や〜まだ〜について。
〈や〜まだ〜について〉
ここまで色々と魔族の為に尽力したのだから、一つくらい我輩の名前を歴史に刻んでいても許されるはずだ。
不遜ながらもそう思い、我輩は「た〜まや〜」を「や〜まだ〜」として魔族の皆に伝えた。
こちらに花火という文化はないので、我輩が適当に教えた。
花火とは大きな爆発である、と。
そして、大きな爆発を目にして、その爆発に感動したら「や〜まだ〜!」と叫ぶように、と。
我ながら魔法による爆発の際に自分の名を叫ばれるのは最初は恥ずかしかったものだが、最近ではそれを心地よく感じている。
あまりに心地よすぎて一時期は毎日三回はアルティメット・ダークネス・エクスプロージョンを発動していたくらいである。
三日目にはゴレ子から怒られた。
毎日整地している魔族の皆さんに謝ってくださいと言われた。
我輩は誠心誠意謝った。
魔族の皆さんは、毎日体を動かす仕事があっていいと笑っていたが、我輩は反省している。
調子に乗ってしまい大変申し訳なかった。
まあそういうわけで、アルティメット・ダークネス・エクスプロージョンの際には魔族の皆が「や〜まだ〜!」という事があると思う。が、特に気にしなくてもいい。
いや、むしろそれは感動の台詞であり、凄い爆発の際にしか叫ばれない感嘆詞なので、誇っていい。
もしも君がアルティメット・ダークネス・エクスプロージョンを放った際に(あるいはアルティメット・ダークネス・エクスプロージョンとは異なる君のオリジナル魔法かもしれないが)「や〜まだ〜!」の声を耳にしたのならば、それは君の起こした爆発が我輩に匹敵する凄まじいレベルであるという証拠である。
もう一度言う。
誇り給え。
君の一撃は、まさしく魔王の一撃である。
最高最善最大最強の魔王に相応しい一撃である。
君はそういう魔王だ。
魔族の皆が君という魔王の存在を祝ってくれている証だ。
我輩も祝おう。
君という魔王が、我輩に代わって誕生してくれた事を。
世界を越え、悲しみに満ちた過去を破壊し希望に溢れる未来を創出する、究極の魔族の王。
その名も魔王。
きっと新たなる歴史が創生された瞬間である。
すごくどうでもいい余談。
「たまや」の由来についてだが、これは江戸時代に「玉屋」と「鍵屋」という花火屋があり、それが花火の綺麗さを競っていた。その時にどちらが美しいかを見物客の掛け声の大きさで判定していたそうで、その時の名残で今も「た〜まや〜」とか「か〜ぎや〜」と叫ばれている……とのことである。ちなみに私はこれまで「か〜ぎや〜」という掛け声を聞いたことがない。本当にまだ使っている人がいるのかどうか疑わしく思っている。とはいえ、まあ何にしても花火とは季節の風物詩であり、窓の外に見えると(私は人混みがめちゃくちゃ嫌いなのでわざわざ花火を見にはいかない。家でいい派である。しかしよくよく考えてみるとこういう性格のせいでかなり青春を損失してしまった気がする。浴衣着て神社行って彼女と花火見るとか青春ポイント高いから学生の頃に一回はやっておくべきだった……今学生の方は絶対にやっておくべきだと私は思う。学生気分で青春を謳歌出来るのは学生の時だけなのだから。まあ大人になったら大人の青春があるので別に過剰に機会の損失を恐れなくてもいいが)なんだか楽しくなってくるものである。




