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物語tips:炯素<けいそ>
旧文明で用いられていた便利な物質。ヒトの筋肉とグリコーゲンのように、エネルギーを溜め込む性質がある。大気中の酸素を取り込み駆動エネルギーとして稼働する。
獣人の運用する多脚戦車もかつての人類の技術の一つで、複雑なギアや油圧ではなく半可塑性炯素製の人工筋肉でシャーシを動かしている。燃料と人工筋肉を兼ねているがそのエネルギーの閾値がぎりぎりまで高くなっているため、状態は不安定。引火すれば途端に火に包まれる。
一方で強化兵の体も、炭素基体ではなく炯素基体でできている。そのため同じ体格のヒトと比べて高い負荷に耐えることができる。一方で大量のエネルギーが必要で内蔵に負担がかかり寿命は長くても50年ほど。こちらは安定した物質のため引火して爆発したりはしない。
楔部隊の戦闘歩兵車は大口径機関砲と少々の装甲、そして反応回転装甲による空間装甲で獣人の放つ携行ロケット弾程度なら防ぐことができる。
戦闘歩兵車は自身が戦いながら重武装の兵士を8人 運ぶことができる。お世辞にも広いは言えない車内で、ニケと歩兵の部下3名、リン、ラルゴとブン、機関銃の運搬手兼補助の一般兵が1名乗り込んでいる。軒並みガタイがいい上にリンの大砲のような狙撃ライフルのせいで両肩に1寸の隙間もない。後続の戦闘歩兵車にはシィナ乗り込み同じく窮屈さに我慢している。
がたがた揺れる車内。外では銃弾がかすめたり、反応回転装甲がロケット弾攻撃を防いだ音が響く。
「プーカオ=ネインは新婚旅行に人気の街らしいですよ」
野生司少佐から聞いた話ではあるが、途端にラルゴが食いついた。
「いいねぇ。俺も昇給したら結婚して古風な街でゆっくりしたいぜ」
「ラルゴ隊長にも中隊長の声がかかっていたでしょう? 年齢制限で昇進できない俺と違って、話を受けてれば今頃准尉で中隊長だ」
「ばーかいえ。こんなクソ戦時に昇進した所で、責任ばっかり増えて給料がもらえる保証なんて無いだろうが」
その時、ばーんと車体全体が揺さぶられた。
「右側装甲に直撃弾。幸い貫通は防げてます」
戦闘歩兵車の車長が後席にぬぅと顔を出した。自分たち全員が生きているのだから貫通していないことくらいわかる。
「弾幕が薄いぞ! もっと撃ち返してテウヘルに余計なケツ穴をこさえて■■■てやれ!」
ラルゴの怒号はいつにもまして下品な言葉の羅列だった。ニケはつい、隣のリンの耳をふさいだ。
「そういえば、ラルゴ隊長。出撃前に珍しくタバコを吸っていましたけど、アレって……」
ラルゴはうんうん唸るだけで否定はしなかった。
「こうも戦い続きだと何かに頼りたくなるだろ? 酒はだめだ。あれは悪魔だ。だが葉っぱはちがう。鬱屈した気分が楽になるんだ」
「テウヘルの秘密兵器を見つけさえすれば帰れます。仕事に集中しましょう」
しかしそれにブンが反応した。ニケよりも鋭いナイフのような視線を向けた。
「ったーく、ニケ隊長殿は楽天的でいらっしゃる。このクソみたいに広い街でどこに敵がいるかわからない状況で、どう任務を──って痛! こらちんちくりんアホ毛蹴るな」
「ニケが言うことが間違っていると言いたいの?」
めずらしくリンがキレた。糖分不足か?
「わーったから蹴るな」
「しかしよぅ、レーザー光線で砲弾をそう誘導できるのか」
「ええ、情報部将校によれば、レーザーの反射光を砲弾が感知して飛翔翼をこう、動かして微調整するとか」
「ロケット弾じゃだめなのか」
「たぶん速度じゃないですか。砲弾なら超音速ですから。あとは製造コストとか。ンナン特務軍曹もそう言っていましたよ」
「んあ、それ聞くの4度目だが俺はイマイチ理解できないな」
ラルゴが腕を組み、ブンも同調した。
「そうだそうだ。うちの隊長の言うとおりだ。それに前線基地じゃそろそろ撤退だって話じゃないか。ブレーメンなら上官にちゃんと意見具申──って蹴るなちんちくりんアホ毛。鉄心入のブーツで蹴ったら骨が折れるだろうが」
「嫌ならここで降りて1人で行けば!」
あとで砂糖がたっぷりはいったお茶を飲ませてやらないと。
「どうやら、そのお嬢ちゃんの言う通りだ」歩兵戦闘車の車長が顔を出した。「建物が崩れている。この角度じゃ登攀は無理だ。無理に登っても向こう側から腹下を打たれるかもしれない」
「目的地までは?」
「2ブロック、いや1.5ブロックか。路地を曲がって真っすぐ行けば目的の両替所に行けるはずだ」
「了解しました。ここで下車します。道は歩兵隊が切り開きます」
歩兵戦闘車が80口径の砲弾で古い街を蜂の巣に変え、石畳の道路に灼けた薬莢をばらまいた。その薬莢のシャワーの中を、ニケを先頭に選抜した3名の歩兵が進む。
その頭上──目で追うより遥かに速く影が動き、高級レストランの2階の窓に飛び込んだ。
「シィナ! 先行しすぎるなっていつも言っているだろ!」
もちろんその声も届くはずもなく、2階の窓枠が弾け飛んだかと思ったらテウヘルの四肢や頭部、内臓がバラバラと飛び、道を挟んだの水路まで飛んでいった。後続の戦闘歩兵車に静かに座っていると思ったが、やはり我慢の限界だったらしい。
ニケはかぶりをふり、ハンドサイン──前進を合図した。
路地を進み両替所で孤立している第1師団の部隊を救う。そこを足がかりにテウヘルの新兵器を奪取するというのが大まかな作戦だった。とは言え前線との連絡は途切れ途切れ。楔部隊が得意とする、出たとこ勝負の臨機応変な作戦行動が第1師団のお偉方の目に止まり、恥を忍んでの指名だったことは、前線基地に漂う風のうわさで聞き知った。
路地にふらりと現れたテウヘルは、神剣を使うこと無く3人がかりの射撃で倒した。その角を警戒しつつ曲がり、真っすぐ行ったら突き当りが両替所だった。
かつての商取引は約束手形で行われていた。そしてそれを現金に変えたり銀行に振り替えたりするのがこの両替所の役目だった。そのため固く重いレンガを何重にもした壁や不燃性の塗料で磨き上げられた木の床や階段が見どころらしい──とクイズ番組で見たことがある。
ブレーメンの知識を持ってしてもクイズ番組や新聞のクイズ欄は知らないことばかりで、見るたびに知識が増えた。ヒトの社会も捨てたものじゃない。
両替所はヒトの気配がなかった。テウヘルがひそんでいるかもしれない。すべての窓枠は土のうが積み上がり銃眼が作ってある。3階の上の屋上もあの土のうの配置なら迫撃砲の陣地があるはず。
「一発撃ってみる? そしたら反応があるかもよ」
角で様子をうかがっていたらリンが肩を寄せてきた。
「まどろっこしい。正面のドアを蹴破って入って、敵がいれば斬る。それだけ」
長大な大太刀を構えたシィナが口を尖らせる。
どちらも却下。ありえない。
「ったくうちの隊の女どもはどうしてこうも暴力信者ばかりなんだよ」
ラルゴに場所をゆずると、
「ア・ガ・モール・茶・に・は?」
スピーカーのような大音声で符号暗号を唱えた。最近は兵士のふりをしたギャングが物資を盗むせいで第1師団では符号暗号が頻繁に用いられていた。味方なら「砂糖たっぷり」と返ってくる。テウヘルだったら、たぶんこちらに撃ってくる。
しかし静かだった。ニケは顔をちらりと通りに出す。すると弾丸の飛来するのが見えたので首を引っ込めた。同時に弾丸が壁ではぜた。
「1時方向、アイスクリーム会社の看板の右どなり。狙撃手かマークスマン。良い腕だ」
「その確認方法、まいどまいどヒヤヒヤさせられるぜ」
「サプレッサーをしてても、空気が割れて近づいてくるのは見えるものです」
ブレーメンなら誰でもできる芸当だった。
「制圧射撃は俺たちに任せろ」
「わかりました。歩兵隊、リン、死ぬ気で走るぞ」
ブンが重機関銃を抱えてやってきた。そして三脚を地面に設置して伏射の姿勢を取る。
音圧、光圧、そしで弾圧が水路の向こう側を襲った。50口径の重機関銃とラルゴが腰だめで構える機関銃で敵陣地は一斉に砂煙が舞い上がった。
ニケは地面を蹴り、ほんの数歩で通りを横切ると両替所の入り口の土のうを飛び越えて突入した。
室内はゴミや薬莢が散らばるだけで、もぬけの殻の廃墟だった。ロビーは3階まで吹き抜けで、外からの風を受けてシーリングファンがきしみながら回っていた。
「リン、ここで水路の対岸へ狙撃を。ラルゴの隊と後続の部隊の援護を」
小声かつ早口で伝え、ニケを先頭に歩兵隊が1階から2階へ生存者を探して回った。そして3階に到着して、部下の隊員がニケを呼んだ。
「見つけました。第1師団の強化兵です。脱水症状と両足の火傷の化膿がひどいです。たぶん敗血症かと。生きているのが奇跡です」
寝室として使われていたであろう小部屋だった。マットレスやソファから引き剥がしたクッションが並べてある。負傷して動けない兵士は、吐瀉物と糞尿で汚れてはいたが呼吸で胸が上下しているのがわかった。ニケはすぐさま背嚢から救命キットを取り出した。
「やり方は?」
「わかっています」
「経口補水液はゆっくり投与するんだ。お前は包帯の取替を。薬品は投与量を間違えるなよ」
ニケは病室を出て1階にいるメンツを見た。全員無事で負傷者はいなかった。
「へっへーあたし、3匹仕留めたよ。ブンくんは?」
「1か2、だ。つーかお前、機関銃と狙撃銃、一緒にするなよな! こちとら硝煙で視界さえおぼろげなんだ」
「おー言い訳ですか。それでも男ですかー」
ぱちん、とブンはリンに尻を叩かれた。リンの部下の狙撃隊の女子メンバーもくすくす笑っていた。
「ラルゴ隊長、ちょっと来てくれませんか。負傷者です」
ニケは3階の吹き抜けから顔を出して叫んだ。
「何だって俺なんか。医者じゃねーぞ」
「応急処置は部下にやらせてます。話を聞くのはやはりベテランの兵士でないと」
「まーよ、こういうのは経験があるけどよ。ここに陣取っていた連中は置き手紙もなしなのか」
「ええ今のところは。武器弾薬は放置してありますが食糧と水はなくなっています」
火事場泥棒のギャングじゃないのは明らかだ。
ラルゴと病室に戻ると、衰弱した強化兵は訓練通り、汚れた服を斬って脱がし、保温のためのアルミブランケットで包んであった。生理食塩水で足の傷口を洗って羽虫の幼虫と蛹を洗い流す。ヒトなら歩けるまで回復するか五分五分だが、強化兵──炯素でできた人造生物なら回復できるはずだ。
「おいおい、ガンギマリじゃねーか。言葉を話せるのか」ラルゴは横たわる強化兵に顔を近づけた。瞼が見開かれ、瞳孔も開いたままだった。「何を投与した?」
「鎮痛剤を静注で1ショット、ニトログリセリンを1錠、舌下からです」
ラルゴは強化兵の顔の上で指を鳴らした。わずかながら表情に反応があり息を大きく吹き込んだ。
「みんな、いってしまった」
喉が潰れたような、聞き取りにくい発音だった。
「大きな声で喋らなくて良い。聞こえている。ここで何があった」
ラルゴが強化兵の口元に耳を近づけた。
「噂が。みんな、話してた。テウヘルに投降すれば食べ物もある、安全な家もある。だから、兵士、だけじゃない。市民も大勢、連れて行かれた」
みな、お互いに顔を見合わせた。テウヘルは捕虜を取らない。それが常識だった。そもそも、テウヘルの知識階層や士官を除いてテウヘルに連邦の共通語は通じない。意思疎通ができないまま撃ち殺される。
「で、お前はここに残ったわけか」
「小隊長たち、一般兵たちがずっと議論してた。敵前逃亡になる、と。でもある日突然いなくなった。残された、強化兵、どうしていいかわからず。俺は怪我をした。動けない。でも1週間前から、仲間、来なくなった。あとは、分からない」
どうするよ、とラルゴはニケに目配せした。
「医療班が来るまで、3人で様態を診るんだ。そして今聞いたことは……」
「わかっています。口外するな、ですね。わかってます」
1人の強化兵が言った。
「犬っころに投降するよか、隊長と一緒にいたほうが安全ですしね」
もう1人の強化兵も言った。
「ぼ、僕、彼女いるので、逃げませんよ」
さらにもう1人の強化兵が言った。
ラルゴはニケの肩にぽん、と分厚い手を置いた。
「おしゃべり、だ」
ラルゴについていく形で屋上へでた。野ざらしの迫撃砲の陣地があり、弾薬箱や迫撃砲には水がたまりあちこち錆だらけだった。
「しーっかしよ。面倒な事態になったな」
ラルゴは土のうの壁に持たれるようにして座るとタバコに火をつけた。
「ラルゴ隊長」
「まあまあ、これは普通のタバコだ」
白い煙がどんよりした空模様にむかって浮かんでいく。
「どう思うよ、ニケの旦那。あの話?」
「錯乱してでっち上げた話じゃないのはわかりますが。プーカオ=ネインの前哨基地で妙な話はいくつか。部隊が突然通信が取れなくなったり、避難すべき市民を迎えに行ったら誰ひとりいなかった、とか」
「統率が全然取れていねーじゃねぇーかよ、第1師団は。南の方でも兵士が食い散らかされて殺されていたし。まともなのは第2師団ってことか」
「第2師団も同じようなものです。多脚戦車の対空砲撃用の近接信管、あのせいで何隻かの巡空艦が堕ちて防衛線がずたずたです」
「じゃ、俺たちは戦争に負けるって言いたいのか?」
「負けが続いている、ということです。ラルゴ隊長だったら、どうします?」
返事が無かった。タバコを1本吸い終わるまで返事はなかった。
「そりゃ、おめー、俺の腹積もりを探ろうって魂胆か?」
「いえ、ただのおしゃべりです」
「負け戦のために戦うか、テウヘル領域に連れ去られるか、か」ラルゴは息を吸った。「俺は、この部隊で最後まで戦うさ」
「戦争に負ければ給金、無いですよ」
「給金どころか金も紙切れになるだろな。だが、そうじゃない。意地みたいなものだ。去年、アレンブルグでこてんぱんにやられて俺は酒に溺れていた。どこかの金持ちの用心棒でもやっていればもっと楽できたかもしれないなぁ。だがよ、あの少佐だ。ああいう指揮官はめったにいない。頭が切れる。兵の動かし方も心の掴み方も知っている。それに、だ。楔部隊はブレーメンを2人も抱えている」
「楽できる、ってことですか」
「ちげーよ。ブレーメンってのは忠義だとか信条だとかを大切にするんだろう? そんなのが2人もいる部隊だぞ。信じるに値する、ってものだ。だがよ、さっきん話は他の、特に一般兵には絶対するな。もうすでに何人か心が揺らいでいるのがいる。戦時徴用で、とりあえず危険でも良いから高い給金目当てで楔部隊に来た連中だ。脱走兵の背中を撃ちたかないぜ、俺はよ」
「そうですね。忠告ありがとうございます」
「そう固くなるな。よくやってるよ、お前は」
そう言ってラルゴはもう一本のタバコに火をつけた。同時に屋上に通信兵が現れ指で「2」のサインを出した。第1師団のトラック隊が楔部隊の本隊と装備を運んでくるのに2時間らしい。それまでにおおよそ防衛線の策定と歩哨のローテーションをしなければ。