人間がポイント評価される世界 ~ブルジョワポイント企画に参加して書いた作品について~
どうも、たらこくちびる毛です。
名前の由来はなんとなく。記憶に残りそうな名前をと思ってつけました。
まぁ、名前についてはどうでもよく、今回は自分で書いている作品について思ったことを語りたいと思います。
私は空野奏多さん主催の、ブルジョワポイント企画に参加させていただいています。
その企画の参加作品として『創作家になろうという異世界に転生したオレ、戦えないけど【スキル:絶対評価】で無双し神になる〜ただ評価しただけなのに、感謝されまくり。しかも貢がれまくって崇め奉られてしまった〜』を執筆中です。(長いので以下、ポイマスと略します)
勢いで始めた連載ですが、いつになったら終わることやら。導入の部分でさえまだ書き終わっていません。年内に完結出来たらいいなと……。
んで、この小説。当初の企画からはちょっと外れた方向に物語が進んでいます。
本来、ブルジョワポイント企画は『勇気を出してポイント評価しよう』という思いから始まりました(と思う)。
しかし、いざ小説を執筆していると雲行きが怪しい。いつもの悪い癖で私の心の中のダークな部分が目を覚ましました。
そもそもポイントで他者を評価するのって、とても残酷な事なのではないか。と思うのです。
客観性を持って他者の作品を評価することは素晴らしいことです。ですが、そこには差が生じてしまいます。持てるものと持たざるもの。両者に分かれてしまうんですよね。
残酷ではありますが、これは仕方のないことです。これを否定しては資本主義社会は成り立ちませんし、私たちが享受する近代的なサービスもなくなってしまいます。電話も、車も、食べ物も、道路も、街も、全ては競争が生み出したのです。
なろうには五段階の評価制度がありますが、これにより、評価の高い作品と、低い作品に分かれてしまいます。何度も繰り返しますが、これは仕方のないことです。
そういう前提で、評価に関する小説を書くとどうなるか。
私の書いた小説は、人間がポイント評価される世界です。なろうとは違い、無意識のうちに他者へ向けた感情が数字に変換され、良い印象を抱いている相手には高いポイントが、悪い印象を抱いている相手には低いポイントが付与されるようになっています。
なので、自分の意思に反したポイント評価はできないんですね。
主人公はこの世界で唯一、自分の意思に反してポイントを付与することができます。また、誰が誰に何ポイント付与しているのかも知ることができます。
もう、この設定を思いついただけで気が重くなってしまいました。
あまりに残酷なことを考えたなと。
自分自身でそう思ってしまったわけですが、私はこの設定を採用しました。
……なぜか。
それは自分の中にある感情と正面から向き合うべきだと考えたからです。
私自身、なろうに連載作品を投稿し始めてから、ポイントやブックマークをとても気にしていました。今はPVも落ち着いているので、そこまで気にはしていませんが……当初はブックマーク一つ、ついたり消えたりするのを見て、一喜一憂していました。
なろうのPVは右肩下がりと聞いていたので、このままでは誰も読んでくれないのではないかと不安にもなりました。
どうにかしようと思い、あれこれと調べてたどり着いた結論はエッセイを書くことでした。
エッセイを書けばポイントが入る。ブクマがつく。そんな浅はかな思いで書き始めたわけですが……今はもう立派なエッセイ中毒者です。略してエセ中です。
書かないと落ち着かないんです。
何が楽しいって、そりゃぁ、感想で共感してもらえることですよ。素直な気持ちをありのまま書きなぐった作品に共感のコメントがつくと、天にも昇るほど嬉しい。
ポイントやブックマークもつけてくれる人がいるし、こりゃぁやめられねぇよ。
……なんて思ってました。
でも……本当に大切なのはポイントではないと気づきました。
本当に大切なのは繋がりです。
私はエッセイを書くことで、多くの作者様と知り合えました。この企画を主催した空野奏多さんとも、エッセイを通じて知り合いました。
私の作品に感想を残してくれた作者様の作品は、とても面白く、一人一人に「技」や「味」があります。まさに十人十色で、それぞれにスゴイ個性を持ち合わせているんですね。
エッセイを書き始めてからというもの、驚きの連続でした。
本当に色々な方がいて、毎日のように新しい発見があります。
そんな素晴らしい作品を書く作者様たちですが、やはり皆一様に読者によって評価されます。私には今まで触れ合ってきた作品に優劣をつけることなんてできません。全部、大切だからです。
しかし、それでも評価によって生じる差を否定できない。格差はあってしかるべきだと考えています。
矛盾しているようですが、この二つの想いは私の中で両立しているのです。自分でも不思議に思います。
そんな矛盾した思いに結論を出すべく、ポイマスを書いているのかもしれません。
ポイマスは人間が評価される残酷な世界です。その世界でどのように主人公が戦うのか。ある程度は道筋がついているものの、書いているうちにラストが変わるかもしれない不安を感じています。
今も自分の心の中で二つの想いが戦っているからです。
確かに平等であることは素晴らしいかもしれない。けれども格差がなければきっと、面白い作品は生まれないはず。競争があるからこそ、名作が生まれ、誰かに感銘を与えるのです。
私はそのことを理解しながらも、みんなが幸せになれる世界を夢見てしまいます。
そんな世界、ありえるはずもないのに……。
少し話は変わりますが、最近ある人のエッセイを読んで強い衝撃を受けました。
そのエッセイはポイントを考えなしに入れるのではなく、きちんと評価して☆の数を決めようと呼びかけるものでした。私はその方のエッセイを読んだ後、作者ページに飛んで評価した作品一覧を見ました。
すると、それぞれの作品に異なる数の☆がついていました。
それをみて……面白いなと感じたんです。
☆の数が違えば、その作品に対する読者の思い入れも分かる。つまりはおススメ度が分かりやすく表現されているんですね。
私はその方の評価一覧を眺めていると、ある作品を見つけました。
私が書いたエッセイでした。星の数は5。
正直……泣くほど嬉しかったです。
想像してみて欲しいのですが、全ての作品に☆5の評価をつける読者と、それぞれの作品によって評価を変えることができる繊細な読者とで、自分の作品に☆5の評価をつけてもらったら、どっちが嬉しいでしょうか?
もちろん、後者だと思います。
でも……私が他の方の作品を評価するときはいつも☆5でした。
それは多分これからも変わらないのだと思います。
なぜかと言うと、私は☆の数を決めることにわずらわしさを感じているからです。作品ごとに評価を変えるのは私にとってとても苦しいことなのです。
しかし……少しずつですが、私の中に変化の兆しが現れました。
今までは思考停止して☆5を投入していましたが、ちょっと手を止めて考えるようになったのです。
この作品は私にとってどれだけ意味があるのだろう。どれだけ影響を与えたのか。どれほどの感銘を受けたのか。
私はちょっとだけ、考えてから☆の数を選ぶようになりました。
まぁ……それでもほとんどが☆5評価なのですが。
私の中で様々な思いが葛藤しているのを感じます。
それは一人で小説を書いているからではなく、様々な人と触れ合い、様々な人の価値観に影響されているからだと思います。
私が今書いているポイマスも、多くの人から影響を受けています。主人公も私と同じ悩みを抱え、壁にぶつかるでしょう。
でもきっと……壁を乗り越えてエンディングにたどり着けるはずです。多くの人が私の物語を後押ししてくれているので、主人公はどんな困難にも負けずに戦い続けるでしょう。
私はそう信じています。
ここまで読んでくださった方、ありがとうございます。
私が連載中のポイント評価の要素を取り入れた小説ポイマスにも、興味を持っていただければ幸いに思います。
もしあなたが作品を投稿する作者であるとしたら、あなたのために祈ります。
アナタの作品に愛がこもった☆が送られますように。