幽体離脱探偵、密室殺人に挑戦する
「電話でもお伝えしましたが、ウチは個人で細々とやっている探偵事務所です。密室殺人の謎を解けなんて荷が重すぎますよ」
「でも、とびきり優秀な探偵さんと伺っております。それに誠実で信頼できるとも」
「仕事の成功率が多少高いとはいえ、それは浮気調査や信用調査に限ってのことです。私は小説や映画の名探偵とは違いますから」
マスクの下で、彼女の唇がまるで少女のようにツンと尖った。
「奥さん、私は無謀な挑戦などしません。完全密室、ネクタイによる絞殺、犯人の痕跡は一切ナシ。いくらなんでもこれでは、真相究明も犯人逮捕も絶対に無理ですよ」
被害者は彼女の夫。
そして犯行時間、彼女には完璧なアリバイがあるという。
「まあ心配することはありませんよ。きっと警察だって既にあなたを捜査対象から外しているでしょうし」
「あら。探偵さんはまるで実際に見たように仰るのですね」
俺は図星を突かれた動揺を、更には彼女から電話を貰った瞬間から続くこの狼狽を、肩をすくめる仕草で誤魔化して。
とにかくウチには無理ですの一点張りで、俺はこの依頼を断ったのだ。
彼女が出ていくと、俺はすぐにソファに横になり呼吸を整え精神を集中する。
すると俺は宙に浮かび、俺自身を見ていた。
その俺からグラサンとマスクを取ってみると、年齢の割に随分とくたびれた寝顔である。
仕方がない。俺は世の中の裏側を覗きすぎたのだ。
そう。
名探偵なんてとんでもない。
俺などただの覗き屋にすぎないのだから。
高校時代、好きな女の子がいた。
同じクラスだったが、ロクに話したこともないような女の子だ。
やがて彼女は進学し、俺は親戚がやっていたこの探偵事務所でアルバイトを始めた。
なのに毎日毎日、未練たらしく彼女のことを考えて。
あっちは俺のことなど綺麗サッパリ忘れているだろうに「彼女は今頃どこで何を」などと思い続けて。
そしたらなぜか、俺はこの能力に目覚めていたのだ。
この魂を肉体から解き放ち、どこへでも自在に飛んでいけるようになったのだ。
パーキングの高級車。
彼女がマスクを外すと、その口元の青痣に俺の心はズキリと痛む。
彼女の旦那は裏社会との繋がりもあるクソ野郎で、前の妻は二人とも不審死を遂げていた。
そのクソ野郎が彼女を殴りつけたとき、俺の中で何かが弾けた。
その瞬間、俺は新しい能力を得てしまったのだ。
そう。
もう、見ているだけの俺ではない。
だから俺は、彼女がアリバイを持つその日を待って。
挑戦したのだ。