懊悩の渦中
せっかくの日曜日は悶々とした想いに駆られ、一切休息の日とはならなかった。精神的に参ってしまい、微熱まで出してしまう始末で、自分でも情けないと思いながらもこの日は昼下がりまでベッドの上に横たわっていた。
「清! いつまで部屋に籠っとんや!
いい加減に出てきい‼」
下から響く母の怒号に、清は全身に倦怠感を覚えつつも何とか起き上がった。身体がどうも重く、頭もぼーっとする。階段を降りる足どりも、どことなくおぼつかない。
どうやら、完全に風邪を引いてしまったらしい。
「母さん・・・、なんか風邪薬とかないかね?」
「アンタいつまで寝とっとや⁉
生活が乱れとるけん風邪とか引くんやろうがちゃ!」
「もう、わかっとうけそんな怒鳴らんといて・・・」
母は清の体調の悪さにも一切お構いなく怒った。その大きな声が彼には、頭に響くので苦痛で仕方なかったのだが、それだけ怒りつつもちゃんと薬を渡してくれるのが母らしいところだった。
ブツブツと小言を言われる中で薬を服用しながら体温を計測すると、なんと三十八度も発熱していた。
「・・・まじか。
そりゃ、頭もぼーっとするはずやわ」
「清、悪いけどお母さんちょっとこれから用事があるけ出かけなあかんのよ!
そんだけ熱あるんやったら、寝とくついでに留守番頼んでええかいね?
夜はちょびっと遅くなるかもしれんけど、帰ったらなんか雑炊とか作っちゃるけん」
「そこはお粥やろ・・・・」
そう言い残して、行ってらっしゃいの言葉を背中に受けながら忙しなく母は家を出て行った。もともとおしゃべりで騒がしい、嵐のような性格のため、母がいない我が家は異常なほど静寂に包まれていた。それはそれで少し寂しい気もするのだが、今回ばかりは清も助かったと安心した。
そのため、テーブルに並べられた、すっかり冷めきってしまった昼ご飯をゆっくりと噛み砕きながら喉を通し、彼は再び自部屋にのそのそと戻って行った。
しかし、自部屋に戻っても、何もすることが無かった。ほんの一時間前までずっと眠っていたものだから、眠気も一切ない。ただ部屋に着くなり糸が切れたようにベッドに力なく倒れこみ、清はひとつ大きなため息をついた。
ふと、枕元にほうっていたスマホに手を伸ばした。そのまま何も考えずに電源を入れると、通知がずいぶんと溜まっていた。基本的にはLINEの通知であったが、その中に鑑奈からのメッセージが含まれていなかったのは、今の彼にとってはせめてもの幸いだった。
風邪を引いている時まで、精神的に苦しめられたくはない。実際今回の風邪の元凶ではないとも言い切れなくもないのだが、そこまで頭が回るほど彼には余裕がなかった。
「あれ・・・、これ・・・」
ふと、通知の中に新しいグループへの招待と、なんと彼の通う奈艶高校のマドンナ的存在である居舞 優からのメッセージが含まれているのに気が付いた。
グループの方は、どうやら先日彼女が言っていた各クラスの学級委員長のものらしい。参加人数は既に五人と表示されており、あと加入していないのは清だけだったようである。
「ということは・・・、居舞さんからのメッセージは加入してっちヤツか・・・」
ほんの一瞬、期待してしまった。熱が出ているにも関わらず、そういった推測が即座にできてしまう自分の頭が彼は憎らしく思った。しかし思い返せば、彼女はフリーではあるものの、好きな人が『いる』と答えたのだ。それも、耳まで真っ赤に染め上げて。皮肉にも、そんな照れている彼女もたまらなく愛らしく、余計に好きになってしまったのだが。
ぼーっとしたまま、深く考えることもなく委員長グループに参入し、そのついでに居舞の個人チャットのページも、何も考えずに開いてしまった。
「あっ、しまっ」
見てしまったからには、何らか返さねばならない。清は自分が既読を付けられたまま返信がないのを嫌うため、他者にも決してしないように心掛けていた。開いたのが親しい友人や家族であれば、返信も特に深く考えずに返すのだが、今回の相手は幸か不幸か、あの居舞である。ほぼほぼ脈なしであるとはいえ、彼も一人の男子高校生である以上万が一の可能性を捨てきることができなかった。
「やっべ、どうしよ・・・」
とりあえず読もうと、一度反射的にホーム画面に戻してしまったスマホを操作し再び彼女との個人チャットを、少しばかり指先を震わせながら彼は開いた。
——————こんにちは。
突然ごめんなさい。少し、お話があるのですが、今お時間ありますか?
表示時刻は、午前十一時過ぎだった。
「うああああぁぁぁ‼」
思わず、風邪を引いているとは思えないほどの大声で叫んでしまった。しかし、たったこれだけの簡素極まりない文でも、居舞から届いたものだという事実を踏まえれば、先ほどまで清が感じていた精神的・肉体的倦怠感を丸ごと忘れさせるには十分だった。
好きな人からのLINE。それも、相手から話しかけられているというのに、図らずも無視していたのだ。一生ものの不覚である。
「なななななんてこった・・・‼
まだ間に合うか・・・? いやぁ、無理かぁ・・・?」
現在時刻は午後四時半を回ったところ。彼女が話したがっていた「今」からは、既に五時間も経ってしまっていた。流石にこのタイミングで「大丈夫」とだけ返すのは、少し無理があるように思えた。
「・・・・うぅ」
しかし、メッセージを読んでしまった以上返事を返さないわけにはいかない。彼自身のポリシーにも反することだが、それ以前に贈られたものにお返しをしないというのは礼儀知らずのすることである。そういった細かくも基本的なマナーは、清は破りたくなかった。
———ごめんなさい。少し用事があって、確認できてませんでした。
今からでもよければ、大丈夫です
「くっ・・・!」
悩むうちに、思い出したように心身に倦怠感が戻って来た。結局返したメッセージにはいくつか方便も交えることとなってしまったが、多少は構わないだろうと、流石に妥協してしまった。
当たり前のことではあるのだが、既読はなかなか付かなかった。しばらく心臓をバクバク鳴らし、酷い頭痛を覚えながらも個人チャットを開いたままスマホを手放せずにいたのだが、冷静に考えれば相手にも事情があるのだ。用事やタイミングもあるだろうし、もしかしたら話そうと思っていたことも、他の人に聞いて解決してしまったのかもしれない。
いったんそう思い始めると、喪失感や虚無感といった、やるせない気持ちが彼を支配してしまった。心なしか、体調もLINEを見る前に比べて尚更悪化してしまったように感じる。
「・・・はあ~ぁ」
もはや、溜め息しか出なかった。枕に顔を押し付け、ゆっくりと腹の底から息を吐きだす。
そんなことをしている内に、自然と彼の意識は深くへと落ちて行った。