追い波
実際のところ、リョウヤはこれが簡単なことだと思っていた。何か大きな樽のようなものを用意して、そこに海水と彼女を入れる。それから台車か何かで万華鏡山まで運ぶ。充分に現実的だし、彼女も死なずに桜が見れる。そう思っていた時、背後から声がしてリョウヤはぞっとした。
「おーい、潟柿じゃん。何してんのー?」
振り向かなくてもわかった。大道ヒデトだ。けれど振り向いてリョウヤはさらにぞっとした、ヒデトの隣にはその腰巾着、下野エイタがいたのだ。先程のドッジボールで、外野でパスが来るようぴょんぴょん飛んでいた子だ。リョウヤは慌ててラピの方を見たが、ラピは不思議そうに彼らを見ていた。ヒデトとエイタはラピを見て口をあんぐりと開けた。ヒデトは口をパクパクさせながらラピを指さして言った。
「え。人魚・・・?」
リョウヤは慌ててヒデトの指を下ろした。
「騒がないで。誰にも言わないで。今、僕ら、大事な約束をしたんだ。言いふらされてこの街が騒いだら、約束を果たせなくなっちゃう」
リョウヤの手を振り払うと、ヒデトは眉をひそめた。明らかに不満そうだった。
「は?約束って何?それ言わねーと言いふらすかんな」
ヒデトの後ろでエイタも頷いていた。
「リョウヤ。リョウヤのお友達?」
リョウヤがどうすればいいのかヒデトを睨みながら考えていると、背後からラピが呼びかけてきた。
「・・・クラスメイトの子だよ」
そう答えたリョウヤの顔を見たラピは、一瞬真顔になったが、すぐに微笑んで二人に言った。
「こんにちは」
リョウヤが唇をかみしめていると、ヒデトとエイタがリョウヤの横を通り過ぎて彼女の方へと岩場を下りて行った。
「ほんもの?すげー」
「うろこだ。え、やばやばやば!」
リョウヤはきっと二人を睨みながら言った。
「失礼だよ!・・・そんな言い方」
ラピは、いいのよ、と笑ったがヒデトはつまらなさそうに鼻をならした。エイタもヒデトの横からリョウヤを睨みつけた。
「なんだよ、お前、また自分だけいい子面すんのかよ」
その言葉にリョウヤは自分の頬が熱くなるのを感じた。ヒデトは構わずにラピに向かって続けた。いつものお調子者の調子だ。
「こいつホントにいい子っつうか大人っぽいっつうか。全然俺たちと絡まないし、いつも一人だし、何考えてるかわかんないんだよー。ほんっといい子ちゃんだしさ、嘘ひとつつかない真面目っ子」
エイタも隣でこくこくと頷く。リョウヤはもう怒鳴ってでもいいからこの二人を追い出そうかと息を吸い込んだが、次の瞬間、ラピが口を開いた。
「でも素敵な子よ」
ヒデトと同じくらいにリョウヤ自身もその言葉に驚いた。聞いたこともないほどの嘘偽りもない響きに面食らって、リョウヤは怒鳴ろうとおもいっきり吸い込んだ息をどうすればいいのかわからなくなった程だ。ヒデトもまた空気を変えたくなったのだろう。案外行き着く先はリョウヤと同じだった。
「え、あ、ああ。そう。えっと、で、どうして、こんなところに来たの?」
リョウヤはてっきりこのままラピは二人をはぐらかすものだと思っていたので、また同じ話を二人に聞かせるのを聞いて少しがっかりした。ラピの話を聞き終えた二人は、案の定、参加すると言い出した。
「お前ひとりで全部できる訳ねえじゃん。俺たちも手伝うって」
けれどリョウヤにはこの台詞の裏に隠されている彼の気持ちにすぐさま気づいた。珍しい。すごい。ただ単に、そんなものに携わりたい。それが彼らの本心だ。しかし同時に、断る資格なんて自分にはないとリョウヤは思った。二人はドッジボールをしていたとはいえ、先に自分がラピに出会ったとはいえ、自分が特別だという事にはつながりやしない。それに、必死になって二人を追い返す自分を想像するだけで、リョウヤは嫌になった。
「ラピがそれでいいって言うなら」
リョウヤがぼそりとそう言うと、ヒデトは目を丸くしてラピの方を見た。
「ラピ、ラピっていうんだ。俺、大道ヒデト。こっちが下野エイタな」
そしてにかっと笑うと小麦色に日焼けしたその手をラピの方に差し出した。ラピも微笑んでその手を握り返す。
「うわ!俺、人魚と握手すんの初めてだわ!この手は一生洗わねえぞぉ!」
「手洗いうがいはしないとだめだよ」
興奮して手をぶんぶんふっているヒデトにむすりとしたリョウヤがそう言うと、ヒデトは目をぱちくりさせた。
「お前、冗談って知ってんの?」
ヒデトに知識面で馬鹿にされたと思うと急に腹が立って、リョウヤは再びヒデトを睨んだ。やっぱりいけ好かない。リョウヤは岩場に散乱した教科書やら筆箱やらを濡れたままのランドセルに突っ込むと、乱暴に背負った。
「じゃあ、僕はもう帰るから。明日またここで方法を考えよう。それでいいね、ラピ」
リョウヤは誰にも目を合わさずにそう言った。けれどもラピが頷いたのが視界の端にうつったので、今度はヒデトとエイタの足元をみて言った。
「二人も、明日来るなら放課後ドッジボールとかしないで来てよ」
「お、おう」
こんなにはきはきと話すリョウヤに驚いたのか、ヒデトは少し面食らっていた。けれども岩場からコンクリートの道に上り切ったリョウヤの背中に、ヒデトが珍しく、少し遠慮がちに言った。
「なあ、怒っても、良かったんだぜ」
リョウヤは一瞬立ち止まりそうになったが、振り返ることもせずそのまま家へと帰った。リョウヤはその夜、ただ一人、ひっそりとそれを、とても後悔した。