眩い居舞と不穏な陰
電車を乗り継いで、片道およそ一時間半~二時間かかるこの通学にも随分と慣れたものだった。小中と歩いての登校だったのが、突然それまでほとんど使ったことのなかった公共交通機関を使っての登校になったものだから、とにかく移動が辛くて、昨年は少なくとも半年間はずっと入学したことを後悔して止まなかった。
しかし、いつからか。この登下校の時間帯と乗る電車の便が、なんと居舞 優と同じだったことを知り、偶然鉢合わせてからはほとんど毎日のように彼女と登下校するようになっていた。そのため、清は密かに毎日の楽しみの全てをその登下校の計三時間に感じていたのだ。
ちなみに、このことを稜真は知らない。聞かれても、言うはずがない。
「あ、加納君」
「おう、お疲れさん」
居舞は、今日も変わらずまぶしい人だった。「清楚」「おしとやか」「大和撫子」といった、清廉な女性を指す言葉は、この人のためにあるのではないかと、そう思えるほどに彼女は容姿・性格共に純真無垢であった。
「加納君、ところで携帯電話って持ってる・・・?」
「え? そりゃ、持っとるよ?」
スマホのことをわざわざ携帯電話というあたりも彼女らしい。
「もし・・・、加納君が良ければなんだけど、LINE交換しない?」
「えっ⁉」
目玉が飛び出るかと思うくらい、まるで電流を流されたように肩をビクッと震わせ驚きながら、清は思わず言葉を詰まらせた。
「えっ、あ・・・、———えぇ⁉」
「あっ、その、嫌だったら・・・、別にいいんだけど・・・」
慌てふためく清に驚いてオロオロする居舞は、普段ののんびりしながらもピシっとした、いかにも学級委員長といった雰囲気とはまた違って、とても可愛らしかった。
「いやっ、嫌じゃぁ・・・ないです! ハイッ!」
「本当? 良かったぁ・・・」
ホッとしたように胸を撫で下ろす彼女に、清は見惚れる他なかった。所作や表情ひとつひとつが、本当に魅力的で、もはや男受けを狙っているのではないかとも感じられるくらいだった。しかし、たとえそうだとしても、マドンナにLINE交換をねだられた清は完全に冷静な思考を失ってしまっており、まさか自分に気があるのではなどといった、邪なことしか考えられなくなっていた。
「断られたらどうしようって思ってたの。
加納君も私も、それぞれの学級委員長だから、やっぱりクラス間での連携が円滑に進まないとね。体育 大会とか、文化祭とかにも影響が出るし」
「あ・・・・、そう、ですか。
・・・デスヨネー」
ひとり喜ぶ居舞をよそに、跳ね上がったテンションが急降下してしまった清は、魂が抜けたように肩をがっくりと落とした。彼女の様子を見るに、恐らく本心だろうし、何よりこういうことも素でやってしまうのだろう。今まで、一体何人の男が彼女の前に玉砕されてきたのか、考えるだけでも恐ろしい。
「実はその、六クラスの委員長でのグループを作りたくて。
でも他の人たちはあまり親しくないから、一番話しやすい加納君から誘ってみようかなって思ったの」
この娘は、本当に罪深いと思った。散々期待させてから思い切り突き落としたというのに、今再び掬い上げようというのか。
「そう・・・ね。
まあ、ええんちゃう?」
口角を引きつらせながら、清は少し疲れたように苦笑いを浮かべた。だが、どのような形であれ、多少なりとも気になっている女の子からLINEをせがまれるなど、脈なしとは分かっていても嬉しかった。
「ちょい待って・・・。
QRコードでいい?」
「いいよ~。じゃあ、私が読み込むね」
制服のポケットからスマホを取り出し、慣れた手つきでパターンを入力する。アプリを開き、すこしばかりデータを読み込むのを待って、ようやく自分のQRコードを画面に映し出したところでふと顔を上げると、何か物珍しそうな表情で居舞が顔を覗き込んでいた。
「ぅわッ⁉ な、何⁉」
「え? あ、ごめんね。
加納君って、まつげ長いなぁって思って。従弟に似てたものだから」
「え? あぁ、そう?
そ、それよりホラ! 準備できたけ、は、早く読み込んでや!」
「うん」
彼女が半歩、清に近寄りスマホの画面をカメラ越しに重ねた。画面を覗き込むように頭を小さく振ると、ほんのりと甘いような、お日様のような匂いが鼻腔を刺激した。
ふと、スマホを持つ手と手が当たった。
「あっ、ごめんね」
「いっ、いや、俺こそゴメンっ・・・‼」
高校に入学して以来、最高の瞬間だった。同時に、清は自身の中でも自分がこの瞬間に、居舞への恋に落ちたことを自覚した。
「あ、できたよ!
じゃあ、追加お願いしてもいい?」
「お、おう。すぐにするわ」
ふと彼女が傍から離れると、その場には彼女の残り香が少しの間漂っていた。なぜこんなにも良い匂いがするのだろうなどと考えながら、清はすぐさま友達追加のページを開いた。
少しだけ読み込んでから、彼のスマホは承認待ちのアカウントを提示した。彼はその欄には居舞のアカウントしかないと思っていたため、画面を指で弾きながら提示を待っていたのだが、表示されてから居舞のアカウントの追加承認に進むまでのほんの一瞬。清は、何か違和感を覚えた。
(ん・・・? 今、アカウント二つなかったか・・・?)
たまにある、迷惑アカウントの承認待ちだろうか。彼は妙なところで几帳面な性格で、未読メッセージや迷惑メールの処理を欠かさず行わないと気が済まなかった。
「ほい、追加したばい」
「ありがとう! 本当に、ありがとうね!」
とりあえず最前面に表示されている居舞のアカウントを追加承認し、喜ぶ彼女をよそにすぐに彼は再び承認待ちのアカウントのページを開いた。
「他にもいたの?」
「いや、多分迷惑アカやっち思うけど・・・」
その時の読み込みの時間は、妙に長く感じた。いつもなら、こういった作業に緊張するなどありえないのだが、居舞が横に立っているからだろうか。
変な震えまで起こしながら、ようやく読み込みの完了した画面を食い入るように確認すると、そこには一つのアカウントが承認を待ってぽつんと佇んでいた。
——————“神岡 鑑奈”と云う名と共に。