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第二十一話:君にサヨナラを言う

 自分の部屋に帰っても、余韻でなかなか寝付けなかった。なにかものすごく悪いことをしたみたいで、罪悪感が襲いかかってきたように湧いてきた。無理やり寝ないといけないと思ったが、結局その日は一睡もできなかった。


 その時、蘭からメッセージが届いた。なんでこんな時間にと思って時刻をみてみたら、もう朝の7時。朝っぱらからどうしたんだろうとメッセージを読んでみる。


『今日、取材のためにスポーツ用品店行くけど、付いてくる? この前道具新調するときに一緒にって約束したし。お買い物デートしようよ!』


 そういえばそんな約束をしていたような。もうすぐ年に一度の公式戦。負ければ敗退のトーナメント。そのために道具を新しく揃えたかったんだった。その資金作りのために球場のバイトを初めて……純奈に出会ったんだった。


 ここでもまた純奈のことを思い出す。頭の中に純奈と蘭と、杏が交錯して混乱してくる。そしてぶり返す罪悪感。ついでに蘭にこのことを相談してみるか。蘭ならもしかして男の気持ちも女の気持ちも分かるかもしれない。


『おっけー、行くわ。先にシャワーして着替えてから行くからちょっと遅れるかもしれないけど、良いよね?』


 早速返事して、シャワーをし、着替えて集合場所に向かった。場所は少し遠めの場所にある、小さめのお店。でもそこには豊富な種類の野球用品とトレーニング用品が所狭しと並べられていて、奥にはグローブやスパイク修繕のための作業場がある。


 そこにちょっと早足で登場した蘭。今日はいつものジャージ姿やユニフォーム姿ではなく、私服。それも可愛くて女の子らしい、今どきの女子大生っぽい服装。それに化粧もバッチリ決まっていて、厚化粧ではないナチュラルメイク。足は出しているのに全く男っぽいゴツゴツした感じがない。黒いストッキングを履いていて、足が少しだけ長く見える。これが元男だったとは、普通の人は誰も思いつかないだろう。


 店内に入ると早速撮影開始。俺はカメラマンとして、蘭の視線を追っていく。ファインダー越しの蘭は本当に美女で、時々吸い込まれそうになる。ひと通り最新の野球用品をチェックしコメントを残したあと、カメラを切って、今度は俺のために道具を物色。俺のために一生懸命選んでこれはどうか、あれはどうかと積極的に提案してくる蘭は本当に無邪気で、本当にデートとして楽しんでいるようだ。


 結局蘭のセレクトで道具一式を新調し、俺の貯金は尽きた。さすがの蘭のセレクトで、格好良いものや便利なものまで最高の道具が揃った。YouTuberとしての蘭は俺やチームにとってプラスの存在であることはもはや言うまでもない。


 退店した後、近くのカフェで昼食を共にすることになった。これも蘭が選んだおしゃれなカフェ。そこでランチプレートを頼み、それをハンディカメラで撮影する蘭の目の前で、相談を持ちかけた。


「なぁ、こんな相談するの、おかしいと思うけどさ、ちょっといい?」


「お、どうした? 全然かまわないけど」


「蘭ならさ、自分のことを好きになってくれる人と付き合いたい? それとも自分が好きな人と付き合いたい?」


「うーん、どうだろ。難しいねぇ」


 純奈みたいに俺のことを愛してくれる、必要としてくれる人と付き合うか、杏みたいに自分が好きだと思える人と付き合うか。もちろんまだ何も話は進んでいないが、そこがあやふやでは前に進めない。純奈といれば、きっと依存されてもう一生離れられないだろう。でも本能的な部分で確実に欲求は満たされる。ただ、精神的にはくるものがある。杏だったら、そもそも付き合えないかもしれないし、好きになってもらえないかもしれない。告白することで嫌われる可能性すらある。そうなると、それもけっこう精神的に来る。先に楽であとしんどいのを選ぶか、先に壁があってそれを越えればという方を選ぶのか。贅沢な悩みである事はわかっている。


 蘭に相談してみたが、曖昧な返事でなかなかはっきりしなかった。ちょっと変化球でも投げてみるか。


「蘭だったら、男と女どっちも経験してるから、なんか分かるかなぁと思って」

「ごめん、心は女のままなんだから、男の気持ちはわからないよ。両方がわかるなんてこと無くて、私は女の子の気持ちしかわからないよ。男の子の気持ちはわからないけど、理解はあるよ。でも根本的な部分は未知だよ。それで困ってたんだから」


 ハッとした。そうか、元男だったけど、それは単に身体的なものであって、心はずっと女だったんだ。だからそこが原因で悩んでたんだ。蘭にとっては自分の体がイレギュラーであって、元々女の子だったんだった。少し申し訳ない気持ちになってくる。


「なんか、ごめん。知ったようなこと言っちゃって」


「いいよ。慣れてるし」


 ランチプレートから目を離さずに鶏肉のソテーを食べる蘭。唇の端っこについたトマトソースをペロッと舐めて口の中に入れるのを目撃し、さっきの発言もあって、やっぱり蘭を女性としてみてしまう俺が、なんとなく違和感がありつつも、徐々に定着しているそのイメージに混乱しつつ溶け込んでいるような、そんな感覚があった。蘭は正真正銘の女性なんだ。“元男”ではなく、“女性”としての蘭が頭の中で定着していく。これが当たり前にできていなかった過去の自分が不思議なくらいだ。


「杏以外にも好きな人がいるんだ?」


「好きっていうか……どうなんだろ。必要としてくれる存在がいる。杏とは高校時代に知り合ったんだけど、その人とは最近知り合ったんだ。向こうに誘われて、杏のことを心のどこかに隠しつつ、その子に吸い込まれていった」


「ふーん、で?」


「でも、その人といたら自分への嫌悪感がどんどん高まっていって、自己嫌悪ばっかりしちゃう。その人にとっては必要な人間で役に立つ人間なはずなのに。自分自身で自分を卑下してしまう。それがどうも、ね。だから、好きな人と付き合うべきか、好きになってくれた人と付き合うべきか悩んでる」


 純奈のことはあえて“必要としてくれる存在”としか言わなかった。個人名を出すとややこしいことになりそうだから。又田時代に告白された相手が、まさかこの話題に出てくるとは蘭も思っていないだろう。


「ふーん、そうなんだ。必要としてくれるって言うことは、そういうのをもうしてて、だからこんなに隈がいつもより深いって言うことなのかな?」


「えっ」


 当たってる。図星だ。昨日純奈とそういうことをして、それで寝られなくなっていた。なんて鋭いやつなんだ。


「まぁでも……他の女に行くくらいなら、杏にしときなさい」


「ということは、自分が好きだときちんと思える相手のほうが良いって言うこと?」


「まぁそれもあるかもだけど……もし順番が逆だったら、先に知り合ってたかもしれないその子と付き合うの? 違うでしょ?」


 またハッとした。もしもどちらかとしか出会っていなければ。俺はその人に猪突猛進できたのかもしれない。しかしもし順番が逆でも、思いは変わらないだろう。結局、最後はタイミングと言うよりも感情のほうが大事なのだ。どちらが先だから付き合うとか、どちらが先だからこっちを選ばないといけないとか、そういうことではないのだ。だから、蘭が言っている杏に向かっていくっていうのはやはり正解なのかもしれない。


「杏は生粋のマネージャー気質なんだから、冴えない男はきっちりマネジメントしてもらいなさい」


 冴えないとは失礼な。と思ったが、図星だ。きちんと指摘とアドバイスを両立してくれる蘭。純奈への罪悪感を消し去ってくれる蘭。どうしよう、俺の中で蘭がだんだん大きくなっていく。杏のことが好きなのに、好きなはずなのに、蘭の優しさと包容力にはグッと来るものがある。元男というのを完全に消し去ることができれば。そこだけが引っかかっていた。


「だって今この瞬間にも杏がどこかにいるでしょ?」


「え、いるの?」


 振り返ってあたりを見回す俺。どこかに杏がいるのだとすれば、こんな話聞かれたら恥ずかしくて仕方がない。


「この部屋じゃなくって。良の胸の中に」


 ああそういうことか。確かに。杏のことをどこかへしまってから純奈と接していたっていうことは、もうすでにそこに杏がいたということだ。蘭のことを包容力のある惹かれる存在だと意識していても、隅っこの方には必ず杏がいる。ということは、もしかしてはじめから問題なんて存在していなかったのかもしれない。俺が素直にそこに立ち向けていなかっただけなのかもしれない。それを蘭から教えてもらった。蘭に発見してもらった。それだけのことだったのかもしれない。トンネルの出口で一気に光が差し込んできたみたいに、スッキリしてきた。


「あーあ、その相手が私だったら良かったのになぁ」


「はは、ごめんな、蘭じゃなくって。俺、やっぱ杏だわ。杏だったわ」


「うん、知ってたけどね。がんばんなよ?」


「うん、ありがと」


 もう決めた。俺にとって、杏がやっぱり一番なんだ。紆余曲折あったけど、やっぱり帰ってくるのは原点なんだ。その場で純奈の連絡先を消して、決意を固めた。蘭は恋愛対象ではなくやはり友達。多分ふざけてあんなことを言ってきたんだろうけど、俺に杏の存在を気づかせてくれたんだ。応援してくれるんだ。ここで蘭に突っ走る訳にはいかない。覚悟を決めないと。


「しっかり引きつけてからじゃないと安打は生まれないよ。焦って前の方で打っても凡打になるだけだからね」


 まさに蘭が教えてくれた、シンクロ打法の奥義。しっかり杏を引きつけて、いや、惹きつけて、焦らずじっくり。杏との心のシンクロを目指していこう。


 またランチプレートの方に目線を移した蘭は、少しだけ微笑んでいた。その表情に少しだけ違和感があったものの、そんなことより杏だという気持ちのほうが強くてあまり気にすることはなかった。蘭はひとくちひとくちが大きくて、すぐに食べ終え、俺が食べ終わるのをずっと待ってくれていた。


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