14
「わたくしの命一つで50億人の命が助かるなら、安いものですよ」
「はぁ、まったくもう」
†
次の日。
いつもは朝が明けるより早く起きるのに、今日は顔に朝日がかかるのを感じて目が覚めた。
すでに日は高く、ノリコさんは昼の炊き出しに向けてせっせと、散弾銃を背負ったまま準備を進めていた。一方でホノカはまだ起きていない。
1階のソファではシィナがまだ寝ていた。自宅アパートのある地区は避難民用に接収された、と難民の一人から聞いた。しかしシィナは「気取ったヒトのすみかは気に入らない」と開き直っていた。
皆には明るい態度と軽口を叩いているが見えないところでは大して効かないヒト用の鎮痛剤を飲み、痛みに耐えて1日を過ごしていた。食事も、砂糖を溶かした水を飲むばかりだった。
ニケは固く絞ったタオルでシィナの顔を拭いてやる。だまっていればかわいい顔をしている。今ある願いは、シィナがまた元気に「剣技比べしよーぜ」と挑戦的な態度をとれるようになることだ。
まだ熱が高いシィナの額に濡れたタオルを置いてやった。
「来ると思っていたよ」
ニケは背後に立つ小さい人影に向かって言った。
「乳のブレーメンの子は無事、小童も無事。一安心ですわね」
ネネだった。近衛兵大隊の記章が入った黒スーツを自分流にフリルがついたかわいい意匠に改造している。小柄な背丈で低めのヒールを履いていてもまだまだ子供に見える500歳のブレーメン。
「ネネも変わりなくて何よりだ」
ニケは床に腰を下ろしシィナの寝ているソファに背を預けた。ニケの皮肉めいた言葉に、ネネはキョトンとしていたが、ニケと同じ目線にしゃがんで小さな右手をニケに伸ばした。
ネネの生身の方の手が触れる瞬間、ニケは反射的に顔をそらした。
「こう見えて、結構忙しかったんですのよ。陛下は軍に頼らず情報を集めたがっていたので。それもこれも勝利のため」
「戦争に勝った負けたは正直どうでも良かった。俺の大切な人みんなが、もう戦わなくてよくなるものだと、信じていた。あの時、覚えているか。王宮の地下だ。キエに渡された拳銃を、俺はその場で分解した。キエを信じたからだ。信じたのに、戦争は終わるどころかどんどん拡大した。この1年で何十万人が死んだんだ? シィナは片目を失いリンも……もう二度と彼女と笑いあえない。リンは記憶の中にしか存在しない」
戦闘服の胸ポケットにリンの唯一の遺品が入っていた。戦死した強化兵の識別タグは事務処理のためなるべく回収するよう指示されていたが、今では遺品として交友の深かった兵士が持つ慣例に変わっていた。
「そうか。そうであったか。ほれ、あまり涙を我慢するでない。時には感情に任せ泣くことも心を救う手段なのだぞ。婆の知恵袋じゃよ」ネネは両手を広げた。「胸を貸してやる。妾に下心なぞないぞ」
呆れた───それでも500年も生き幾度も戦火を乗り越えてきたネネにとってみれば別ればかりの人生だったはずでその対処法も疑う余地はなかった。
「で、何しに来たんだ?」
「陛下が呼んでいますの。あなたに会いたい、と」
「いや、今はそういう気分じゃない。それにいつ招集がかかるかわからないんだ」
「戦争終結の糸口が見えた、と言ってもかの? だからわざわざ呼びに来てやったのだ」
心が揺らぐ。その糸口とやらがもう少し早ければリンは死なずに済んだのに。
「俺に、何かできるのか」
「陛下はすっかり変わったのです。鳥かごの中の小鳥だと思っていたのに、ほんの1年ちょっとでまるで天高く舞う鷹のように凛々しくなられた。それでも時には挫けそうになるし、だからお前のような友が必要なのです」
逡巡──ニケは立ち上がるとシィナの額に載ったタオルをもう一度水につけ、置いてやった。まだ起きる気配がない。
「わかった。行こう。俺にできることがあれば、何でもするさ」
「クフフ。それでこそブレーメンの戦士」
ネネは神に与えられし聖剣製の左手の義手をニケの方へ伸ばした。その指先がつん、と当たった瞬間、世界の景色がぐるりと入れ替わり王宮のがらんどうな空間にいた。窓から見える景色は遠くオーランドの3桁区まで見通せ、旧居住塔の黒い影が3つ林立しているのが光化学スモッグに隠れながらも見えた。
「こちらですの。ついてきてくださいまし」
ネネはかつかつとヒールを鳴らして歩いた。王宮内は垂れ幕やカーペットで彩られているはずだったが、今はコンクリートがむき出しのまま、窓という窓は土のうが積まれ、大口径の野戦砲が地平線を見ていた。
「まるで要塞だな」
「計画・甲、計画・乙が失敗した際は計画・丙が必要ですから」
たぶん、終戦に向けた計画のことだろう。
「王宮で戦おうっていうのか」
「ここはもともと王宮ではありませんですの。以前話しましたでしょう、地下には惑星脱出用のロケットがあります。そしてここはその発射基地。旧人類の技術で建てられていますゆえ、多脚戦車程度の砲撃では傷すらつけることができません」
「じゃあ、計画・丙ってのはこの星から脱出することなのか」
「まさか。それは何万年も後の話。計画・丙は徹底抗戦の後、テウヘルに降伏すること。何もしないで降伏するより多少はいい条件を引き出せるでしょう」
「たくさんの市民が巻き添えになる。俺には違いがわからない」
「陛下の目的は未来永劫続く人類種族の繁栄。そのためならどんな条件でものみます」
「ヒトは罪を犯してきた、というキエの言葉の意味がやっとわかったよ」
「クフフ。とはいえ、その腰の拳銃で陛下をまだ撃たないでくださいまし」
できるはずないだろう。キエもリンが大切にした友人の1人なんだ。キエの記憶の中でリンはまだ生きている。
以前案内された謁見の間とは別の、庭園を囲むような回廊へ案内された。庭園と言っても練兵場のように広い芝生の、だだっ広い空間だった。
「おひさしぶりです。ニケさん」
キエだった。目の下のひどいクマに充血した目は、何日も働き詰めだったことがわかる。淡い色のワンピース姿ではなく、どこからかかりてきた作業用のツナギを着ていた。サイズが合っておらず着ぶくれしている。
ニケは言葉が返せずにいいた。リンと瓜二つのせいでキエの顔を直視できない。唇を噛み締めたまま、戦争の災禍が続いた恨みとキエに会えた嬉しさとが交互に脳裏に浮かんでは消えていく。
「陛下……」
ネネはすっとニケの横を通り過ぎ、キエに耳打ちをした。みるみるうちにキエの表情が変わり目尻に涙を浮かべた。
「そう、だったのですね。ぅう、わたくしの妹が。手紙を頂いた時とても嬉しかったんです。何度も何度も、あの手紙を読み返し、何度もリンに相まみえることを夢想しました。それが叶わないなんて」
溢れる涙に、ネネはハンカチをキエに渡し、目と鼻をそれで拭った。
「リンは、最期まで戦っていた。子どもたちを守るため、単身で敵に立ち向かったんだ。最期の瞬間、俺は立ち会うことができた。愛する者を失うことがこれだけ心に穴を空けるとは知らなかった」
「わたくしも、負けていられません」キエは泣きはらした目頭でぐっと唇を引き締めた。「テウヘル側、いえ、そういう言い方はいけませんね。新人類側との和平交渉の算段を着けました」
「それは……まさか。テウヘルはヒトをすべて殺すまで止まらない」
「以前、あなたの部隊が捕虜をアレンブルグで捕らえ連れて帰ってきてくれたのを覚えていますか」
覚えている。忘れるはずもない。仲間たちと、リンとの初陣だった。
「──名はアンセンウス、彼らに名字は無いそうですが。わたくしと対面してはじめて真実を語ってくれました。彼は前線の連絡将校などではありません。師団長の一人で穏健派と呼ばれる将軍たちのひとりです。それによると、彼らの軍も一枚岩ではなく、オーランドまでの出征を強行しているのは軍部の急進派で、あなたの言ったとおりヒトを唯一大陸から排除しようとしています。わたくしはアンセンウスに講話の準備があると伝え、近衛兵団にお願いして彼の地へ送還しました」
「生きていたのか。てっきり処刑されたものとばかり」
キエは首を振った。
「戦線の拡大以降、各地で知識層の捕虜を確保しました。彼らにもわたくしが直々にメッセージを伝え故郷へ送り届けました。停戦に向けた根回しもできています。あとは穏健派将軍たちと会談するためアレンブルグへ向かうだけです」
予想外の好転。一方で不安もあった。
「この戦況でアレンブルグに向かうのは危険だ。空中要塞の射程に入っているかもしれない。巡空艦でもルガーの対空戦闘を回避できる確証はない」
しかしキエの隣でネネが胸を張った。
「妾がついておる。それに近衛兵大隊は精鋭中の精鋭ぞ」
「じゃあ、ネネが術で転送するのか」
「否。あれだけの長距離となれば一回につき一人ずつ。しかも向こう側の状況がはっきりせん状況では危険すぎるのです」
「じゃあどうやって───」
その答えは2人の視線の先にあった。だだっ広い中庭に建てられた場違いなプレハブ小屋。そこから、見覚えのある乗り物と共に、どこかで一度会ったことのある気がする人物がいた。
「オーランド工科大学の自称・天才航空力学博士のフス教授ぞ。ニケ、教授はお主に会ったことがあると言っておった」
「臭い教授だ。確かあのときは───」フスがこまめに細部を点検している機械を思い出した。「あの機械の模型を見た。空を飛ぶんだ。巡空艦と違って鳥のような羽のある」
「飛行機です。わたくしたちの記憶にあります」キエはしたり顔で言った「本来なら、飛行機よりも巡空艦のほうが遥かに高度な技術なのですが、この惑星の資源の特殊さゆえですね。あれでアレンブルグへ向かいます。でも安心してください。わたくしたちの記憶とアレンブルグの地下研究所から電子採掘した技術をもとに改良を加えています」
アレンブルグのアーカイブは、俺が手榴弾で破壊したはずだが。
「途中、友軍の占領下の町で給油が必要ですが、巡空艦より速く大陸を横断することができます。アレンブルグでは一応、安全に会談ができるはずですが」
キエの言葉がしりすぼみに小さくなった。
「妾も同行しますゆえ、ご安心ください。陛下」
「だが、なあキエ───」まだ心残りがある。「今この戦況で停戦交渉をしたとして、それは実質的な降伏になるんじゃないのか。キエの処遇だって」
「ええ、わかっています。人類への罪を問われ軟禁されるか、形式上の裁判を経て処刑されるか、はたまた拷問と辱めを受け市中でさらされるかもしれません」
「そんな。そんなこと、認められるわけないだろう!」
すがるようにネネを見たが、首を横に振っていた。
「さっきも言ったであろう、ニケ。陛下にとってもっとも重要なことは人類種が文明を築き未来永劫、この宇宙で存続すること。いざとなれば陛下のクローンを、この王宮地下で作ることができる。どういう理屈かいまだに分からぬが、皇の記憶を保存する赤月の印は自然懐妊であろうとクローンであろうと、必ずその胸に現れるのだそうだ」
「わたくしの命は、数十万年続く人類の歴史のほんの一瞬に過ぎません。わたくし一人の命で50億の人類と未来に生きる数千億の人類に希望が残せるなら。安いものでしょう?」
キエはもう諦めたようにうつろな視線をフツ教授の飛行機械に向けた。ずっと以前、遊園地でキエにとって生まれて初めての休暇を過ごした時、彼女の言った責務はこんな形で終わって良いものじゃない。皇が人類のアイデンティティーを保持する生体機械にすぎないのはわかっている。それでもその体に宿るキエの人格は人類のためにと手放して良いはずもない。
「ぬるいのう。その優しさが、お主の強みでもあり弱みでもある」ネネは見透かしたように首を傾けた「だが、リンはそれを見抜いていた。ただ目付きの悪いブレーメンというだけではない、優しさをです。さっき計画は3つあるといっただろう。これは計画・乙。計画・甲も存在するのですよ」
キエは同意するようにうなずくと、作業用ツナギの内側から2枚のプラスチックプレートを取り出した。それらはチェーンで首にかかっていて、中は遮光用の銀紙が貼られていた。
「それは?」
「あなたがアレンブルグから持ち帰ったもう一つの希望があるでしょう。その希望が実を結びました」
「新型弾頭?」
「はい。名称を侵食弾頭といいます。過去、それぞれの文明では名称は変わるのですが、兵器という呼び名では足りない非情な技術です。これは野生司少佐から渡された弾道弾の発射コードと停止コード、そして侵食弾頭の不活性化コードです」
理解が追いつかない──しばらく姿をくらませていた野生司少佐は動いていたとは信じられなかった。それでも、策はあるから頑張ってくれ、という少佐の言葉が思い出された。
「───侵食弾頭というのは旧文明の兵器です。知識はすでに破棄されましたがそれを模倣しようと反回帰主義の研究者たちがアレンブルグの地下で研究をしていました」
「だが失敗した」
「ええ。わたくしの祖母……遺伝的にはわたくしと同じなのですが、50年前、見せびらかすようにオーランド近郊で実験を行い、失敗しました。当時は未熟な技術ゆえに濃度は1%以下。今は10%まで高まったそうです。その弾頭をロケットモーターで大気圏まで飛ばし、ロフテッド軌道から弾道落下させます」
ニケは何度か目をしばたかせて、
「それはキエが喋っているのか? それとも過去の記憶にもとづいているのか?」
「どちらも、そうです。わたくし自身の記憶と過去の記憶は不分立なのです」
「つまり、バカでかい爆弾を大陸の反対側までロケット弾で飛ばす、ということなのか」
「さすがブレーメンですね。理解が早いです。原理上はロケットより砲弾に近いのですが、その理解で間違いありません。標的は新人類側の8つの主要都市。そこに人口の9割が集まっているそうです。そこを叩けば──つまり新人類の大半を虐殺すれば戦争は終わると野生司少佐は考えています」
軍人なら、たしかに講和会議よりも確実に勝てる最後の切り札に賭けるに違いない。
「弾道運動、たしか学校の教科書で読んだことがある。だがそう当たるものなのか」
「侵食弾頭の破壊範囲は非常に広範囲に及びます。発射装置は旧人類の遺した量子コンピューターで計算していますし、終末誘導も生き残っている大昔の衛星を利用します。多少ずれたとしても、侵食弾頭の破壊範囲はオーランド規模の都市全域と一致しますので、確実に破壊できます」
「そう、なのか。そうか」
しかしネネはポーカーフェイスのまま鼻を鳴らした。
「お主ならむしろこっちの計画に乗ると思っておったがな」
「もちろん、キエが犠牲になるよりずっといい。だが、テウヘルすべてが戦争に加担しているわけじゃない。アンセンウスには家族がいた。娘はたしか……ホノカと同じ大学に行く歳だった。プーカオ=ネインで捕らえた技術士官も、あちら側は連邦より遥かに技術が進んでいて文化も多彩だと言っていた。戦争には勝たなければならない。だが彼らは犬畜生じゃない、人格ある文明の担い手だ。それをすべて殺してしまうなんて───」
どちらの計画も正しい。野生司少佐の計画は虐殺に違いはないが、この戦争を終える決定打になるに違いなかった。キエの計画では、まだ不確実性が残る。キエが犠牲になるだけですべてのヒトが殺されるまで続く。そして次の矛先はブレーメンの里へ向けられる。
「──この選択のために俺を呼んだのか。また聡明なブレーメンの考えが聞きたいとかそういう」
「違います!」キエはぎゅっとニケの両手を掴んだが、すぐ放してしまった。「すみません、つい。わたくしは、あなたが、友人として冷静な判断を下していただけると信じていたからです」
「これは俺自身のエゴかもしれない」
リンならこんなときどう言うのだろうか。プーカオ=ネインで捕虜のテウヘルと親しげに話していた。彼女の優しさは、ヒトやブレーメン、テウヘルといった外見や種族にとらわれない、まっすぐに心だけを見つめる視線にちがいなかった。
ニケはキエの両手を外から掴んだ。
「アレンブルグへ向かおう。だが俺も着いていく。何があってもお前を守る」
一種だけ、キエの表情がリンに重なって見えた。もう二度と、失ってたまるか。
物語tips:キエ
コモンウェルスの皇<おう>。諱は赤月の印の継承者。
若い女王で政治に関心があるが宰相からは嫌われている。先代の皇が早くに亡くなり、遺伝病の解析に遺伝子サンプルを出したところ、不正を働く職員によって強化兵工場へサンプルが紛れ込みリンが誕生した。リンと顔は似ているが、ややふっくらしている。
胸の中央に赤い宝石が光る。これは「赤月の印」と呼ばれ一般民衆にはアミュレットのように見えている。これは惑星の軌道上に浮かぶ記憶装置と量子的つながりがあり、数千万年に続く人類の皇の記憶にアクセスできる。いわば人類文明のアイデンティティたる生体機械であり、代々 娘は単性生殖により1人だけが誕生する。代が途絶えた場合は機械的にクローンを生み出すことができる。
本名はキエ・キルケゴール。かつての人類文明の記憶を破棄すべきという「回帰主義」派の政治家だが、テウヘルとの戦争に勝つために野生司マサシ少佐に秘匿していた技術を提供した。