血い硝子
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少年は、数字で呼ばれることに慣れていた。
最初は振り返れなかった。
自分のことだと分かるまで、半拍遅れた。
今は違う。
番号が響くと、
自然に足が前に出る。
少女はまだ、時々振り返り損ねる。
そのたびに小さく笑う。
「ごめん、まだ慣れなくて」
少年は何も言わない。
慣れたことを、誇りたくはなかった。
昼休み、二人は建設途中のビルの影に座る。
少女はポケットから、小さな硝子片を出す。
花弁みたいな形。
解体現場で拾ったものだ。
「見て。光、入るとちょっと赤い」
夕陽を透かすと、ほんのり色が差す。
少年は覗き込む。
確かに、透明の奥に、細い線が走っている。
「最初から傷、入ってたのかな」
少女が言う。
少年は肩をすくめる。
「どうせ割れる」
「でも、今は割れてないよ」
少女は笑う。
その笑顔を見るときだけ、
少年は計算をやめる。
二人には、小さな約束があった。
給料を少しずつ貯めて、
郊外の古いアパートを借りること。
窓があって、
カーテンがあって、
番号じゃなく名前で呼び合える場所。
「カーテン、何色にする?」
少女が真面目に聞く。
「なんでもいい」
「だめ。ちゃんと選んで」
少年は少し考える。
「白」
「汚れ目立つよ?」
「洗えばいい」
少女は嬉しそうに頷く。
洗えばいい、なんて。
この街で、そんなことを言えるのは
未来を信じている人間だけだった。
その日、工程が急に詰まった。
人が足りないと言われる。
高所作業。
危険手当は出ない。
「行けるやつ」
少年は手を上げる。
少女も上げる。
視線が一瞬ぶつかる。
どちらかだけ残る、という選択肢は
最初からなかった。
足場の上は、思ったより風が強い。
遠くに、完成したビル群が光る。
ガラス張りの壁が、夕日を反射している。
少女が呟く。
「きれい」
少年は足元を確認する。
ボルトの緩み。
板の軋み。
資材が吊り上がる。
ワイヤーが揺れる。
金属が擦れる音がした。
ほんの、小さな音。
少女の足元が沈む。
体が傾く。
少年は反射で腕を掴む。
少女の手が、強く握り返す。
「ねえ」
風で、声が千切れる。
少年は引き上げようとする。
足場がさらに軋む。
資材が揺れる。
誰かが下で叫ぶ。
世界が、縦に崩れる。
音が止んだあと、
空はやけに青い。
地面には、ヘルメットが二つ転がっている。
ひとつはひびが入り、
ひとつは赤く汚れている。
硝子片が近くに落ちている。
夕日を受けて、
花弁みたいに光る。
その縁を、細い赤が伝う。
「事故、二名」
淡々とした声。
書類にチェックが入る。
“作業中”
翌日、足場は組み直される。
新しい番号が名簿に並ぶ。
フォントが少しだけ違う。
それだけ。
遠くのビルは完成する。
白いカーテンが、いくつも揺れている。
どの部屋も、きれいだ。
硝子は光る。
割れたものは、もうない。




