「私サバサバしてるから」という女を王国最強の女騎士が叩きのめすことになった経緯と顛末
「ん~~~、美味しい!」
あまりの美味しさに、ロディはフォークを手にしたまま頬に手を当てて、にっこりと微笑んだ。
少年のように喜びをあらわにするロディを見て、婚約者のベアトリーチェは、くすりと笑みをこぼす。
「ふふ、そんなにか?」
肩より上で切りそろえた青い髪をさらりと揺らして、彼女はこてんと首を倒す。
夏空のような青い瞳はやわらかく細まって、ロディのクリーム色の髪に半分隠れている、琥珀混じりの金瞳を愛おしげに見つめていた。
ロディが食べているのは、つやつやの甘い苺がぎっしり敷き詰められたタルトだ。
生地はサクサク、まろやかな甘みのカスタードクリームはとろりとして、酸味と甘みのバランスも、食感も完璧。王宮の晩餐会で出るデザートにも引けをとらない。
「絶品ですよ! さすがレオン義兄さんのお勧めです!」
「口に合って良かったよ。兄様は甘い物に目がないんだ。領地に帰る前に訊いておいて良かったな」
「ですね! ほら、ビーチェさんも食べてみて」
ロディが促すと、ベアトリーチェはふわふわの白いチーズホイップがたっぷり乗ったタルトを一口大に切って、口元に運ぶ。
普段騎士として働く彼女は、式典の時以外は化粧っ気がほとんどないが、今日は珍しく唇に紅が塗られている。
ロディの手元にある苺のタルトよりもつやつやとして、美味しそうだ――などと不埒なことを考えてしまい、ロディは小さくかぶりをふった。
「ん?」
「な、何でもないです」
ロディが慌てているのを見てベアトリーチェは小首を傾げるが、チーズタルトが美味しかったようで、すぐに表情がほどけた。
「本当だ。美味しい」
「ふふ。ビーチェさんの笑顔が見れて、僕、嬉しいです」
「な、何を急に……」
「もう、いまだにそうやって照れてくれるの、ほんっと可愛い」
「……っ、年上をあまりからかうもんじゃないっ」
ベアトリーチェは四ヶ月前に新設された姫騎士隊の隊長として、ロディは宰相補佐官として、ここのところずっと忙しく働いていた。
一年前に正式に婚約してから彼女とは一緒に暮らしているが、すれ違いで顔も見られないような日々が続いており、今日は久しぶりに休みを合わせてデートに来ていたのである。
ロディはにこにこしながら、頬を赤く染めているベアトリーチェの顔をしばらく見つめる。
ベアトリーチェは背も高く凜とした雰囲気の年上女性だが、ロディが見つめれば見つめるほど赤くなっていく頬は、可愛くて可愛くて仕方がない。
――と、ロディとベアトリーチェの会話が途切れたところで。
「――ほんっと、腹立ってきた。なぁにが『私サバサバしてるから』よ。むしろあんなに粘着質な女、見たことないわ」
「距離感が近すぎることを指摘したら毎回『男友達みたいなもんだし』って言うんだっけ? 騎士学校が男所帯なのは知ってるけど、騎士目指してる人たちってみんなそんなにデリカシーないの?」
隣の席で交わされている会話が聞こえてきて、ベアトリーチェの表情がぴしりと固まり、みるみるうちに眉が寄っていった。
ロディも、衝立の向こうから聞こえてくる女性二人の声に耳をそばだてる。
「私もオーウェンからの又聞きだけど、みんながみんなそうって訳じゃないのよ。女性の騎士見習いもここ数年で増えてきたらしいけど、あのリリアンとかいう自サバ女が特別なの。他の真面目な女学生たちには嫌われてるらしいわ」
「男共はどうしてるわけ? リリアンの行動とか、スキンシップとか、受け入れちゃってるの?」
「やめろって言っても、全然聞かないんだって。少なくともオーウェンは距離を置こうと頑張ってるみたいだけど、普通に鼻の下伸ばしてる男もいるみたい。そんな奴は、遅かれ早かれ婚約者のご令嬢に見限られるんじゃないかとは思うけど」
「クロエは平気なの? いくらオーウェン様がちゃんと対応してるっていっても、不安よね」
「そうね……正直言って、平気じゃないわ。オーウェンは嫌がっているとはいえ、公開練習のたびに、腕を触られたり肩を組んだりされているのを見せられるんだもの。それに、リリアンみたいなのがこれから騎士になると思うと……ちょっと、ねえ」
「……護衛依頼をした女主人の品格を、平気な顔して貶めそうよね。何ならご夫君とかご子息に色目を使ったりとか――」
がたん、と音を立てて、ベアトリーチェが椅子から立ち上がる。
――あ。これはヤバいやつだ。
「――聞き捨てならないな」
「ちょ、ビーチェさん――」
「ご令嬢がた、ご歓談中にすまない」
ロディが止めるのもむなしく、ベアトリーチェはこの上なく美しい笑顔を浮かべて、衝立の向こう側にいるご令嬢たちに話しかけた。
衝立は低いので、座っていれば隣席の顔は見えないが、立ち上がればすぐに顔が見えてしまう。
隣だけではなく、周り中から小さな悲鳴や、息を呑む音が聞こえてきた。
ロディ本人もそれなりに名は知れているが、ベアトリーチェは、ロディの比ではないぐらいの有名人なのだ。
そしてこの女神のように美しい笑顔と、すうっと細まり、夏空から氷点下へと急降下した青い瞳。
まだ長いとは言えないが、騎士団で一緒に働いていた頃から、それなりに濃い付き合いをしてきたロディには、よく分かる。
「盗み聞きするつもりはなかったのだが、その話、今後の騎士団の品位に関わる重要な問題のようだ。どうかこの私に――姫騎士隊隊長、ベアトリーチェ・クルスに話してはくれないだろうか」
――間違いない。彼女は、だいぶキレている。
「べ、べべべ、ベアトリーチェ様……!?」
「ひゃいっ、もちろんですっ」
そうして、ベアトリーチェは二人のご令嬢から詳しい話を聞き出したのだった。
*
後日。
ロディは、ベアトリーチェの伝手を頼って借りた騎士学校の制服に袖を通し、件の学校に潜入していた。
特徴的な色の瞳は、前髪を全部下ろすことで隠している。
そのかわり、優美な容貌もすっかり隠れて、野暮ったいモサ男が爆誕していた。
「……はぁ……やっぱり、学校って何となく居心地悪いなあ……。騎士学校に知り合いがいなくて、騎士見習いたちに引けを取らないだけの実力があって、年齢的にも学生に混じってもおかしくない僕が適任なのはわかるし、ビーチェさんに頼まれたからにはそりゃあ全力で応えるけどさ」
ため息をつきながら不平不満を呟くが、影の薄いぼっち学生を演じているロディの近くには誰もおらず、幸いにして聞きとがめられることもなかった。
「ええと、クロエ嬢の婚約者、オーウェン殿は……銀の短髪に紺碧の瞳だったな」
カフェにいた令嬢のうちの一人、クロエから聞き出した、婚約者オーウェンの容姿を思い返しながら、ロディは周囲に視線を巡らせる。
「ああ、いたいた」
オーウェンの姿は、すぐに発見することができた。
彼は自席に座っており、周りには数人の男子生徒がいて、一人の女子生徒を囲んで談笑している。
オーウェンは一歩引いた冷めた視線で、女子学生が一人の男子生徒の肩に思い切り腕を回しているところを、嫌そうに眺めていた。
どうやら、隣席の男子生徒と話していたところに、他の生徒たちが押しかけてきたらしい。
「……リリアン嬢も一緒か。少しぐらい脚色が入ってるかと思ったけど、ご令嬢たちが噂していた通りなんだな。呆れた」
男子生徒たちに囲まれている女子生徒が、今回問題になっている自サバ女、リリアンである。
髪と瞳は焦茶色で地味だが、目や口などの顔のパーツが大きめで、そこそこ整った派手な顔立ちをしている。
ロディはもう一度小さくため息をついて、賑やかな集団の方へと近づいた。
「すみません。オーウェン殿、ですよね? 婚約者のクロエ嬢から、お手紙を預かって来たのですが」
「ん? クロエの? ……失礼ですが、貴殿は?」
「ロディといいます。僕がこのお手紙を預かった経緯については、こちらのお手紙に記載――」
「あっれー? オーウェン、婚約者さんから手紙ー? ていうか、きみ、誰? うちの学年にいたっけー?」
ロディがオーウェンに手紙を渡した途端、どうやら、リリアンの興味がロディに向いたらしい。
初対面にもかかわらず、リリアンは指先でつんつん、と胸元をつついてくる。
制服は第二ボタンまではだけており、わざと前屈みになって上目遣いでロディの顔を見上げてきた。
ロディは内心げんなりしながらも、表情を崩すことなく、彼女を綺麗に無視した。
「オーウェン殿、お手紙の返信はお早めに、と言付かっています」
「そうですか。承知しました。返信は貴殿にお預けすれば?」
「いえ。今から書けば、直接お渡しできると思いますよ」
ロディがそう言えば、オーウェンは「そうか、公開練習か」とすぐさま納得したらしい。
どうやら彼はなかなか聡明な人のようである。ロディは頷いて微笑んだ。
「ちょっとー、私のこと無視するなんて酷いんじゃないの?」
再びリリアンは、ロディとオーウェンの間に割り込んできた。
「……失礼しました。僕はロディ。年は十八、皆さんと同じです」
ロディは渋々リリアンに返事をする。
オーウェンはその隙に立ち上がって、隣席の男子生徒と一緒に廊下へと出て行った。もう必要なことは伝え終わったので問題ない。
リリアンは、ロディをまじまじと見つめてくる。
ロディは頑として視線を合わせない。
「ふーん。ロディか。今まで学校で見たことないけど?」
「僕はこのクラスではありませんし、影が薄いのでお気づきにならなかったのかもしれません。お邪魔してしまいましたね。どうぞご歓談を続けてください」
ロディはそう言って静かに立ち去ろうとした。しかし。
「まあまあそう言わずに、折角だから友達になろうよ。私のことは、男友達みたいな感覚で――」
「おっと」
急にリリアンが動いた気配を感じて、ロディは反射的に身をかわした。
ロディの肩に腕を回そうとしていたリリアンが体勢を崩すが、さすがに騎士を目指しているだけあって体幹はちゃんとしているらしく、転ぶことなく踏みとどまった。
「申し訳ありませんけど、婚約者でもない女性に必要以上に触られると、気持ちが悪いので」
「えー、気持ち悪い? さっきも言ったけど、男友達みたいに思ってくれれば――」
「男友達ならなおさら、そんなにベタベタされたら気持ち悪いです」
男同士なら、模擬試合で好成績を収めたときなんかはグータッチしたり、冗談を言われて肩をちょっと小突いたりぐらいはする。
けれど、胸元をつついたり、話に聞いたように腕に抱きついたりなんて、間違ってもしない。
肩を組むのだって、足に怪我をした者を移動させる時か、べろべろに酔っ払った同僚を介抱する時ぐらいである。
「それに、口ではそう言っても、あなたは女性ですよね?」
「え……ロディ、きみってさ、初めて話したのに私のこと女として意識してるわけ? それこそ気持ち悪くない?」
「……は?」
思わずドスの効いた声が出てしまったが、リリアンは気にも留めていないようだ。
「私ってサバサバしてるからさ。細かいことも気にしないし、他のご令嬢相手みたいに気を使う必要はないんだよ。きみの婚約者さんはどっかの貴族のご令嬢?」
「ええ、そうですけど」
婚約者のベアトリーチェは、貴族の家の出身だ。
ロディは声を低くしたまま、頷いた。
「貴族のご令嬢って、一緒にいて疲れるでしょ? 私は一応男爵家の出身だけど、この通りの性格だからさ、何かにつけて気を配ったりしなくても構わないよ。それに、きみの婚約者さんと違ってしっかり鍛えてて強いからさ、さっきみたいに転びそうになっても、支えてもらったりする必要もないの。だから、男と一緒みたいなもんだよ」
「……強い、ですか。僕の婚約者よりも?」
「そりゃあ普通のご令嬢より断然強いに決まってんじゃん」
「……へぇ」
ロディは、金色の瞳をすう、と細めた。
瞳を隠すためにあえて前側に流している髪のおかげで、ロディが楽しげに目を細めていることに、誰も気がついてはいない。
だが、口元がゆるやかに弧を描いたことで、リリアンは少し調子づいたようだ。
「きみの婚約者さんも、公開練習見に来るの?」
「来る予定ですが、何か」
「じゃあ、格好いいところ見せないとだね。何なら私と手合わせする? 手加減してあげてもいいよ」
「……いいえ、遠慮しておきます」
明かしていないとはいえ、元本職の騎士相手に手加減など、馬鹿にするにも程がある。
しかし仮にロディがただのいち学生だったとしても、失礼極まりない発言だ。
ロディは怒りを表に出さぬようにしつつ、冷たい声で返事をした。
「――それに、どうせあなたには指名が入りますよ」
「……? 指名って?」
「では、失礼します」
ロディは、口元の笑みを深めてそれだけ言うと、そのままリリアンたちに背を向けた。
戸惑っている雰囲気が伝わってくるが、今度こそ、ロディは引きとめられることなくその場を後にしたのだった。
*
その後、手紙を読んで事情を把握したオーウェンに協力してもらい、ロディは、他の女子生徒たちにも話を聞いていた。
リリアンのように『私サバサバしてるから』と言いながら男に媚びるような者は、当然一人もいなかった。
逆に『女騎士ベアトリーチェ』に憧れを抱き、彼女を規範とし行動を律している、志の高い真面目な者ばかりだ。リリアンは、そんな女子生徒たちからは毛嫌いされていた。
それはそうだろう。
これまで男ばかりだった騎士団を変え、女性が騎士として輝ける道を作ってきたのが、ベアトリーチェだ。
女性から見ても男性から見ても強く、気高く、美しく、格好良い――それが『女騎士ベアトリーチェ』なのである。
彼女の苦労を知っていて同じ道を志そうとするのは、努力を厭わず芯の通った者ばかりなのだろう。
そんな生徒たちなら、ベアトリーチェが切り開いてきた道を穢すような女のことなど、到底許すことができないはずだ。
男子生徒は、オーウェンのように一歩引いている者もいれば、リリアンを姫扱いしている者もいる。
とはいえ、リリアンを姫扱いしている男たちにはその自覚はなく、『男友達みたいな』付き合いをしていると思い込んでいるのだろうから、たちが悪い。
面と向かって注意しても、先ほどのロディのようにいなされてしまうのであれば、頑張って改心させようと思う生徒もいなくなってしまったに違いない。
わざわざ自分から迷惑女に関わるのも面倒だし、のちのち、自分自身の評価にも関わってくるだろうから。
そして、一番の問題は、教員たちがリリアンをどのように扱っているのか、である。
同じ立場の学生たちと違って、教員にとってリリアンは自分の生徒であり、いち生徒として彼女を教え導く責任があるはずだ。
この問題を軽視しているのか、問題になっているがあえて介入せずにいるのか、もしくは、そもそもこの問題を知らないのか。
事と次第によっては、もしかしたら人事が一新されることになるかもしれない。
とはいえ、ロディの役目は、学生の目から見たリリアン嬢の言動を、公平性を持って確認することだ。教員の内情を探るのは自分の仕事ではない。
そちらの方は、頼りになる婚約者が、のちのち問い詰めてくれることだろう。
「さて……そろそろ公開練習の時間ですか。リリアン嬢の状況も周囲の心証も把握できたし、目的も何となく絞り込めたから、あとは僕の女神様に任せればいいかな」
「ロディ殿は、リリアン嬢の目的がお分かりに?」
「ええ。最初から予想はついていたんですが、今日の潜入調査で確証を得ました。オーウェン殿のおかげで、たくさんの生徒さんから情報を集められましたからね」
リリアンは、商人に騙され事業に失敗し、没落しかかっている男爵家の出身だ。
貴族学園の中等部に通えなくなり、高等部から騎士学校に編入してきたようである。
「生家の財政が傾いたのが五年前。リリアン嬢の姉君が羽振りの良い貴族に嫁いでいったのが三年前だったということは、事前調査で知っていました」
リリアンには美人で気立ての良い姉がいたが、二十も年の離れた貴族の後妻に嫁がされた。
そしてリリアン自身も、男爵家が事業に失敗するまでは、ごく普通の男爵令嬢として育ち、剣を握ったこともなかったという。
生家の没落が五年前、騎士学校への編入が二年と八ヶ月ほど前。
五年前といえば、ちょうどベアトリーチェが御前試合で好成績を収め、王妃殿下と王女殿下の後ろ盾を得て話題になった頃だ。
五年前、貴族学園に通えなくなったリリアンが何を感じ、どのような天啓を得たのかは、想像に難くない。
きっと『私もベアトリーチェのような騎士になりたい』とでも言って、淑女教育を放り出して、兄か父にでも剣を教わり、騎士学校への入学を目指したのだろう。
騎士学校は平民でも通えるように奨学金制度も整っているし、貴族学園よりもずっと学費が安いのだ。
没落しかかっているとはいえ、男爵家ならば、娘一人騎士学校に通わせるぐらいは可能だったはずである。
「おそらくリリアン嬢は、騎士として就職することが第一目標ではありません。政略結婚を避けることが真の目的です」
「ああ……なるほど。だから、自分に靡きそうな男を手当たり次第に探していたのですね」
「そうだと思いますよ。さらに、これは潜入してみて初めて気付いたんですが、彼女は将来爵位を得る可能性がある令息、もしくは成績優秀で、騎士として出世しそうな見込みが高い令息を狙っていたみたいですね。その方が、生家から反対され、横槍を入れられる確率が低いですから」
リリアンが自分から近づいていく令息の共通点。それが『将来性がある』ということだった。
これに関しては潜入調査をしてみないと気がつけなかった事実。
リリアンがただの男好きというわけではなく、意外にも強かで打算的な面を持ち合わせていることが判明したのである。
「……それで、婚約者がいると言っているのに、俺にも馴れ馴れしくしてきたということか。俺は侯爵家の三男で、騎士になれずとも家が所有している爵位があり、余程のことがなければ平民になることは有り得ないから」
「そういうことですね。計算高いんだかそうでないんだか……婚約者がいる令息をたぶらかして、その婚約を破談にでもしたら、その後どういうことになるか。そこまでは考えが及ばなかったのでしょうか」
「……優秀な者には大体婚約者がいるから、リリアン嬢も形振り構っていられなくなったのかもしれないが。他人のものを略奪しようとするなど、騎士道に反する行為だと何故気付かないのか」
オーウェンの言葉に、ロディは深く首肯した。
オーウェンは、紺碧の瞳をすうっと細めて、ロディの方を見遣る。
硬い銀の短髪に切れ長の目元という容貌も相まって、こういう表情をすると、冷たげな印象を受ける。
「ところで、ロディ殿。クロエからの手紙には、貴殿は素性を隠した騎士団の関係者だから、黙って調査に協力するように……と書かれていたのだが。――率直にお尋ねする。貴殿は一体、何者なのです? クロエとはどういうご関係で?」
「ふふ。クロエ嬢とは、婚約者とカフェでデートをしている時に隣同士の席になって、お話を聞かせてもらっただけですよ。僕の素性はすぐ明らかになると思いますけど……そうですね。これでわかりますか?」
そう言って、ロディは前髪をかき分け、片方の瞳をオーウェンに見せた。
侯爵家の子息だという彼には、それだけでしっかり、ロディの素性がわかったらしい。
「――っ! そうとは知らず、ご無礼を」
「ああ、いいんですいいんです! 僕も隠していましたし、そもそもオーウェン殿には一切無礼なことなんてされていませんし。それより、公開練習まで、信頼のおけるあなたに是非一緒に行動してもらいたいんですけど、いいですか?」
「はっ。喜んで」
再び目元を髪で隠したロディの半歩後ろを、先ほどよりも幾分固くぎこちない雰囲気になったオーウェンが追従する。
「もーっ、オーウェン殿? 怪しまれるから普通にしてくださいよ」
ロディが苦言を呈すると、オーウェンは恐縮しながらもロディの横に並んだ。
到着した訓練場では、すでに学生たちが模擬試合の準備を始めており、見学者も続々と集まってきていた。
「あ、クロエ嬢も来ていますね。僕の女神様は、流石に見学席には来ていないようだけど――」
姿は見せないが、二階の物陰から、自然と背筋の伸びるような視線が感じられる。
ロディはそちらの方向を見上げて、口元だけで優美に微笑んだ。
しばらくそうして微笑んだのち。
ロディは、クロエに向かって手を挙げるオーウェンと共に、訓練場の中央に向かって歩みを進めたのだった。
*
そうして、模擬試合の開始時刻となった。
公開練習の際の模擬試合には、普段、二つの試合形式があるらしい。
一つは、生徒を成績順に四つのブロックに振り分け、トーナメント制で試合を行う形式。
これは、来賓を招いた際や、学校見学会の際などに行われる形式だ。
定期試験の際も、このトーナメント制で試合を行うらしい。
もう一つは、生徒同士が自由に組み手を行う形式。
公開練習はそれなりに頻繁に開かれるため、特別な客が来ないときにはこの形式で模擬戦を行うことが多いらしい。
自由に組むとはいっても、実力者は実力者に試合を申し込むので、大抵、実力順に綺麗に振り分けられることが多いようだ。――ただし、意識の低い『仲良しグループ』を除いて。
今日の公開練習は、後者の形式で行われるらしい。
ロディは早速オーウェンと共に訓練場の一角を陣取り、刃を潰した練習用の剣を握って感触を確かめていた。
「一応今も鍛えてはいるけど、人と剣を合わせるのは久しぶりだなあ」
「そうなのですか?」
「ええ。婚約者と養家の家名に泥を塗りたくないですからね。今回は、僕の女神様のためにも、本気でやらせてもらいますよ」
「俺だって、貴殿が誰であろうと、一歩も退きませんよ。クロエが見ていますからね」
「望むところです」
ロディとオーウェンは、剣を正眼に構える。
途端、ぴりりと緊張感を孕んだ空気が二人を包み込む。
久々に感じる戦闘の空気感に、ロディの心は高揚した。
「――はっ!」
先に動いたのは、オーウェンだった。
短く息を吐き出し、正面から打ち込んでくる。
ロディはオーウェンの剣を受け止め、あるいは受け流しながら、彼の剣筋を慎重に見極めてゆく。
右。上段。一歩下がって左。下段からの切り上げ。踏み込んで右。左に流して上段。さらに踏み込んで左――。
ロディはオーウェンの踏み込みのタイミングを見極め、身体を右側にずらした。
踏み込みの際に必ず右足を前に出してくる癖があったオーウェンに、一瞬の隙ができる。
ロディは剣をそのまま左側に受け流し、素早く背後に回ろうとする。
オーウェンは急いで身体を捻り、大きく距離を取ろうと動いた。
ロディはそのまま素早い身のこなしでオーウェンの懐に入り込み、彼の手首を軽く打って剣を弾いた。
「――っ!」
「ふふ、やったぁ。一本、取りました」
ロディはそう言って屈託なく笑う。
いつの間にかロディたちの周囲には人が集まっていた。
「……なあ、あいつ誰だ?」
「あのオーウェンが一本取られるなんて」
「俺、昼休みにオーウェンと一緒にあいつと世間話をしたぞ。確かロディとかいう名前だった」
訓練場がざわめきに包まれる。
ロディも戦ってわかったが、オーウェンは紛れもない実力者だ。
彼が剣を落としてしまったことが、皆には衝撃だったのだろう。
「おーい、オーウェン! ロディ! お疲れさん!」
そんな中、何も気にすることなくロディたちに近づいてきたのは、リリアンと『仲良しグループ』の皆さんだった。
「ロディ、きみって強かったんだ。私、どうしてきみのこと知らなかったんだろう? オーウェン、残念だったね」
リリアンはそう言って、剣を拾おうと身をかがめていたオーウェンの肩に、ぽんぽんと手を置いた。
視界の端、見学席の方から、強い視線を感じる。
「……いつも言っているが、そうやって馴れ馴れしく触れるのはやめてくれないか。婚約者も来ているんだ。そんな風に不躾に触れたら、彼女が不快に思うだろう」
「ええ? これだけで? オーウェンの婚約者さんって、心が狭いんだね。私は男友達みたいなもんだって言ってるのに。――つうか、そんな心も身体も弱い女の、どこがいいの?」
リリアンは、大きな声で、失礼なことを堂々と言った。――ただし、最後だけは呟くような、小さく平坦な声で。
ロディは、その声音に少し背筋が寒くなる。
それでも、今がチャンスであることに間違いない。
ロディは珍しく声を張り上げた。クロエにも、近くに隠れているであろう自身の婚約者にも声が届くように。
「リリアン嬢。そういうの、本当にやめた方がいいですよ。誰にも教わらなかったんですか? 婚約者のいる男性に、女性のあなたが軽々しく触れてはいけません」
「だーかーらー、私は男友達と同じようなもんなんだって」
「ですが、あなたは女性です。それに今、あなたは、オーウェン殿の婚約者のことを、心も身体も弱いと言いましたが——あなたはクロエ嬢の何をご存知なのです?」
ロディがリリアンの呟きを拾って、大きな声で問い詰めると、会場の温度が一段下がったような気がした。
それと同時に、リリアンも笑顔を引っ込め、苛立ちをあらわにする。
「私は騎士見習いで、厳しい鍛錬を重ねているんだ! 身体はもちろん、心だって、男と同じように鍛えてきた! ここにいるどんな令嬢より、私の方が強いに決まってるんだから——」
「——なら、証明してもらいましょうか」
「……は? 証明って何を?」
——釣れた。
ロディは内心でほくそ笑むが、決して表には出さず、淡々とした声で続ける。
「では、僕の婚約者と戦ってください。彼女は貴族令嬢ではありますが、少々剣を嗜んでいましてね。もしも僕の婚約者よりもリリアン嬢の方が強かったら、僕はあなたを認めましょう。けれど、そうでなかった場合は、謝罪してください。あなたが失礼な態度を取ってきた人、全員に」
リリアンは一瞬、不可解そうに眉を顰めたが、すぐさま口角を上げていやらしい笑みを浮かべる。
「そんなことでいいの? 婚約者さん、怪我しちゃうかもよ?」
「了承と取って構いませんね?」
「ああ、うん。もちろんいいよ」
「——だそうですよ、僕の婚約者様?」
ロディがそう言って訓練場の入り口の方へと身体を向けると、先ほどロディがオーウェンに勝利した時とは比べものにならないざわめきが巻き起こった。
ざあっと海が割れるように、入り口側から人が自然と避け、花道が形作られてゆく。
コツ、コツ、コツ。
花道が出来上がると同時に、人々のざわめきはすうっと消え去り、軍靴が床を踏む音が訓練場に高らかに響く。
「……え……あ……はあ?」
リリアンの情けない声を聞いて、ロディは既に少しだけ溜飲が下がる。
その間にも軍靴の音はこちらへ近づき、ロディの胸には、先ほどとは異なる高揚が湧き上がってきた。
「——ロディ。先ほどの戦い、まあまあ良かったぞ」
ロディの女神様は、夏空のように澄んだ瞳をこちらに向け、美しく微笑んだ。
「ふふ。ありがとうございます、僕の女神様」
ベアトリーチェは騎士服をかっちりと綺麗に着こなしている。
ボタンはもちろん上まできちんと留まっているし、隅々までアイロンがかけられていて清潔感があり、一切のほつれもない信頼を体現していた。
ベアトリーチェはロディたちの前にたどり着いたが、制服をみっともなく着崩しているリリアンには、一切視線を向けようとしない。
「ロディに女神様と呼ばれるのはこそばゆいな。それと、その髪型、全然似合ってないぞ」
「もーっ、ビーチェさんの意地悪。似合ってないのは自分でもわかってますって」
ロディはずっと邪魔だった前髪をかき上げ、手櫛で普段の髪型に戻す。
片方の髪は耳にかけ、もう片方はそのまま斜めに流せば、琥珀色混じりの金瞳と優美な顔立ちがあらわになった。
「金瞳!?」
「あの方は、貴族学園を飛び級で卒業して騎士団に入団した後、今は宰相補佐をしているっていう秀才——ロードリック卿じゃないか……!?」
「ということは……彼の婚約者は……」
周囲の視線が、再びベアトリーチェに集まる。
ベアトリーチェは、この上なく美しい微笑みを浮かべ、氷点下の瞳でようやくリリアンを見据えた。
「はじめまして、リリアン嬢。私はベアトリーチェ・クルス——剣を少々嗜んでいる貴族令嬢で、ここにいるロディの婚約者だ。私と手合わせしてくれるということで、間違いないな?」
「は……え、そんなの聞いてな……」
「——間違いないな?」
「……は……、っ」
ベアトリーチェの圧に負けて、リリアンはプルプルと震えながら俯いた。
「よし、了承だな。ほら、早く構えろ」
ベアトリーチェは、リリアンが俯いたのを了承と捉えたようだ。
ベアトリーチェが訓練用の剣をちゃき、と鳴らすと、リリアンはびくりと肩を震わせながらも、どうにか不格好に剣を構えたのだった。
*
ベアトリーチェとリリアンの試合は、瞬きの合間に終わっていた。
もっとも、勝負にすらならないことなど、始まる前からわかり切っていたが。
かたや、姫騎士隊の隊長として、王国騎士団の第一線で活躍している騎士。
かたや、学業よりも将来の伴侶探しに余念がない女学生。
はなから同じ舞台になど立っていないし、本来ならいくら請われても剣を合わせることなど有り得ない二人である。
「――呆気ないな」
ベアトリーチェは、剣先を下ろして残念そうに呟いた。
視線の先には、真っ二つに折れた訓練用の剣を正眼に構えたまま、何が起こったかもわからずに佇む、リリアンの姿。
「え? え? 剣、折れてる?」
リリアンは不思議そうに、自分の手元に残った剣の残骸を持ち上げる。
彼女の手に痺れも残っていないのは、ベアトリーチェが、訓練用の剣のある一点を正確に叩き折ったからだ。
「教官。訓練用の剣だが、少々脆くなっていたようだ。一本折ってしまった。すまない」
「……構わんよ。脆くなっていたわけではないが、君が来ると言った時点で何本か駄目になるだろうなと思っていたからな。……ところで生徒諸君。クルス君が今何をしたのか、見えた者はどのぐらいいるかね?」
試合の様子を眺めていた教員が学生たちにそう声を掛けると、ちらほらと数人ほどの手が挙がった。
もちろんオーウェンの手も挙がっている。教員はオーウェンを指名して答えさせた。
「開始の合図と同時に飛び出し、相手の剣の一点だけを集中的に複数回攻撃して折り飛ばしたのち、再び開始位置に戻ったように見えました」
「ほう。私の動きが見えたのなら、なかなか見込みがあるな」
ベアトリーチェは感心したように、夏色の瞳を輝かせて微笑んだ。
「……見えるだけであって、俺には対処はできません」
「だろうな。ロディとの手合わせを見ていたが、君は敏捷性と対応力がまだ育ちきっていないと感じた。一方、体力とパワーは随一のようだ。自分の実力をきちんと把握できることも騎士としての強みとなる。励めよ」
「はっ! 感謝します!」
助言を受けて、オーウェンは感極まったようにぴしりと騎士の礼を返した。
ベアトリーチェは、満足そうに頷く。
「……さて。それで、私が勝利した時の約束は何だったかな?」
ベアトリーチェは美しい氷点下の笑みを浮かべて、リリアンに向き直った。
「……っ、……すっ……」
リリアンは、言葉を詰まらせた。しかし、すぐにがばりと音を立てて、思いっきり頭を下げた。
「すみませんでしたぁぁぁ!! ロディ……様の婚約者さんがベアトリーチェ様だったなんて、知らなくて、私、失礼なことを言いました!」
「うん。相手のことを何も知らないのに決めつけるのは、確かに良くなかったな。それから?」
「……オーウェンの婚約者さんをはじめ、皆さんを不快にさせるようなことをして、すみませんでした。それに、オーウェンたちにも。嫌がってたのに無視し続けて、本当にごめんなさい!」
「そうだな。人の嫌がることをするのも、人の話に耳を傾けないのも、良くないな。後は?」
「えっと……? まだ何かあったかな……?」
子供に諭すように穏やかな口調で話すベアトリーチェに見つめられて、リリアンは眉根を寄せて必死に考えを巡らせる。
しかし、これ以上謝罪する言葉は出てこない様子だった。
ベアトリーチェは、少し残念そうに息を吐いてから、僅かに口角を上げた。
「もう出てこないか。まあいい。リリアン嬢、素直に皆に謝れたな」
「えっ? ビーチェさん、許しちゃうんですか?」
ベアトリーチェの言葉に驚いたのは、ロディだった。
リリアンはベアトリーチェに対して、今日の言動については確かに謝罪したが、まだ肝心なことを謝っていない。
彼女は、女性騎士の品格を、騎士学校の品位を――騎士そのものの存在を、貶めかけたのである。
それを自覚させずに許してしまおうとするのは、ロディにはいささか信じられなかった。
「最終的に許すか許さないかを決めるのは、私ではない。もっと厳しくて、現実的で、酷なものだ。それに――」
そこで一旦言葉を途切れさせて、ベアトリーチェは、悪戯っぽく微笑んだ。
「私はサバサバしているからな。細かいことは気にしない質なんだ」
ベアトリーチェが堂々と言い放った言葉に、ロディは思わず笑ってしまった。
リリアンが顔を赤くして俯いているのが、視界の端にうつる。
「まあ、真面目な話、こういうのは私から言うことじゃないしな。教官、あなた方も、彼女が自分で気付いてくれることを願って不介入を貫いていたのでしょう? 騎士学校では、私のように卒業前に職に就ける場合もあるが、逆に就職できず留年をすることもあるのだから」
ベアトリーチェが教員の方を向いてそう問いかけると、彼は短く首肯した。
ロディは彼の反応を見て、顎に手を当て頷く。
「なるほど、就活で失敗して痛い目を見れば、彼女も考え直すだろうと……そういうことですね」
「そうだ。自らの心に柱がない者に、騎士としての道は存在しない。自ら道を閉ざしたのなら、騎士らしく、自分の力で正しい道を探し直して切り開いてゆくべきではないか?」
「ふふ。ビーチェさんらしいですね」
「それに。私は、たった一人の女学生の不品行で貶められるような部隊作りは、していないつもりだ」
「ええ。それは間違いなくその通りです」
ベアトリーチェは、強く、気高く、美しい。
老若男女に敬愛される、王国騎士団の麗しき花。
そんな彼女が率いる姫騎士隊は、創設からずっと高い評価を得ており、女性たちの憧れの存在となっている。
「さて。折角来たんだから、後進の指導でもしようか。私に稽古をつけてほしい者はいるか?」
ベアトリーチェが、話はもう終わりとばかりに手を打ち鳴らすと、先ほどから遠巻きに眺めていた女子生徒たちがこぞって彼女の周りに集まってきたのだった。
「――ふふ。やっぱり、格好いいなあ。僕の女神様は」
ロディはそう独りごちて、愛しい婚約者を見つめる。
しかしそれも長くは続かず、ロディもベアトリーチェと同様に、稽古をつけてほしいと殺到した学生たちの相手をするのに忙しくなったのだった。
*
後日。
ロディのもとに、オーウェンからの手紙が届いた。
リリアンはすっかり心を入れ替えて、しっかり学業に励むようになったらしい。
婚約者のいる男子生徒とは適切な距離を保つことを意識するようになったし、実力のある男子と仲良くなろうとすることよりも、きちんと自分自身の実力を磨くことを優先するようになった。
女子生徒とも、少しずつだが打ち解け始めているようだ。
細かいことは気にしない……と本人は言っていたが、ただガサツなだけだと指摘されて、生活態度も改めるようになった。
制服のボタンも閉めるようになったし、ハンカチもくしゃくしゃに仕舞わずきちんとアイロンをかけるようになったそうだ。
いや、そこはそもそも清潔感の問題だし、最初からもうちょっと気にしてくれと思わなくもないが。
――彼女は、そろそろ自らの罪に気がついただろうか。
打算的な面があったところを見ると、彼女も馬鹿ではないのだろう。
夏には王国騎士団の採用試験がある。
きっと、リリアンが今からいくら頑張ったところで、その試験には間に合わない。
それは彼女の撒いた種であり、わずかにでも悪意の芽が出てしまったのだから、仕方のないことだろう。
王国騎士団に入団できなかったとしたら、リリアンの実家が彼女をどのように扱うのかはわからない。
家に呼び戻して輿入れさせるかもしれないし、そのまま留年させるかもしれない。
彼女自身もそうだ。
地方領主や商人の私設騎士団とか、傭兵とか、他の就職先を探すのかもしれないし、騎士になることを諦めるかもしれない。
けれど、いつか彼女が心の底から反省して、彼女自身の言葉で、態度で、それをあらわにしてくれたらいいなと思う。
直接謝りに来る必要はもちろんないけれど。
そんなことを思いつつ。
ロディは、オーウェンが王国騎士団の採用試験に合格することを、自分も婚約者も心待ちにしている、と返信をしたためたのだった。
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