第四話 商人の勘違い
わたしが荷物と宝を全て失った日。
わたしはしがない商人だった。その日はお得意様への商品を届けたあと、たっぷりと宝石やら珍しい食べ物やらを頂き気分良く馬車を走らせ帰路についていた。
その途中、いい噂の訊かない森の付近で段々馬車の動きが鈍くなったので休ませることにした。この馬は歳だし、大分ガタが来ているのかもしれない。
「ふむ、買い換えどきか……」
すると馬は悲しそうな目でこちらを見てくる。その程度で揺らいでいては商人なんてやっていられない。わたしは無視を決め込み回復を促す効果のある魔道具を惜しむことなく使用する。
この森ではよく人と馬が行方不明になると言う。つい先程も騎士団の一団が差し掛かり、何人かやられたと言うではないか。本当ならこんな所で休んでいたくはないが、下手に疲労してスピードの出ない所を襲われても敵わない。であれば、回復を促し、短時間で動けるようにしたほうがいいと思った。最悪、馬を囮にすれば問題あるまい。
そんな事を考えていた時だ、森からとんでもないスピードで灰色のナニカが飛び出てきた。
ウォォォォン!
それは巨狼だった。確か名前はグレーウルフ。そのまんまな名前だが、体格が他のオオカミとは比べ物にならないし、知能が優れている。言ってしまえば一種の魔物だった。もうコレは動物とは呼べない程に力を持つのだ。
わたしはすぐに馬を離し、囮にする。躊躇うことはない。グレーウルフはそちらを追いかけ姿を消した。後はわたしが逃げ切り、討伐隊を組んで荷物を取りに来るだけだ。
「急いで、逃げねばぁ!」
しかし、遅い。これならもう少し運動しておくべきだったかもしれん。まだ森から五十メートルも離れられていない。それが不味かった。ダンッと何かが着地する音。そして目の前に現れる灰色。
もう一匹のグレーウルフだった。
「あ、ああ、あの遠吠えか!」
一目散にに逆方向へと走り出す。それを面白そうに見ているグレーウルフ。
覚えていろ、その面必ず潰してくれる!
そしてわたしは森の中に逃げ込んだ。そのまま木の影に隠れ様子を伺う。
今だ付近をグレーウルフが歩いている、……狩りのつもりだろうか。
(クソックソックソッ!!)
苛立ちを必死に抑えながらグレーウルフを睨む。
するとバッとコチラに視線を移してくる。冷や汗が流れた。
体が動かない、恐怖故だろう。はは、案外冷静に考えられるものだ、いや、考えることしか出来ないのか。
「ぐぅっ!? だ、誰か、助け……」
ベチンと前足で殴られ、地面に横たわる。そして背中に前足が伸し掛り締め付けられる。
そしてグレーウルフの口が開き鋭い牙を見せつけられる。ポタリポタリと垂れてくる生臭い涎。迫り来る牙に身を縮ませ終わりを悟る。しかし、まだ神はわたしを見捨ててはいなかった。
ゴウッと強風が吹き荒れ、わたしの上にいたグレーウルフがもみくちゃにされて木に激突したのだ。神が救いをもたらしてくれた。そう思った。
ぐぐっと体を起こし、風の吹いてきた方向に顔を向ける、そこにはどんな神の使いの姿があるのかと胸が期待に満ち溢れていた。だが、強風でもみくちゃにされたグレーウルフを見たとき、わたしは理解しておくべきだったのだ。そんな残忍な神の使い、天使は存在しないと。そうすれば、期待を裏切られ顔を真っ青にすることなんてなかっただろうに。
そう、先の場所にいたのは黒だった。何もかもが黒い男、片手にひは良く分からない武器が握られている。まぁこれだけだったら少し残念ながらも助かったと喜べた。しかし、その男はこう言ったのだ。
「おろ? 随分と威力が弱いな。てっきり森一つ潰すかと思ってたんだけど……」
「ヒッ!」
咄嗟に口を抑えれたわたしは、自分を褒めた。考えてみて欲しい、あの男は「森一つ潰すかと思っていた」と言ったのだ。それは、わたしを救いに来てくれた者の言葉ではなかった。
あの男はただ、目の前にいたグレーウルフが邪魔だから吹き飛ばした。それも森一つ巻き込もうとして。結果的に、わたしは勝手に助かったと言うことなのだ。もし、あの男が力加減を間違えていれば、森ごと吹き飛ばされていたのだろう。何という残忍さ。面倒だからと森そのものを破壊しようだなんて。
わたしが男を畏れ、腰が抜けてしまっていた時、あの男の周りにいたグレーウルフが立ち上がった。その時わたしは、グレーウルフを応援してしまった。そしてグレーウルフは男に襲い掛かり――――――――爆散した。
声が出なかった。一瞬、何か光ったと思ったらこの有様だ。グレーウルフのいたところは黒く焦げ、クレーターが出来上がっている。そこでようやく気がついた。まだ、風がやんでいなかった事に。それと同時に雨が降り始める。
「………………」
男は降り注いだ血をペロリと舐める。そして不味そうに吐き捨てた。今度こそ背筋が凍った。
そして次々と落ちる落雷。その全ては的確にグレーウルフを狙っている。つまり、この落雷を起こしているのはあの男。まさか、今度こそ本当に森を吹き飛ばすつもりなのだろうか。
ガタガタとみっともなく震え、漂う血なまぐさい臭いで吐きそうになるのを我慢する。あの男は、まったく堪えていないようだ。更に男は黒い何かを纏う。それはズルズルを男の体から這い出でてきて、ケタケタと笑う。
それと目があったとき、意識が遠くなるのと同時にある伝承を思い出した。
黒い悪魔の伝承。願いを叶えるかわり、代償を求めてくる悪魔。
わたしが助けを求めた瞬間、やってきたあの男、その残忍さ。ああ、コレではまるで伝承の―――――そこでわたしの意識は途絶えた。
ペロペロとわたしの頬を何かが舐めているのを感じた。ゆっくり目を開き、恐る恐る確かめてみると―――――
「お前は、生きていたのか……」
それはわたしの馬だった。わたしはお前を見捨てたと言うのに、この場に留まってくれたのか。そう思うと涙が溢れてくる。しかし、今はまだ喜ぶには早すぎる。
意識を失う寸前で思い出した伝承通りの存在なら、あの男は何かを代償としてわたしから奪うのだろう。震える体を引きずってコソッと
男のいた場所を伺う。男はまだそこに居た。しかし、辺りの様子が変わっている。赤と黒。血と落雷の後。
そんな場所の中心で平然としている男。しまいには、グゥゥと腹の鳴る音がした。
(この状況でも食欲があると言うのかッ!?)
やはり、あの男は悪魔なのだ。飛び散った血肉を見ながら腹を空かせる等人間ではない。
更にあの男は、
「食いたかったなぁ。それかせめて他の物残してくれりゃあ良かったのに……」
「ヒィィ!?」
とっさの行動その二。再び口を塞ぐ。
「……ん?」
男は気づいたらしい。
冷や汗が止まらない。もう服もビシャビシャだ。ああ、見つかったら何を求められるのだろうか。腕、足、それとも……。顔を青くし、俯く。恐怖からくる涙で視界が滲む。
そんなわたしの視界で動くものがいた。
「……ま、まま待て。まさか、お前……」
馬だった。馬は自らあの男の元へ行こうと言うのだ。あの悪魔が、腹を空かせているのを知っているのに。わたしの為に、命を差し出そうとしていた。完全に、涙が溢れた。
ヒュパッ!
そんな音と共に、わたし達から少し離れた所にある木が二本、アッサリと切り倒された。
涙が、止まった。
もうそこから先は覚えていない。悪魔に荷物を全て差し出して馬と共に逃げた。気づけば何処かの村にたどり着いた。そこで回復を待ち、村人達の暖かい心に礼をし王都へと向かった。
そして馬を手厚く介抱し休ませ、騎士団本部に駆け込んだ。中はザワザワと忙しそうにしており偶に悪魔という単語が聞こえてきた。やはり騎士団も知っていたのだ、あの悪魔の事を。
その後は家に帰り、有り余る金を助けてくれた村人に差し出し、残った金で馬と共にゆっくりと暮らそうと隠居を決め込んだ。もう、あんな目にはあいたくない。
俺は小太りの男性が指さした方向へと移動している、よく分からないが泣きながら訴えられた。俺、命取るような極悪人に見えるのだろうか。かなりショックだ。これでも学校ではクラスメイトBと呼ばれる善人だったのに。
思い出すと気落ちする。そのまま歩いていると森を抜けた。そしてそこにある馬車。馬はないが、馬車。
「あの人が言ってたのはコレの事か……どれどれ」
俺は荷台に乗り込み、荷物を漁る。しかし、本当に貰っても良いのか? 何かジャラジャラと宝石出てくるんだが。
他には剣やらインゴットやら変な道具やら。食べ物もあるし水もあるらしい。
「……助かるな。しかし、どうやってこの荷台を引くか……」
目下の悩みはこれに尽きた。