私のエッセイ~第六十三弾:「東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件」の衝撃!!!(前編)~事件の概要など 「後編」は、追加情報に。
こんばんは!お元気ですか・・・?
今日は、比較的、涼しかったですね。
もう、秋の足音が近くなっているのかな・・・?って感じですよね。
でも、残暑には、ご用心・・・!
さて、今宵は、昭和・平成をまたいで起きた、ある重大事件を取り上げたいと思います。
若い読者の方は、ピンとこないかもしれませんが・・・私ら昭和世代の人間には、絶対に忘れられない衝撃的な事件でありました。
それが、題目どおりの「東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件」です。
この事件はですね・・・1988年から1989年にかけて、東京と埼玉で起きた、猟奇殺人事件でしてね、これまでの事件とは明らかに一線を画す、社会を揺るがす「悪夢」でした。
当時の世相なんですが、いわゆる「バブル経済」の真っ最中でして、まだまだ日本中が「あぶく銭」と、砂上の楼閣のような幻想に溺れた、「乱痴気騒ぎの時代」でした。
この事件は、埼玉県の入間市から始まり、4人の幼い女児が誘拐され、殺害されたのちに山中や公園に遺棄されたもので・・・これだけなら、これまでの事件と、それほど差がないんですが・・・
問題は、その犯行内容の「異常さ」なんです。
最初の女児が殺害されたあと、その被害者宅の玄関前に、「遺骨入りダンボール箱」が置かれたんです!
中には、誰のものか分からない焼かれた形跡のある遺骨と・・・『M理 遺骨 焼 証明 鑑定』と書かれたメモがありました。(被害者の名前は、これより先、すべて、一部「伏字」とします。)
私ですね、このニュースをTVで知ったとき、これまでの事件にはなかった、一種異様な「猟奇性」「異常性」を感じ取ったものでした。
その後、新聞社と最初の犠牲者「K野M理ちゃん」の自宅へ、「今田勇子」なる名前で、犯行声明文と思われる、挑発的な手紙が届いたり、三人目の犠牲者の「N波E梨香ちゃん」の自宅に、『E梨香 のど かぜ せき 楽 死』と書かれたハガキが送りつけられるなど、事件はますます、その異常性を増してゆきました。
この「前編」では、事件の概要を追い、「後編」では、犯人、宮崎勤元死刑囚の生い立ちを取り上げ、この事件の「特殊性」「残虐性」「異常性」に迫ろうと思います。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
【幼女連続殺人事件の経過】
1988年 8月22日:K野M理ちゃん(当時4歳)が、埼玉県入間市の自宅マンション近くで誘拐される
10月3日:埼玉県飯能市のY沢M美ちゃん(当時7歳)が失踪
12月9日:川越市で、N波E梨香ちゃん(当時4歳)が行方不明に
12月15日:埼玉県入間郡名栗村の山中で、N波E梨香ちゃんが全裸死体となって発見された
12月20日:N波さん宅へ、『E梨香 のど かぜ せき 楽 死』と書かれたハガキが届く
12月下旬:K野さん宅に、漢字九文字の謎のハガキが届けられる
1989年 2月6日:早朝、K野さん宅玄関前に、『M理 遺骨 焼 証明 鑑定』と書かれたメモが、M理ちゃんの遺骨といっしょに入った段ボール箱が置かれる
2月10日:M理ちゃん事件に関しての、「今田勇子」名の犯行声明が、朝日新聞東京本社に届く
2月11日:同じ犯行声明が、K野さん宅へも送られる
3月11日:「今田勇子」の告白文が、朝日新聞東京本社とK野さん宅に届いた。M理ちゃんの葬儀が行われた日である。
6月6日:都内江東区東雲の東雲団地で、N本A子ちゃん(当時5歳)が失踪
6月11日:飯能市宮沢の宮沢湖霊園で、N本A子ちゃんのバラバラ死体が発見される
7月23日:
日曜の夕方、八王子市内での出来事である。
幼い姉妹は、公園から出て、道路の脇にある水道で手足を洗っていた。
紺色の「日産ラングレー」を運転していた男は、道に迷ったふりをして、その子たちに話しかける。
「おじちゃんはカメラマン。写真を撮らせて。」
だんだん打ち解けてきた6歳と9歳の姉妹に、男は、そう頼む。
車内には、新品の一眼レフ「キャノンEOS」と、レンタルビデオ屋で借りた、ビデオカメラがあった。
カメラを持ち出し、公園の奥に少女たちを連れて行く。
そこには神社があり、その裏手で何枚か写真を撮る。
道路へ出て、今度は近くの川へ。
「服が濡れると、お母さんに怒られるから。」
男にそう言われると、年端の行かぬ妹は、自分で服を脱ぎ始める。
全裸になった少女にカメラを向ける男。
姉は異様な雰囲気を察知し、自宅へと知らせに走った。
犬の散歩をしていた会社員の父親(当時35歳)に途中で会い、事の次第を告げる。
父親は、現場に駆けつけた。
裸で撮影されている下の娘の名を大声で呼びながら、父親は川へ向かって駆け降りる。
カメラを持った男は、父親の姿を見るや沢の奥に逃げ、林の中へ続く道の中へ入り込む。
父親は、怒声を浴びせる。
「車のナンバーを覚えたから、逃げても無駄だ!」
10分くらいすると、男は逃げ込んだ行き止まり道から戻ってきた。
父親が殴りかかる。
数発殴りつけられても、男はまったく無抵抗だった。
騒ぎに気づいてやってきた知人を見て父親は、大声で110番通報を頼んだ。
「警察は呼ばないでください。許してください。」
へたりこんでしまい、ひたすら哀願を繰り返す男。
身長160センチ足らずの小柄な体躯で、青白い顔、ぼさぼさ髪。
捕らえた男をよく見れば、ひ弱そうな青年であった。
目の前でうなだれている男に、父親は説教をする。
「頭、坊主にして、力仕事やって、たまには酒でも飲んでドンチャン騒ぎすれば、こんなことしなくなるんだ。うじうじしてるから、女にもてない。だから、小さい子にいたずらするんだろう。・・・A子ちゃんの事件が解決してないのに、お前。」
男は、黙って聞いていた。
そして、通報から30分後に警察が到着し、宮崎勤(当時26歳)は、強制ワイセツの現行犯で逮捕される。
逮捕より二週間ちょっと経ってから、宮崎は恐るべき自供を始めた。
8月9日:宮崎がA子ちゃんの誘拐殺人を自供する
8月10日:都内西奥多摩郡奥多摩町で、A子ちゃんの頭部を発見
8月13日:M理ちゃん、E梨香ちゃんの誘拐殺人を自供
8月25日:Y沢M美ちゃんの誘拐殺人を自供する
9月6日:M美ちゃんの遺骨と衣類が、西多摩郡五日市町の小峰峠付近の山中で見つかる
9月13日:M理ちゃんの遺骨が、五日市町で発見された
~ ~ ~ ~ ~
これ以降の事件の経過を知りたい方は、ウィキペディアなどでお調べ頂ければと思います。
次回は・・・犯人「宮崎勤」の生い立ちについて、家族や関係者の貴重な証言をもとに、この一連の事件がどのような経過をたどって引き起こされたものなのかを、じっくり検証していきたいと思います。
とても長いエッセイになりそうなので、時間をください。一日やそこらでは書けませんので・・・。
ただ、次回の記録は、なかなかネットにもないものですので、特にこれからお子さんが思春期を迎える保護者の方、学校関係者の方に、何かと参考になるはずです。
この事件を起こした大罪人をただ断罪するのではなく、「なぜ、そうなった」のかを、ともに検証し、今後の犯罪の芽を摘んでいきましょう。では・・・。 m(_ _)m
(※) 追加情報です。
実はですね・・・私、2005年に、『贖罪のアナグラム』(蜂巣敦著・1990)という本やその他資料などから、自分の当時のHP「クレッセントムーンの涙」というHPに、UPしていたんですが、このHPがまだあったうちに、別の方が私の元ネタを再構築して作り直してくれてました。
それがまだ存在してましたので、それを皆様に紹介して、「後編」と替えさせていただきます。
いや~、すっげー手間が省けましたぜ、ダンナ。
では、紹介しますが・・・これもいつ消えるか分かりませんので、いったん「アーカイブ保存」してお読みになられた方がいいですね。
とても貴重な情報でして・・・調べましたら、ネタは中国サイトにも翻訳されて転載されてましたね(笑)。
まぁ・・・私のネタが、より完成形になって復活したのは、うれしい限りですよ。
では、以下のサイトです。
【“怪獣博士、187の肖像”再録】
ちなみに、『以前までは、とあるサイトに“宮崎勤 187の素顔”というタイトルでアップされていたが、そのサイトが完全消滅したようなので、当サイトで改めて再録することにした。』
↑ コレ、あたいのことよん。あたいの(笑)。
この記事ですね・・・私が最初に書籍から引っ張ってきて、一から「手打ち」でHPに転載したんですが・・・マジで苦労しましてね・・・一週間は余裕でかかりました・・・!
それをこの方がコピーして、改良してくださったわけですね(苦笑)。
でも、この方ですね・・・マジ、すごいっす!
そのページの「トップに戻る」をクリックして、HP本体に行ってみてください。
あたしなんかより、詳細に事件について調べてくださってましたね。
あとですね・・・私が感動しましたのは、この方のこの発言でした。
『絶版となって入手困難な資料の復刻、が目的であり、著作権侵害の意図は毛頭ないことを、何卒御理解願いたい。』
これねぇ、ここにジョークその他を紹介するときの、私の基本姿勢というか「願い」でもあるんですヨ。
それを、皆様のような、心ある読者に何とかしてお届けしたい!・・・これが私がこの「なろうサイト」に、掲示板の世界を抜け出してやってきた理由なのですから・・・。
でもね、もう・・・こんな完璧な資料作られてしもうたら、あたいの出る幕ないやん(泣)。
でも、皆様のお役に立てればいいのっ。
じゃ、おやすみなさい。 m(_ _)m