モルモットを見たか?
ドクターと自称する男は、生物学者らしくなく釣り客のようなシャツとベスト、作業ズボン姿だった。荷物は小さなリュックのみ、枕のように頭に敷いていた。
横倒しになったまま、サンライズが近づいても顔も上げようとしない。
狭い洞窟内には、他に人影もなく、ただ波が岩を洗う音が反響しているだけだった。
近づいて、少し遠巻きにして様子をうかがう。目は閉じて、口はわずかに開いている。息は浅い。唇が乾いている様子からみて、脱水状態のようでもある。
「コウダ博士」呼びかけたが、ぴくりとも動かない。
手袋とマスクをし直して近づいて行く。額に触れると、少し熱があった。
「コウダさん」
首筋から肩に触れて、ゆっくりとこちらに向けてみる。
話に聞いていた通り、若い。少し髭が伸び始めていたが年の頃は三十五までいっているかどうかという感じだった。サラリーマンが週末に釣りにでも来た、といった顔だ。
「コウダさん」何度か呼びかけてから、背中のリュックから水を出し、小さな紙カップにわずかな量を入れて彼の口元に近づける。
水は唇を湿らせ、あごを伝わった。二杯目は、少しだけ口の中に入っていった。
男が急に咳き込んだ。サンライズはとっさに身をよける。
「み」ようやく声を発した。「水、もっと」
もう少し身を起こしてやってカップを手渡すと、手を震わせながらそれを受け取った。
どうにか、自分で飲めそうだった。水がおさまると、更に手を伸ばすので今度はペットボトルごと渡してやった。半分も入ってなかったので、男はあっという間に飲みほした。
「水を」更に言うので、
「急にたくさん飲まない方がいい」
サンライズはそう言い聞かせ、先にペンライトであちこち彼の様子を照らして確認した。
「コウダ博士ですね」
彼は顔をかしげてサンライズをまぶしそうな顔で見上げていたが、ようやく
「ああ……はい」と返事をした。少しずつ記憶が戻って来たのか
「熱が出たらしい」ぽつりとつぶやく。
「どうして熱が?」と聞くと、下をみたまま黙っていた。言いたくない、というより何か深く考え込んでいるようだった。
他にも聞きたいことは山ほどあったが、先に報告を入れることにした。奥からはなぜか繋がらないようだったので、洞窟の入口まで戻り通信機のボタンを押す。
「こちらA‐01、A‐02応答せよ」
すぐに待ちかねたようなマヤラの声がした。「こちらA‐02」
「ドクターを発見した、海岸線に近い崖下。多分島の南東部。発熱、意識はある」
歩けそうですか? と聞いたが返事はなく、半分起き上がり下を向いたままだった。
「自力歩行は無理かな」そう伝える。
水と食料を置いて、いったん自分だけ戻り、対応を考えるしかなさそうだ。
そう伝えて、ベースにいるローズマリーにも連絡を頼んで無線を切った。
「ここから出られない」急にドクターが言った。
「熱が下がるまでは、無理だろうが歩けるようになったら」
ドクターがこちらを向いた。
「どこから来た? 海から?」
「いや、山を回って」
なんとなく想像はしていたが、相手は深くてながいため息をついた。
「じゃあ祈るしかない。軽く済むように」
「原因は何なんだ?」
「オリを見た?」逆に聞いてきたのでサンライズは正直に
「見た」と答える。
「中はどうだった?」と聞く。予想はしていたようだったので
「全部死んでいた」これも正直に答えた。
ふと思い出して
「一つだけ、開いていて中のモルモットはいなくなっていたけど」
と付け加えると、彼は吐きそうな表情になった。
「だいじょうぶか?」
コウダ博士は少ない持ち物の中をがさがさとかき回し、メモ帳を出した。
「何番のオリ?」と聞くが、番号がついていたのも知らなかった。
「道から一番離れていた、岩に乗せてあっただろう? 向こう側に転がり落ちたのかと思った」そう教えると、メモを繰りながら
「多分08番……」宙を見てまた自分の世界に入っている。
突然気づいて、サンライズから身をひいた。
「オマエ、触ったのか? オリに」
「まあ……運んだから」
「いつ?」
「ここに来る前、二時間くらい前か」
「08のオリも?」
「開いていたヤツ?」マヤラより奥にいたので、奥のいくつかは彼が持った。もちろん、カラのオリも。積んだ時にはマヤラも触ったかもしれない。
「触っちゃったかぁ」すごく残念がっている。でも、元々置いたのアンタでしょ?
「まあいい」お、今度は開きなおったか。
ドクターは涙の溜まったような潤んだ瞳でサンライズをみた。
「あれを触ったんならば、もう救いようがない。今夜か明日未明にはだるくなってきてあちこち痛くなってくる、そして発熱、それから意識が混濁する。もって明後日」
「何の話だ」
「オレの開発したウィルス。遺伝子組換で作った。手足口病のEV71が元株だが致死率はマールブルクなんかより高い」
「手足口? マーブル?」聞いたことあるような、無いような。
「感染症だ、ビョーキだよ」けだるくなったのか、彼はまた寝転んでしまった。
「バカなことをしたもんだ」それはオマエ自身のことなんだろうな、と心の中で突っ込む。気づくのが遅い。
サンライズはため息をついて、また通信機を使いに洞窟入り口に向かう。気のせいか、手足が重く感じられた。




