12
物語tips:シィナ
本名はシィナ・晴・イトー。ブレーメンの若い戦士の少女。身の丈を超える大太刀を振り回す晴式剣術の使い手。特務少尉。
成人の儀<アウ・ヘゲナ>の後、幼なじみのニケを追いかけるために軍へ入隊する。ニケが故郷を去る際に銃をプレゼントしたのはシィナ。ヒトの社会で暮らした経験がないため、ヒトの礼儀作法に関心がない。他のブレーメン同様にヒトを見下している。「感謝しなさいよね」と恩を押し売りするのが癖。
晴式剣術の大太刀は扱いが難しい。シィナが髪を長くしているのは自分の刃で切り落とさないという意味合いもある。子供のときは誤ってばっさり切り落としてしまいニケは時折からかわれる。頭が悪い訳では無い(平均的なブレーメンの知性はある)が興味が無いため知ろうとしない。
金銭感覚や金勘定もできないわけじゃないし計算は知識としてあるが興味が無いため雑。給与すべてを使ってトゥウィンキーを買うなど。
「「はいチーズ」」
†
11、12、13
テウヘルの首の数を数えるなんて、初陣以来だった。それは天から降ってくる雨粒のように数えてもしょうがなく、数えても終わりのないものだったはずなのに
31,32
これで1小隊分。しばらくこの周囲は安全だ。
ぱちん。ニケは2振りの刀を納めると、雨が降りしきる中レインコートを翻し、足跡を消すため水の流れを踏みながら駆け足に陣地に戻った。
三日三晩続いたシーウネ撤退戦は、テウヘルの歩兵が小規模だけ市内に残り、その他多数は機甲部隊を引き連れてオーランドへ向けて進撃を開始した。楔部隊は中央司令部からの通信をなんとか拾うことができ、シーウネ郊外の廃村の納屋で撤収用のグァルネリウスを待っていた。予定では今日の午後だったが、悪天候と多脚戦車の出方次第ではもう2,3日ずれ込むことも勘定に入れている。
「ラルゴですか? たばこは程々にしないと、テウヘルに見つかってしまいます」
納屋の入り口で、黒ずんだ柱に寄りかかったラルゴがたばこに火をつけた。
「最後の1本なんだ。ちったぁいいだろ」すぅーとラルゴは白い煙を吐いた。「で、なんでニケばかりが歩哨に行くんだ。見張りの兵士は他にいるだろ」
「皆疲れています。強化兵は十分に食事が取れず歩くのがやっと」
「だったら、俺がやればいいだろう」
ばさり。ニケはため息を付きながら庇の下に入ってレインコートのフードを取った。
「電波塔に登ってテウヘルの動向を確認しました。ルガーの大群が国道に沿ってオーランド方面へ一直線です。オーゼンゼ方面の守備隊を迂回しています」
「働き者だな、隊長さんは。散歩してる間に暗号通信があった。夜の闇に紛れてグァルネリウスが来るから準備しとけ、だそうだ」
「わかりました」
ニケはそれだけを応えて再びフードをかぶろうとした。しかしその手をラルゴに掴まれた。
「よせ。復讐はもういいだろう。そんなことばかりしていたらお前まで怪我してしまう」
「死にませんよ、俺は。神の視線があるんです」
「お前にいろいろ背負わせすぎちまったな」ラルゴは雨の中に佇むニケの背中に投げられた。「親しい者と離れるのは辛いことだ。そういうのは俺みたいにもう枯れた大人が背負い込むべきことだった。お前がブレーメンだからってなんでもかんでも責任をおわせるのは間違えていた。まだ16だっていうのに」
「だったら何だっていうんですか! そんな懺悔をしたところでリンは戻ってこない!」
熱い怒りがこみ上げる。コントロールもできずその巨大な熱い鉄球がこぼれ出そうだ。
「おいおい、落ち着け。俺が言いたいのは、隊長だとかそういう責任は置いておけ。まだ戦いは続くんだ。今は休め。ヒトにできることは任せてほしい」
一瞬だけ、目の前のものすべてを斬り刻む衝動に駆られたが、今目の前にいるのはいつもどおりのラルゴだった。彼はニケに代わりレインコートを頭からかぶるとライフルを持って雨の中に消えた。
恥ずかしいことをしてしまった。少しだけ上を向くと冷たい雨粒が瞼や頬に当って気持ちが冷めていく。妄想──ひょいと柱の陰からリンが現れて無礼をたしなめてくれる。
もういないんだ。
納屋の中は、朝出発したときとうずくまる人影の位置が変わっていなかった。残っている兵士も、もう少ない。楔部隊の結成時にいたメンバーはもうラルゴ、ブン、ンナン、青1&2、強化兵6119、それとリンの元部下の狙撃兵が2人。残りはシーウネの戦いで偶然加わった強化兵と退役軍人が数名だけ。頭数だけでは1小隊ができるかどうか。しかし武器も食料も足りていない。
もうひとり──もうひとりの大切な生存者のシィナは戸板にカーテンの布を敷いた即席のベッドで寝ていた。体力を温存するため、あまり動くことはない。
「俺は勝てると思ってたんだよ。俺たち、死ぬ気で訓練して、いやマジで最強の軍団だった。まだ夢に見るんだ、アレンブルグに降下したときのことを」
青1だった。青2と6119と共に酒精の高い酒を回し飲みしている。どのみち撤退の途中のどこかの商店から拝借したものだろう。茶色い液体はもう残りが少ない。
「彼女はもう死んじまったし。新しい彼女も……この世にまだ女は存在しているのだろうか」
青2が酒を煽る。
「うっす、俺は最後の最後まで戦うっす。犬っころにかぶりついてでも仲間の無念を晴らします」
「まじめだなーおめー」「本音を言ってみろよ」
酔った双子のような青1&2が囃し立てる。
「俺はドーテーのまま死ぬのはゴメンっす」
6119は青2から酒を受け取るが飲むのをためらっている。だいぶ酒が回っているらしい。
「そういう手練手管は青2が詳しいぞ」
「そういう店なら青1が詳しいぞ」
「俺、青1さんと青2さんと一緒できてうれしいっす!」
瓶の底に残った茶色い液体を6119が飲み干してバタリと倒れた。
青1&2は手を叩いて喜んでいたが、ニケの姿に気づくと直立不動で敬礼の姿勢を取った。
「お前たちにも苦労をかけるな」
「いえ、隊長のお陰で生き残れたので」
「缶詰、最後のひとつっす。食べますか?」
場違いなほど飄々としたふたりに、ニケは首を横に振った。
「腹は空いてない。ふたりで食べてくれ」
ニケは踵を返したが、青1&2は敬礼したままだった。
「俺、死ぬまで戦う気でいたんですが」「生きるために戦おうって決めたんです」
青1&2が互いに指を指して、
「青2が言ってたんです」
「青1が言ってたんです」
似た顔と声で相変わらずややこしい。ニケは肩をすくめて続きを促した。
「リンは、俺達にとってはある意味希望でした」「あいつの生き方が俺たちを変えてくれたんです」
「強化兵は戦って戦って死んでなんぼの道具」「軍は俺たちをそう使ってきたし俺たちも別に疑問に思わなかった」
「だけどリンは楽しんでいた。生きる意味を見つけていた」「ラーヤタイの基地で隊長と2人で楽しそうにいるのを見て、俺たちにも人生の意味があるんじゃないかって」
「だから戦えたんです」「だから生きてこれたんです」
ニケはめずらしく真面目な2人を交互に見比べた。
「もう少し戦いが続く。それでもいつか終わりは来る。その時まで希望を失わないでいてくれるか?」
「ええ」「もちろんです」
相変わらず2人はニタニタ笑いを浮かべていた。
ニケは寝ている兵士たちを起こさないよう足音を立てずに移動した。もう小一時間寝かせていてもいいはずだ。グァルネリウスの到着までまだ時間がある。
ブンとンナンはずっとそりが合わなかったが、今じゃ隣り合って静かに寝ている。その反対側の壁のそばではリンの元部下の強化兵の女の子が2人寄り添って寝ていた。リンを救えなかったことを最初に伝えた2人で、ずっと涙を流して泣いていた。彼女たちの小隊もほとんどが戦死か病院で治療中だった。
ニケは納屋の一番奥で、シィナの寝ている仮のベッドに膝をついて様子を伺った。
「……ニケ?」
シィナの目が薄く開かれた。力なく手を上げたのでその手を握ってやった。
「体温が高い。それにすごい汗だ」ニケがシィナの首筋に触れると、その体がびくりと動いた。「傷が痛むならなぜもっと早く言わない」
「痛くない。こんなの大丈夫。大丈夫だから」
そんなわけないだろうに。ニケは背嚢からシリンジと鎮痛剤の薬瓶を取り出した。体重からいえばオーバードーズだが薬物の耐性の高いブレーメンならこれでも足りないくらい。しかしもう残りがなかった。
静脈から薬を打ってやると、シィナの表情は少し緩んだ。
「包帯を交換する。すこし痛むかもしれない」
「大丈夫。私は大丈夫」
しかしニケの手をぎゅっと握って堪えている。
血の滲んだ包帯を取り除き、血と体液の塊を拭う。ぞっとするような傷口だったが、骨が再生し始めて脳はもう見えなくなっていた。皮膚は火傷のせいでケロイド状にひしゃげ、耳の聴力は回復しそうにない。眼窩も完全に潰れてしまい、ブレーメンの再生力をもっても回復はしないだろう。
「七辻山のゴロウ爺を覚えているか?」
気を紛らわす雑談だった。ニケは傷口をアルコールで丹念に消毒して膿を取る。
「私も、ちょっと考えてた。ゴロウ爺、眼帯を付けてた」
「そう。子供の時イノシシに目を突かれて左目を失明したんだ。だから両親の剣技は受け継がずに独自の流派を作った。独眼竜、なんて言われてたけど」
「でも実際はイノシシに復讐するためでしょ。毎年春の狩りのときはいつも最前列だった」
「剣技比べでもゴロウ爺の間合いの取り方は独特で、負けなしだった」
「何? 私もゴロウ爺みたいに戦えって? バカ言わないで。目だけじゃなくて耳も半分聞こえないんだから。でもまあ、ニケがそういうなら私だってそのくらいやってやらなくもないわ。感謝しなさい」
饒舌──鎮痛剤でも用法によっては覚醒剤にあたる。一時的とはいえ気が楽になるならそれでもいい。ニケは新しいガーゼを当て、白いテープで止めると包帯で頭を固定した。少なくとも傷口だけなら1ヶ月もあれば全快するはず。
ガーゼの包み紙のゴミを背嚢に戻していると、シィナは天井を見たまま静かに涙を流した。
「泣かない方がいい。また傷口が開いてしまう」
ニケはシィナの代わりに流れる涙をぬぐってやった。
「私、悔しい。悔しいの」何のことだ? 傷を負ったせいか「もっと、あの子に優しくしてあげればよかった。あの子は初めから私のことを友だちと思ってくれてたのに、ずっと私、つっけんどんだった」
ぐっと奥歯を噛み締めて湧き上がる感情を堪えた。あの時、リンの到着が遅いことにもっと早く気付けていれば。道中の敵や味方を無視して一直線で孤児院へ向かっていたら。リンを抱えて手近な病院へ駆け込み処置ができていたら。
後悔ばかりだ。強い剣士、強い兵士を自称していたくせに愛した者を救えなかった。
「お前が無事で良かった」
ニケは再び涙をぬぐってやる。
「そうじゃないの」
「リンはお前のことを恨んでなんかいない。ずっとお前のことを慕っていた」
「私はあんたのこと、選んだの! わかる?」
「あー今その話をするのか」
女が強い男を選びつがいとなる──それがブレーメンの風習だった。たいていは20歳を超えてだが。
「私はあんたが好き。でもあの子もあんたが好き。ニケ、それに気づいてないなんて言わせないんだから」
「ああ、わかってる」
「リンのこと、好きなんでしょ? これじゃまるで私があの子の大切な人を奪うみたいじゃない。あの子が死んだ後に私が思いを告げるなんて、卑怯で、あの子を裏切るみたいで悔しいの」
「リンはそんな事を言わないさ。いい友達だったんだろ」
ニケは火照ったシィナの頬をなでてやる。まだ体温が高い。ブレーメンに効くだけの十分な解熱剤はもうない。グァルネリウスが来るまで我慢してもらうしかない。
シィナはしくしくとすすり泣いている。幼なじみのこんな姿を見るのは初めてだった。
「ありがとう、シィナ。だが、答えは少し待ってほしい。俺にはまだ責任があるんだ」
「私はあんたを選んだ。選んで私があんたの強い子供を生むんだから、死ぬなんて許さないんだからね」
「ああ、死なないさ。シィナ、今はゆっくり休んでくれ」
「ね、そばにいてよ」
「ああ、寝るまで隣りにいてやる」
外の雨音は次第に強くなる。夕暮れに先んじて空が暗くなる。暗闇の中でもシィナはひとつの希望の光だった。