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第六話:ふがいない僕は横顔を見た

 次の土曜日、いきなり蘭から連絡が届いた。デートのお誘いかと思いきや、次の日の練習内容について。どれどれと覗いてみるとそこには試合の二文字が。二回しか練習していない俺達に対してまともに練習相手になってくれるチームがあるとは。まずはそこに驚いた。きっと一部でも二部でもなく三部のチームの中のどこかだろう。そう思って日曜日に第一縹川グラウンドに集合すると、やっぱり弱そうな中年おじさんたちのチームだった。


 ユニフォームが小さく見えるゴリゴリの大川兄みたいな中年おじさんも中にはいるが、ほとんどはユニフォームが逆に大きく見えるような細身の中年おじさんが大多数。人数は相手のほうが二倍多いが、あまりそこは関係しないだろう。今日の大川兄の出来次第で試合に勝てるかどうかが決まりそうだと思った。


 いつものように杏が点呼を取り、そのあと一人で飲み物などの買い出しに行き、俺ら選手は準備運動やキャッチボールを始めた。杏がいないと肩の荷が下りて楽に動ける。動きもスムーズになるし気持ちも楽になる。しかし一旦、杏が見ていることを意識してしまうと、肩に力がはいるのかどうも動きが鈍くなってしまう。緊張して、汗をかいて、杏の方に神経が行ってしまう。グラウンド上に立っているのに、意識がベンチの杏の隣に行ってしまう。そうなるともうダメである。一塁手なのに簡単な送球を何故か落としてしまったり、大川兄からの牽制球を見逃したりしてミスを連発してしまう。それを見てまた杏が天を仰ぐところを見てしまおうものなら、挽回しないとと思いまた体が固まる。悪い方悪い方に連鎖してしまうが、自分ではもうどうにも出来ない。なんとか後続を抑えて守備から帰ってくると、杏は呆れた感じでドンマイドンマイと軽くあしらってくれた。


 先頭の蘭が打席につく。相手のおっさん投手は蘭が元男だということを知らず、慌ててこちらのベンチにアイコンタクトを送ってきた。蘭はそれに臆することもなく、緩めの変化球をいきなり右中間ど真ん中に打ち込み、スリーベースヒット。相変わらずのうまいバッティングである。蘭のほうのシンクロ打法はしっかりと板についており、それを自分のものにできている。やはりセンスが違うのだろうか、それとも単に俺が実力不足なだけだろうか。


 俺まで打順が回ってきたが、やっぱり打てない。タイミングが合わない。未完成のシンクロ打法ではどうしてもワンテンポ遅れてしまう。この理論自体に合う合わないがあるのだろうか、それとも単純に下手くそだからなのか、とにかく結果が出ないのがもどかしい。野球を純粋に楽しむためだけの草野球ではあるが、それでも打って走って守って投げるとき、少しでも格好良い自分でいたいし、そういう姿を杏に見てもらいたい。だから、もっともっと上手くなりたい。この試合が終わったらバッティングセンターに行って練習しないとな。


 三振してベンチに帰ってくると、杏が今日は珍しく次の打者の応援をせずに俺に軽く話しかけてくれた。


「はい、残念賞のはちみつレモン。老けたねぇ」


 悪ふざけでそう言って笑う杏に、俺はもうがっくりである。はちみつレモンをひとつもらってもぐもぐしながらベンチでため息をついた。


 若々しいところを見せたかった。杏だけにはこんな姿見せたくない。何をやっているんだ俺。俺に話しかけてくれたことだけはとても嬉しかったが、悔しさのほうが断然大きい。


 試合はどんどん進んでいく。大川兄の出来次第でこの試合勝てるかどうか決まると思っていたが、その出来というのはそれほど良いわけでも、かと言って悪いわけでもない。のらりくらりとしている感じだ。高校時代の速球は鳴りを潜め、百十キロに達するかどうか。相手打者も俺らと同じくらいのレベルで打ち損じも多いけど、それにしても大川兄の高校時代を知っている方からすればこの姿はなんとなく悲しい。杏の言った老けたという感じもなんとなく共感してしまう。


 高校卒業以来久しぶりの試合。杏の声援は相変わらず真剣そのものであの頃から変わっていないが、選手は蘭以外はほとんど動きが悪い。それも回を追うごとにどんどん鈍くなっていく。典型的なスタミナ不足である。そもそも数回の全体練習しかしていない時点で準備不足なのは仕方がないが、それにしても足が動いていない。自分で自分が信じられないくらい一歩目が遅い。きっと他のみんなも同じなんだと思う。テレビで見ている高校野球の選手みたいに軽快に動けないし、対岸で今日も練習をしている母校の後輩みたいに食らいついて全力で……という気概は俺らのチームには全く無い。みんな自分の体力との戦いのさなかである。周りを見る余裕なんて全く無いのである。


 けっきょく中年おじさん相手に惜しくも敗戦。蘭以外の打線の弱さ、衰えの見えた投手力、そしてチーム全体のスタミナ。様々な弱さが露呈した試合だった。マネージャーの杏も、試合後のミーティングでそこを指摘し、草野球特有のエラーの多さは予想できていたがそれ以外もミスが有りすぎて試合にならないと酷評した。野球に対して真剣で負けず嫌いで真面目でチームの役に立とうとするマネージャーらしいマネージャー。杏と結婚したらきっと尻に敷かれそうだと思った。



 試合後、後片付けをしていると蘭が寄ってきた。


「どう? シンクロ打法の方は」


「見たでしょ、四つも三振しちゃったよ」


 そう、結局俺は全打席空振り三振してしまったのである。もう早くこの場から逃げ去りたいくらいである。


「それは知ってるけど、感触の方はどうなのかなって」


「まだなんとなく合わないんだよね。練習するしか無いな」


「ふーん。あ、そうだ、バッテしないの?」


 バッテとはバッティンググローブのことで、バットをしっかり滑らずに握るために使う専用の手袋のことである。


 高校時代は使っていたが、保管しているうちにカビが生えていて捨てたから、このチームが結成されてからはずっと素手でバットを握ってきていた。さすがに汗やなんかで滑るが、それもやっぱり影響しているのだろうか。


「してないよ、捨てたもん。カビけて」


「え、キタナっ。買わないの? 見た感じグローブもスパイクもボロボロじゃん。え、もしかして高校の時から変えてないとか?」


「……そうだよ。大切に使ってるんですからねっ」


 たしかに高校の野球部を引退してからはずっと実家の倉庫の中で眠らせていた。だから手入れも一応はしたけど新品のような輝きもなければ年季も入っているとはいえない状態だ。スパイクも高校の時の練習用だから、すでに親指のところに穴が空いている。


「そろそろ買ったら?」


「え、今買ったらどのくらいするの?」


「この前取材に行ったお店だと、グローブは安くても二、三万円位? スパイクも一万円くらいはしたような気がするけどね」


「まあまあするねぇ……」


 両親の偉大さが身にしみて理解できた。これまで自分の稼いだお金で野球用具を買ったことはない。もし蘭と一緒に買いに行くとしたらこれがはじめてになる。最低でも五万円は用意しないといけないが、五万円は貧乏学生にとっては大金である。バイトをしていた時期もあるから一応銀行口座の中には数万円あると思うが、それでもすんなり二つ返事で出せる金額ではない。どうしようか、正直とても迷う。


「今度一緒に行ってみる? 買い物デートしよっか!」


「ああ……まあ、はい。お願いします」


 買い物デートって。しかもそれもまた動画にするのだろうきっと。でも知識量はこのチームではずば抜けていると思うし、撮影したことがある場所なら店員さんも良くしてくれるだろう。まずは新しいバイトをまた探して、しっかり給料をもらってからだな。明日か明後日にでも探してみることとしよう。


 蘭との約束を一応忘れないようにスマホのメモ帳のなかにしっかり記録しておき、その場でみんなとは解散した。橋田のように速い逃げ足で。 


 その後、毎週のように来ているバッティングセンターにまた来た。今日の試合で大体の自分たちの実力がわかったし、足りない部分が多いことも実感した。そもそも練習が全く足りていないのである。やっぱり高校時代に毎日毎日練習することはそれなりに意味があったんだなと痛感した。


 財布を開けて、自動販売機でバッティング用のコインを買おうとしたが、札が一枚も入っていなかった。しまった。最近グラウンド使用料や外食、そしてバッティングセンターとお金をたくさん使ってしまって、手元に現金がない。小銭で数回打っても良いが、そうすると帰りに何も食べられなくなる。貧乏学生には辛い。しかもチームの道具もこれから揃えていくだろうし、高校時代に使っていたものはもうボロボロ。まさか手元の現金も底をつき始めていたなんて。早急に、絶対明日見つけなければ、草野球はおろか生きていくことが出来ない。やれやれ。


 来た道を戻り、第一縹川グラウンドを横目に土手をトボトボと歩いて帰った。そろそろ杏に良いところを見せないと、杏が俺のことを嫌いになってしまう。そう思うと、新しい道具で心機一転頑張らなければと、杏に振り向いてもらえないと思った。もともと杏は俺の方をあまり向いてくれない。いつも横顔か背中を目で追いかけるくらいしか出来ない。杏の綺麗な横顔を見ているだけでなんとなく満足してしまう俺もいるが、それと同時にその横顔が欲しくなってしまう俺もいる。まずはその横顔を正面にしてもらって、それから徐々にアピールして、距離を詰めて、告白? なんて本当にそこまでいけるのかどうかはわからないが、まだまだ道のりは遠く険しいのかもしれないなと思った。


 杏の横顔と、正面から話してくれる蘭の顔が同時に浮かんでくる。え、なぜ蘭の顔まで浮かぶのか。正面から話してくれるし、距離も詰めてくれる、元男だけど、今は美女。顔も声も昔とは違う。でも又田の面影も完全に消えたわけではない。まさか俺、意識してしまっているのか?

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