表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ブレーメンの聖剣 第1章 胎動<下>  作者: マグネシウム・リン
4/18

3

 ニケは学校の屋上の給水タンクに寄りかかった。停電しているせいで中は空。叩いたらガランガランと盛大に音を立てた。

 一晩中聞こえていた砲撃の音も、昨日の昼にはすっかり収まった。市街地に展開した第2師団の歩兵大隊と支援部隊は、まずは獣人(テウヘル)の死体をかき集め、燃やて重機で掘った穴に埋めた。

 そのせいで市内各地で燃料を燃やした黒い煙がまだ立ち上っている。楔部隊はあくまで戦端を開く第1陣かつ側面支援の部隊のためお呼びがかからない。

 そして再びの転戦。

 この1ヶ月、ずっとそうだ。楔部隊は機動力が取り柄ではあるがこうも続くと不安が募る。一体いつまで続くのか。現場の一兵士だから全体の戦況なんて知り得ない。弾薬の補給がやや遅れ戦闘糧食の質が落ちた。懸念点はそのくらい。

 曇天の空を横切って小型の巡空艦が2隻 学校の屋上で高度を下げた。楔部隊が運用するグァルネリウスとその2番艦だった。ヤンガラ降下作戦で多脚戦車(ルガー)の対空信管付きの砲弾で穴だらけにされた割にはすでに修理が終わっているらしい。真新しい溶接跡がブレーメンの視力で捉えることができた。

 学校の校庭に着地し支援部隊が物資や負傷者の運搬、歩兵戦闘車の収納を始めた。そして野生司(のうす)マサシ少佐の姿も見えた。官僚らしい制服ではなく現場と同じ戦闘服に灰色の階級章が襟元にあった。

 ニケは学校の屋上から(ひさし)に飛び移りながら地上へ降りた。兵士たちはぞろぞろと校庭に集まり、歩兵戦闘車の上に立つ野生司(のうす)少佐を見上げた。

「すばらしい。皆よく戦ってくれた。皆の貢献でヤンガラ市街をほぼ奪還することができた。作戦司令部も君たちの活躍を大いに褒めていた。もちろん相応の手当が支給される」

 一般兵の群れから雄叫びが上がった。金のために志願しより危険でより手当のあつい部隊を希望した男たちが少なからずいる。

「まあまあ、落ち着きなさい。強化兵の皆にも同じく手当が支払われる。上と掛け合った。次オーランドへ帰還するときにまとめて支払おう。だから死ぬんじゃないぞ」

 まず歓喜の声を上げたのは青1&2とその取り巻きのガラの悪い強化兵たちだった。一般兵たち特に女性兵士たちを口説き、飲食代や酒にタバコをせがんでいた。行き過ぎたときは注意していたが、それはそれで女性陣の恨みを買うので最近は特に注意していない。

「えへへ、なんだかわくわくするね」

 いつの間にかニケの隣にリンがいた。ぎゅっとニケの右の袖口をつかんでいる。

「俺は、戦争なんてとっとと終わってほしい。それだけだ。金も名誉も気まぐれにすぎない。で、リンは戦後になにかしたいことでもあるのか?」

 あまり真面目な話をするとリンはすぐ拗ねてしまうので適当な話題に切り替えた。

「学校に行きたい」

「学校?」

「ここ学校なんでしょ。色々見たの。図書室、理科室、家庭科室。なんだか楽しそう。ね、あたしも学校に行っていいのかな」

 返事に窮する質問だった。苦し紛れにリンの頭をなでてやった。ちょうどいい高さに頭頂部がある。左右非対称(アシメ)の赤い髪がはらはらと揺れた。

「仕事が終わったらキエに頼んでみよう。きっとなんとかしてくれるはずさ」

「ニケはどうするの?」

 また難しい質問だった。目の前の殺伐とした戦乱や煩雑な書類整理に追われてそんな先なんて考えたこともなかった。考えるべきっだったのか? 考えたらもっとうまく事を進められたのか?

「やりたいことは、ない。きっとだらだらと軍に居座り続けるんだろうな」

 そもそも戦うこと以外にこれといった取り柄がない。ヒトの群れの中では優れているかもしれないがブレーメンの中では突出して優れているという自信はなかった。里に帰ればもっと頭の切れる幼馴染がいるし、剣術では常に上には上の剣士が存在している。

「あのね、じゃあさ、ニケ?」

 リンの色素の薄い丸瞳がくりくりと揺れた。

「ん?」

「ううん、やっぱりいいいや。なんでも無い。そんなことより一緒に学校にいかない?」

「ブレーメンの学校は10歳で終わりなんだ。高校3年分含めて」

「じゃ、いっしょに大学に行かない?」

「そんな勉強が好きなのか?」

「わかんないけど、さ。いっしょがいいの、ニケと。だめかな」

 何だその理屈? とも思ったがそれでも悪くはない。一度大学のキャンパスに野生司少佐と行ったことがある。時間がゆっくりと流れるあの雰囲気は嫌いじゃない。あの独特な空気の中でしたいことを見つけるのも悪くない。

 野生司少佐の横でグァルネリウスの炊事班がせっせと食事を並べていた。一応勤務中だったが酒精の低い酒も並んでいる。

「今日は大いに食べて飲んでくれ。なお小隊長および中隊長は会議があるのですぐ来てくれ」

 今日一番の歓声が上がった。苦い顔をするラルゴの横をブンとンナンそして大柄な機関銃部隊の一般兵たちが駆け抜ける。山のように積まれた芋や骨付き肉が大食らいな強化兵隊が次々に平らげていった。シィナはヒトの輪から離れた所でトゥインキーをかじっている。

「まあまあ、まだ残りはあるから安心しなさい」

 隊長たちはドラム缶4つを束ねて合板をかぶせた即席のテーブルで野生司少佐と肩を並べた。

「ラルゴ君、歩兵戦闘車と試作型の反応回転装甲の具合はどうだったかね」

 隊長たちは2番艦の格納庫に収められる戦闘歩兵車をみやった。よく戦ってくれたがあちこち弾痕や砲弾がかすめた跡などが生々しく残っていた。

「事前の訓練通り、市街地戦など入り組んでいるほど活用できるかと。ただ反応回転装甲も100%防げるというわけではないですし、獣人(テウヘル)の擲弾兵が飽和攻撃を仕掛けてくれば防ぎきれないかと」

「歩兵の支援を持ってしてもかね」

「やはり練度の高い兵士が軒並み病院送りにされて新兵が半分を超えています。正直、従来の機動浸透作戦は厳しいかと」

 ラルゴの木の幹のような筋肉が震える。ライフル歩兵隊だけでなく機関銃手にも人的被害が広がっている。

「ふむ、合理的な意見だ。ニケ君はどうだい? ブレーメンの視点からあるいは中隊全体を見て」

 ニケは一旦息を吸い込み言葉を選んだ。

「所見は報告書に書いたとおりです。自分もシィナも、炸裂散弾を警戒して前進することが難しくなりました。遮蔽物の多い市街地戦であれば多少の勝機があります。隊は現状、士気が高くかじりついてでも敵を倒そうという気概があります」

「素晴らしい。その様子なら次も任せていいだろう。次の任地は北部のプーカオ=ネイン。聞いたことはあるかね?」

 またえらく遠いところまで派遣されるんだな。


挿絵(By みてみん)


「ええ。風光明媚な古い商業都市かと。6重の六角形の水路が張り巡らされ、ネイン湖を通じて物資を船で運びます──とクイズ番組で見ました。しかしあそこは第1師団の管轄では」

「その通り。統合作戦本部からの特命でね。先週、空中要塞からの砲撃で、避難民を乗せたフェリーが撃沈された。そこまでならよくある話なのだが、初弾がいきなり命中した。その秘密を探るのが目的だ」

 漠然とした内容に小隊長たちが互いに顔を見合わせた。

「プーカオ=ネインの戦況は?」

「一進一退だそうだ。膠着しているともいえるしうまくいっていないとも言える。我々の部隊は市街地の主導権を取り返しながら進撃する。今回は降下作戦ではなく郊外の前線基地からの出撃になる。持久戦になるかもしれない。詳細は追って話そう。状況は毎日変わっている」

 作戦会議はそこまでだった。小隊長だちは最低限の礼儀を示しつつ部下に遅れないよに食事の群れに飛び込んだ。

「テウヘルの新兵器ですか」

 ニケはまだその場に残って野生司少佐に尋ねてみた。

「情報部はそう見ているし近衛大隊を代表して出席した皇の侍従長もそれに同意した──」

 侍従長、ということはネネか。

「──その侍従長は、臆せず機密を話す豪胆な女性だが、成層圏プラットフォームから砲弾をレーザー誘導している、と言っていた。君は言葉の意味がわかるかい?」

 ニケは首を振った。野生司少佐はカマをかけようとしているとわかった。2人の間では、ニケが皇キエやネネに内通していることは暗黙の了解だった。しかし、一見すると生意気な幼女のネネを豪胆な女性と、野生司少佐が評価するとは思わなかった。

「なにか、いいことがあったんですか」ニケは違和感を野生司少佐に尋ねてみた。「以前会ったときよりも顔色が優れています」

「そうだね。空の上で熟睡できたのかもしれない。もしくは……」

「機密であれば、自分はそれ以上聞くことはありません」

「ははっ、冗談だよ。まずはこれを」

 野生司少佐はブリーフケースから封筒を1通取り出した。花がらの便箋でその上から容赦なく『検閲済み』の朱印が押されている。宛名は楔部隊──ニケで、差出人の名前は野生司ホノカだった。

「ワシも手紙をもらった。嬉しいものだニケ君とリン君にも届いている。オーランド近くへは帰れても家族に会いに行くことはできないし、電話すらかける余裕はないからね」

「近く、ですか?」

「ああ。アレンブルグで回収したフラン・ラン君を覚えているかい?」

「ええ、テウヘルの耳が生えている」

「彼女を情報部から引き入れてね。さらには近衛大隊からも極秘の技術提供があった。これも侍従長に会ったときなのだが、かつての人類の、といえば君もわかるはずだと言っていた」

 ニケは生唾を飲みこんだ。

「わかる、としか返事ができません」

「ははっ、いい目だ。君はただの兵士ではなく将来は上級将校にだってなれるさ。だがしばらく君たちにはまだ泥に塗れた戦いをしてもらうことになる。心に留めておいてほしい。我々人類に勝利のきっかけが生まれた。その時まで、なんとか戦線を持ちこたえさせてくれ」

「わかりました」

 それ以上言うことはなかった。勝利のきっかけ、とはつまりテウヘルを皆殺しにするような兵器開発を進めているという意味にほかならなかった。だが始まったきっかけさえ誰も知らない戦争は、力で抑え込むだけで終結なんてできるのだろうか。

 ニケは皆の視線から逃げるように、手紙だけを持って校舎の中を進んだ。あちこち窓ガラスが割れ、一歩歩くたびにパリパリと足の裏でガラスが割れる感覚がする。

 そういえば──ヒトの学校に入るのはこれが初めてだった。ホノカの送迎では校庭までだったし部外者が入ってはいけない、という結界のようなものがあった。ブレーメンの里の学校はヒトの教師が来ていたものの、あばら家に長机と長椅子があり、そこで教科書を読むだけだった。読むだけで理解できたし興味ある分野では生徒が先生に日が暮れるまで質問を繰り返していた。

 ずいぶん遠くに来てしまったと思う。

 ニケは手近な教室に入って残された机に腰を乗せた。検閲のため一度手紙は開かれ、糊で雑に封がしてあった。


『拝啓 ニケ君

 まず最初に、ありがとう、そしてごめんなさい。わたしの不注意で誘拐されてそれなのにニケ君は危険を承知で助けに来てくれた。すごくすごく嬉しかったよ。あの後ずっと心が不安になって直接話せなかったけど、ほんとに感謝してるんだ。次会ったときはちゃんと「ありがとう」って言うからね。

 あーごめん、こんなこと書いたら変だよね。あまり手紙って慣れてなくて。そうそう、今料理の練習をしているんだよ。ニケ君、ママが作ったほうれん草のミートパイが美味しいって言ったのを思い出してママに教えてもらってるの。まだママみたいに美味しく作れないんだけど、次帰ってきたときはたくさん作ってあげるね。だから期待して

 追伸:学校の友達にニケ君のことを話してみたら、みんな会いたいってさ。今度紹介するね。

野生司ホノカ』


 ニケは手紙を閉じ、目も閉じた。穴だらけの教室のカーテンがはためき、雨季の湿った風が流れ込んでくる。それでも、硝煙も血のにおいもしない新鮮な空気だった。

 話せばほんの数秒の内容だけれど、手紙だったら書いたその瞬間のホノカの姿を繰り返し思い浮かべることができた。

 遠くに来てしまった。こんなろくでもない戦争、さっさと終わってしまえばいいのに。

 手紙には2枚の写真が同封されていた。出征前に家族で撮ったものだ。1枚は野生司一家とリンと一緒のもの、そしてもう一枚がホノカと2人で撮ったものだ。撮るときは気が付かなかったが、このときのホノカはずいぶん緊張していて、顔が真っ赤だ。そんな緊張するようなこともないのに。

「あーここにいたんだ! 探したんだよ、もぅ」

 教室の入口で左右非対称(アシメ)の赤い髪が舞った。

「リン、ご飯はちゃんと食べたか? あとでお腹が空いたって言っても何も持ってないからな」

「食べたよ。それもお腹いーぱい。ニケこそ食べてないでしょ。ほら、サンドイッチ持ってきてあげた。偏食だけどこれくらいは食べられるでしょ」

「ああ、ありがと」

 紙皿に載ったサンドイッチは分厚い(リット)の肉に濃い色のソースが絡まっている。リンは、ニケが乗っている狭い机にいっしょに腰掛けた。

「あたしね、ホノカちゃんから手紙をもらったんだよ、見てみて。あれ、ニケももらったの?」

「ああ。変わらず元気にしているようだ」

 リンが受け取った手紙の写真は、ちょうどホノカの背中に飛び乗っている瞬間の写真だった。

「まるで姉妹みたいだ」

「へへへ、ホノカちゃんがお姉ちゃんかな。あたしまだ7歳だし。でもやっぱりキエお姉ちゃんがお姉ちゃんかなやっぱり」

 リンの体の遺伝子のオリジナルは皇のキエ=キルケゴールなわけだが、それも姉妹の定義に入るのだろうか。

「ね、あたしたちも手紙を書こう!」

 ニケもさっさと脂身の多いサンドイッチを食べ終えると、

「たしか俺の荷物に便箋のセットがあったはずだ」

 手紙なんて書くとは思わなかったが、近所のスーパーの特売で買った『出征に便利な10点セット』という戦争特需に乗っかった商品についてきた。もっとも10点だけじゃ足りないのでアウトドア用品店や薬局をいくつも回る羽目になったが。

 兵士たちの背嚢は移動に備えて校舎と校庭の間の(ひさし)に並べてあった。周りの背嚢より一回り大きいのがニケの私物だった。万が一に備えて医薬品がたくさん詰まっている。

 その背嚢の底の方からパラフィン紙で保護された便箋を取り出してリンに渡してやった。

「ほら、ペンだ。プーカオ=ネインは前線基地だから酒保(しゅほ)はないだろうけど郵便係ならいるはずだから、向こうについたら出そうな」

「うん、わかった!」

 リンは校庭のベンチに便箋を乗せ、地面に膝をついて文面を考え始めた。かれこれ5分ほど動きがなかったので、ニケは立ち去ろうとしたが袖を掴まれた。

「待って、いっしょにいて。その方が思いつきそうだから」そういってリンが膝をついている地面の横を叩いた。「でも見ちゃダメだかんね。言葉とか綴り(スペル)とかわからないとき色々聞くだけだから」

「はいはいわかりましたよ」

 ニケは観念して、地面に座りベンチに背中を預けるようにしてもたれかかった。見上げる天井は流れ弾が降ってきたせいであちこちが穴だらけだった。

「手紙は役所の書類とは違うんだ」ニケがざっくりとしたアドバイスをリンにしてやった。「思いつくままに書けば良い。晩飯が美味しかったーとか雨ばかりで嫌になる、とか」

「じゃあじゃあ、『ニケは相変わらずぶっきらぼうで目つきが悪いけど優しいです』は?」

「余計なお世話だ」

「えへへへ。そうだなぁ、これをこうして、これも書いて……」

 目の横で左右非対称(アシメ)の赤い髪が揺れるのを見ながら──手紙なんて書いたことがなかった。いや、書くべき相手がいなかった。だから銃を握ったり前線に志願したりできたんだと思う。今は、ただひたすら帰りたい。リンもシィナもこれ以上戦ってほしくなかった。オーランドではホノカやキエが待っている。

 こんな戦争、さっさと終わってしまえばいいのに。


挿絵(By みてみん)

物語tips:プーカオ=ネイン

大陸北部のプーカオ=ネイン州の州都。第1師団の管轄下にある。

大陸中部の都市と北海をつなぐ運河の中間地点にある古くからの商業都市。ネイン湖のほとりにあり南部山脈から大河が流れ水が豊富な街。市内にも運河が蜘蛛の巣のように張り巡らされ、かつて程物流では用いられないものの、観光都市として有名。1000の橋があると言われている。

第1師団の水上物資輸送の要衝で獣人(テウヘル)との激戦区。テウヘルの空中要塞の射程圏内にある。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ