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物語tips:唯一大陸中央部の気候
獣人との国境に近いラーヤタイから西側は広大な中央砂漠が広がっている。砂と岩ばかりの天然の要害で第2師団の管轄下にある。南部は山岳地帯と鉱山ばかりで、山嶺に住むブレーメンと鉱山町が点在している。ヒトが文化的な生活を送れるのは北部のみ。
中部地帯は、気候は乾燥しているが南の山脈の雪解け水が大河となり、湖水地方を形成している。ヤンガラ周辺は乾燥熱帯気候で、季節が雨季と乾季に分かれている。雨季となれば連日昼過ぎから雨が降り始める。原野は軒並み冠水し、嵩上げされたハイウェイ以外は冠水してしまう。北部ネイン湖のほとりにはプーカオ=ネインが位置し、河川と運河とは中央の砂漠から遠く北海までつながっている。
戦場は広い。とにかく広い。前線の一兵士としてただひたすら命令を完遂することだけを念頭において歩いた。
ヤンガラ奪還作戦も佳境だった。市内の大通りを戦車の大隊が進み、歩兵が炊く赤い発煙筒に向かって、上空の巡空艦が砲撃を加える。真昼の流れ星のように、それは一瞬だけ空を横切り背の低いビルを倒壊させた。
「ほう、派手にやるねぇ。俺たちも投げてみるか」
歩兵戦闘車の上に乗って、ラルゴはニヤリと笑った。お手玉のように2本の発煙筒を投げて遊んでいる。
「だったら俺にやらせてください」
ブン──ラルゴの子分のように付き従っている──の目が輝く。細身の元不良だが機関銃を背負って進軍し、射撃は誰よりも敵を引き付けてから撃つ胆力があった。
「なぁんだ? さてはニケに手柄を取られて焦ってるな」
「そ、そんなんじゃないっすよ」
ニケ──という言葉が聞こえ一瞬だけ振り向いたが、ブンにギラリと睨まれただけだった。
小規模な戦闘は午前中には終わっていた。テウヘルの占領部隊はほとんどが陣地を放棄して敗走し、残るは住宅地を捜索して潜んでいる兵士がいないかどうか確かめるだけだった。青1&2は得意な閉所戦闘にやる気を出し、新兵を連れて先に行ってしまった。念のためリンを付き添わせ、シィナは雑居ビルの屋上からそれを眺めていた。
空は雨季を目前にどんよりと曇っていて空気もじとじとと肌にまとわりつきそうだった。ンナンは疲れた顔で壁によりかかり、視線の先はぼんやりと屋上で蹲踞しているシィナだった。
「ンナン特務軍曹」
神経質そうな丸メガネがガチャガチャと動いた。
「ぼぼぼ、僕は何も見ていませんから」
なにやら勝手に白状を始めたので、近くの商店から取ってきた瓶入りの炭酸ジュースを渡してやった。
「これ、窃盗じゃ」
「お金は置いてきましたよ、軍曹。その汗のかき方は脱水症状ですから」
「あ、ああ、そう、じつは水筒の水も全部飲んでしまってて。ありがとう、隊長」
ンナンは栓抜きの付いた銃剣の鞘を目当てにごそごそと弾帯を探っていたが、ニケは手を伸ばして力を込めて瓶の王冠を外してやった。
「ヒトは手で外せないのを忘れてました」
ンナンはぐびぐびと甘い炭酸ジュースを飲む。まるで乾いた土に水をまくように勢いが収まらなかった。
「ところで、ンナン特務軍曹。あまりシィナのことはじろじろ見ない方がいい」
ンナンは盛大にむせた。
「あはは、やだな。僕が覗き見なんてするわけない」
覗き見なんて一度も言っていないのだが。
「ヒトと違ってブレーメンの視野はこれくらいあるんです」
ニケは両手を背中まで回して、見える範囲を示してやった。背骨や肩甲骨付近まで見える。
「ぼ、ぼ、僕はただ、かっこいいなぁ、と」
「視線の動きとその仕草は嘘をついています。あと心臓の鼓動が速い」
「えっ聞こえるの?」
「それは嘘ですけど」
「ブレーメンは嘘をつかないはずじゃ」
「これは冗談です」
ンナンの額に脂汗が浮いていた。おかしい。リンにはウケた冗談なんだが。
「別に軍規について問い詰めるとかそういうのじゃないんです。ただシィナはあの通り短気だからあまり不快にさせると3枚おろしにされてしまうので」
「隊長はやっぱりシィナさんの恋人?」
「まさか。ただの幼なじみですよ」
「でも、すごく仲がいい」
普通じゃないか。ヒトもブレーメンもそこは変わらないはず。こういうとき、なんと返事をするんだっけか。かつて初配属のときの先輩に教わったフレーズがふと蘇ってきた。
「ンナン特務軍曹はまさか童貞?」
「んがーっ!」
ほとんど雄叫びだった。周囲の兵士たちが何事かと振り返った。
「まあ、落ち着いて。ヒトはだれでも年中繁殖できるわけですし、ブレーメンから見たらヒトは皆繁殖能力が優秀ですよ」
「だってよぅ、気になるだろう、あのお乳」
乳? 頭上を見るとシィナと目が合った。遠かったがべーっと舌を出すのが見えた。聞こえていた?
「ンナン特務軍曹はお乳が好き?」
「おうおう、好きだ。嫌いなわっきゃねーだろう」
意外とよく喋るんだな──基本、工兵部隊と配置が違うので普段は会話をしないのでンナンの癖は知らなかった。
「まあ、ともかく。ヒトだってじろじろ見られるのが嫌ですが、ブレーメンも嫌いなのでお気をつけて」
人間関係の整理もまた、中隊長代理としての役目。なんとまあ面倒くさい。
「ンナン、てめぇドーテーなのか」ラルゴの助け舟だった。「おっし、溜まってるなら今度帰還したときにおすすめの店を紹介してやっからよ」
「ぼ、僕は初めては愛する女性と」
「そんなことばっか言ってるからドーテーなんだよ、ったく。で、ニケも一緒に行くか?」
しかしニケは首を振った。
「ヒトは違う生き物ですし、それにブレーメンは20歳を過ぎなきゃ発情しませんので」
「なんだそれ、遅すぎやしないか」
「俺たちの寿命は150年ですので妥当かと」
ラルゴは頭の中で暗算してもなお納得がいかないようだった。
ふと気づくと背後にリンがいた。背中に身長と同じぐらい長い狙撃銃を背負い、手には伝令用のメモ用紙を持っていた。
「わざわざリンが?」
「うん。通信兵君から」
そんな小さな用事は新人の一等兵にやらせればいいのに。メモ用紙の走り書きは、支援隊の第3師団の歩兵部隊との合流座標が記されていた。
「ニケはお乳好きなの」
「ん?」
メモ書きから顔をあげると、リンが大真面目に迫ってきた。そして両手を添えて、
「はい、どうぞ!」
「ほら馬鹿なことやってないで移動だ移動」
ニケは歩兵戦闘車小隊の車長にハンドサインで合図を送った。ディーゼルエンジンが唸りを上げ、キャタピラが路地のゴミ箱を踏み潰しながら前進した。
「えーなんで。あたしに魅力がないの?」
そんな言葉、いったいどこで覚えたのやら。
「魅力はあるさ。そんな事しなくたってわかってる」
ニケは、リンの柔らかい頬をなでてやった。少しだけくすぐったそうにしていた。
この湧き上がる気持ちはどういう理屈なのだろうか。ほんのわずかな時間しかいられないのに、こんな時間が永遠に続いてほしいと願ってしまう、そういう気持ち。
「へへっ、じゃあたし行くね。みんなが待ってるから」
「ああ」
あの笑顔を守ってやりたい。今はとにかく前へ進み1日でも早く戦争終結を目指さなくては。
ニケは小隊を分散させ、住宅街の表通りではなく家の庭から庭へ伝うように進むよう指示した。周囲は低所得層向けの建売の戸建て住宅ばかりでトレーラーハウスもちらほらあった。屋根の上や室内に潜むテウヘルは歩兵戦闘車の機関砲の餌食になり、残骸から這い出てくる残党の処理が歩兵たちの役目だった。
配属されて日が浅い一般兵たちは顔を引きつらせながらも1匹ずつテウヘルを掃討して前進した。ニケは、ライフルの安全装置をかけたまま、彼らの動きを見守りながら進んだ。
にわかに空中に笛のような風切り音が聞こえた。ほぼ反射的に、ニケは主刀を引き抜くと予備動作なしに空中へ飛び上がった。瞳が黄色に光り高速で落下してくる迫撃砲弾をしかと見た。
一閃。
信管と炸薬を同時に両断し、その機能を失わせた。そして着地すると、
「散開! 迫撃砲だ。青1、発射地点はわかるか」
「北西、11時方向。スーパーマーケットの屋上です。距離8丈」
青1が屋根に軽やかな動きでよじ登って双眼鏡を構えた。
「青2、擲弾兵を連れて前進」
「了解、ボス。爆弾を投げてやりますよ」
餞別に手榴弾をひとつ青2に渡してやった。青2は自身の分隊を連れて姿勢を低くしながら、まるでハエトリグモのように素早く移動した。
「青1、行くぞ。俺が先導する」
「ほほ、待ってましたボス。ボスの華麗な剣さばきが見られるっすね」
相変わらずの軽口──応答するとさらにつけあがるのでニケは無視した。
正面──屋内とブロック塀の影にテウヘルが隠れていた。彼我の距離は2丈。外すわけもない。テウヘルの大口径機関銃が火を吹く前にニケは素早く引き金を握り屋内の1匹を牽制、そして割れた窓に手榴弾を投げ込んだ。
背後で爆発──飛散するガラスなんてブレーメンにとっては砂埃みたいなものだ。構わず前進しブロック塀を乗り越える。ほんの至近距離。この距離なら機関銃より銃身の短い三三式ライフルに分がある。
テウヘルが2匹── 1匹目はアーマー越しに喉から頭にかけて銃弾を食らって倒れた。2匹目は、ニケは銃の火線を避けながら急接近──膝を蹴り逆向きに曲げると、もんどりうったテウヘルの頭部に3発を打ち込んでとどめを刺した。
周囲はテウヘルの陣地内だったが、進む速度の速いニケと、軍団で襲来する強化兵達の制圧射撃でテウヘルになすすべはなかった。
「あーボスの剣さばきが見たかったっす」
最後のテウヘルが倒れてから、青1が減らず口を叩いた。
「それなら銃剣で剣術の訓練でもしようか。立てなくなるまで剣技を教えてやる」
「あはは~、それは勘弁」
強化兵たちは家屋の捜索を行い、テウヘルの死骸を庭に集めた。銃器は再使用させないよう、屋内にあった灯油をかけて死骸といっしょに燃やした。
「妙っすね」
青2が帰ってきた。軽傷数名で制圧した上についでにロケット弾発射機も破壊して満足げだった。
「何がだ、青2。意見具申なんていつでもいいんだぞ」
「もう第3師団の合流地点に近いっすよね。敵が多くないっすか? もしかしてやられた?」
「それならそれで連絡があるはずだ」既視感。昨日も同じことがあった。「全員の点呼を」
「まあまあ、そんな怖い顔しないで」「なにか手違いがあったんじゃないっすか」
青1&2が同時に言った。
「ブレーメンの勘、だよ。青1、青2、分隊から1名ずつ選出してくれ。俺と一緒に偵察に行く。残りは本隊に合流してくれ」
「誰でもどうぞ」青1が言った。「うちの分隊は全員が強化兵。皆がひとつにひとりが皆に」
「勝手に隊のモットーを増やすなよ。じゃあそこの6119」
手近な強化兵が一歩前に出た。浅く日焼けした肌に強化兵特有の色素の薄い瞳が光った。青1と同じく楔部隊の最古参だった。
「うちは、誰が行く?」青2が言った。「うちの分隊は個性重視意志尊重」
「意味が分かって言ってるのか」
ニケは青2の分隊をぐりぐりと見渡した。すると1人の一般兵と目が合った。自信のなさげな瞳が揺れている痩身痩躯な青年だった。ただの背嚢でさえ重そうに背負っている。
「じ、自分が行きます。石ノ上ゴローです」
「名前は知ってるよ、一等兵。じゃ、残りは早く本隊に合流すること」
強化兵や一般兵たちが野太い返事をした。ぞろぞろと移動してく。リンの姿も見えた。背負っている長い銃身が見えなくなるまで見送った。
「さて、斥候に行くわけだが……」
「静穏迅速に行動し、なんとしてでも情報を携え帰還します」
ゴローの返事は教本通りの返事だった。その隣の強化兵6119は余裕の表情でライフルを構えていた。彼にはアレンブルグ急襲のときから先鋒を任せている。
「じゃあ、カメラの撮影は任せる」ニケはゴローに偵察用のポラロイドカメラを渡した。「6119、先行しろ。第3師団の連中との合流地点は600番通りの食品加工工場だ」
「了解」
低所得向けの住宅地は静かで、しかし遠くから届く爆轟や銃声が安っぽいベニヤ板の壁に反響していた。3人とも言葉をかわさず、しきりに頭を振って敵や逃げ遅れた市民などを探しながら歩いた。
「待ってください」
6119が低い声で言った。ハンドサインを見て後ろの2人も足を止めた。
「テウヘルか?」
「いえ、集合地点の工場がすぐ先にあります。地面に薬莢も落ちています。たぶん、友軍はすでに到着しているようですが」
「合図の暗号でも叫んでみるか」
「ええ。向こうは狙撃機械化部隊でしたし、コソコソしてたら誤射されるかも」
ニケは身を伏せたまま、合図の“黄辛子”を叫んでみた。しかし返事もなく、声を聞きつけて襲ってくるテウヘルもいなかった。
「返事がありませんね」
「通りを移動して正面ゲートから入ろう。伏兵に注意しろ」
3人はゴミが散乱した歩道を足早に歩き、鍵のかかってない鉄製のゲートを開けて工場の中に入った。
「血のニオイだ。ヒトの。負傷しているだけならいいんだが」
ここまでにおってくると1人や2人の流血ではなかった。カチリとライフルの安全装置を外して工場の事務所のドアを開けて侵入した。
通路からダンボール箱が積まれた箱詰め作業の建屋に来て3人は息を呑んだ。
血の海だった。ロープのような長い腸が床にばらまかれ、千切れた四肢が部屋の四方に吹き飛んでいた。血溜まりの中に薬莢が落ちていたが、やたらめったに撃ちまくったらしく壁や鉄骨の柱の塗料の被膜が剥がれた弾痕があった。
「酷いな。一等兵、被害状況がわかるように写真を──石ノ上一等兵?」
振り返ると、少し離れた所でゴローは盛大に嘔吐していた。
「まあ、俺も気分がいいわけじゃない」6119は顔をしかめた。「で、どうします?」
「作戦書類と弾薬を集めておいてくれ。弾薬はできるだけ回収して使わせてもらおう。って、第3師団は鉄製薬莢を配ってるのか。早いうちに使ってしまわないと」
6119は短く返事をして、ライフルを背中に回して捜索を始めた。
ニケは血溜まりを避けるように移動して死体の様子をよく確かめた。血が乾いて黒ずんでいる。雨季の前の湿度の高い天気と締め切った屋内で風通しが悪いことも加味して死後1日か2日くらい。そして死体は銃創ではなく鋭利な刃物で切り裂かれていた。出血の具合からして生きたまま引き裂かれている。
一般兵が首から下げているドッグタグと強化兵の耳の識別タグを回収しながら、どの死者たちも、最期の表情は苦痛と驚嘆に満ちた顔のままだった。残忍な傷跡も死相も、残念だという気持ちはあるが死に慣れてしまい心がそれ以上動かされない。
死屍累々。しかし自分も刃を振るいテウヘルの死体を積み上げてきた。彼らにヒトほどの自我や感情が無いのは分かっているが、それでも、ここの死体の山を作ったナニかの残忍性とそう違いはないはずだ。
ナニか、の手がかりが血溜まりの横にあった。血の足跡があちこちに残っている。犬のような4つの指球と足底球の足跡で、一見するとテウヘルの足跡だが、ヒトの手のひらほどの大きさがあった。細く鋭い爪先で床を引っ掻いた跡もある。テウヘルの足跡ならもう少し小さいはず。それに足跡のパターンが2足歩行ではなく4足歩行の犬だった。
しかし獣人にも多少の知性はある。無闇に死体を損壊させたり猛獣のように喉笛を噛み切ったりはしない。
「石ノ上一等兵。ここの写真も撮って。で、この建物の住所も書き加えるんだ」
「りょ、了解です」
「撮ったら移動だ。俺たちまでナニかに襲われたんじゃ、嫌だろう」
「せ、斥候は迅速さを尊び……」
ゴローは最後まで言い終わらずにまた嘔吐した。
そういえば───頼りにならない情報部によれば、この町にもともといた守備隊はあっという間に惨敗したらしい。この件と関係があるのだろうか。新種の獣人───いや、無意味な憶測は止めておこう。
6119はゴローの背嚢に命令指示書が入ったトートバッグを押し込み、自身は三三式ライフル用の弾薬箱が乱雑に押し込まれたメッセンジャーバッグを2つ担いでいる。寡黙だったが彼なりの優しさだった。ニケも手近な、血に濡れていない背嚢に迫撃榴弾をできる限り詰め込んで片手で重迫撃砲を持ち上げた。
「さすがに重いな、これ。さ、移動するぞ」
ニケの瞳が黄色に輝いた。重さは感じるがブレーメンの神剣が力を増幅してくれるので運べないわけではない。大型バイクほどの重量がある重迫撃砲を軽く持ち上げて6119もゴローも目を丸くした。
「隊長は怖くないんですか」
小隊に戻るため、焼け落ちた住宅街を歩いているとゴローがそう訊いてきた。彼の額には脂汗が浮いている。水筒の水を飲むように勧めたが首を振った。
「怖くないことはない。怖いものもある」仲間の死、怒りに任せて大太刀を振るうシィナ、腹積もりが見えない野生司少佐そして戦場に立つリンの笑顔「でも自分が死ぬという意味なら、怖くない。立ちふさがる敵は倒せばいい」
「さっきの、あれだけの死体を見てもですか」
「ラーヤタイの初戦もアレンブルグ急襲も敵味方どちらも死体の山だ。それにこの前はオーランドで分離主義者が50万人を殺した。どこもかしこもずっと死体の山だ。いまさら騒ぐつもりはない」
「それは隊長がブレーメンだからでしょう」
にわかに気配、にわかに動き。6119がゴローを締め上げて焼け焦げた壁に押し付けた。
「俺たちの隊長を侮辱する気か、てめぇ。差別するってんなら許さねえぞ」
「勘違いしないでください。ただ自分は───」
ゴローは踏まれたカエルのようにうめいた。
「ふたりとも、落ち着け。そこまでだ」
ニケは声を荒らげた。重迫撃砲を持っていない方の手で6119を押しのけた。6119は納得できない、と鼻を鳴らした。
「石ノ上一等兵、ブレーメンも赤い血が流れる生き物なんだ。死者に同情するに決まっているだろう。でも、今はそれで足を止めちゃいけないんだ。獣人の襲来は巨大な鉄球みたいなものだ。俺たち兵士はそれを止めるために戦っている。死者に同情するのは戦いが終わってからでいい」
アレンブルグで捕らえたアンセンウスの言葉を引用した。彼はまだ無事なのだろうか。
ゴローは表情を観られたくないのか、黙って先頭を歩き出した。
「出しゃばってすんませんでした」6119は礼儀正しく頭を下げた。「青1さんがよく言ってます。鉄拳隊長についていけば生き残れると」
あいつまだそのネタを擦っているのか。
「それは過大評価だ。この数日で戦死者や手足を失ったものがいただろう。俺はブレーメンで多少は強いかもしれないが、士官としては平凡だ」
実質中隊の指揮を任されているが、あくまで人手不足で代役がいないからだ。年齢規定で昇進すらできなかった。
「なんつーか、安心感っすかね。死んだ奴らはトチっただけで───」
ニケがじっと視線を6119に送ると、スンマセンと小声で謝った。
「俺はみんなに幸せになって欲しいだけなんだ。獣人にだって特別恨みがあるわけじゃない」
「隊長、質問なんですけど」
「いきなり改まってどうした」
「強化兵賭けをしてて。リン隊長とシィナ少尉のどっちを、ニケ隊長は選ぶのだろうか、と」
また青1&2が発信源の噂話だった。“選ぶ”の意味はわかっている。“つがいとしてどちらを選ぶか”という意味だ。
「お前らヒトと違って20歳をすぎるまではブレーメンは発情しない。そういう賭けは無意味だ」
ニケは雑に説明口調で、慣れた言い訳を返すとすたすたと歩を進めた。
楔部隊の本隊は歩兵戦闘車を先頭に予定通り市内の公立学校まで進撃できた。ヤンガラの郊外に位置していて、ここより先は都市間道路と背の低い灌木の森が広がっている。雨季を前にして増水した川が沼地を作っていて、たとえ多脚戦車であっても道路以外からの侵入は困難に思えた。
到着早々、ニケは通信兵から報告を受けた。
報告①──作戦司令部より待機命令。つまり潰走中の獣人追撃の手柄はお前らにやらない。
報告②──転戦、部隊回収のためにグァルネリウスが来る。明後日の予定。
市街地の大半を奪還できて、兵士たちの表情は和らいでいた。ニケはその中から運の悪い5名を選んで歩哨に当たらせた。ニケは──あの奇妙な敵の足跡が気がかりで、見晴らしのいい教室の一角へ椅子と机を移動させて書類仕事のためにペンを取った。
★おまけ★