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栄光の犬

作者: 佐藤瑞枝

 五月。

 ぼくは、レーノルドを傍らにフィールドに立っていた。さわやかな風が流れていく。四年に一度行われるドッグフェスティバル。そのショーで優勝するために、ぼくは十年余りの時間を費やしてきた。青春時代のすべてを犠牲にしてきたと言ってもいいくらいだ。

 小憎らしいアルベルトはもう老犬で、同じ舞台で闘うことができなかったのが残念だけれど、飼い主のさゆみは今年もショーにやってくるだろう。アルベルトは過去三度優勝し、殿堂入りを果たしたテリア犬だ。さゆみは、今年もプレゼンターとしてゲスト出演し、特等席でショーを観覧するはずだ。


「本当に出るつもりか」


 レーノルドをショーに出すと決めた時、同僚のコウタは目をまるくした。


「だって、レーノルドは」


「応募要項にはロボットがだめだなんてひとことも書いていない」


 そう。レーノルドは、ぼくが開発したロボットだ。研究に研究を重ね、何度も試作し完成した、毛並みも、運動能力も、知能も、何もかも犬そっくりの、どんな犬よりも優れたぼくのロボットだ。


 さゆみの飼い犬が最初にショーに出て優勝した時、ぼくは小学五年生だった。翌日、登校してきたさゆみは一躍有名人だった。同級生にかこまれ、さゆみはショーの様子を息つく間もなく語り、アルベルトがどんなに優秀な犬か自慢げに語った。


 ぼくは、さゆみがうらやましかった。団地住まいのぼくは、犬を飼うことができなかった。そもそも父親のいないぼくの家にそんな経済的な余裕もなかった。


 犬がいる暮らしはどんなだろう。もしも飼えるなら、かっこいい大型犬がいい。強くて頼もしい犬がそばにいれば、ぼくは怖いもの知らずだ。クラスのやつらを子分のように従えて歩くことだってできるだろう。

 小型犬ならトイプードルがいい。もともと狩猟犬だというから賢くて飼い主にも従順だ。訓練すれば、ぼくの望みを何だってかなえてくれるだろう。

 そんなことばかり考えていた。けれど、どんなに夢見ても、ぼくにできることはせいぜい新聞紙を折って好きな動物を作ることくらいだった。


「見たい?」


 授業を知らせる鐘が鳴ってもさゆみの前から動こうとしなかったぼくに、さゆみが笑顔でそう言った。ぼくがうなずくと、


「じゃあ、今度、アルベルトを連れていってあげる」


 天にものぼる気持ちだった。さゆみがぼくの家に来る。可愛くて、お金持ちで、ショーで優勝するような犬を飼っていて、お姫様みたいなさゆみに、ぼくはとっくに恋をしていた。


 アルベルトを連れて、さゆみは本当にぼくの家にやってきた。さすがショーで優勝した犬だけあって、アルベルトはつやつやした毛並みの美しい犬だった。案外人見知りなのか、さゆみに抱きかかえられたアルベルトは、ぼくと目が合うと、さゆみの胸に顔をうずめ、おしりを向けてしまった。

 さゆみを連れて団地の階段をあがる。普段は気にしたこともなかったのに、冷たい壁に思った以上足音が響いてひやひやした。管理人さんに見つかって怒られやしないかぼくはどきどきしたけれど、誰にも見つからず、さゆみたちを部屋に入れることができた。


 さゆみが「スリッパはないのか」聞いてきたけれど、「家の中でスリッパははかないよ」とぼくが言うと、さゆみは「そう」と答えてアルベルトをおろし、くつ下のままつかつかと部屋にあがった。


 ぼくは、六畳間にさゆみを通し、この日のために特別に作りあげた作品をさゆみにプレゼントした。新聞紙でできたヨークシャーテリアに、さゆみは目をまるくした。


 ぼくの自信作だった。テリア特有の長い毛は、はさみでこまかく切り込みを入れ、一度握ってくしゃっと縮れさせてから、ブラシで梳かした。ぼくは、ふだん作品に色をつけたりしなかったが、さゆみへのプレゼント犬だけには色を塗った。頭は茶と黄を混ぜた絵の具に浸した筆で、一本一本毛をていねいになぞり、身体は黒と茶の絵の具を交互に塗り重ね、光の加減で黒にもこげ茶にも見えるよう工夫した。


「すごいね」


 プレゼントを受け取ると、さゆみは片手でぼくの作ったテリアの背中をつかみ、アルベルトの前でひらひらと歩かせてみたりした。けれど、当のアルベルトは隅から隅まで部屋のにおいを嗅ぐことに夢中だった。ようやく新聞紙のお友達に気づいたアルベルトは、さゆみの前で立ち止まり、急にブルブルとふるえはじめた。


 ちょろちょろ音がして、床に水たまりが広がっていた。


 おしっこだ。

 アルベルトが股の間からおしっこを垂れていた。


「ごめん。うちではこんなこと絶対にしないのに」


 困ったようにあわてふためくさゆみが可愛かった。ぞうきんが必要だ。たしか風呂場に置いてあったはずだ。


「待ってて」


 ぼくはぞうきんを探しに行った。ぞうきんはすぐに見つかった。きれいに折りたたまれ、桶にかかっていた。


 もどるまで、十秒もかからなかったはずだ。


 さゆみが床を拭いていた。ふさふさのモップかなにかで。

 ちがう。

 さゆみが手にしているもの。

 新聞紙だ。

 ぼくが作ったテリア犬で、さゆみは床を拭いていた。

 まちがいなかった。


 その瞬間、ぼくの心に火が付いた。


 いつかこの屈辱を晴らしてやる。

 ぼくの手でアルベルトを超える犬を作って、ショーで優勝してみせる。


 それが、レーノルドだ。ぼくが作ったジャイアントシュナイダー犬のロボット。筋肉質で引き締まった身体も、ピンと尖った耳も、ブラック&シルバーの上質な毛並みも、どこからどう見てもほんもののシュナイダーと見分けがつかないほど仕上がっている。レーノルドの右耳に埋めこんだチップには、運動や知能をつかさどる無限の情報が組み込まれており、歩くことはもちろん、走ったり、狩りをする動作もごく自然にできるようにつくられている。


 ショーは、クォリティ、サウンドネス、キャラクターの三つの部門で評価される。クォリティ部門では犬がどれだけ洗練されているかどうか、見た目や毛並み、質感が問われる。サウンドネス部門では、骨格や筋肉の状態、精神的にも肉体的にも安定感があり、飼い主との相性や頭脳も試される。キャラクター部門では、会場の中を他の犬たちと歩き、気品やマナー、他の犬に対して怯えたり、執拗に吠えて攻撃的になったりしないか集団の中での共生力が試される。


 レーノルドを従えてフィールドに立つ。大勢のチャレンジャーたちに囲まれると、さすがに緊張感が伝わってきて、緊張するはずもないレーノルドがいつもより硬くなっているように見えた。

「だいじょうぶだよ」

「いつも通りでいいんだ」

 そう言って、レーノルドの肩をポンポン叩いてやった。レーノルドはまったくいつも通りで、緊張しているのはぼくの方だとわかる。大丈夫だ。ぼくは、十分努力してきたし、やれることは全部やってきた。姿勢を正し、しゃんと立っているレーノルドを見ていると、これまでの苦労が思い出されて胸がいっぱいになった。


 ゲスト席にやってきたさゆみと目が合った。


「すごいね」


 レーノルドに目をやり、さゆみが言った。小学五年生だった、あの時と同じ言葉をどう受け止めるべきか動揺し、ぎゅっと拳を握りしめた。


 見てろよ。レーノルドがどれだけ優れた犬か今にわかるさ。アルベルトの何倍も、何十倍も、優秀な頭脳と美しさを兼ね備えた犬だということを目の前で見せつけてやる。


 審査がはじまった。

 ぼくは、リードにぎゅっと力をこめ、レーノルドの自慢の身体を見せつけるようにして審査員の前を往復した。長く垂れたワイヤーヘアはきちんと整っていて、一本たりとも絡まったりしていない。太陽の光に透けるとブルーグレイにも見える上品な毛並みは美しく、ステップを踏むたび波打つ筋肉は、見る者をひとめで釘付けにする。

 短いしっぽは飼い主への忠誠の証だ。レーノルドは、ぴったりとぼくの脇に立ち、その間隔を一ミリたりとも狂わすことなく堂々と歩いた。


 思った以上の高得点で、クォリティ審査を上位通過し、ぼくは心の中でガッツポーズをした。毛並みや質感はレーノルドを生み出すのに一番苦労した点だ。剛毛なのに繊細でやわらかいシュナイダー犬の毛並みを再現するのに、ぼくは繊維の研究を重ね、コウタが呆れるほど試作を繰り返した。


 サウンドネス審査は、予想通り他の出場犬を大きく突き放し、トップで通過できた。ロボットのレーノルドは、ショーという特殊な環境に呑まれることもなく冷静でいられた。独特の緊張感に縮こまって動かなくなったり、混乱して尻込みする犬もいる中で、レーノルドは悠々としていられた。審査員に差し出されたハンカチの匂いを嗅ぎ、記憶をもとにはなれた場所から同じ審査員の所持品を持ってくることもできた。


 驚いたのは、クォリティ審査で一位通過したローデシアン・リッジバックのエンペラーがパニックになったことだ。もともとライオン狩りに使われていたという冷静で賢い犬種だ。それなのに、エンペラーは会場の雰囲気に圧倒されたのか、指示が出される前に動いてしまったり、渡された審査員のハンカチを振り回し、よだれまみれにしてしまった。

 エンペラーが、ひとつ前に審査を終えたレーノルドに、歯をむいて唸ったので、ぼくは飼い主が見ていない隙にエンペラーを睨み返してやった。エンペラーの飼い主は、背の高い女性だった。尖った顎のラインがなんとなくさゆみに似ていた。予想外のエンペラーの行動に飼い主は困惑しているようだったが、痩身の割に力があり、言うことをきかないエンペラーのリードをぐいぐい引っ張った。威張っていても飼い主には弱いらしい。すごすごと引き摺られていくエンペラーはどこか滑稽だった。


 次の審査はもう出ないのではないかと思ったが、エンペラーは棄権しなかった。サウンドネス審査を落としても、キャラクター審査で十分巻き返しをはかることができると飼い主の女性は主張した。サウンドネス審査であれほどうろたえていたエンペラーだったが、すっかり落ち着いたのか、今はフィールドの真ん中に王者さながらでんと座っている。

 案外、強敵かもしれない。


「よし行け」

 レーノルドをフィールドに放した。最終審査は、自由に動き回る犬たちを様々な角度から審査員が評価する。ゲスト席を離れて、さゆみもフィールドにやってきた。さゆみが両手をのばすと、小型犬が競って集まってきた。チワワやポメラニアンが、二本足で立ちながら、右に行ったり左に行ったり、しっぽをふり、あざとく可愛さをアピールしている。


 手元の携帯からレーノルドに指示を送った。


 悠々としていろ。


 ちょこまかと動き回るライバルたちが多い中、エンペラーのようにゆったりと構えている犬の方が圧倒的に目立つ。ここはひとつどんな時でも動じない大型犬ならではの余裕を見せつけてやるのがよい。そう判断した。


 レーノルドは、ぼくの指示通りゆったりと構え、大人しくしていた。何頭かの犬がレーノルドのそばを素通りしていった。すれ違っても臭いを確かめないのは、レーノルドから臭いが感じられないからだろう。審査員の目はごまかせても、犬にはわかるのだ。レーノルドが普通ではないということ。

 だからどうだというのだろう。レーノルドが優れた犬であることは変わりないし、いくらショーで優勝しても、他人の家で粗相をするようなヘマな犬とはわけが違うのだ。


 その時、オオカミのような遠吠えが聞こえ、審査員の視線が一点に集まった。エンペラーだった。明らかにエンペラーの様子がおかしい。誰もが不審に思って首をかしげたその瞬間、エンペラーがいきなりレーノルドに飛びかかった。


 パリパリと音がして、レーノルドの機械頭がむき出しになった。耳を噛まれたのだ。急所だ。すべての機能を搭載したレーノルドの耳が砕け、砕けた金属の屑から白い煙が立ち上がった。レーノルドはフィールドに倒れ、のたうち回ったあげく、動けなくなった。


「レーノルド!」


 エンペラーが息も荒々しく、勝ち誇ったように吠えるのが聞こえた。

 ぼくは、レーノルドに駆け寄った。


「なんだ、あれは」

「犬、じゃないのか」

「ロボットだ」

「失格だ」

「今すぐあの男とロボットを追放しろ」


 ぼくの背中で、審査員が口々に叫ぶ声が、針のように刺さった。


 だから、なんだ。

 何が悪い。

 レーノルドは、ぼくの犬だ。

 いつだって冷静で、頭がよい、忠実な犬だ。


 レーノルドは、アルベルトみたいに人前でおしっこなんかしないし、エンペラーみたいに興奮して暴れたりもしない。それなのに、どうして失格にならなくちゃいけないのだろう。

 レーノルドを抱きしめた。


「目をさませ、レーノルド。おまえは世界一の犬なんだから」


 引き千切られ、壊れた耳からさらさらと細かい金属片がこぼれていく。それはまだあたたかく、ぼくにとっては、レーノルドの生きた肉片そのものだった。


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