第八話 勘違いの行き先
俺は動けない。あの黒いナニカに見つめられ、その笑いに捕らえられ動けなかった。
そんな俺が解放されたのは、奇しくも悪魔の御陰。悪魔はそいつをポケットごと押さえ込んで霧散させる。その時黒い靄が少し漂い痩躯の男はブルリと体を震わせている。
そして悪魔は、怯える痩躯の男に話しかける。
「あー、そこの業者さん?」
「は、はいぃぃぃ!」
情けない声を上げる痩躯の男。しかし、それは仕方ないことにも思えた。あそこに俺がいたならば、きっと同じようになっていたと自信をもって言える。まぁ威張ることではないがな。
俺は追い打ちをかける悪魔に視線を移す。
「この馬車は業者さんの馬車?」
「え、あ、こ、この馬車ですかい? い、や、その……」
言いよどむ痩躯の男。
俺は頭に?マークを浮かべる。何故そんな事を聞く? 分かっているはずだ、お前なら。
そんな俺の疑問は、次の会話で晴れることになる。
「わぁぁぁぁ!? 待ってくだせえ!」
「……? 何か不味いものでも?」
「そそ、そんな事はありやせん!」
「………………」
「ほ、ホントですぜ?」
そう、あの悪魔は奴隷を逃がすだけでなく、痩躯の男、奴隷商人を潰していくつもりなのだ。確かに悪魔が手を出せば、それだけで奴隷商人は塵となって消えるだろう。だがそれで満足する悪魔じゃない。
あの悪魔は延々と苦しめようと言うのだ。あの奴隷商人を牢へと送って。
この街でも奴隷商人の扱いは最悪だ。見つかれば捕まるし、牢獄に入れられれば奴隷同然の仕打ちを受けることとなる。自分がしたことを、助けがくるかも、なんて希望無しに受け続けるのだ。
少し思い出して欲しい、今の状況を。証拠がないので踏み込めない俺、証拠を隠そうとする奴隷商人、この騒ぎで集まった野次馬達。そして、悪魔の言葉を。
『この馬車は業者さんの馬車?』
誘導している。これが自分の馬車であると言わせようと誘導している。言ってしまえば、周りの野次馬と俺が証人になる。そして奴隷商人が一言でも「はい」と言えば、奴隷を直接見た俺が動けるようになる。
悪魔は、俺に奴隷商人を捕らえさせ、牢獄にぶち込むつもりだ。それは正しい判断なのだが、納得がいかない。悪魔にいいように使われている。
悪魔は攻めの手を休めない。悪魔は次に、ジッと奴隷証人の手足を見つめる。鬼畜すぎるだろうあの悪魔。あんな斬れ味の武器見せられた後に手足を凝視される……恐ろしすぎる。
「ひ、ひぃぃ!?」
怯える奴隷商人。当然の反応だ。見ていて哀れになってくる。
そんな商人に、更に追い打ちとトドメを刺す悪魔。
「あー、そんなに逃げないでくれません? 取り敢えずすみませんね、馬車壊しちゃって」
思ってもなさそうな事を、本当に申し訳なさそうに言う悪魔。
恐怖で混乱していた商人は、あっさりと心を弛め、恐怖を吹き飛ばすかのように言ってしまう。
「そ、そそそうだ! べ弁償だ弁償! 金貨五枚!」
そう、この馬車は自分のだと、言ってしまった。
まんまと誘導に成功した悪魔は、
「ん? 金貨五枚? ちょっと高くないか? ああ、荷台込での値段か?」
と、奴隷商人に手遅れであることをさりげなく告げる。この会話を普通の一般人が見れば、荷台の商品と荷台そのもの込で金貨五枚だと思うだろう。しかし、俺と本人は違う。金貨一枚、それが奴隷の基本価格だ。それを競り落とし金額があがる。になみに荷台は基本的に金貨二枚分ぐらいの値段である。以前、競り落としの会場を摘発したことがあったが胸くそ悪いものだった。
奴隷商人は、ビクリと体を震わせ、自分の失態に気づき恐怖の視線を悪魔に送る。それを悪魔は不思議そうに見るだけだ。
そして悪魔は少し俯きながら、ポケットから金貨を取り出し荷台の端に置き、
「ホントすみませんでした。この扇子、物騒なの忘れてて……」
悪魔は謎の武器をパンッ展開すると、ソレの表面には不思議な模様。
それを恐ろしそうに見る奴隷商人に、
「この扇子も要りますか? よければ差し上げますけど……」
などと完全にトドメを刺した。
恐らく奴隷商人からしてみれば、
『この一撃、お前も欲しかったのか?』
と取れたのであろう。俺がそうだったように。
「ああ、あああ、悪魔…………ぶくぶくぶく」
「え、あの、ちょっと!?」
今度こそ崩れ落ちる奴隷商人。悪魔は俺から見ればわざとらしい演技で心配するような素振りを見せる。俺はチャンスと思い、少し移動してからイヤリングで連絡を取る。いや、もっと前にとっても良かったんだが、黒い靄が霧散したときに通信が出来なくなっていたんだ。今はもう平気みたいだけどな。
するとジッ、と俺を見る視線に気がついた。気づいてしまった。ああ、馬鹿だ俺は。あの悪魔は俺がいることを知っていたはずなのに。迂闊。顔から血の気が引いていくのがわかる。
恐る恐る視線の元を辿るとやはり、悪魔がいた。悪魔は俺と目があった後、剥ぎ取りナイフを取り出し、ソレを翳す。
(は、剥ぎ取り!?)
体が飛び跳ねたのが分かった。
あの悪魔、人に向けるものじゃないナイフを翳した上、そのナイフは剥ぎ取り用のナイフ。怖くならない人間などいまい。
そして悪魔は、ナイフで顔を隠しながら俺の方を向いて言うのだ、
「…………問題ないよな?」
騎士として頷く訳にはいかない。しかし、怖い。怖い。怖い。怖い。恐怖が俺を支配する。体が動かない。その御陰で首を縦に振ることもないと考えれば多少気が楽になるが、やはち怖い。
そして俺は、後ろから来る仲間の魔力を感じ取り、あとを任せて限界だった意識を手放した。
これは後から聞いた話だが、悪魔が置いていった金貨は七枚。奴隷の数二人。荷台の金額と奴隷の金額を引いて30万セルツ余る。その内金貨二枚は各々の奴隷だった人々に行き渡り、残り金貨一枚でしばらく騎士団が奴隷だった―――少年と少女の面倒をみることになった。するとどうだろうか、少年は剣の腕に優れ、少女は魔法使いとしての才能があり、将来有望な人材だった事が分かった。
あの日、俺が気絶した後駆けつけた隊員によると、悪魔は最後、荷台に向けて何かを心配するような笑顔を向けて立ち去ったという。
『悪魔はボク達を、助けてくれました。その時だけでなく、その先まで』
『悪魔は……わたし達に、未来……をくれました。幸せな未来を……その先を』
そして、俺は、悪魔に助けられた二人の言葉で思ったのだ――――――――
――――あの悪魔が持っていった代償は、二人分の不幸だったのではないかと。
『そうですね、きっとそうです』
『悪魔は、きっと……不器用なんです。わたしみたいに』
そうなのかもしれない。あの悪魔は、どこまでも不器用なのかもしれない。
『だから何時か、もう一度会いに行きます』
『今度、は、わたし達が……悪魔を、悪い誤解を……解く番です』
今はまだ、騎士団と悪魔を知る者は、悪魔を恐ろしい者と考えている。かくいう俺だって、二人の話を聞いてもあの時の事を思い出すと動けなくなる。
もしかしたらいい奴なのかもとも思うが、それでも、俺は――――――――
――――――――悪魔が怖い。……今は、まだ。
そして一人の騎士は、街に残り、一人の騎士は旅立った。それぞれ、戻ってくるかもしれない、来ないかもしれないから探しにくと言って。
今だ良く分からない悪魔を探しに。
そしてその悪魔は、何時いかなるときも噂が絶えることなく。
一箇所に留まることは無かったという。
最終話、になるのかな。
一応登場人物まとめみたいなのが後一話分。