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ブレーメンの聖剣 第1章 胎動<下>  作者: マグネシウム・リン
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物語tios:テウヘル軍規──捕虜の扱い

捕らえられた兵士や保護された市民はテウヘル領域で衣食住が足りた生活を送っている、と言う噂がある。一方で虐殺された死体が山のように積み上がっている。

 この待遇の違いはテウヘル知識層たる将軍たち、しいては指揮官の認識違いによって発生している。穏健伝統派は、この戦いは解放戦争でありヒトの支配から、市民やブレーメンを開放することを主眼においている。一方の急進改革派はヒト全ての排除を目論み、“毛なし”すべての排除を目論んでいる。したがってテウヘル領域に避難した市民がいる一方で数十万人が虐殺されている。

認識証(ドッグタグ)を見つめるシィナ。もう裏側に獣人(テウヘル)を殺した数を書き込まなくなった。


挿絵(By みてみん)


 国営鉄道の操車場も砲撃を受けてあちこちクレーターだらけだった。それでも砲撃は正確性に欠けているようで、駅舎が半焼しレールがひしゃげてめくり返っている割には兵器の損失は見当たらなかった。

 空からは空荷の巡空艦が忙しく着地し、兵士や物資を回収しては次々に上昇していく。この1ヶ月、ひとつの街に釘付けされている間に戦況が目まぐるしく変わってしまった。ここにも臨時の司令部があるはずだが、探す手間をかけることなく向こうからやってきた。

 以前の前哨基地でみかけた情報将校と屈強な強化兵のドライバーと護衛が四輪駆動車でやってきた。

 奪取したレーザー誘導装置と拉致したマイモーンを差し出す。しかしマイモーンはすぐに手錠と黒袋を頭から被せられて荷台に押し込められてしまった。

「あの、彼は兵士ではありません。丁重に扱ってください」

 ニケはなるべく刺激しないよう言葉を選んで意見具申した。しかし情報将校はニケに一瞥しただけで、レーザー誘導装置入りの木箱を受け取るとそのまま車で走り去ってしまった。

「あたし、あの人嫌い」リンはべーと舌を突き出した。「マイモーン、いい子だったね。連れ去られちゃったけど、あたしたちのしたこと、間違いじゃなかったんだよね」

「ああ」

「戦争が終わったらアニメが見られるってすっごく期待してた。また見せてあげられるよね」

「たぶんな」

「ツノカバのアニメも面白いから紹介してあげたかったな。ビデオテープを持ってくればよかった」

「そうだな」

 全く嫌になる。そして不都合に平然と目を(つむ)れる自分が大嫌いだった。

「ラルゴ隊長」ニケは大声で呼んだ。「臨時司令部に出頭してきます。とりあえず全員に休息を」

「おう、わかった──おい、ニケ!」

「はぁ何でしょう」

 ニケは走りかけた足をピタリと止めた。

「もっと胸を張れ。お前のお陰で全員脱出できたんだ。まずは、上手くいったことに目を向けるんだ。いいな」

 ニケは、上手く表情を作れなかったが、なんとかうなずいて返事した。

 臨時の司令部は焼け残った駅舎の、列車の間に渡した帆布の下という粗末なものだった。傍らでは一等兵がドラム缶でせっせと機密文書を燃やしている。

「無敵部隊の帰還だな」

 第1師団の大隊長は皮肉気味にそう言った。

「第2師団独立中隊 空中降下先行偵察部隊、ただいま帰投いたしました」

 ニケは形式張った敬礼をした。

「ああ、楽にしなさい。君たちの次の任務は4号線の死守だ。地図は、どこにいったか」

 目の前で大隊長の禿頭(はげあたま)が左右に振れる。補佐をしている強化兵の1人がドラム缶で焼いている書類の束から地図を持ってきた。あちこち書き込みだらけでしかも半分が燃えてなくなっている。

「現在、我々はプーカオ=ネインとその周辺から撤退中である。巡空艦と幹線道路の4号線からだ。退路はそこしか残っていない。ゆえに、殿(しんがり)を務める信頼に足る部隊が必要だ。よろしく頼んだぞ」

「よろしくって……自分たちは第2師団所属であくまで作戦の補助です。しかも攻勢部隊であって防御は専門じゃありません」

「今君と用兵論について議論している暇はないのだよ」

「オーランドの統合本部、野生司少佐に連絡させてください」

「長距離電話は全部やられたよ。あの空中要塞からの砲撃でな。復旧の見通しはない」

「そんな!」

「それでも命令拒否するとなれば、ブレーメンと言えど容赦はせん」

 大隊長の両側でライフルを構えた強化兵が一歩前へ出た。

「わかりました」

「ふん亜人種が。貴様らなんぞ戦火にすり潰されてしまえばいいものを」

 ヒトへの不信感──忘れていた感覚だった。もう何年も感じていないこの不快感を味わってしまった。

 ニケは敬礼もなしに大隊長に背を向けるとその場を立ち去った。

「全員、集まってくれ」

 ニケの前で楔部隊の全員が顔を揃えた。皆期待に顔を緩ませている。きっとグァルネリウスの到着時間を言うものだと期待しているのか。

 ニケは歩兵戦車の無限軌道(キャタピラ)の上に上がった。

「みんな、すまない、もう一仕事だ。この先の4号線に展開してテウヘルの追撃を食い止める。テウヘルが深追いをしない合理的な判断をすれば、戦闘にはならないはずだ」

「作戦時間は?」

 一般兵が手を上げて質問した。

「未定だ。ハゲの司令は言わなかったがたぶん、第1師団の中部戦域の戦力を、ひとつ後ろの防衛線に移送するつもりだろう。おそらく半日か20時間(1日)程度だ」

 1日で終わるはずがない。つい短めの時間を言ってしまった。

 兵士たちの間に動揺が走った──まずい。命令が行き渡らないと些細なミスで全員の命につながる。

「みんなー大丈夫だって。なんだってあたしたちにはあのニケが付いてんだよ」

 リンがニケの隣に並んだ。

「そうだそうだ、あの鉄拳制裁の軍曹だぞ。あいっけね、今は曹長か」

 さらに壇上に青1が飛び乗った。

「曹長だが実質は少尉以上。あのハゲのボンクラ大隊長より実力は更に上だ」

 青2がその隣に立つ。

「しょうがないわね」シィナが戦闘歩兵車の上に立って長大な大太刀を掲げてみせた「ニケの頼みなら聞いてあげようじゃないの。私の強さをみんなに見せてあげる」

「おらおら、てめぇらその湿気た面をさっさと上げろ。装備を持て! 移動だ!」

 ラルゴが檄を飛ばす。

「別に俺は。まだ撃ち足らなかったから」

 ブンはニケと目を合わせず、しかし重機関銃に弾倉を更に抱えトラックに飛び乗った。

「ここまで来たら、付いていきますよ、隊長」

 ンナンも不慣れなライフルを掲げた。

 頼ってくれる仲間たち。それ以上に彼らに頼っているとわからされた。

 しかし──重い背嚢を抱え分乗する兵士たちだが、特に新兵の一般兵たちは足の裏を引きずりながら戦闘歩兵車によじ登った。

「あっ雨だ。天気が悪いね」

 リンが鼻先に当たった雨粒をごしごしと拭き取った。

「ずっと雨だろうな。全員に雨具の用意をさせろ。銃に泥がつかないよう気をつけるんだ」

 4号線の守備位置はプーカオ=ネインの新市街の南東部分の端だった。ここも激しく砲撃を受けて工業地帯だった場所は廃墟に変わった。降りしきる雨のお陰で火は収まりくすぶった水蒸気がわずかに立ち込めている。

 青1&2と相談して守備位置と当番を決めた。機関銃部隊も戦闘歩兵車といっしょに丘の上の廃墟の中に陣取った。

 配置を指示している時、雨の中を第1師団の大隊長を乗せた四輪駆動車と兵士が満載したトラックが横を通り過ぎた。

「ひゅーっ、ばん」

 青1は親指と人差指で銃を作ると、大隊長の乗った車を狙い撃った。

「だーめだ。お前の拳銃じゃ足りない。俺は、こうだ」

 青2は膝立ちになると、無反動砲のフリ(・・)をして車列を撃った。

「殺すならあのボンクラ司令官だけにしとけ。まわりの強化兵に罪はない」

「よっさすが」「そう言ってくれると思っていました」

 青1&2は雨が降りしきる中でもユーモアを忘れていなかった。

 テウヘルが来る確率は、五分五分だと思った。もし自分がテウヘルの指揮官なら、いま防衛線が崩れた瞬間を見逃さない。多脚戦車(ルガー)を先頭に緩んだ防衛線に穴を開ける。

 一方で、プーカオ=ネインの占領に戦力を使い果たしていたなら、この機会を戦力の再編成に費やすはずだ。打って出なくても負けじゃない。この位置から南下して第2師団の砂漠地帯の都市を側面から撃つこともできる。

 今は、考えるのをやめよう。

 レインコートの上からばたばたと聞こえる雨音がうざい。ニケは寂れたバス停の屋根の下に入ると、柱にもたれかかるようにして薄暗い地平線を眺めた。

 友軍の車列は1時間おきくらいにやってくる。感謝の言葉ひとつぐらいあってもいいだろうに、車列は速度を落とさず通過してく。重戦車を乗せた16輪トレーラー(トランスポーター)が過ぎ、兵士を満載した幌トラックが走り去る。荷台の兵士たちと目が合う。その目から「自分じゃなくてよかった」という安堵感が伝わってくる。

「くそったれ」

 悪態のひとつでもつかないとやってられない。

 背後からばしゃばしゃと水たまりを突っ切って歩いてくる人影が2つあった。後ろの方は、その巨体からラルゴだとわかった。その前を歩くのは青2の小隊にいる一般兵だった。

「隊長! 隊長! お話が! あ、自分は──」

「石ノ上ゴロー一等兵。覚えているって言っただろう」

 ゴローは口を開きかけたが、後ろからラルゴが押さえつけた。

「すまんな、ニケ。こいつ寝不足で頭がしょうしょう、お疲れのようだ」

「ラルゴ隊長。自分の頭は正常です。いいから、放してください」

 雨の中、ジタバタしている2人の状況がいまいちつかめない。

「いいんだ、ラルゴ隊長。話は聞くので」

「こんな戦い、無意味だ! 投降しましょう!」

 ゴローは雨が降りしきる中、力いっぱいに叫んだ。

「投降? すまない、どういう意味だ」

 ずい、とニケは一歩前へ出た。それに驚いたゴローは尻餅をついて水たまりに倒れた。

「投降です、降参するんです。武器を捨てて。テウヘルの側に下れば温かな食事に寝床もある。あのテウヘルが言っていたでしょう。テウヘルだけじゃない。プーカオ=ネインの守備隊でも同じ噂が立っていた」

「マイモーンだ。テウヘルじゃない」

「ええ、そいつです。今ここで無駄に死ぬことはない」

 ラルゴの怒りが沸点を突破しそうだったのでニケは手を振って抑えた。

「無駄に死ぬのが嫌なら無駄に死ななきゃいい」

「自分には言葉遊びにしか聞こえません」

「俺達の仕事は誰かの命につながっている。戦況が1分1秒と変わる中で些細な事が大勢の命を救うこともある。俺たちがここにいれば、本隊は攻撃にさらされなくなる。布陣理論の基礎だ」

「そーんなこと知ったこっちゃない。自分らの命はどーなるんです」

「俺も全力で戦う。全力で皆を生還させる」

「無理無理無理。ここで降りさせてらいますよ、隊長。今までお世話になりました」

 ゴローは道路脇に溜まった水を跳ね上げながら来た道をプーカオ=ネインへ向かって歩き始めた。

「貴様、逃亡する気か!」

 ラルゴが叫んで、軽機関銃を抱えるとゴローに狙いを定めた。

「やめるんだ、ラルゴ」

「撃てるものなら撃ってみろよ」

「舐め腐りやがって、小兵(こひょう)が」

「やめろ、ラルゴ!」

 ラルゴは──軽機関銃をニケに押し付けると大股でゴローに歩み寄り強烈な右ストレートをゴローに食らわせた。ゴローはよろけて道路脇のゴミ袋の山に倒れ込んだ。

「ふたりとも、そこまでだ。ゴロー、投降するといったが、両手(もろて)を上げていれ受け入れてもらえると思っているのか? そこらの獣人(テウヘル)は言葉が通じないんだぞ。捕虜を取る穏健派と虐殺するタカ派と見分けが付くのか? それに、いっしょに惨殺された死体を見ただろう。あれは並の兵士の仕業じゃない。そんな敵地をひとりで行くつもりか。どっちが助かる確率が高いかよく考えてみろ。お前は青2のそばだ。絶対に離れるな。あと、ラルゴ隊長も、落ち着いてください。あなたらしくない」

「すまん、ついかっとなっちまった」

「ラルゴ隊長は休んでてください」

 ゴローはむせび泣きながら重い足取りで廃墟の陣地へずるずると戻っていった。

「次はニケ、お前が休む番だ。今日1日、ずっと戦いっぱなしだっただろう」

「俺は……」

「おっと、ブレーメンだから大丈夫です、なんて言い訳はダメだからな」

「これは、はぁ。一本取られましたね。軽くなにか食べてきます」

 そういえば、朝食から何も口にしていなかった。それでも2振りの神剣に触れれば不思議と力が湧いてきた。

「あ、そうそう。ニケ」ラルゴがレインコートのフードを取りながら呼び止めた。「やっと呼び捨てで名前を言ってくれたな。俺たちは戦友だ。これからもその呼び方で頼むわ」

「ええ。ええ、わかりました、ラルゴ」

 少しだけ笑えた気がする。

 工業団地は道路よりやや高い位置に盛土して建てられていた。その大半は焼け落ちていたが従業員の休憩所は無事だった。停電はしていたがカーテンを締め切って小さなランタンの火が全員を照らしていた。

「あっ、ニケ! やっときた。はいこれ、ニケの分。あたしが作ったんだよ」

 リンが湯気の立つ缶詰を渡してくれた。テーブルもベンチもは個人ロッカーを倒して用意した即席のものだった。

「作ったって、温めただけだろ」

「ちっちっち。甘く見てもらっちゃ困るぜ、ニケさん」

 誰の口癖だろうと考えながら缶詰のスープを飲む。缶詰のラベルは豆のスープだったが(リット)の水煮が入っていた。そしてちょうどブレーメンの口に合うように塩が大量に投入されている。

「おいしいよ、リン。ありがとう」

「えへへ、褒められちゃった」

 ぴとっとリンはニケにくっついて座った。

「雨、止まないね」

「今は雨季だからな。砂漠のラーヤタイと違って北部のこの辺りは季節があるんだ」

「へへ、ニケは物知りだ。クイズ番組で見たの?」

「どこだったか。いつの間にか知っていた」

 たぶんオーゼンゼにいた頃だ。士官学校も初配属の都市防衛隊もオーゼンゼだった。大陸の北部や西部は気候がだいたい似ている。

「リンはもう食べたのか?」

「うん、食べたよ。お腹いっぱいは無理だけど」

「そうだな。疲れは? 少し寝たらどうだ」

「雨音がうるさくて寝られないよ。でもここなら寝られる、かも」

「ここ?」

「ニケの隣」

「そうか」

 ニケはそっとリンの肩を抱いてやった。そばにいるだけで安心してくれるなら、彼女のためなら、安いものだ。

 そのうちリンはすぅすぅと寝息を立て始めたので、ゆっくりと下ろして寝かしてやった。この子だけは、何が何でも無事に帰してやらないと。

 ニケはすくっと立ち上がるとレインコートをかぶり雨の中に出た。

 ザーザーと雨は降りしきっていた。すでに辺りは夜の闇に飲まれている。敵に察知されないよう照明は一切ない。ブレーメンの夜目をもってしても視界は最悪だった。敵の接近を察知できない。臭いも音も、だめ。

 とはいえそれはテウヘルも同じだ。この雨なら追撃の手も緩むはずだ。

 ニケは工場の敷地の端──トレーラーの荷台の上に目的の人物を見つけた。

「シィナ、食事は摂ったのか?」

「摂ったわよ、とっくに。あんただけ食べてないの。なによさっきから道端で真剣な顔をしてぼけーと突っ立って」

「なんだ、ずっと見てたのか」

「なっ、み、見てるわけ無いじゃん、バカじゃないの? 見えたの。見たんじゃない」

 面倒なやつだな。

「シィナはいつまでこうしてるんだ」

「雨くらいどーってことない。貧弱なヒトといっしょにしないで」

 シィナはトレーラーの荷台から飛び降りて、膝を軽く曲げて着地した。

「そうじゃない。軍務だ。いつ辞めるんだ」

「別に、辞める気はないけど。急にどうしたの?」

 周囲を確かめる──遠くに歩哨の兵士は見えるが声が聞こえる距離じゃない。

「ブレーメンの里に帰るべきだ。第3師団は事実上壊滅、テウヘルの攻勢部隊は南部の山岳地帯との連絡路を絶とうとしている。うかうかしてたら里に帰れなくなる」

「ちょ、ちょ、ちょっとまって。私に、帰れ? ばかじゃないのこんなときに。あんたはどーすんのよ」

「俺には仕事がある。守るべきヒトもいる。皇──キエにも約束したんだ。ブレーメンはあくまで義勇兵扱いだ。戦う義務はない」

「はーわけわかなんない。この朴念仁(ぼくねんじん)

「俺は、お前のことを思って言っているんだ。この消耗戦、いつまでも続けられない。ブレーメンだって死なないわけじゃない」

 しかしシィナはニケの胸ぐらをつかむと力任せに引き寄せた。身長差があるせいでかかとが地面から浮いている。レインコートのフードが外れて額から鼻先、頬にいたるまで大粒の雨がぱちぱちと当たる。

「あんた、いっつもそう。あーしろこーしろ、それはするな。ムカつく。少しは私の気持ちでも考えたらどうなの?」

「シィナに、死んでほしくないだけなんだ」

「はっ、この私が? 死ぬわけ無いでしょ」

「じゃあ言ってみろよ。シィナは何がしたいんだ」

 テウヘルと戦って強さを示す、と言っていた割には認識証(ドッグタグ)の裏にキルマークを記録しなくなってずいぶん経つ。初めの頃は長大な大太刀を引き抜くたびに頬は紅潮し何か盛大な遊興のように刀を振り回していたのに、いまじゃ終始気だるそうだ。

「私は、私はニケのために戦ってるの!」

「わけがわからない。どうして俺なんかのために」

 シィナはつかんでいた胸ぐらを放してくれた。沈黙の中で雨音だけがバタバタと大きくなる。

「私は、ニケに私の強さを認めてほしいの。そして私も、ニケが私より強いってことをわかりたいの。そしたら、そしたらね、私、あなたと──」

 ぴたっとニケは人差し指をシィナの唇に当てて言葉を遮った。

「なにか聞こえないか」シィナが視線を外に向けようとしたが、「いや、そのまま目を動かすな。音だ。雨音に混じって何かが近づいてくる。俺の後ろ、何が見える? 頭も目も動かすな」

 この気配──獣だ。雨のせいで臭いに気づかなかった。獰猛な獣は狩人の目の動きでさえ察知して逃げたり襲いかかってきたりするらしい。

「今、車とトラックの間を何かが横切った。あまり大きくない、でもすごく速い」

「距離は」

「私なら2歩で間合いに入る」

「どうする?」

 シィナはニヤリと笑った。

()る」

 これでこそシィナだ。

 2人は背中合わせでそれぞれが刀を鞘から引き抜いた。夜の闇に、ブレーメンの神剣が青く輝きを放つ。そして若草色の瞳が黄色に輝いた。

 2人を取り囲むように、赤い目がずらりと並んでいる。数は優に20は超えている。

「なによこれ、まるで、牙突種(がとつしゅ)? どうしてこんなところに」

「よく見ろ。牙突種(がとつしゅ)は目が4つで口から牙が突き出ている。こいつらはまるで──」

 テウヘルだった。銃を持ち突撃をしてくるテウヘルと同じ顔だった。しかし四肢のすらりと長い巨大な猟犬のようだった。体高は子供の背丈と同じぐらいある。

「そういえば、金持ちのヒトがわざわざ趣味で狩猟をしている時、牙突種をハウンドって言ってたな」

 ニケが視線を動かすと、新手のハウンドもピクリと反応した。さっき見た歩哨の人影が見えない。音もなくやられたか。

「ニケ、命令は?」

「撤退だ」

 ニケは左のホルスターに収めた2連式の信号銃を天に向けて打ち上げた。上空で傘が開き、赤く燃える光が周囲の廃墟を照らした。

 同時にハウンドが飛びかかってくる。跳躍力はブレーメンに負けないくらい──しかしニケは焦ることなく照明弾を腰に戻した。それと同時にシィナの長大な大太刀の一振りでハウンドの群れがバラバラの肉片に変わった。いくら野生の勘が鋭くてもブレーメンの速さには追いつけない。

「そんな大層な名前じゃなくてさ、牙突種(てんころりん)にしない?」

「子供っぽいな」

 獰猛な野生動物であってもブレーメンの子どもたちの練習相手にしかならない。そのせいで牙突種(てんころりん)なんて言われてた。

「昔を思い出すな。雨の中、シィナがすってんころりん、溝にはまって代わりに俺が牙突種と戦ったんだ」

 ニケは背中合わせでシィナと立った。

「もちろん覚えてる。あのときはありがと。あの時から私は──」

 言い終わるより前に天高く跳躍し、シィナは廃工場の屋根から獲物を狙うハウンドを滅多切りにする。

 異変に気づいて、ほうぼうで銃声が轟く。歩兵戦闘車と輸送トラックのエンジンが掛かり、特徴的なディーゼルエンジンの駆動音が響く。

「リンが危ない」

 ニケは地面を蹴った。猟犬たちも真正面から間合いを詰められるのに慣れていないらしく、複数の個体が同時にたじろいだ(・・・・・)。ニケは瞬時にハウンドの群れの中に躍り出ると、主刀を振り抜き2匹の頭をまとめてそぎ切りにした。背後から首筋を狙う1匹には隠し刀を引き抜きざま深々と差し込み半身ごとに斬りわけた。

「ニケ 何事!」

 リンが宿舎からライフルを抱えて出てくる。その背後──燃料タンクの影からハウンドが飛び出した。

 ニケは主刀を振り上げ、逆手で柄を持つとそれを投げた。直刀らしい真っ直ぐな軌道で雨粒を斬りながら飛ぶ。そしてリンを狙っているハウンドの側頭部から肩にかけて刺し貫いた。地面にはじわりと緑色の鮮血が広がる──ただの犬じゃない。

「ニケ、これって」

 リンが背負っている長大なライフルはニケが代わりに持った。そしてリンはサイドアームのボア25をホルスターから抜いた。

「撤退だ。仲間を連れてトラックへ」

「うん、わかった。みんなっこっち!」

 仮の宿舎で休んでいた負傷者と病人がぞろぞろと出てくる。まだライフルを持てるものは震える手でグリップを握りしめていた。

 ハウンドは、そう賢くない。忍び寄ってきた後はやたらめった、勝手に飛びつき食らいつき、殺そうとする。すばしっこく体も小さいのでライフルで狙いにくい。

「青1、青2、いるか」

 ニケは叫んだ。雨に視界を遮られながら2つの人影が手を振った。

「遮蔽物のない場所に出るんだ。複数で背中合わせで応戦しろ」

 兵士たちも状況を掴めてきたらしく各々が暗闇から襲いかかる猛獣に応戦している。熱く灼けた銃身から湯気が立ち上っている。

 兵士たちは続々とトラックや歩兵戦闘車に乗り込む。もう半分といったところか。ニケはリンのライフルをトラックの荷台に持ち上げて載せる。

「くそ、どれだけいるんだ。きりがない」

 ニケは道路上を駆けてくるハウンドの一団に斬りかかった。主刀で(なます)に斬り裂き、臓物をぶちまけると、体の回転を利用して隠し刀とともに頭部や四肢をためらいなく斬る。ハウンドの鋭い牙はニケの動きについていけず空気を噛むだけだった。

「リン隊長、逃げ、逃げてさい!」

 ───絶叫。

 慌てて振り返るとリンの部下の狙撃隊の兵士が複数のハウンドに噛みつかれ引きずられ暗闇に引きずられていく。いつもくすくす笑っている女の子たちの1人だ。

「イオリちゃん! すぐ助けるから」

「リン、ダメだよせ」

 爆発。手榴弾のものだった。一瞬だけ雨が消し飛びそして再び降り始めた。

 路上でうずくまるリン。そこへ殺到するハウンド──しかし暗闇より長大な大太刀の青い輝きが到達し敵を薙ぎ払う。

「なにしてんの、ちんちくりん! さぁ、立って!」

 シィナはひょいとリンを抱えるとトラックに乗せた。

「青2、残りの兵士は?」

「俺が最後っす」

 なおもハウンドの波状攻撃は止まない。仲間の屍を踏みつけながら殺到する。

「シィナも、乗れ」

 先頭の歩兵戦闘車の屋根に飛び乗るのを確認した。ニケも加速中のトラックの側面を狙うハウンドの頭やバイタルポイントを串刺しにして守る。

 ニケは最後尾の戦闘歩兵車の手すりにつかまり、その機械的な加速に身を任せた。ハウンドもしつこく追ってきたが次第に距離を離し追ってこなくなった。

 ぱちん。ニケは刀を鞘に収めた。瞳の色も元の若草色に戻った。

 戦闘歩兵車の上部ハッチから中を見た。数が少ない。

「俺のところは3人やられた。くそぅありゃ反則だ」

 ラルゴが苦虫を噛み潰したように言った。その隣がブンとンナン、それと青2だった。

「あークソッタレ。こっちも一般兵の新兵3人が見当たりません。歩哨に出ていたんですが」

 青2もヘルメットを脱いでびしょ濡れの髪をかいた。

 ニケは走行中でも構うことなく車列の真ん中を走るトラックに飛び移った。荷台の隅でずぶ濡れのゴローがライフルを握りしめてガタガタと震えている。そして荷台の前の方ではリンが強化兵の識別タグ──まだ耳が半分付いたままのそれを持って泣いていた。あの識別番号は、さっきやられた強化兵のだ。いつも仲良さそうに、初戦から一緒だったメンバーの女の子。

 ざっと見た限り残りの狙撃部隊はリンと2人の女性強化兵だけになってしまった。

 ニケはどう声をかけていいかもわからず、さらに前方の戦闘歩兵車へ飛び移る。

「青1、損害報告」

「4人です。まともにやり合おうとしたのが間違いでした、すみません」

「お前が無事で良かった」

 バタン、とハッチを閉じ、ガタガタと揺れる戦闘歩兵車の上でシィナと背中合わせで座った。

「いい刀さばきだった」

「当たり前でしょ。私は最高の剣士にして最高の女なんだから」

 しかしシィナの顔は晴れない。両手で顔を覆って水滴を払い除ける。

「私、やっぱ慣れないな。やっとみんなと普通に話せるようになったのに突然死んじゃうんだもん」

「そうだな。戦争は嫌だな」

 泣いているようだったが、そこは言わないでおいた。

「ニケも、死なないでね」

「俺は、アレだ。大丈夫だ」作り笑いだった。しかしガラガラと唸るエンジン音に負けず声を張り上げた。「(ア・メン)の加護があるからな、なんといっても」

 シィナの整った眉が不安そうにつり上がったが、それでも少しだけ笑ってくれた。

 2度、幼女の姿で(ア・メン)は現れ2度 命を救ってくれた。2度めのは自我がどーだこーだとか条件付きだったが。たぶん3度めはないだろう。(ア・メン)は気に食わないが危うい所で繋いだ命は最大限 使わせてもらう。

 プーカオ=ネインの市境で先頭の歩兵戦闘車が停止した。ライトで道路脇でひっくり返っている軍用の四輪駆動車を照らしている。

 しかしただの事故じゃなかった。横転した車には大口径の銃痕が残っていた。車外には遺体がひとつ、両手を上げたまま絶命していた。

「見てくださいよ隊長。ありゃハゲの大隊長です」

 青1が手に持った防水懐中電灯で遺体を照らした。

「降参も受け入れられず、射殺か。マフィアか分離主義者の残党か」

「いやちがうな」ラルゴが道に落ちていた薬莢をニケに投げてみせた。「テウヘルの50口径だ。ブレーメンの鼻ならわかると思うが薬莢から臭いがしない。獣人(テウヘル)斥候(せっこう)だろうどうせ。撃たれてずいぶん経つ」

「ああ。だがあまり長居はしない方がいい」

「そうだな。テウヘル相手には降参しても殺される、ってことだな」

 ニケは大隊長の認識証(ドッグタグ)だけを回収し車列に発進の合図をした。遺体まで乗せて運ぶ余裕はない。仲間の遺体すら置いてきてしまったのだから。

物語tips:ハウンド

テウヘル軍の新型生物兵器。大型犬ほどのサイズの哺乳類で、子供の背丈ほどもある。

厳密には知能を徹底的に排除し身体能力を上げた獣人(テウヘル)の新個体。鋭い牙と眼を持ち、獣の直感で銃弾を避けることができる。赤い目と背中に白毛の逆毛(リッジバック)が特徴。ブレーメンの里に住む原生生物:牙突種と外見が似ている。

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