虚偽の再会
土曜日。課外授業が午前中に開かれ、その帰りに鑑奈との待ち合わせに赴くつもりで、彼は半日を過ごした。その登下校中は、居舞との鉢合わせを徹底して避けていた。彼女とも、先日の一件以来何となく気まずいままで、鑑奈との件が解消出来たらそちらを何とかしようと、悩みではあるものの比較的楽観的に捉えていた。
——————着いたら連絡してね
「・・・はぁ」
思わず、ため息を漏らした。確かに、ずっと逃げていた問題ではあった。解決しようにも鑑奈は東京に越してしまったため、解決は不可能だと、自分に無理やり言い聞かせて落とし込んでいた面があったのは間違いない。しかし、何故よりにもよって今なのか。
駅を出たら、例の場所までは五分少々で着く。一歩ごとに、不安と緊張で足取りが重くなっていった。会って、何から話せばいいのだろう。どんなテンションで、どんな感情で言葉を交わすべきなのか、考えれば考える程頭を抱えてしまう。
何度も何度も、意味もなく最後に更新された彼女のメッセージを見返す。何度見たって変わらないし、次に更新すべきは文脈からも清の方だった。
駅から延びる大通りを通って、目の前に立ち並ぶ建物の数々を眺めながらも、その先に見える赤く巨大な橋を見据え、彼は再び溜め息をついた。
その時、不意に胸元のスマホが震えた。慌てて手に取ると、画面には新着の、鑑奈からのメッセージが届いていた。
——————ごめんなさい
少しだけ遅れます
その文を読んだ瞬間、清は束の間の安息を得た。ホッと胸を撫で下ろし、すっかり早くなった鼓動を深呼吸で落ち着けた。
メッセージのとおり、橋の下にそれらしき人物はいなかった。何人か、まばらに散歩している人は見かけるものの、そのほとんどは老人で、若者の姿は視認できなかった。
「・・・・ふぅ」
静かにさざめく波の音と、かすかに聴こえてくる海鳥の鳴き声が、彼の緊張を緩やかにほぐしていった。この橋の下の海辺も、思えば久しく訪れていなかった。いつからだろうか。流石に、五年前のあの日以来ということはないだろうが、足が遠のいていた理由は確実に同じものではあった。
空は、雲一つ無い快晴で、入道雲が水平線から湧き出していたあの時とは時期も空模様も違うはずなのに、ここに来て時間が経てば経つほど、記憶が鮮明化されていった。岸壁沿いに整列した内のひとつのビットに腰を下ろし、再三、溜め息を吐いた。
その時。
「加納君——————?」
まるで鈴のように軽やかで透き通った声が、清を背後から包み込んだ。その瞬間、彼はビクッと肩を震わせ、まるで敵襲にあったかのように、勢いよく声のした方を振り向いた。
そこにいたのは、小柄で華奢な、されどどこか包み込まれるような雰囲気を醸し出している、可愛らしい女子高生だった。
長く、上を向いたまつげに二重瞼のぱっちりした双眸。小ぶりながらもすっと筋の通った鼻に、淡いピンク色に艶光りした、柔らかそうな唇。前は右側で分けた、眉を覆うくらいの長さで、一方後ろは肩甲骨辺りまで真っ直ぐに伸びており、日の光を浴びて自ら光り輝いているかのような、美しい黒髪。南仏高校の名物でもある、「美女殺し」とまで言われる古臭いデザインの制服をも華麗に着こなす姿は、居舞とは別の方向性で眩かった。
「加納君、だよね?」
「え・・・・、は?」
驚きすぎて、言葉が出なかった。
「私だよ?
神岡 鑑奈だよ?
―――久しぶり。」
面影は、一切残っていないように思えた。確かに彼女の顔立ちは悪くは無かったと思うが、こんなにも輝く女ではなかったはずだった。
「え・・・、本当に、鑑奈?」
「そうだよ? ふふ、加納君、口が開きっぱなしになってるよ」
彼女が笑った、その仕草、その声に、かすかに面影を見いだせたような気がした。雰囲気も、彼女だと思って見れば分からなくもない。しかし、それ以上に見た目の変化が大きすぎて清は会ってから三分経って尚、混乱したままだった。
「嘘やろ・・・。もはや別人やんけ・・・。」
「そうかな・・・? でも確かに、東京に行ってから色々なことを知ったから、そのせいかもね」
話す言葉すらも、すっかり方言が抜けきってしまっていた。文面上での言葉遣いが変わるのはまだ分かるのだが、よもや話し言葉まで変わっていたとは。
「お前・・・、眼鏡はどしたん?」
「コンタクトに変えたの。あの眼鏡、私もあまり好きじゃなかったから」
確かに、眼鏡でなくなったのが一番の違和感を生んでいるのだろう。しかし、やはり見れば見るほどそれだけではないと思えてきた。
「どう? 加納君。
私、変わったでしょ?」
「どう?っつわれてもなぁ・・・
変わったっち言うか、もはや変身やろこれ」
呆然としたまま、清は思わず頭に浮かんだとおりの言葉を垂れ流してしまった。ハッと気づいた時には遅く、しまったと後悔していると、彼女はにこっと微笑んだ。
「ふふ、そうでしょ、そうでしょ?
私、頑張ったんだから!
もう、あの時の私とはおさらばしちゃった!」
さらっと口にした彼女の言葉が清の胸に突き刺さった。やはり、気にしていたのだろうか。とても、嫌な思いをさせてしまっていたのだろうか。きっと、哀しくて仕方なかったに違いない。それまでの自分を、心から嫌悪させてしまっていたに違いない。それだけのことを、自分はかつてしてしまったのだ。そんな思いが、再び彼の心の内を支配していった。
「あの時、俺・・・」
「さようなら。
『いじめられっ子』だった、わたし」
言いかけた清の言葉を遮るように、鑑奈は言葉を被せた。
「さようなら。
『人間不信』だった、わたし」
「―――ッ‼
・・・・なあ、かん―――」
「さようなら。
——————『キヨの友達』だった、わたし」
最後に放った言葉だけは、清の方へと振り返り、真っ直ぐに告げられた。
「―――え?」
呆気にとられる清をよそに、彼女は一度海を眺めた後、再度彼の方を振り返って、にっと笑った。
「これからよろしく!
―――『加納君』!」
それだけ言うと、神岡鑑奈は手を高らかに振りながら、その場にかつての友人を一人残して歩き去って行った。