主張のある文章は断定口調で書きなさい
『主張のある文章は断定口調で書きなさい』
かなり前なので誰から教わったのかは忘れましたが、私はそう習いました。
論文等、主張のある文章は、『〜だと思います』『あくまで私の主観ですが、そういうことなのだと思われます』ではなく、『〜である』『〜なのだ』と断定せよ、と。
それでないとなんだか弱々しくなって、読む人に信頼してもらえないからとかなんとか、とにかく『権威ぶって』『エラソーに見えるぐらいに』断定せよ、ということでした。
主張のある文章といえば、論文、檄文、会社でのプレゼンの文章……
そして、『批評文』ですよね。
【この小説には霊が取り憑いているかもしれません。それぐらいに、私は読んでいて、背筋に寒いものを感じたのです。きっとこれは問題作だと思います。名作ホラーだと思います。】
ではなくて、
【この小説には霊が取り憑いている。これを読む者は憑依されたように、背筋に寒いものを感じることであろう。問題作である。名作ホラーであること間違いない。】
と断定口調で言っちゃったほうが、なんだか頼り甲斐がある。
あるいは──
【この小説はちょっと……直すべきところが多いんじゃないかなぁ……って、思います。作者さんは気持ちよく書いてるんだろうけど、わかりにくいところが多くて、もう少し読者の目線で書いたほうがいいんじゃないかなぁ……と、思いました。】
ではなく、
【この小説は駄作である。作者のオナ◯ーとしか言えない。自分だけが気持ちよくなっていてはいけないのである。小説とは読者とセ◯クスするつもりで書かれなければならない。】
のほうが、言い方はキツいけど、主張が強くて、作者さんに『へっ! てめーと◯ックスなんかしたくねーんだよ』とか反抗的な態度に出られても負けることがない。
でも『なろう』でこれをやっちゃうと、ただの毒にしかならないかもしれない。
キツい言葉に心を折られて、『もう小説なんか書かねーよ!ヽ(`Д´#)ノ 』ってなるかもしれない。
私が『断定口調で書きなさい』と言われたその昔、これも誰から教わったかは忘れましたが、その理由のもうひとつを、次のように教授されました。
断定口調の語尾には『これはもちろん私の主観である』が省略されている。
それが主観だなんてことはいちいち書かなくてもわかりきっていることだから、省略してよいのだ。
つまり、された側も、断定口調で酷評されたからといって、へこむ必要はない。
それはあくまで相手の主観であり、絶対的な評価ではないのだから。
とりあえず頭の片隅にでも留めておくぐらいはすべきだが、自分で信じていることがあるならば、『ふーん。参考にしますね』ぐらいの態度でいいのである。
これを教わっていたから、私は他の人よりも酷評に耐性があるように思います。
たとえ誹謗中傷レベルでも、『作品を読んでくださっていることがわかるなら』私はその感想をつけられて喜ぶことができます。
耐性がない人は、いちいち相手の語尾に『これはもちろん私の主観である』をくっつけてみてはどうでしょう?
もちろん相手の言うことに対して想像力を色々と巡らしてみるのも成長の糧となるとは思いますが。
自分を信じてみてもいいのである(^o^)