パンデミック
『政府が発表した新型ウィルスは、人から人への感染が確認され──』
「なあ達也」
俺はその日、達也の部屋でニュースを観ていた。
「小学生の頃に転校してきた、実島って覚えてる?」
「サネジマ?」
達也はしばし考えてから、ああ、と思い出した。
「サネジマトモコ」
「そう」
『皮膚が爛れ、意識が混濁し、また凶暴化するという未知のウィルスが──』
キャスターの背景には、内臓のはみ出た人間が渋谷のスクランブル交差点を埋める光景が映し出されていた。
「覚えてなかったけど、思い出したよ。なんかすげえ臭くて暗い奴」
達也はテレビに視線を向けたまま続けた。俺もテレビに注視している。
「そう。苛められてたよな」
苛められていた、なんて他人事な言い方をしたけれど、苛めていた第一人者は俺と達也と、その辺の友人たちである。
「そいつさ、死んだんだって。知ってた?」
「知らなかった。この、流行ってるウィルスで?」
「いや、これが流行る前。なんか変な病気、だったらしい」
風の噂で聞いた話だ。達也は興味なさげにふうんと鼻を鳴らす。
「それで?」
「小学生の頃、あいつに触るとサネジマ菌がついてさ」
俺は懐かしい顔を思い浮かべていた。
「汚いから他の奴に擦り付けるんだ。そうすっとサネジマ菌が伝染るんだよな」
「よく覚えてんな」
達也は感心したような嘲笑っているような口調で言った。
「なんだよ急に、サネジマのことなんて」
俺はテレビの中のキャスターの深刻な顔を眺めた。
「今蔓延してる、人から人に伝染る新型ウィルスってさ、サネジマ菌なんじゃねえかなって」
爛れた皮膚から筋肉を晒す奇妙な奴らの映像が流れている。臓物を引きずって歩き回る不細工な奴らは、俗に言うゾンビという奴か。
「これがサネジマ菌? そんなわけあるかよ」
達也はハハ、と乾いた笑いを零した。
「サネジマ菌だったら、俺とお前もとっくにゾンビ化してるよ。小学生の頃触った気がするし」
「いや……俺たちはさ」
俺は一旦そこで切って、改めて言った。
「関係あるか分からないんだけど、俺こないだ車にはねられてさ」
「は!?」
達也が目を剥いた。
「え、何それ。大丈夫なのか」
「無傷だった」
「すげえな」
「多分、小学生の頃張った永久バリアが持続してんだよ」
「ええ?」
達也は口を開けたまま固まった。
壁に背中をくっつけて、胸の前で腕をクロスして、「永久バリア」と叫ぶだけ。これだけでサネジマ菌から守られて、ついでにドッヂボールでボールをぶつけられても無効。他にもいろいろなご加護があった気がするけれど、忘れた。
「だから俺は無敵なんだ。サネジマ菌に感染しないんだよ。町を歩いたってゾンビと接触したって、伝染らないんだ」
「そのバリア、俺も張った」
達也は目を丸くして、震える声を出した。
「でも……でも田村も張ってたよ。だけどあいつがゾンビになったの、俺は見た。関係ないんじゃないか」
「田村もだけど、クラスには他にもバリアを張った奴がいた。けどきっと彼らが張ったのは、感染した後だったんだ」
手遅れだったんだ。
「俺たちは永久バリアを張ってしまった。車にはねられても死ねなかった」
今となっては、実島の正体なんて分からない。
彼女の発していた臭いも、小学生の悪ノリで勝手に作られただけで、実在しないはずだった菌も。
窓の外にはぞろぞろと犇めく、ゾンビと化した人々。
「俺たちはこの残酷で気持ち悪い世界で、生きていかなくちゃならないらしい」
俺たちの罪は、どうやら軽くないようだ。




