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物語tips:シーウネ市
シーウネ州の州都。第2師団の管理下にある都市。大陸中西部に位置する工業都市。主な産業は製薬業と化学樹脂プラント。
雨季は街の周辺が冠水するほど雨が降る。首都防衛戦に向けた最前線で、幾重にも掘られた塹壕と地雷原を備え持久戦を繰り広げている。
楔部隊は郊外の塹壕に配置され、廃墟のビルには迫撃砲陣地、公園には野戦砲部隊と守備は固い。
シーウネ州の西側にオーゼンゼ州、そしてさらに東に首都オーランド特別行政区が位置している。
「いち、にー、さん……」
ニケの膝に抱えられたリンが数字を読み上げる。
「……よーん、ごーぉ、ろぉーく……」
リンの頭頂部が、顎を載せるにちょうどいい高さにある。さながら人肌の体温がある人形のようだった。
「……なぁーーーな。はぁーーーち……」
心なしか時間が長くなる。
「だめ、動かないで。100数えるまで動かないって約束したでしょ」
もぞもぞ動いたせいでぴしゃりと手を叩かれた。
「デジャブ」
「えぇ?」
「既視感。ずっとまえだがキエもこうして膝の上に乗ったんだ。リンの方が軽く感じる」
「えっ、ちょっとその話詳しく。キエが抜け駆けしたってこと」
「抜け駆けって、そんなんじゃない」
そのとき、どしーんという地響きを尻から感じまもなく2発めの地響きも届いた。近い。
2人は薄い鉄骨を渡しただけの簡易的な地下壕にいた。夜通し降る雨水を排水するためのポンプがやかましく動いている。同時に発電もこなし、暗い地下壕を蛍光灯で照らしてくれている。
ひょい、と膝に乗ったリンを猫のように持ち上げてわきにどけると、ライフルを持ち、2振りの刀と拳銃が腰の定位置に収まっていることをなでて確認した。そして地上へ向かう斜面を登った。
「おいおい、もう休憩終了か」
ラルゴは塹壕の縁に固定した機関銃を持ったまま言った。ぷいっと口に咥えたタバコを捨てる。
「23秒も休みましたし。それにテウヘルの攻撃が」
「んなもん、鼻に止まる羽虫と同じようなものだ。いつも来る」
ニケの背後から長大な八三式ライフルを持ったリンも現れた。
「だめー。まだ100数えてない」
「敵が来てるんだ」
「じゃあじゃあ、次はあたしが逃げないようにぎゅーってするから」
リンの包み隠さない発言に、塹壕内に潜む仲間たちが色めき立つ。
「やはり地下壕を掘り進めて隊長用の部屋をもうひとつこさえるか」
「どっかの廃屋からマットレスを持ってきて。俺も後で使いたいし」
青1&2も下品なジョークで部下たちもげらげらと笑っている。
ニケはそんな2人のヘルメットを叩いて回った。
「バカ言ってる暇があったら弾倉に弾 込めとけ」
「準備完了っす」
青1が予備弾倉をニケの弾帯に押し込む。
「新品の弾丸っす」
青2が予備弾倉をニケの弾帯に押し込む。
「お気楽なものね、ちんちくりん」
「あっシィナちゃん! シィナちゃんもぎゅーってしてほしいの」
「ばか、そんなんじゃ」
「じゃあニケにぎゅーってしてほしい?」
なぜ俺が出てくるんだ。
「んなわけないでしょ。無駄口叩いてたらそのアホ毛、引き抜くわよ」
アホ毛というより1日中ヘルメットをかぶっているせいで癖っ毛になっているだけだが、湿気とろくに浴びれないシャワーのせいでいつにもましてツンツン髪だった。
プーカオ=ネインから脱出したものの燃料切れで立ち往生。偶然見つけた民家で電話を借りてやっと野生司少佐に連絡が取れ、迎えに巡空艦グァルネリウスがやってきた。
そして安堵したのもつかの間、休息が与えられることなく連邦西部の都市シーウネの防衛線へ転戦となった。またしても戦場だが第2師団の管轄下なので何かと融通がきく。
シーウネの守りは強力な基地と兵員で固められ、街の外周は幾重も塹壕と多脚戦車の侵攻を阻害するコンクリート杭が針の山のようにして並んでいた。
ここは第2師団の最後にして最強の防衛線だった。ここを突破されれば、あとには軍需工場──強化兵を生産するオーゼンゼとその隣の首都オーランドしか残っていない。
どれだけ大軍で来ようともシーウネは防御側が有利だった。雨季のこの時期は幹線道路以外は水没しで永遠と続く湿地と灌木が侵攻を遅らせる。さらに、テウヘルの死体を見ればわかるが泥と雨の中の強行軍で皮膚病を患っている兵士もいて彼らの戦力をそいでいる。
しかしそれでも──第2師団に残された戦力では襲ってくるテウヘルを払い除けるので精一杯だった。第1師団と第3師団が押し負けた結果、やはり各地で挟撃を受け撤退や市民の避難もままならず都市は包囲され、都市と都市は孤立することになった。しかしテウヘルにとって落とすべきはオーランドであって、戦力を都市内部に封じ込めることができるのは戦略的成功と言えた。
泥沼の戦況を、泥に埋まりながら考える──軍務省はそしてキエはこの戦争の出口をどこに見出しているのか。情報もなにもないまま来る日も来る日も塹壕戦だった。
「ルガーだ! 歩兵多数! 重装甲兵もいる、火炎放射器だ」
塹壕からペリスコープで様子をうかがっていた兵士が叫んだ。塹壕の兵士たちに緊張が走る。
ニケの合図で手筈通り、発煙弾が発射され両者の間が白煙で遮られれる。
「じゃ、お先に」
シィナが白い煙を突き抜けて迫撃弾のように飛び出した。雑魚の兵士は目もくれず犬の群れの中を駆け抜けるとルガーの直上へ予備動作なしに飛び上がる──そして落下。装甲、薬室、中にいる兵員、油圧系統、機体下部の重機関砲そのすべてを一太刀で斬り裂いた。
「おぉ、すげ。6秒33。この1ヶ月で新記録だ」
ラルゴが左腕の電子時計で時間を計っていた。
「総員、好機だ!」ニケは叫んだ。「塹壕の第1ラインを取り返す。死ぬなよ」
雄叫びが返ってくる。もとより士気は最悪だが戦わねば自分たちが喰われてしまう。
機関銃部隊がテウヘルの突撃部隊をばたばたと撃ち倒す。そしてニケが先頭で歩兵隊が塹壕を飛び出した。
ルガーや重戦車の残骸を盾にしながら、ぬかるんだ地面を蹴って進む。ひたすら前を、ライフルの3発射撃でテウヘルを倒し踏みつけて進む。
正面、装甲歩兵。強化繊維と鉄鋼板を編み込んだ防護服が体から四肢まで包んでいる。ヘルメットも球体で銃弾は通らない。
ニケは刀に持ち替えようとするも装備をしている火炎放射器で空気ごと焼かれそうになり一歩退いた。
そこへ空気を切り裂く大口径弾の狙撃が到来──リンとその狙撃部隊が歩兵たちの間を縫って支援する。
胸に大口径弾を受けた装甲歩兵は一瞬だけのけぞったがすぐ体勢を立て直した。しかし次の瞬間、背中の燃料タンクに被弾して瞬時に化学薬品が漏れ出し、一瞬で高温の炎で包まれ骨まで溶けて燃えた。
辺りに満ちる黒煙と白煙の間をニケは駆け抜けた。ブレーメン持ち前の動体視力で弾丸を回避し、正確にテウヘルへ射撃を加える。
空の弾倉を外す──次の弾倉を叩き込みコックを前後させる。すべて3秒とかからない。
塹壕に待ち構えるテウヘルへ手榴弾を投げ、爆発と同時に中へ滑り込む。後ろについてきたのは強化兵の歩兵が6名──軽傷。息は上がっているが闘志は衰えていない。塹壕内部をニケを先頭に掃討して回る。
もとはこちらの陣営の塹壕だ。背後から侵入するのなんてわけない。砲撃に備えてジグザグに掘られた塹壕を死角に注意して進む。中に残っているテウヘルはたとえ最後の1匹になろとも、手足を失っていようとも抵抗し戦い、絶命した。
塹壕の中ほどで青2と合流した。
「こっちは順調です、隊長」
「予定通りだ。ンナンはいるか?」
すると歩兵たちを押しのけてンナンが現れた。細いシルエットに似合わない、たくさんの機材を背負っている。
「工兵たちと地雷の敷設を。他の部隊の工兵とも上手くやれよ」
「はい、了解です」
司令部の指示通りに設置できればこの日の仕事はおおよそ終わりだ。
潰走するテウヘルの歩兵たちに追撃の迫撃砲弾が落下し、あの巨大な犬の体が天高く舞う。機関銃部隊が執拗に斜めに交差する火線で敵を追い背中からずたずたに銃弾で引き裂く。その援護の元、工兵たちは灌木に隠れながら穴を掘って地雷を埋め、地図に印をつけていく。
普段と変わらない作業だが、目玉は久しぶりに来た補給物資に含まれている対ルガー地雷だった。接近を感知すると垂直に飛び上がり、機体の下部に張り付く。あとは成型炸薬で穴を開け内部から焼き殺す兵器だ。工廠での急造品というのは目に見えた。1個1個サイズが違うし溶接も曲がっている。塗装も最小限で明らかに民生品のラッカースプレーで雑な塗装がされている。
「泣けるねぇ、現場思いで」
ラルゴが機関銃のベルトリンクを継ぎ足しながら言った。
「ハンカチ持ってないんですよね、俺」
「おいおい、そう睨むなよ。冗談だろ」
ラルゴはニタニタ笑いながらメモを渡す。
「今日は戦死者なしだ。これは負傷者のリストで後送済みだ」
「了解です。今日の急襲もこれまででしょう。手すきの人員にはテウヘルの死体回収と焼却処分を」
なかば腐ったテウヘルの死体は泥と見分けがつかなかった。すでに鼻は死臭に慣れてしまい何も感じない。それでも、こう放置していると羽虫やネズミが無限に繁殖し病気の原因になる。
「これも士官学校で習ったのか?」
「ええ。戦いは、1発銃弾を撃つ手間の100倍、その支援の手間がかかるんです」
曇天の暗い空に向かって燃料が燃える煙が立ち上る。強化兵たちは死体処理の重労働も嫌な顔もせずこなしてくれた。死体を焚き火に投げ込む兵士がいれば、テウヘルの銃弾や軽機関銃の銃身を回収して回る兵士もいた。長期戦で弾薬が到底足りていなかった。
「ところで、テウヘルの機関銃弾はどうですか、ラルゴ」
「悪くはない、といったところか。肌感覚で給弾不良が多い気がするが、まあ前に飛んでくれるんなら文句はねぇ。あの巨体に合わせて作った銃と弾丸だ。反動がかなり大きい。いちばんのショックは俺でも腰だめでの射撃は辛いのに、リンは『あはっ、これ楽しい』って俺より正確にぶっぱなしたことだ」
「まあ、あいつは強化兵なので」
弾丸も銃も、後方から届くことはなかったが、シーウネの民間工務店が作ったテウヘル弾対応の改修キットだけは機関銃部隊に広く行き渡っていた。
死体を焼く焚き火の火が収まり、全員がべこべこのアルミニウムコップでアガモール茶を飲んでいた頃、作戦本部から中隊がまるまるやってきた。
「交代だ、楔部隊」
古参の中隊長の言葉に隊員たちが湧く。それを彼はじろりと見てたしなめた。
「教育がなっとらんのではないか、ブレーメンの中隊長」
「あいにく自分は小隊長ですので」ニケは臆することなく命令書を受け取った。「作戦司令部へ出頭、ですか。となると転戦か特殊作戦か」
「俺が知るかそんなこと」
塹壕を出て荷物を回収すると全員の足は軽かった。街まではそう遠くない。歩いて30分ほど。鉄筋コンクリート製の区役所が作戦司令部で、周囲の家々は徴用され宿舎として使われている。まずはシャワー、そして民間人の有志がやっているバーで一杯飲む。兵士たちが口々に話した。
「あたしはねあたしはね、えっと美味しいケーキを食べる。ね、シィナちゃん、一緒に行こ」
リンは長大なライフルを抱えているというのに飛び跳ねている。
「私はトゥインキーさえあればいいから」
「でも最近、戦闘糧食は4号ばかりで入ってないよね。ケーキ食べたくない?」
「たべな──はぁ、私の負け。いいわ、ついていってあげる」
「えへへ、やった。あと何人か誘お」
ニケは、それを遠巻きに見ていた。プーカオ=ネインからグァルネリウスで撤退する時、彼女は地中に戦友の肉片を埋め、目を閉じ出発ギリギリまでその小さな墓に祈っていた。彼女だけではない。亡くなった狙撃小隊の仲間の識別タグは彼女のポケットにすべて収められている。
それを見て以来、気軽に話しかけることが難しかった。あの笑顔も、薄い風船の上に描かれているんじゃないか。そんなイメージが付きまとう。あとほんのちょっとで弾けてしまいそうで、大好きなリンがどこかへ消えてしまいそうで。そんな地雷を踏み抜きたくなくて積極的には話しかけられない。
好き? この感情が好きというのか。この感情は20歳を超えるまで発現しないと思っていたのに。
「まずはナンパ、ホテルを確保」
「筋肉と傷を見せればナンパは成功」
青1&2とそれに触発された悪ガキ強化兵たちがゲラゲラ笑う。ニケがそのやり取りを見ていると青1&2は肩をすくめた。
「やだなぁ、冗談ですよ」
どっちが言ったのだろう。たぶんほぼ同時だった。
「たぶんそこまでの余裕はないと思う。シャワーを浴びて装備を補給して、たぶん」
推測ではあるが。
「隊長も一緒なら、ナンパ成功率は上がるんですけど」
青1が言った。
「俺は仕事だ。お硬い司令部と折衝しなきゃいけない」
「でもそれって少佐の仕事っすよね。野生司少佐の」
青2が言った。
「それは、まあ確かに」
シーウネに転戦した時、野生司少佐は一度だけ顔を出した。顔を出すといっても急ごしらえの新兵たちを運んできたついで、ではあったが。
「野生司少佐は反攻作戦の準備をしている。それが終わるまで、俺たちは耐えるしかない」
これもまた憶測にすぎない。少佐はそう多くを語ってくれない。しかし青1&2と取り巻きたちはさっきまでの嬌声がピタリと止み真顔でニケを取り囲んだ。
「信じていいんですよね、それ」
左右から、青1&2が同時に言葉を発した。
「ああ、もちろんだ」だめだ。皆をまっすぐ見ながら話せない。「あまり羽目を外すなよ」
事務的に釘を差しておいた。ニケはシャワーへ向かう兵士たちとは別に、区役所の庁舎へ向かった。白いタイルの上は軍靴の泥の跡がいたるところに残り、出入りの多さがわかった。窓という窓は不要な机を積み上げて塞ぎ、砲撃に備えていた。まだ市内は電力が来ているが節電のためエアコンは動かずシーリングファンがせっせと風を送っている。
「楔部隊のニケ・サトー曹長です。出頭しました」
慇懃に敬礼して司令室に入る。かき集められたホワイトボードが壁に沿って置かれ、それぞれが戦況、人員の損耗、物資の到着予定時刻とそれらが赤いペンで消され「遅延」「未定」と書き殴られている。
「お、来たか。座ってくれ」
再び禿頭の大隊長だった。襟の階級章は中佐。それでもプーカオ=ネインで出会った大隊長よりも幾分か人望が感じられた。
「だれか茶でも出してやれ」
大隊長はぶっきらぼうに指示すると、ニケをホワイトボードの前に招いた。
「戦況図、ですか」
「その緑の瞳で、どうみえる?」
ニケはティーバッグが入ったマグカップを受け取った。
「最悪です」
「そんなガキでもわかることは聞いてない」
シーウネと周辺の都市はまだ自陣を示す凸の印が描かれている。都市と都市を結ぶ村落や町はそれぞれが大隊か中隊が駐留し、都市の外側には複数の大隊が防御にあたっている。それぞれの部隊はまだ生きていたが都市を取り囲むようにテウヘル陣地を示す▲が記されている。シーウネもほぼ取り囲まれ、この街からの砲撃がなんとか後方のオーゼンゼへの侵攻を食い止めていた。
「オーゼンゼをはじめこの周囲の都市は武器や弾薬、強化兵の製造を担っています。生産効率を重視した分業政策の結果、連邦では工業であれ農業であれ都市ごとの分業制をとっています。つまり、原材料を運び、製品を輸送できなければ連邦の継戦能力は奪われる」
「部屋に入って10秒でそこまで考えられるなら大したものだ。で、対策は」
「今、巡空艦のピストン輸送をしていると思うんですが、それだと?」
「あと1ヶ月で弾薬が払底する。食糧なら2週間。市民の分も含めて、だ。燃料は2ヶ月は持つ。暖房いらずのクソ蒸し暑い雨季に感謝だな。だが発電機やら他の街に分け与えていたらそう持たない」
ニケはじっと地図を見た。鉄道は、だめだ。とっくに破壊されているだろうし速度が遅い分いい的になる。だが幹線道路は、たぶん生きている。いくら多脚戦車でも湿地帯を踏破することはできないからテウヘルもわざわざ破壊しないし地雷も敷設していないはず。
「重武装の車列による物資の護送」
するとぱちん、と大隊長が指を弾いた。
「聡明なブレーメンもそう考えたか。よし、儂もそれしか考えつかなんだ」
おそらく唯一の手段だ。それができなければ、オーランドへ侵攻され5000万の市民が攻撃を受け、ホノカが危険にさらされる。そしてキエも──。
「きみら楔部隊は攻勢部隊だと、野生司少佐から聞いている。人手不足から防御戦闘に費やしていたが今、その実力を示してもらう時が来た」
大隊長はテーブルの上の名簿と装備の一覧、そしてペンで加筆された地図を広げニケと向き合った。
「本当に物資輸送をするんですか。集中砲火を受ける可能性が」
「そこは、君らの実力次第だ。軍の車輌部隊だけではない。民間の18輪トレーラーとそのドライバーは集めてある。実のところ、闇夜に乗じた小規模部隊では輸送に成功している。今回はその拡大版ということだ。先頭は重機銃を装備した軽装甲の4駆、重武装のピックアップトラック、後ろが装甲トラック、民間のトレーラーが10台続き、後方は装甲トラックが2台にさらにピックアップトラック1台さて懸念点は?」
ニケは顔を曇らせた。相当長い車列になる。2列の千鳥走行をするにしても幹線道路はところどころ冠水したり片側1車線に切り替わる。そこを狙われる可能性がある。
「行きは何を積むんですか」
「行きの土産はシーウネで製造した医薬品。ここは製薬会社が多いからな。麻酔薬や止血剤、輸血パック、外科道具一式。それとオーゼンゼで作られた強化兵用の輸血パック。だから行きは積み荷が軽くなる。途中、ロンナオ市で荷降ろしをし、続いてまっすぐ進み続いてネックファイ市へ向かう。そこで製造された弾薬をできるだけ詰め込む。帰り道は再びロンナオ市でトラック1台分を置き、シーウネへ帰還する」
まる1日がかりで往復することになる。それも敵のど真ん中を。
「わかりました」
「まあ、そう暗い顔をするな。帰ってきたらしばらく休養を設ける」
「わかりました」
「作戦決行は明日〇四〇〇。東バスターミナルを出発する。それまでに、兵士たちにはよく飯を食わせておけ」
ニケはトナーが薄い命令書を受け取り、中佐のサインをまじまじと見た。踵を返すと指令所を後にした。
宿舎の外でラジカセを囲み踊っている隊員たちがいた。交代でシャワーを浴びていて、順番待ちしていたりさっぱりと小綺麗になった隊員たちがプラスチックのイスに座っていた。ああ、胃が痛い。
翌朝。
まだ暗い朝3時には全員が起床して文句の一つも言わず、戦闘用の装備だけで西バスターミナルまで徒歩で移動した。旅客用のスペースはすべて軍需物資が積み上がり、空のパレットが壁際に立てかけられている。その広いスペースにずらりと長大な18輪トレーラーが並んでいた。少しの防弾性能もない民間車両だ。それでもトラック野郎好みの派手な装飾は地味な砂漠色の塗料で塗りつぶされていている。
「再度確認をする」
兵士たちはベンチの取り払われた旅客ターミナルにずらりと並んだ。ニケは全員を前にして声を上げた。腕っぷしの太いトラックドライバーもしたり顔で話を聞いている。
「まずはシーウネを出発後、全速力で隣のロンナオ市へ向かう。2時間くらいだ。そこからさらに3時間でロックファイ市に着く。こちらから運ぶのは医療物資、そしてロックファイ市から持ち帰るのは弾薬だ。1発でも食らったら全員が月まで吹っ飛ぶ量の弾薬だから敵を見逃すな。燃料の方は?」
「行って帰るには十分だ」リーダー格のドライバーが答えた。「休憩無しで走ると、普段は社長にどやされるが、今回ばかりは大目に見てもらうさ」
「青1の部隊は、前方の戦闘車両と装甲トラックに分乗。ラルゴの部隊はトラックの荷台の上で機関銃手を。ピックアップトラックの運転と武装操作は中佐から強化兵を借りている」
「いいねぇ、楽しそうだ」
ラルゴは期待に筋肉を鳴らしていたが隣のブンは、トラックの高い荷台を見上げながら顔が青かった。
「青2とリンの部隊は後方のピックアップトラックと装甲トラックに乗ってもらう。今 擲弾兵が不足している。工兵隊から志願者3名は装甲トラックの自動擲弾筒を操作してもらう。ちなみに新型でけっこう高い装備だ」
最初に2人の強化兵の手が上がり、最後がンナンだった。
「ねぇ、ニケ、私は?」
「おれとシィナは屋上だ。走行中の各車両の屋根を移動してルガーの砲弾を迎撃する」
兵士たちに動揺が走った。大半は信じられないという、不安そうな顔だった。
「おもしろいじゃない。その話、乗った。私は前であんたは後ろね」
どっちでもいいさ。
「東部トラック運輸さんからのご提供でトランシーバーが各車両の兵士に1名ずつ、あと俺とシィナに配る。出力はしぼっておけ。盗聴されたら困るからな」
兵士たちの間で籠に満載されたトランシーバーが渡され、小隊長がそれぞれを受け取った。ニケも耳にスピーカー、首にマイクを取り付けた。
「では、状況を開始する。各員の健闘を……いや、とにかく無事に帰ってきてくれ」
兵士たちは駆け足で各車両に乗り、シィナは前方、ニケは後方のトラックの荷台に飛び乗った。
分厚い雲の間から朝日が見えた。珍しく晴れて気温が高くなりそうな朝だった。鬱陶しい湿気も幹線道路を疾走するトラックの上では、走行風がバタバタと当たって心地よかった。
「1号車、青1、状況は?」
『こちら青1、特に問題は無いっす。道路も……車輌部隊の運ちゃんいわく、速度を落としたほうが良いと。ルガーの歩いた跡っすね。段差でトラックのタイヤが破裂するかも、と』
「わかった。そちらの速度に合わせる」
ニケは後ろを振り返った。
「14号車、こちらに気づいた敵影はあるか?」
『はいはーい、こちらリン。水没した集落にテウヘルの多脚車輌がみえるけど、動きは無し。気づかれてはいないみたい』
「わかった。監視を続けてくれ。各員、おそらく行きは敵の裏をかけるはずだ。だが帰りは戦闘部隊が待ち受けている可能性がある」
そこで通信が終わり。トランシーバーのボタンを離した。前の方では4号車の屋根でシィナが片膝を立てて地平線の向こう側を見ている。
司令部も、楔部隊を犬死にさせるつもりはなく更に言うとこの強硬策に賭けているのがわかった。装甲トラックの荷台に設置された自動擲弾筒もまだ製造数の少ない最新型だった。さらには多脚戦車の赤外線カメラを撹乱するためのフレアも各車両に山ほど積んでいる。2台のピックアップトラックに急造で設置してあるのは有線誘導式無反動砲で、射程6町(3km)の範囲でワイヤー付きロケット弾を照準器で手動誘導し、正確にルガーの急所を付くことができる。走行中に撃って当たるものではないが、牽制さえできればルガーの射程外に走り去ることができる。
前方にロンナオ市が見えてきた。幹線道路のジャンクションに沿って商店が並び、その他はほとんどが住宅街だった。バリケードを3度通り過ぎ、街の中ほどで停車した。トラックから医薬品の入ったパレットをフォークリフトで下ろすと見送りを受けながら街を後にした。
その後のロックファイ市への移動は不気味なほど静かだった。昨日の夜の雨のお陰で空気は澄み渡り遠くまで見渡すことができた。あちこちが雨季の雨で冠水し、灌木の森が島のように浮かんでいる。風は無く青空と縦に長い雲を反射して映している。
兵士たちは平和なドライブに顔をほころばせていたが、ニケは目が乾くのも気にせず遠くをにらみ続けていた。
「なんかこう、要塞みたいだね」
ロックファイ市に入った後、リンの率直な感想だった。ニケもリンの隣に立って城塞とも思える街並みを見た。コンクリートの壁が工業団地の外周やビルとビルの間まで塞いでいる。交差点から左右に道路が伸びた先は袋小路で、それぞれの突き当りに重機関銃のトーチカがビルの上層階に築いてある。
道路に無造作に置かれたコンクリートのブロック壁は一見すると身を隠せるが中空構造のため銃弾を通す。テウヘル歩兵に対する罠だった。
さらに道路脇の側溝はコンクリートを薄く塗っただけのベニヤ板で、もしルガーがここを通れば足を踏み外してバランスを崩す。
「分散防御理論か。士官学校の時、どっかの教授が講義していたのを覚えている」
「普通の塹壕じゃダメなの?」
「戦略の基本はそれだな。だが十分に兵力がある場合だけだ。分散防御は陣地の内側にキルゾーンをつくる。敵の侵入経路を限定させ、小道に敵を誘い込み各個撃破する。市街地が複雑に入り組んでいれば、たとえ少数の部隊でも敵の裏をかき包囲殲滅戦も可能だ」
「えっそれって完璧じゃない」
「だがこちらから打って出るのは難しい。守りに徹する布陣だ。持久戦になるから備えがなければ将兵そして市民も巻き添えに餓死することになる」
完璧な兵法なんて存在しない。よく理解している指揮官と命令を信じる部下の存在が不可欠だ。結局は血と泥にまみれた戦いに持ち込まれるのが戦争だ。
市街地に入るとアパートや企業のビルから人々が手を振っていた。リンも笑顔で手を振り返した。
「まだ逃げない市民がこれだけいたとは」
市民公園で荷降ろししている時だった。
「そりゃ逃げるってどこへ?」トレーラーのドライバーが自信げに言った。「俺たちゃこの街で生まれて育ってここで仕事してんだ。家族だっている。逃げずにとどまって自分にできることをする」
「だがテウヘルは容赦ないぞ」
「だが兵隊さんは兵隊さんだけで戦えるわけじゃないだろう。女房は弾薬工場で働いているし、娘だって陣地にいる兵隊さんに飯を届けに行ってる。この街は全員で守ってるんだ」
「ふうん、そうか」
「それに、あんたの同郷だって一緒に戦ってくれているって話だ」
「ブレーメンが?」
「ああ。ガサツで頭が悪いが、1人でテウヘルをあっちゅーまに片付けちまうって」
そういえば戦場でシィナ以外のブレーメンに会っていない。みな戦況に呆れて帰郷したか戦死したか。
市民公園にサカイ工廠のマークが入ったトラックが続々と入ってくる。そして空になったトレーラーの荷台にパレット積みの貨物を積んでいく。小銃弾、機関銃弾一式、迫撃砲弾、戦車用の徹甲弾。大量の弾薬でサスペンションがずしりと沈む。
山のような弾薬は不安になる量だった。もしも被弾したら痛みを感じる余裕もなく吹き飛んでしまう。
「ガハハハ、ブレーメンが来ているって聞いたが、まさかニケだったとはな。ガハハハどうした、そんな暗い顔をして。蛙でも食って腹壊したか」
がさつな声に遠慮のない態度──記憶がじんわりと蘇る。
「トラ?」
いつぶりだろうか。たしか、キエが遊園地で分離主義者に襲われた時、勘違いとは言え加勢してくれた。その後は入隊してしまい行方知れずだった。あのときと同じ青く輝くトゲ付きの鉄球を背負っている。
少し痩せた、印象だったがそれ以上に脇腹が包帯で固められているのが目についた。
「まさかおめー、俺様のことを忘れたっていうんじゃないだろうな」
「いや、おぼえているさ。剣技比べで滅多打ちにしたから。だが、どうしたその怪我?」
「怪我? ガハハ、ほんのかすり傷だ」
なんだよその野暮なセリフは。傷どころか脇腹がほとんどえぐり取られてる。本人は平気な顔をしてばしばしと包帯を叩いたが、そのせいでじわりと血が滲んできた。
トラの後ろから見覚えのある元不良3人がライフルを持って走ってきた。
「親分、走ったら傷口が開くってお医者さんに言われたっしょ。痛み止めもヒト用のはろくに効かないっていうのに」
長身の部下は額から落ちる汗を手の甲で拭った。
「ぬ? ああ、そういえば痛いな。おお、そうだニケ、知ってるか。テウヘルの奴ら爆発する散弾を使いやがる。卑怯なクソ犬っころだな」
ああ、知ってる。それで一度死んだ。
「まさか、あれを食らって生きてるのか?」
「あったりまえよ。これしきのことで俺様が死ぬわけ無いだろう」
しかしふとっちょの部下は首を振った。
「膵臓が半分、腎臓の片方、腸の30%は火傷で壊死してて。ヒトなら即死する傷だったと。それでも内臓が再生してるって言うんでお医者さん、戦後に論文書くって親分を何度も検査して」
「だから親分、キレて病院を抜け出して、そしたらニケさんが来るって聞いてここまで走ってきたんです」
髭面に入れ墨だらけの部下が補足した。
「ガハハ、強ぇーだろ、俺様。もうテウヘルの小隊を50は倒したぞ。そっから数えるのが面倒でわすれちまったが」
「そうだな、こっちも同じだ。いちいち数えてられない。斬ったのは数百。1000はまだ行っていないはずだ」
トラはゲラゲラ笑いながら拳を突き出した。
「よし、ニケ。約束だ。戦争が終わったら俺様が編み出した超絶剣技で正々堂々勝負だ。今度は負けやしねぇぞ」
「ああ、そうだな。約束だ」
ニケはトラと拳を合わせた。それでも傷口が痛むらしくトラは部下に支えられながら病院へ足を向けた。
積み込みは順調だった。兵士とドライバーの休息を取り、あと1時間あれば出発できるはずだ。トレーラーの周りをぐるりと回っていると、溶接機を携えたサカイ工廠の技術者とブンがいた。トレーラーの上に設置していたのはテウヘルが用いる重機関銃だった。
「敵陣地から回収したものです。それをヒトの体格でも扱いやすいよう改良したんです」
トレーラーの上に飛び乗ったニケに技術者はそう説明した。
「連邦のものと違うんですか」
「ええ、設計思想から運用思想までまるで違いますね。車輌の防御、ということで斜め前方へ射角が確保できる三脚架を用意しました。リベットと溶接で固定しましたが土台が民間車輌なのであまり連射しないでくださいね」
ブンは新しい玩具をもらった子供のようにニタニタ笑ってた。
「なんだよ、何見てんだ」
ブンはけんかを売っているわけじゃない。これは彼にとっての「こんにちは」だ。
「いや、楽しいのかな、と思って。機関銃手」
「俺ぁな、ストリートで一番の肝っ玉だったんだよ。テウヘルをぎりぎりまで引き付けて、銃弾の雨でヒュッ。一瞬でミキサーにかけたみたいになる。銃身の加熱や交換や残弾数と敵の残り、色々と考えることがあるんだ」
「なるほど」
「なるほど、とは」
「頼りにしてる、ってことだ」
ぽんぽん、とブンのヘルメットを叩くとニケは地上に降りた。
プロのドライバーたちが積荷を再度確認し、荷台を閉じる。そしてタイヤの空気とサスペンションを調整して出発だった。
戦う市民たちに見送られ、ロックファイ市を後にした。幹線道路を全速力で進む。しかし積み荷が重いせいで往路ほどスピードが出せない。
『敵発見! 1時方向』
1号車の青1から全員のトランシーバーに声が入った。
「総員攻撃用意」ニケがマイクに向けて叫ぶ。「牽制だけでいい。攻撃をためらわせるか外させるか。それで俺たちの勝ちだ。1つの目標に集中しすぎるな」
攻撃は荒野の真ん中で灌木の森から少し高くなった丘からだった。輸送型の多脚戦車から機関銃掃射を受ける。車列からも、まるでハリネズミのような火線が敵陣地に集中する。それぞれが手に持つ機関銃、擲弾筒、ライフルで応戦する。最後尾ではリンが偏差射撃を決め、多脚戦車の半可塑性炯素に引火し爆散した。
シィナは走行中のトレーラーの荷台で仁王立ちになり、長大な大太刀を振り抜き携行ロケット弾を信管ごと二等分にして無力化する。
「撃ち方やめ。みんなよくやった。その調子だ」
だが、これはまだ始まりに過ぎない。まだロックファイ市が見える距離だ。
途中、ロンナオ市の部隊にトラック1台と弾薬を残し、車列は再び出発した。
『敵発見!』
出発して間もない時間で最後尾からの通信だった。沼地の高台から空高く信号弾が2つ上がっている。
「総員戦闘態勢」
ニケは両手に青く輝く刀を引き抜いた。揺れるトレーラーの前方で、シィナも晴式剣術の型に則った、精神集中の構えをしている。
来た。
雨季で冠水した荒野、その灌木に隠れていたルガーが道の両側から姿を表した。そして並走するように追いすがる。そしてぐるりと砲身がこちらを向き砲弾が放たれる。ぐらぐらと揺れてるはずなのに砲身は水平を保ちまっすぐ車列を見据えている。
ニケの瞳が黄色に輝く。大股を開きどっしり構え──見えている。世界の時間が緩慢に動き、砲弾の軌道が予測でき、そこに向けて刀を振るった。榴弾と思しき砲弾は着弾の寸前で斜めに斬られ軌道がそれた。車列の前方ではシィナも砲弾を斬り落として迎撃している。
「各車フレア発射。敵の目を誤魔化せ」
周囲は灌木が多い。たぶん目視ではなく赤外線カメラを使っているはず。今は逃げ切ればこちらの勝ちだ。
バンバンバンバン。
最後尾の車輌から一連なりの狙撃が右側のルガーを狙い撃つ。そのうちの1発が駆動部に命中、炎上し砲塔が吹き飛んだ。
左に潜むルガーへはピックアップトラックから放たれた有線誘導無反動砲が命中、一時的ではあるが封じ込めた。
『次 来ます! 前方の廃村に敵陣地あり。くそ、バリケードだ』
「3号車の武装トラック、先行してバリケードを吹きとばせ」
『こちら3号車、了解。対ショック体勢』
廃村の入り口の屋上にテウヘル兵がいた。携行ロケット弾を装備している。ごそごそと動く影は10以上だ。
「制圧射撃!」
車列の火線がすべて前方に集まる。それでも噴煙が見え、ロケット弾がまっすぐ飛翔してくる。
『ニケ、飛ぶから受け止めて!』
シィナからの連絡だった。返事を待たずに、飛んでいた。
シィナは空中で身をひねると、長大な大太刀の一薙ぎでロケット弾を斬り裂き、切っ先近くのロケット弾は爆発、そして誘爆した。
目が合う──シィナが手を伸ばす。だが車列から離れ過ぎだ。
ニケは2振りの刀をトレーラーの荷台に突き刺すと、荷台の縁を片手で持ち、精一杯手を伸ばして、そしてシィナの手をつかんだ。
シィナはその勢いのまま振り子のように飛び上がり最後尾の装甲トラックへ着地した。
「どう、ちんちくりん。あんたにはこんなことできる?」
「シィナちゃん、パンツ丸見えだよ」
むちゃしすぎだ、まったく。
ニケは車列の前方へ移り様子をうかがった。まだ敵が来る。廃村の建物から獣人が飛び移ってくる。軽い身のこなし──武器は両刃の戦斧だった。
「コロスコロスコロス」
犬のくせにヒトの言葉を発していた。あるいはただの反応。
トレーラー上の強化兵の機関銃手に一気に接近され、その斧で兵士は弾き飛ばされ道路脇の電柱に衝突してぐにゃりと体が折れ曲がる。
「コロスコロスコロス」
くそったれ。
ニケは走った。主刀をまっすぐに隠し刀を逆手に脇に構えて体側に隠す。
主刀の刺突───これはブラフ。
テウヘルはそれを軽くかわし巨大な戦斧を振るう。揺れる車上だったがその太刀筋は美しささえ感じた。
楽しい。技と技の死合い。
鋼鉄製の斧なんて、ブレーメンの神剣なら飴細工同然。しかしそれを斬り落とすなんて邪道に思えた。
ニケは振るわれる戦斧を鼻先一寸で見切って避けると左手の逆手で握った隠し刀を振るう。
しかし───見切られた。すごい。テウヘルの腹の皮を薄く斬っただけだ。
テウヘルは戦斧の柄でニケの額を打ち返し、トレーラーの前方に追い詰められ狭くなった“陣”を広く取り返す。
楽しい。よくやる。
目に血が入らないよう拭う。痛みは感じない。一瞬だけ視界が揺れただけだ。
一歩。互いに間合いを詰める。先に飛び込み機先を奪うこともできる。自身の間合いに誘い込んで切り刻むこともできる。
テウヘルの赤い目が光る。その巨体に似合わない機敏な動きだった。細くて強靭な足が地面を蹴って一気に肉薄。
ニケは───見切った。あの戦斧の軌道は威力があるがやや遅い。
左上頭上から振り下ろされる戦斧を右手の主刀で受け止めるとその間合いに踏む込む。くるり──隠し刀を順手に持ち替えテウヘルの首筋を一気に突いた。直刀の刃筋が喉笛からテウヘルの後頭部まで一直線に刺し貫いた。
ほんの十数秒の技と技の死合い。決着がつきテウヘルの巨体がトレーラーから落ちた。
死合いの余韻で心が浮つく。自分以外の時間がゆっくり過ぎていく。
「ニケ! ずるい。次ああいうのがいたら私が殺るんだからね」
シィナの場違いな傲慢さが現実に引き戻してくれた。
車列は遮蔽物の無い直線道路を爆進中。民間のトレーラーはいつも以上にエンジンを酷使し、排気は真っ黒だった。周囲はなかば水没した荒野が広がり、幹線道路から奥へ入ったところの高台に廃村があった。ルガーが廃墟の間を出たり入ったりでこちらに照準を合わせている。
「フレア発射!」
目くらましのため車列の走行方向へ一斉に赤い火の玉が放たれる。それとすれ違うようにルガーの砲弾が着弾し、先頭から2台目のピックアップトラックに命中し瞬時に炎上、爆発した。
次弾が来る──ニケはその軌道を読み切り主刀を振り抜く。2発目には追いつくことができた。しかし次は重機関砲の掃射だった。外れていた敵の照準も次第に合っていく。
ルガーの射程を抜ける瞬間、がりがりがりと嫌な音が聞こえた。
『3号車被弾! まだ動けます』
『こちら6号車。荷台に何発か食らったみたいだ』
優先すべきは、6号車か。振り向くと荷台が火を吹き上げていた。
ニケは刀を鞘に納めると車輌の屋根から屋根へ移動して6号車のドライバーに手をのばした。
「車輌を放棄します。手を握って」
ニケはドライバーを軽々と抱えあげると前方の車両へ飛び移った。残りはトレーラーの荷台で機銃を構えていたブンだけだ。
「早く! ブン!」
炎上中のトレーラーはすでに制御を失い道を外れつつある。
「俺が受け止める。ブン、飛べ!」
「ええい、クソ。ミスったらぶっ殺すからなっ」
ブンが宙へ躍り出た。それと同時に火を吹くトラックは制御を失い荒野の沼地に突っ込んだ。
ニケは、トレーラーの後部にぶら下がりながらもブンの手をつかんだ。そして足先が地面をかすめながらもその体を軽々と荷台の上へ放り投げる。
「くそ、もう少し丁寧に」
「お怪我はありませんか、お坊ちゃま」
「そうじゃねぇよ! だがまあ、ありがとな、助けてくれて」
その時、猛烈な爆豪と爆風が襲いかかった。6号車、戦車用の砲弾を満載していたトラックが爆発四散した。沼地から巨大なきのこ雲が立ち上っている。
荷台に取り残されたドライバーとブンは後方の装甲トラックが前へ出て並走しながら飛び移った。
夕方の雨が降るより先にテウヘルの支配領域を抜けシーウネに帰ってくることができた。
トレーラーは司令部近くの大通りに停車し、待機していたフォークリフトが荷降ろしを始めた。
ニケは、2振りの刀を抜いたままだったとやっと気づいた。ぱちんと鞘に収めた。さっきまでごうごうと風が渦巻いていたが、それが急になくなると大気の暑さを思い出した。
「ニケ、ちょっときてくれ」
ラルゴだった。ひたすら機関銃を撃っていたせいで顔が煤まみれだ。
先頭から3台目を走っていた装甲トラックの荷台はルガーの重機関銃の掃射を食らい、まるでシロアリが巣食ったようにぼろぼろだった。後部ハッチの隙間から血が流れ出ていた。1人や2人という量じゃない。
そしてその荷台──誰もが目をそらす光景だった。人の形を保った遺体はほとんどなく、誰のともわからない手足が転がり焼け焦げた内臓が荷台の内側に張り付いていた。
「ああ、畜生。ひでぇ。誰が乗ってたかわからねえ」
「ゴロー。石ノ上ゴロー一等兵だ」
ニケは指さした先───後頭部が破裂していたが顔は判別ができた。
「ああ、あのガキか。畜生」
「誰よりも軍を抜けたがっていた。こんな形になるんて」
青1もやってきた。飄々とした兵士だが荷台の惨状を見て頭を抱えていた。
「俺の小隊、俺と運転してた6119君だけになっちまった」
ニケは口を開いたが、一度閉じて言葉を選んだ。
「しばらく補充の予定はない。青1は青2と一緒に行動してくれ。俺は、司令部に報告に行ってくる」
声をかけてくる他の部隊の小隊長を無視しながニケは背中を伸ばしまっすぐあるき去った。
「よう、アホ毛の」
「あたしはリンだよ、ラルゴ隊長。ニケ、どうしたの?」
「あれだ。スランプだ」
「すら? どうやったら治るの?」
「おめーがしばらく抱きついてやれば治るさ」
リンは怪訝な顔をしたが、すぐにニケの後ろをてけてけと追いかけた。