお母さんに言いつけてやるんだから!」
何だって。それはまずい。
「やめろって、マジで結婚危うくなる!」
「もう結婚しない!」
ばたん。友紀が飛び出した玄関のドアが、勢いよく閉まった。取り残された俺は閉まったドアに向かってひとり言を洩らした。
「え……おい、マジか」
*
「おーい。起きて起きて」
目が覚めると、目の前に友紀がいた。
「どうした? うなされてたよ」
少しも怒っていない。よかった、夢だったようだ。投げつけられたはずだったクッションは、俺が抱えていた。目を擦りながら、友紀に返事をする。
「友紀が出てく夢見た」
「あはは、有り得ないよ。私は祐介のこと、こんなに愛してるんだよ?」
友紀は俺の布団に腰掛けて、笑った。
あの夢に見た友紀はまだ、俺を怒っているのだろうか。今頃お義母さんのもとで、俺の愚行を言いつけているのだろうか。
ぼんやり考えていると、友紀が俺の髪をぽんぽんと撫でた。
「大丈夫、私はここにいるよ」
じわりと、なぜか涙が滲んできた。
そうだ、現実の友紀がここにいてくれるんだから、それでいいではないか。
*
「起きた?」
目が覚めると、友紀がクッションを抱えてニヤニヤ笑っていた。
「どうしたの泣いちゃって。怖い夢でも見た?」
なんだ、今のも夢だったのか。
友紀が出ていったのが夢だったことに安心した夢を見たなんて、本人のにやけ顔を目の当たりにすると口が裂けても言えない。
「別に」
「何もう、教えてよ。どんな泣ける夢見たの?」
そっぽを向く俺にクッションをぐいぐい押し付けてくる。
あの夢に見た友紀はまだ、俺を慰めてくれているのだろうか。くだらない心配をした俺に、優しく声をかけてくれているのだろうか。
「そんなことよりお腹空いたなあ。なんか食べようよ」
友紀はあっという間に俺の夢から興味が薄れてキッチンに向かっていた。
そうだ、現実の友紀がいつもどおり明るいんだから、それでいいではないか。
*
そこで、目が覚めた。
友紀はいなかった。俺はひとり、布団から起き上がって、隣の部屋を覗き込む。
友紀がいる。
彼女の身体はドライアイスでひんやり冷やされていた。友紀はもう二度と、起きることはない。
「ねえ、友希?」
話しかけても、こたえてくれない。
心臓は動いているのに脳が死んでいるからと、葬儀会社に凍らされてしまったのだ。これからは友希とはもう話せないなんて、そんなばかみたいな話は未だに信じられない。けれど、目の前の友希は睫毛まで凍りついて目も開けてくれない。
彼女の頭の下には見慣れたクッションが枕代わりに敷かれて、ドライアイスで冷やされて霜が降りている。
なあ頼むよ。
そろそろこの悪夢も覚めてくれ。




