見えない約束
居舞とぎこちない挨拶を交わし家に帰った清は、夕飯時ですら心ここにあらずといった様子で、せっかく好物の肉じゃがであったにも関わらず、味も何も分からないまま食べ終わってしまった。そのままのフラフラとした足取りで自部屋へ向かう彼に、両親も敢えて干渉しようとはしなかった。
部屋に戻るなりその身をベッドに放り出して、仰向けにごろんと転がった。ふと、胸元のポケットに入れたままだったスマホがブルブルと震えだし、呆とした様子で彼は夜も遅い時間にやって来た非常識な通知に目を通した。
それは、神岡鑑奈からのメッセージの着信を示していた。
「‼」
しばらくの間ぼんやりしていた頭が、一瞬のうちに目覚めた。我知らず清はガバッと飛び起き、急いで未読メッセージを開いた。
——————ひさしぶり。私のこと、覚えてる?
「忘れられるわけねえやろうがちゃ・・・‼」
『友達ではないユーザーからの』という表示が妙に癇に障り、つい清は彼女のアカウントを追加してしまった。逸る気持ちで、返信の文を必死に考えるも思いつかない。
一体、何から話せばいいのか。
——————最近、加納君の話を聞いたんだよ。
だから、思い切って話しかけちゃった
「・・・・・」
——————迷惑だった?
「んなわけ・・・」
———いや、大丈夫
——————そう。
よかった
顔が見えないのをこれほどまでにまどろっこしく感じたことはなかった。小六の夏に突如転校してからというもの、東京に行ったということ以外一切彼女の情報が無かったため、聞きたいことは山ほどあった。しかし、どれから聞くべきなのかも気が動転してしまっていて分からず、そもそも最初に話すべきはそんなことではない気もした。
―――誰に聞いたん?
俺のこと
——————谷垣君だよ
「谷垣やと・・・?」
“谷垣 健二”は、清の中学時代の同級生である。生粋の剣道馬鹿で、クソ真面目過ぎる性格ではあったが、彼とは比較的仲が良かった。しかし彼は、高校は近所の進学校に進学したはずで、鑑奈とは接点が一切無いはずである。
―――なして、谷垣を知っとん?
——————何でって、谷垣君同級生だもん
「——————は?」
——————そっか、知らないよね加納君は
私、引っ越して帰って来たんだよ
だから、今は谷垣君と同じ南仏高校に通ってるの
「・・・・は?」
五年ぶりの会話ということもあるのだろうが、彼女の言うことひとつひとつが衝撃的過ぎて、清は何度もスマホの画面を見返した。
―――何、こっちに住んでんの?
——————そうだよ
既読と返信が早いあたり、彼女の方も色々と言いたいことがあるのだろう。時刻は二十三時を回ってしまっていたが、眠気などというものは全く来なかった。むしろ目はギンギンに冴えてしまっており、心情の方もとても寝つけるような状態ではなかった。
——————それでね、相談があるんだけど
今週の土曜日の午後、久しぶりに会えないかな?
「・・・・・・」
ズクッと、胸を刺すような思いに駆られた。別れ方があんな形だったためか、やはり彼女に対して追い目にも似たような感情を抱いていたのだ。
ある意味、これは唐突ではあったがまたとないチャンスでもあった。あの幼少の心残りを、完全に取っ払ってしまう、千載一遇の機会だった。これを逃す手は無い。
しかし、それでも。そこまで分かっていながらも、清はすぐに会おうと返信することができないでいた。
——————ダメかな
まるで催促するかのように、彼女の方から続けてメッセージが送られてきた。
あの時、鑑奈の発言は確かに告白じみたものだった。直接言っていたわけではなかったが、同じことである。
つい数時間前の自分と重なりすらした。彼女は、清のことが好きだった。いつも彼を頼りにして、彼が彼女に何かプレゼントすると、たとえそれが松ぼっくりやドングリであっても、満面の笑みを浮かべて受け取り、自分の部屋に飾っていたのだ。証拠となるものはもちろんそれだけには留まらないが、確実にあの頃、彼女は彼を好いていたのだ。
そんな純粋な恋心を抱いた女の子、それも他に友人のいなかったいじめられっ子だった彼女を、あんな振り方をして別れたのである。きっと彼女はもう気にしていないのだろうが、どうしてもあと一歩が踏み出せないでいた。
——————無理にとは言わないよ
私も、何か特別に話したいことがあるわけじゃないから
「・・・本当かよ、ソレ」
——————なんなら電話でもよかったんだけどね
でも、やっぱり一度会って話したいなって
私は、そう思ったんだ
「・・・・・」
字面からは、やはり感情の読み取りに限界があった。しかし、彼女の方から誘いをかけてきているのだ。ここを外せば、この喉に引っかかった小骨は一生取れない気さえした。
―――分かった
じゃあ、土曜日の昼過ぎに会おう
どこで会おうか
震える指で打った返事は、どことなく無機質なものになってしまった。彼は緊張のし過ぎからか、少しだけ息苦しささえ覚えた。
——————じゃあ、あそこにしようよ
“赤大橋の下”
その瞬間、清は心臓を掴まれたような感覚に見舞われた反面、やはりかと納得もした。